第十一章:『暖かき炬燵(こたつ)の協定と、新風の即席めん』
1854年1月 首相官邸・4階閣議室
2026年の現代日本が過去の世界へ転移してから、初めての新年を迎えた。
前年の1853年、夏の終わりには国家予算を湯水のように注ぎ込んだ国内限定網『インナーネット(Inner-net)』が爆速で開設され、ネット断食で暴動寸前だった1億2千万人の国民はデジタル空間へと帰還していた。ペリー艦隊が長い船旅を経てワシントンに辿り着き、ホワイトハウスに大磯ロングビーチの写真を叩きつけてアメリカ政府を脂汗まみれのパニックに陥らせるより、一足早いインフラの復活だった。
原発の再稼働と、長崎のオランダ船を経由した初期原油の確保により、都市の電力やインフラは2027年の最新大都市のまま明るく維持されている。
官邸4階にある格式高い閣議室の窓からは、いつもと変わらない東京の超高層ビル群が、冬の澄んだ青空の下で輝いていた。
内閣総理大臣の柳田晴臣は、熱い緑茶をすすりながら、長机を囲む全閣僚を見渡した。
「アメリカ、オランダ、清、イギリスとの共同事業は合意できた。だが、外務大臣、防衛大臣。長崎の沖合で未だに不気味な沈黙を保っているロシア帝国のプチャーチン提督の艦隊と、同じく来日しているフランスの使節団には、どう対処するつもりかね?」
防衛大臣の岩崎が、厳しい表情で立ち上がった。「特にロシアの南下政策(温暖な海への領土拡張欲)にどう向き合うかが最優先です。当初、我が国の誇る衣類技術『ヒートテック』や『使い捨てカイロ』の提供が候補に挙がりましたが、これらは過酷な極寒地での軍事利用や冬期進軍に転用されるリスクが否定できないため、安全保障上の観点から却下せざるを得ません」
閣僚たちが重々しく頷く中、経産省の事務方が事前に用意した技術仕様書に基づき、担当大臣が提案を述べた。
「そこで我が国は、力による恫喝ではなく、優れた生活の知恵によって共存共栄へと導く、我が国ならではの平和的な防寒設備を提案します。日本伝統の冬の団らん器具、『こたつ(炬燵)』のセットです」「
こたつ、かね?」柳田総理が目を見開く。
「はい。今回は電気の通っていない1854年のロシア向けに簡易化いたします。敷きマット、掛け布団、そして電気ヒーターパネルの代わりの熱源として、我が国の誇るアナログ燃焼技術『豆炭あんか』をセットにします。さらに日本の防寒着『綿入り丹前』を組み合わせ、これをロシアの家庭へ向けて輸出するのです」
農林水産大臣が静かに補足した。「シベリアの酷寒の家の中で、この『こたつセット』のぬくもりを体験すれば、一度足を踏み入れたら二度と出られない迷宮に入ったがごとく動く気力が失われるでしょう。温暖な海を求めて南へ進出しようとする動機が、穏やかに和らぐのです。この『こたつセット』の輸出と引き換えに、ロシアの地底に眠る『天然ガス』の持続的な輸入契約を勝ち取るのが狙いです、そして南下政策を骨抜きにしましょう」
柳田総理は深く頷いた。席に並ぶ閣僚たちが大真面目に取り組んでいるのは、安易な技術のボランティアではない。2027年の圧倒的な技術アドバンテージを、世界各国の状況に合わせて提供し、国際情勢を安定に誘導し、この先200年、その先の未来まで、世界のどの国も飢えず、不凍港を奪い合う戦争も起こさず、穏やかに共存共栄していける平和な未来を築くこと。それこそが、現代日本のリーダーたる彼らが今ここで果たすべき高度な歴史的ミッションであった。
「素晴らしい、平和的な貢献だ。……では、フランスは?」
外務大臣が手元の書類をめくった。「フランスは現在、欧州で『クリミア戦争』の最中にあります。我が国としては武器以外の物資で対応せねばなりませんが、食の都である彼らに対し、あえて我が国の『カップ麺』や『レトルトカレー』などの即席食品を提案し、家庭での実力を試してもらうことになりました」
「フランス人に、インスタントフードをかね?」
「はい。お湯を注ぐだけでいつでも極上のスープと麺が食えるカップ麺や、温めるだけのカレーは、2026年でも好評でしたので、彼らにとっても新鮮な驚きとなるはずです。これらを通じて、我が国が求める欧州産の物資との、平和的な対等トレードを目指します」
柳田総理大臣は、冷めかけた緑茶をゆっくりと読み干し、マホガニーの長机を軽く叩いた。「我が国のシーパワー戦略は、持続可能な平和と共存共栄が理念だ。外務省、経産省、農水省の合同チーム、直ちにおもてなしの準備に取りかかれ!」
「「「はっ!!」」」
現代日本の閣僚たちは、200年先まで続く平和な未来のルールを今ここで築くべく、4階の閣議室から、ロシアとフランスの全権大使を迎え撃つ誠実な商談の舞台を整え始めるのだった。
【後日談】
この閣議決定からしばらくして、歴史は穏やかな方角へと動き始めた。
日本政府から先行お試し品として「こたつセット」を提供されたロシアのプチャーチン提督は、その快適さに深く感じ入り、後に「この中では、あの橙色の甘い果実を剥いて食べるのが至高であると聞いた。みかんもセットで輸出してくれ」と正式に要求してきた。ロシア政府は日本の温かいインフラ技術を高く評価し、天然ガスの安定供給契約は無事に調印されることとなった。
一方、フランス側へ渡ったカップ麺やレトルトカレーも、その利便性と美味しさから本国の一般家庭や市民の間で大きな話題を呼んだ。
しかし、この流通の過程で、なぜか誰かが持ち込んだ日本の漫画『ベルサイユのばら』のフランス語翻訳版コミックが現地へ流出してしまう。1789年のフランス革命をドラマチックに描いたその内容に対し、フランスの支配階級は「危険思想の書」として取り締まりを開始したのだが、すでに現地の一般民衆の間では自由と平等のバイブルとして深く受け入れられてしまった。
この年のフランスでは、独自の文化融合が起き、民衆の間で「パンが無ければカップ麺を食べればいい」という奇妙な言葉が流行語になってしまったのだが、それはまた別の話である。




