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第八章:『1854年、シーパワーの閣議決定と火急の課題』

1854年1月 首相官邸・4階閣議室


2026年の現代日本が過去の世界へ転移してから、初めての新年を迎えた。


前年の1853年、夏の終わりには国内限定網『インナーネット(Inner-net)』が急ピッチで開設され、ネットワークの遮断によって不便を強いられていた1億2千万人の国民は、国内サーバーを基盤とした新たなデジタル空間へと生活の場を戻していた。ペリー艦隊が長い船旅を経てワシントンに辿り着き、ホワイトハウスに大磯ロングビーチの写真を提出してアメリカ政府に冷徹な政治的判断を下させるより、一足早いインフラの整備だった。


原発の再稼働と、長崎のオランダ船を経由した初期原油の確保により、都市の電力やインフラは2027年の最新大都市のまま明るく維持されている。


官邸4階にある格式高い閣議室の窓からは、いつもと変わらない東京の超高層ビル群が、冬の澄んだ青空の下で輝いていた。


「……それでは、本年度最初の閣議決定を行います」


内閣総理大臣の柳田晴臣(64・所属:平和維持党)が、熱い緑茶をすすりながら厳かに宣言した。


「我が国は、自衛隊の圧倒的軍事力を背景に世界を侵略する『ランドパワー(陸上覇権)』の道は絶対に選ばない。一滴の燃料、一発の弾薬も武力行使には無駄遣いせず、海上輸送と平和的な貿易を軸とした『シーパワー(海上通商覇権)』で生きていく。友好国に近代的な港を作り、農業指導や資源採掘の技術をトレードする。これが我が国の国家戦略である!」


「異議なし!」と閣僚たちが拍手する。事なかれ主義の平和維持党らしい方針ではあったが、武力で奪うより文明の差で依存させた方が安上がりで安全であるという、計算された結論でもあった。


しかし、閣議決定の直後、柳田総理は手元の資料を見て胃を痛めた。


「エネルギー問題は目処が立った。……だが、農林水産大臣。我が国の【食糧問題】はどうなっているね? これは文字通り、我が国の生命線に関わる『火急の課題』だぞ」


農水大臣が青い顔で立ち上がった。


「深刻です、総理。現代日本の農業は、海外からの化学肥料原料リンやカリウムと、年間数百万トンに及ぶ家畜の輸入飼料に100パーセント依存していました。これが遮断された今、国内の備蓄だけではじり貧です。早急に、この時代の海外から『肥料の原料』と『穀物』を調達し、トレードする網を構築する必要があります」


その時、防衛大臣の岩崎の秘書が、閣議室に駆け込み岩崎に耳打ちした。

報告を受けた岩崎は表情を険しくし、すぐさま居住まいを正して発言した。


「総理! 今入った情報によりますと、世界中の列強が長崎や横須賀の沖合へと、続々と押し寄せてきています。各省庁、お正月休みどころではありません」


「どこが来たんだね?」


「イギリスの極東艦隊、ロシアの戦列艦、さらにフランス、そして隣国の清朝の使節団です。彼らは、あのアメリカ政府が何故かパニックになって国を挙げて猛烈に油田を掘り始めたという不穏な噂を察知し、『一体、東洋の果てで何が起きているのかを確認しに来た』という状況です。まだ我々の国力を見ていないため、半信半疑でこちらの様子を偵察しに来ています」


柳田総理は深く息を吐き出し、緑茶の湯気の向こうを見つめた。相手はまだ、近代的な日本の姿を知らない。ならば、やるべきことは一つだった。


「……よし、外務省、経産省、農水省の合同チームを結成しろ。彼らを武力で脅すな。横須賀や長崎の近代的な大都市の光を見せつけ、美味い和牛を食わせるんだ。世界を優しく、かつ完璧にコントロールして平和な未来を築く。我が国のシーパワー戦略、最初のターゲットは彼らの胃袋と我が国の食糧庫だ」


こうして、現代日本の生き残りをかけた、1854年「大商談時代」の幕が、正月の霞が関で静かに開くのだった。





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