第十二章:『永田町のデモクラシーと、アキバの「お気楽」なる神々』
1854年春(現代側:2027年春) 首相官邸・4階閣議室
1854年の春。現代日本がこの近世の世界に転移してから、間もなく1年が経とうとしていた。
エネルギーと食糧の火急の課題をクリアし、世界列強との平和的な通商網を構築した日本政府が、200年先まで続く平和な未来を築くために始動させた次なる国家プロジェクト――それが、各国から選び抜かれた超エリートたちを招いての『第1期・国費特別留使節団』の受け入れだった。
かつて幕末の日本から福沢諭吉らが欧米へ渡り、先進文明を必死に吸収した歴史の、完全なる逆転現象である。
「……それでは、使節団への教育方針および技術提供の範囲について、最終確認を行います」
柳田晴臣総理大臣が長机を見渡した。
外務大臣が資料をめくりながら発言する。
「今回来日するのは、イギリス、アメリカ、フランス、ロシア、清国から派遣された、次代の国政を担う若き天才政治家や思想家、計50名の超エリートたちです。我が国は彼らに対し、まず『近世の法治国家論』『民主主義』『議会政治の基礎』の講義を行います。力による支配ではなく、対話と法によって国を治める思想を、彼らの脳裏に深く植え付けるのが狙いです」
「実務的な技術開示のラインはどうなっているのかね?」柳田が問いかける。
経産大臣と防衛大臣が、「明確な一線を引いております。世界を劇的に豊かにする『最新の農業指導』『建築の基礎』、そして世界中で猛威を振るう感染症(コレラや結核)を根絶するための『抗生物質』『簡易ワクチン』の提供と、高熱沸騰(煮沸水)や手洗いといった『公衆衛生指導』は、人道的な観点から全面開放いたします。……しかし」
経産大臣の目が、冷徹に光った。
「我が国の圧倒的なアドバンテージの核心である、『重工業(最新の製鉄・造船)』および『先端科学産業(電気・半導体・化学)』は、一切開放いたしません。彼らにはあくまで、我が国から輸出する完成部品の『組み立て(アセンブリ)』と『メンテナンス』の技術だけを教え込みます。世界の調和をコントロールするための、絶対的なブラックボックスです」
柳田総理は深く頷いた。人命を救い、飢饉をなくす慈愛の手を差し伸べつつ、世界の均衡を崩すような牙(先端技術)は決して与えない。これこそが、現代日本が仕掛ける最も平和でエゲつない世界共栄のルールだった。
2027年春 東京・永田町(国立国会図書館・本館6階)
こうして、各国の未来を背負う超エリートの若者たちが、2027年の最新大都市・東京の中心的インフラが集まる永田町へと足を踏み入れた。
彼らは全員、「世界のすべての真理を掴み、母国に貢献するのだ」という凄まじいエリートの矜持と、悲壮なまでの決意を胸に抱いていた。
国立国会図書館の本館内にある研修室での講義を終えた後、イギリスの若き名門貴族であるアーサー(24)と、清国の若き天才官僚の林(22)は、本館6階の食堂(飲食可能エリア)へと移動していた。窓外に国会議事堂や永田町の官庁街を見下ろしながら、配給された冷たいお茶のペットボトルのキャップをひねり、喉を潤して激論を交わす。
「リン、昨日の『議会民主主義』の講義をどう思う。王の権力を制限し、民の代表が議論で国を決める。我々大英帝国の議会政治のはるか先を行く、驚くべき思想だ」
「驚天動地、というほかありません、アーサー殿。それ以上に、あの『衛生の講義』です。目に見えぬ小さな虫を殺すために水を沸騰させ、手を洗うだけで、万病が防げるなどと……。現に、彼らが我々の船に提供してくれた『抗生物質』と『ワクチン』は、船内で発生した赤痢を一瞬で鎮圧した。彼らは知の神そのものだ」
