第十章:『「海運王国」のプライドと、大英帝国極東艦隊』
2027年1月(1854年1月) 神奈川県・横須賀港(自衛隊主要拠点)
「我が大英帝国こそが七つの海を支配する『海運王国』であると自負していたが、それは我が方の傲慢に過ぎなかったか。真に世界の海を動かす力とは、この国のことだったのだな」
イギリス極東艦隊の司令官、サー・ジェームズ・スターリングは、横須賀の近代的な造船所を見下ろすキャットウォークの上で、文字通り圧倒されていた。
アメリカの東インド艦隊が日本から帰国した後、ワシントンが何故かパニック状態で油田を開拓し始めたという不穏な噂。それを確かめるべく、日本へ国交と通商を求めにやってきたイギリス艦隊を待っていたのは、数万トンの巨大な鉄の商船や自衛隊の艦船が、原発再稼働により安定供給される電力と巨大クレーンによって音もなく建造されていく、2027年の最先端工業地帯の威容だった。自国が誇る造船技術や蒸気船の栄光が、ただの砂上の楼閣に見えるほどの技術格差だった。
「スターリング提督、お足元にお気をつけください」
案内する外務省の全権交渉官と、経産省の産業技術担当官が、どこまでも丁寧で礼儀正しいビジネススマイルで彼を先導する。案内された会議室の机の上には、幾つかの精巧な金属パーツと、詳細な図面が並べられていた。経産省の担当官が、恭しく一礼して話し始める。
「提督、我が国は大英帝国の優れた工業力、および七つの海を支配する世界最高の航海技術に、深い敬意を抱いております。そこで、我が国が誇る高度な独自技術の一端として、こちらのご提案をさせていただきたく存じます」
提示されたのは、現代日本が1854年の地球向けに簡易化して設計した、『小型高効率蒸気機関』と、最新の流体力学を応用した『青銅製推進用スクリュープロペラ』の模型だった。
「これ、は……?」
スターリングは模型を手に取り、その寸分の狂いもない金属の切削精度と、滑らかな曲線を描くプロペラの羽根に目を剥いた。イギリスが今まさに実用化し始めたばかりの粗野な外輪船や初期のスクリューとは、次元が違いすぎる。1854年のイギリスの全科学力を結集しても、この滑らかなプロペラは鋳造できない。
「こちらの蒸気機関とスクリューを、あなた方の木造船に換装すれば、燃料消費は三分の一になり、速度は二倍を超えます。大英帝国のすべての艦船が、世界を圧倒する『無敵の超高速艦隊』へと生まれ変わるでしょう」
経産省の担当官は、新しい技術の可能性を教えるように、どこまでも誠実に、かつ優しく微笑んだ。
「これほどの大アドバンテージを、我が国に提供してくれるというのか……!? 我が国に、一体何を求めて……」
スターリングは生唾を深度深く飲み込んだ。この未知の超大国が本気になれば、大英帝国など一瞬で海に沈められる。それなのに、彼らはどこまでも対等なビジネスパートナーとして、紳士的に接してくるのだ。
ここで外務省の交渉官が、美しい所作で一枚の契約書を滑らせた。
「我が国があなた方に期待しているのは、その『世界最高の航海技術』を活かした、互恵的で栄えある共同ビジネスでございます。――具体的には、あなた方に『清国からの資源輸送の担い手』になっていただきたいのです」
「清国からの、資源輸送……?」
「はい。先般、我が国は清国政府との間で、肥料原料や穀物の持続的な貿易協定を締結いたしました。ですが、我が国は世界全体の調和と平和的発展を望んでおり、自国の船だけで物流を独占するつもりはありません。世界一の海運網を持つあなた方に、その大規模なピストン輸送を、ビジネスとして担当していただきたいのです」
外務省の交渉官は、頭を下げながら丁寧に言葉を紡ぐ。上から目線の命令ではない。大英帝国のプライドを完璧に立てた、最高に魅力的な商業の誘いだった。
「あなた方は我が国の高度な機関を学び、それを自国の商船に換装しながら、世界最強の『海の担い手(物流の主役)』として、富と文明の発展を手にすることになります。これこそが、我が国が目的とする、世界が共存共栄して平和に発展するためのシーパワー戦略でございます」
スターリングは、突きつけられた提案の巨大さに震えた。断れば、イギリスは次の時代に取り残されて没落する。しかし、この丁寧で誠実な提案を受け入れ、ニッポンのパートナーとして確実に技術と富を吸収していけば、大英帝国は世界の海の絶対的なリーダーであり続けられる。何より、日本側は彼らの「海運王国」としての意地と能力を否定せず、むしろそれを活かした最高の共同事業として礼儀正しく称えてくれているのだ。大英帝国のプライドは、極上の未来を約束されて満たされていた。
「……ニッポンの、偉大なる交渉官の皆様。我が大英帝国は、喜んでその栄えある役割を引き受けよう。あなた方の高度な部品を組み込み、清国の資源を完璧に送り届けることを、女王陛下の名において誓う」
スターリング提督は、晴れやかな顔で契約書に格調高い署名を走らせた。
現代日本のエリート官僚たちが、200年先の世界の共存共栄を見据えて大真面目に取り組んだ対大英帝国交渉は、相手に最高の敬意と莫大な実利を与え、大英帝国を世界最強のビジネスパートナー(下請け海運業者)として組み込むという、最高に知的なシーパワーの勝利をもって完璧に成立したのだった。




