第3話 共有備品:私
いつも通り、私は最適化された最小限の動きで、一限目前の廊下を歩行する。そこに、
「ヤフー!」
見たことあるような、無いような男子生徒が私とすれ違い、そんな掛け声と共にスカートが大きく翻った。どうやら、めくられたようだ。いつもの如く。
さて、今日は何だったろうか。
たしか青、いや浅葱色の横縞ストライプである。
周囲にたまたまいた生徒たちにも見えたみたいで、私たちクラスの事情を知らない彼らは、驚愕とも何ともつかない表情をしていた。これに対して私は、
「………」
何もしなかった。ラクチンである。
スカートめくられ係なんていう、一見、狂ったポジションを得た私だが、思えばこれは、名案だった。
何しろ、私自身は能動的に何かする必要がない。これまでは何かしら反応しなきゃならない空気があり、それが面倒極まりなかったが、今はむしろスルー推奨。
「ふむ」
私の下半身は、今やクラスの備品のようなものであると言えた。その管理者は、自動的に私の担当になるわけだが、実態として、特別なことは何もしない。
私のパンツは、図書室の貸出カードと違って、名前を書かずとも誰でも閲覧できる。ただそれだけのこと。
正直、ラクチンだ。保健委員や美化委員なんかに割り振れるよりも、係のために消費するカロリーはずっと少ない。卒業までこの係にしてくれないかな。
そんなことを考えていると、
「おはよー」
私に声が掛かる。たぶん私に、である。
振り返ると委員長がいた。
「おは……」
挨拶完了。完了したので、その場を離れようとしたが、
「むー………」
私に何か言いたそうである。最近は鍛えられたのか、他人様の機微に疎い私でもわかった。そしてピンとくる。自分のスカートを指差し、
「どうぞ」
「しないわよ!そんな趣味ないからっ!」
ないのか。
そこで佐藤さんは大きくため息を吐く。
「見てたけど、あなた、本当にどうでもいいのね」
はい。
「私に挨拶を返す方はキョドるって、どういうこと?」
それは、すみません。
「まあ、いいわ。まゆ、教室行くわよ」
そう言って、彼女は私の手を取って歩き出した。
あれから佐藤さんは、私によく絡む、というか、世話を焼こうとするようになった。扱いが、子どもに対するそれだが、本人的には友達のつもりらしい。いったい、何のつもりかわからない。
「いっちばん乗り!」
残念、2番です。
田中君が私のスカートをめくって、逃げって行った。
「ぐっ」
横で佐藤さんがぐぬぬしている。
「あいつら、調子に乗って!」
スカートめくられ係なんてトンチキなものを考えた本人なので、彼らに直接は文句を言えない。ぐぬぬだけ。
「まあ、いいわ。どうせ飽きるんだから今だけよ、今だけ。そのうちまた、平和なクラスに戻るから我慢して」
「?」
別に我慢はしてないが、適当に頷いておく。
教室に入った。
————
その日の放課後。
私の目の前に、何故か、例のイケメン君がいる。
以前、下校時の靴箱の前で、残念な私に溜息を溢したあの正直な男である。
「……なに?」
不便なので、いい加減、彼の名前を思い出そう。
……。
ダメだった。
たしかクラスの………何とか沢君。そこまでは思い出せたんだが、何とかの部分は、面倒な漢字で、残念ながら、私の齧歯類な脳みそにはインプットされていない。佐藤さんとか田中君とかであれば、すぐに入ってくるのだが、まあ、良しとする。
で、その田中君と並び評される彼が、私の前にずいっと立ち塞がる。接点が無いこの男が、いったい何の用事だろうか。すると、おもむろに、
「失礼」
私のスカートをブワッとめくり上げた。
きゃーなんて悲鳴を上げて足を閉じる、なんてことはもちろんしない。平常運転である。わざわざ私のところにくる用事など、スカートめくりぐらいだから、予測はついた。他の男子と同じ。しかし違うところもある。
「………」
「………」
彼は上げた手を離さなかった。スカートを私の臍の上まで待ち上げ、めくり上げて、そのまま端を掴んでいる指を離さなかった。そして、私の剥き出しの下半身を、浅葱色のストライプをじっと見つめている。
なるほど。こういうパターンもあるのか。
「………」見つめる。
「………」見られる。
