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11 変態教師騒動終焉へ向かって

11 変態教師騒動終焉へ向かって


 小峰中学校の変態教師探しは、あの教師が怪しいのではないかという噂がどこからともなく流れてくると、生徒たちはみんな傷ついたバッタに群がる蟻たちのようにその教師に興味を集中し、何の根拠もない噂の種にあらん限りの尾ひれをつけて、口々に聞くに堪えない罵詈雑言を吐いて楽しむ集団が、教室や廊下、ベランダ、運動場の隅のあちこちに形成されていった。人がそばを通りかかると、さっと輪を解いた。陰湿さが影を差していた。

 数日もすると、またどこからともなく別の教師の噂が聴こえてくると、バッタを食い尽くした残忍な蟻の集団は、一斉に次の獲物に移動して、残酷な言葉で誹謗中傷を繰り返した。その時には、もはや前に餌食にした教師への関心は生徒たちの頭の片隅にも残っていなかった。

 こうして二か月も経たないうちに、ほとんどすべての教師は変態教師の嫌疑をかけられ、生徒たちに消費されつくしたが、生徒たちの求める変態の名に値するグロテスクな教師は最後まで浮かんでこなかった。

 最初の頃こそ、教師たちは生徒に変態教師探しをしないように強く指導していたが、その指導によって却って自分に嫌疑が向けられることがわかって、いつしか教師たちは生徒の前で沈黙するようになった。長くても一週間、自分に降りかかる誹謗中傷の嵐をじっと耐え抜けば、休みの明けた月曜日には、何事もなかったように生徒たちの攻撃の的は他の教師に移っていく。

 よせばいいのに、教師のなかには、自分が過去に犯した過ちを暗い部屋で一人で執拗に考えるようになり、やっと子供の頃の取るに足らない過ちにたどり着き、それが生徒たちの攻撃の的になるかもしれないと疑心暗鬼になり、怯えて日々を過ごす者も現れた。

 またある教員は、生徒たちの噂を自分の頭の中で勝手に増幅し、生徒の前に出るのが怖くなって、引きこもりになった教師もいた。

 生徒たちは自分たちだけでひっそりと変態教師の噂話をしていたので、いまターゲットになっている教師が誰であるかは、当人にはわからないはずだった。教師たちも生徒たちの話に耳をふさいでいた。それなのに、わざわざ生徒からやり玉に挙がっている教師の名前を聞き出して、それを逐一当人に教える教師がいた。それが若菜だった。そのうち、教師の中には自ら現在のターゲットは自分ではないか、と若菜に聞きに来る者も出てきた。そんな時は若菜は目を輝かせて、今のターゲットを小さな声で教えた。若菜には騒動を煽り立てようとする悪意があったわけではないが、少し思慮が足りなかったことと、それ以上に抑えがたい天性の野次馬根性があった。

 白鳥が研修会で学校を留守にしなければならなかった時、彼の代役として若菜がホームルームを受け持った。そのホームルームの時間に、生徒たちの強い要望で、「小峰中学校の変態教師の探求」というテーマが設定されることになった。表向きは生徒たちの強い要望でテーマが設けられたことになっているが、実際は若菜がこのホームルームを担当することがわかった時点から、綿密にこうなるように生徒たちの間に仕組んでおいたのだ。大学時代、三井の傍で芝居の作演出を見てきた若菜にとっては、このくらいのことはいとも簡単なことだった。

 学級委員が司会をし、黒板に変態教師の候補者の名前とその罪状が書きあげられた。生徒の中の一番の情報通は江川で、彼女がほとんどの候補者の名前とその噂の内容を楽しそうに上げていった。教室の議論によって、重要参考人は3人に絞られたが、いずれの罪状の出所が霧に包まれたように判然とせず、この3人にも変態教師であるとする明確な証拠は何一つないことがわかった。ホームルームの間中、阿久津は窓の外を見て、何も発言しなかった。江川は時々阿久津の横顔を見ていた。

 若菜はホームルームの時間中、生徒たちの話し合いに口を挟まなかったが、生徒たちの結論には失望した。これでは変態教師騒動はもうすぐ沈静化してしまうだろうと思った。このままでは、変態教師騒動は当初自分が期待していたよりも大幅に盛り上がりに欠けるもので、これでは三井の芝居に取り上げられることはないだろう、と微かな焦りを感じた。

 副校長は、変態教師騒動は黙っていても夏休みに入ったら沈静化すると楽観視していた。子供たちの関心がそんなに長く続かないことをこれまでの経験からわかっていたからだ。いつの時代においても、若者は熱しやすく冷めやすい。

 若者には流行こそが似合っている。だけど、どんなに爆発的に流行っても、それは時期が来れば何もなかったようにして通り過ぎていく。だから、大人は取り乱すことなく、通り過ぎていくのを待てばいいだけなのだ。副校長は、当初、職員会議で平静を保つことを教師たちに言い聞かせた。しかし、平静を保てないのも流行のなせる業ということもわかっていたので、教師たちにそれほど強くは言わなかった。いつの時代も、若者と一緒に流行に浮足立つ大人もいれば、我関せずの若者もいるのだ。

 実は、副校長は小峰中学校に変態教師がいないことをすでにわかっていた。なぜならば、この変態教師騒動の火を付けた者の正体を知っているからだ。あのネットに「小峰中学校に変態教師がいます」と書き込んだ人間の正体である。その人間とは、学校のトイレに盗撮カメラを仕込んだ女子生徒だ。