二人は、このニッポンという未知の超大国の恐るべき精神性と国力に、畏怖の念を抱いていた。これほど高度な法と科学を持つ民たちだ。さぞや、日夜血を吐くような努力と、国家への崇高な忠誠を誓い、張り詰めた緊張感の中で生きているに違いない――。
そう確信していた二人が、国会図書館を退館し、千代田線に揺られて秋葉原の街頭へ、初めての「自主見学(散策)」に出た時のことだった。
秋葉原駅前・「お気楽」なる神々との遭遇
「ウリャオイ! ウリャオイ! カ・エ・セ! 青春を・カ・エ・セ!」
冬が明け、うららかな春の陽気に包まれた秋葉原駅前広場で、爆音の音楽と共に、激しい光を放つ最新のLEDサイリウムを振り回し、猛烈に飛び跳ねている男たちの姿があった。
半年前は三人組だったあのボサボサ髪のオタクたちに、インナーネットの開通を通じてさらに二人仲間が増え、総勢五人の「絶望ファイブ」へとスケールアップしていた。ますます健康的に、生き生きと目を輝かせた五人の男たちが、一糸乱れぬ超高速のヲタ芸を披露している。
五人の胸には、さらにバージョンアップした段ボールのプラカードが、2027年の最新の液晶ディスプレイ(小型)まではめ込まれて輝いていた。
『異世界転生(実家)2年目突入』
『グラブルの古戦場(海外サーバー)を返せ』
彼らは、世界の不条理に対する怒りを、五人の完璧なシンクロ率による肉体の運動に変えて、今日も大真面目に通行人に訴えかけていた。周囲の2027年の若者たちは、
「あ、アキバの絶望ファイブじゃん」
「インナーネットで動画の再生数めちゃくちゃ伸びてて草」と、
クレープを食べながらヘラヘラとスマホで動画を撮っている。
それを見た各国の超エリートたちは、あまりの衝撃にその場に硬直した。
「アー、アーサー殿……。あの者たちは、一体何をしているのですか……?」清国の天才・林は、ペットボトルを落としそうになりながら震えた。
「わからない……。だが、あの目を見ろ。国家の滅亡や世界の危機など、1ミリも考えていない、恐るべきほどの『お気楽さ』だ……。周囲の者たちも、神の如き技術の道具を手にしながら、サツマイモのポテトがどうの、天下御免(SNS)の川柳がどうのと、実にくだらないことで笑い合っている……」
アーサーは冷や汗を流しながら、秋葉原を行き交う、平和ボケそのものの日本の若者たちを見つめた。
彼らは気付いてしまった。自分たちが命がけで平伏し、母国の未来のために1文字残さず学ぼうとしているこの超大国の「中身」は、凄まじいエリートたちではなく、ネットが繋がっただけで100%満足し、世界情勢などどこ吹く風で毎日を楽しそうに生きている、底抜けにお気楽な一般の若者たちなのだということに。
「これほどの超技術を抱えながら、なぜこれほど牧歌的で、お気楽に生きていられるのだ……。ニッポンの一般市民は、全員が天上の神々の如き心の余裕を持っているのか。……ニッポン、恐るべき国……」
そんな中、夕暮れのアキバに、
「謝罪と賠償 ん?・・・何をする はなせ~」
という声を、春の風がかすかに届けていた。
前の喧騒からわずかに外れた路地裏で、無許可の街頭演説を始めようとした例の評論家、江藤諸尊(58)が、駆けつけた警察官たちにあっさりと両脇を抱えられ、極めて迅速に連行されていく際の無様な悲鳴だった。しかし、サイリウムの光の海に包まれた駅前広場の人々は、誰一人としてその声に振り向きもしない。
世界を滅ぼす重工業技術を厳重に隠匿し、世界中の死病を公衆衛生で救う崇高な国家の足元で、日本の若者たちは今日も最高にユルく、逞しく、そして強烈な平和のバブルを爆走していた。その「絶対的なアドバンテージがあるからこそ許される究極のお気楽さ」こそが、各国の超エリートたちにとって、最も不気味で、最も羨ましく、そして最も敵わない「真の強国」の姿として、彼らの脳裏に深く焼き付くのだった。