何とか沢君はじーっと私のパンツを見つめ続けた。繊維の数を数えてそうな勢いである。ただ、その視線は、他の男子のような、好奇や欲望に塗れたものではなかった。私の欠乏を覗き込み、確認しているような、自分も傷ついているような、そんな目だった。
一方、私は何もしないは得意なので、ぼーっとしていた。この頃は暖かくなってきたな、と、開かれたスカートの中で季節を感じている。
周りが異変に気付いて、ザワザワし始めた。とくに佐藤さんは何か言いたそうだが、言えずにいる。
やがて、
「つまんねーな」
そう一言だけ呟いて手を離し、彼はどこかへ行ってしまった。
「ちょっと!」
佐藤さんが呼びかけたが、彼はもう視界の外である。
「大丈夫?」
と、彼女が私に訊ねた。
何がだろうか。季節柄、もう寒くはなかったので、大丈夫と答えておく。
しかし、彼はなぜあんなに見つめていたのだろうか。少し考えて、ああ、と一つ思い立った。
「つるつる」
「え?なに?」
「私、つるつるだから、おかしかったのかな?」
あれだけ見つめれば、布に上からでも気づくだろう。この年になっても生えてない、この分だと、これからも生えなさそうなので、それが珍しいかったのだ。私の呟きを聞いた近くの生徒が、衝撃を受けました、みたいな顔をしているので、たぶんそうだ。
何とか君が最後に言い残した一言。
『つまんねーな』
結果論ではあるが、これはすぐに総意となった。
————
流行は思いの外早く終息へ向かって行った。
私は基本、無感動、無関心、無反応を通している。例えば私のパンツ当てクイズとか、今日のラッキーカラーとか工夫していたが、無反応である。楽だ。やがて彼らは正しく『つまんねーな』の状態になり、私のスカートが回数が減っていった。今では一日一回あるか無いか、それも何処か義務的である。風前の灯ってやつである。
「好きの反対は、嫌いじゃなくて、無関心。無関心は最強のカウンターなのよ」
と、佐藤さんは、何故かそう勝ち誇っていた。以前に『今だけ』と言っていたのは、こうなることを予測していたかららしい。まあ、私をイケニエにしたことに変わりはないのだけど、気にしないので良し。
「これで平和になるわ。元通りよ」
彼女は言った。
「そうかもね」
私は答える。
これは希望的観測、現実は違うよと答えている。
佐藤さんは私を利用して、私を『救った』つもりでいる。けれど彼女が差し出したのは、私を人間として扱う手ではなく、壊れた玩具を丁寧に箱にしまうような、慈しみに似た排除である。救われなかったモノは、もう救う事は出来ない。因果を考えれば、当然の話だ。
きっと彼女は本当に善性の人なのだ。周りの人も同じ。だから気付かない。私に向けられている悪意と嫌悪、そして軽蔑を。
私は歩いている。いつものように無を作って、ただ歩くことだけを遂行する。
向こうから誰かがやってくる。見たことがある顔だ。たぶんクラスメイトだろう。体格は小柄童顔で、体と心の成長が年齢に追いついていない、一見すると私と似たタイプの女子生徒であるが、私とは違ってたぶん本物である。怯えるウサギの称号は、彼女にこそ相応しい。そんな彼女が文化系の部活あたりで使うのか、何か重そうな荷物を携えて、正面を対面で歩いていた。
もちろん私は、重そうだから手伝ってあげようとか、せめてすれ違い様に挨拶しようとか、そんなことは考えていない。クラスメイトだからといって、ろくに会話したことない人間にそんな義理はないし、カロリーの無駄である。そのまま通り過ぎる。が、
「あ」
すれ違う際にぶつかった。荷物を持っていて、ちゃんと前を見ていなかったせいだろう。まあ、ぶつかったといっても、転ぶでもよろけるでもなくて、軽く触れた程度のものだった。ウサギは謝ろうとして、
「ひゃっ!」
私を見て私だと認識した瞬間、手を引き、身を庇い、短い悲鳴を上げた。その態度、表情、瞳に映っていたのは、生理的嫌悪である。まるで、うっかり汚いものでも触ってしまった時のような反射反応だった。
ああ、彼女は正しい。まるで、じゃなくて、私は汚いものである。何事もなく、私はその場を離れた。
生まれ変わるなら、やはりヤマネがいい。人生の大半を眠って過ごして、そして死ぬのだ。