 だが、この話には更に続きがある。そもそも、盗撮カメラを仕込んだ理由が高校入試を中止させるため、という理由がおかしい。あまりに荒唐無稽だと思わないだろうか。一中学生が県の一大行事である高校入試を中止させようと思うだろうか。たとえ高校入試を中止したいと思ったとしても、その手段として、盗撮カメラを女子トイレに仕込んだりするだろうか。このストーリー全体がおかしいではないか。やはり、ここは盗撮カメラの側から推理を進めて行った方が正解だろう。盗撮カメラで若い女の子の下半身を撮影して、それを楽しむのは男だ。自分だけで楽しむか、それともその写真を売ってもうけるか、そのいずれかだろう。多分後者だ。そう考えて女子生徒の交友関係を調べると、一人のチンピラが浮かんできた。女子生徒は付き合っていたチンピラから盗撮カメラを渡され、学校の女子トイレに仕掛けるように脅されたのだ。チンピラはそれで一儲けしようと考えた。さすがにその女子生徒はやばいと思い、自分の下半身だけを写した写真を何度かチンピラに渡したが、そのことがチンピラにばれて暴力を振るわれた。八方ふさがりの女子生徒はネットに変態教師騒動を書き込んで、盗撮カメラが見つかるように仕向けたのだ。だけど、誰もカメラに気づいてくれなかったので、自分で名乗りを上げる決心をしたのだ。副校長は女子生徒から以上の話を聞き出し、警察に届けてチンピラはすぐに逮捕された。この一連の顛末を知っているのは、学校の中では、副校長以外には校長だけである。他の誰も知らない。女子生徒は毎日元気に登校している。チンピラが二度とこの生徒に手を出さないように、和泉を通して脅しをかけてもらった。この脅しがどういうものだったかは具体的には知らないが、強烈な脅しだったようで、女子生徒の前に二度と現れることはなかったし、ネットにこの生徒の恥ずかしい写真が上ることもなかった。

 校長は小峰中学校に変態教師がいるわけではないことがわかって胸をなでおろし、しばらく中断していた女装を再開した。定宿になったシティホテルに女装を送り、土曜日に弾むような足取りでホテルにやってきた。室内で女装を楽しみ、いつも以上に華美なネグリジェを着て香水をつけてぐっすりと寝た。至福の時だった。

 翌日は、若草色のワンピースを着て、ハイヒールを履き、女性用かつらの上に帽子を被って、サングラスをしてフロアに出た。すると、ある女性が近づいてきて、耳元で「校長先生」とささやいた。校長は心臓が止まりそうだった。顔を見ると和泉だった。和泉は「声をかけて悪かったかしら」と意地悪そうににんまりと笑った。「なかなかお似合いですよ。お急ぎでなかったら、そこでお茶でもご一緒しませんか」と誘ってきた。校長は口から言葉が出てこずに、催眠術にかけられたように和泉にエスコートされるに任せた。

 ホテルのカフェでコーヒーを注文し、和泉は場を和ませるために、ひとしきりあたりさわりのない話をしたが、校長の耳には入ってこなかった。それからゆっくりと本題に入るように「先生の女装、とってもお似合いですよ」と言った。校長は恥ずかしくもあり、嬉しくもあって、はにかんだように見えた。「そのはにかんだお顔がまた素敵です」と和泉がからかうように言った。「ルージュの色をもう少し明るくしてみてはどうでしょうか」と言って、彼女はバッグから口紅を取り出して、立ち上がって校長の横の席に座って、校長の口に彼女の口紅をそっと塗り始めた。校長は驚いたが、されるがままだった。唇が気持ちよかった。「やっぱりこちらの色の方が先生にはお似合いですよ」と言って、コンパクトの鏡で校長の唇を見せてくれた。校長は唇の色をとても気に入った。唇の形も魅力的になったように見えた。和泉が「今日のご予定は?」と聞いてきたので、「青山を散歩しようか」と正直に話すと、「ご一緒してもいいかしら」ときいてきた。校長はデートのようだと思って、少年のように気持ちが弾み赤面していくのを感じた。校長が女装したままでいいかと聞くと、和泉はほほ笑んで「もちろん」と答えた。校長は微笑み返した。

 二人は青山通りを歩き、ブティクで和泉が校長のために女性用の服を選んでくれた。彼一人では探すことのできない素敵なものだった。それから二人してソフトクリームを歩きながら食べ、洒落たイタリアンでディナーをとって、一日を楽しんだ。校長はこんなに楽しい時間を過ごしたのはいつ以来だろうと思ったが、思い当たる日々はなかった。夕食の後、和泉の方からキスをくれ、次に会う日を約束した。

 これ以後もシティホテルで会って、校長は和泉から部屋の中で女装の手ほどきを受け、ベッドを共にし、翌日女装をして街をデートした。校長はこんなに相性の会う人間に初めて会ったと思った。そのうち、学校に行くのにも下着は女性ものを身に着けるようになった。そのうちワイシャツもスーツも男性物を身に着けたくなくなった。それを和泉に相談すると、あっさりと「そうすれば」と言ってきたので、校長は今年度いっぱいで学校を辞める決心をした。それを和泉に相談すると「それがいいわ」と言ってくれた。

 校長は学校を辞めた後は、女装した教育評論家としてテレビに出るようになって人気を博した。校長のマネージャーは和泉だ。

 校長の退官パーティは、副校長が音頭を取って、全員の教員が参加して盛大に行われた。宴会の最後に、校長はゴージャスなドレスを身にまとい、真っ赤な口紅をつけて、和泉と腕を組み、スポットライトを浴びて会場に入場した。そこに「よっ、お似合いの御両人」と声をかけたのが若菜だった。会場がどっとわいた。まるで結婚披露宴のように華やかだった。

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