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妖怪退治は楽じゃない  作者: 奈宮伊呂波
三章 島根の人狼

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十話 人狼のボスとの対決

 焦燥感に駆られ光一は慌てて走った。光一がこれほどまでに体力の効率を考えずに全力で走ることは珍しいだろう。妖怪退治の時であっても、光一は全力のうち九割ほどで若干余裕を持たせて走っている。


 今は全力だ。十割だ。なりふり構わず走る。痴漢がばれて逃げるとき、銀行から金を奪った後に車まで駆け込むとき、借金取りから逃げるとき、ストーカーから逃げるとき。人間はピンチに陥った時に脳内物質が溢れ、普段の身体能力以上の能力が発揮されるという。


 まさに光一はそのような状態に入っていた。

たかが車、と笑う者もいるかもしれない。だが光一にとってインパラは恋人であり息子であり、友達だ。そんな存在が危機的な状況にあるとすれば誰だって血相を変える。


 そして、


「ちょっと、君達……?」


 光一がインパラのもとに駆け付けた時、そこには見知らぬ男が三人インパラを囲んでいた。


 光一はあくまで平和的な笑みを浮かべた。煮えたぎる腸とは裏腹に、光一の頭では冷静な判断が行われていた。


 彼らはまだインパラの周りを取り囲んでいるだけだ。インパラに外傷は見当たらないし、タイヤに穴も開いてなさそうだ。

 そのタイヤの近くで工具を握りしめている者が二人ほどいるし、何かの話し合いの最中のようだったが、まだ決定的な証拠にはならないだろう。


「何をしているのかな?」


 光一が優しく問いかけると男達は「ヤベッ」と一目散に逃げだした。


「逃げてんじゃねえよ!」


 すぐに後を追おうとしたが、光一の服は美柑に引っ張られていた失敗に終わる。


「なにすんだよ、美柑」


「よく見て」


 美柑に促され、光一は周囲を見渡す。一見、昨日と代り映えのないただの森林に見える。

 だが違う。


 明らかに人間の気配を感じるのだ。しかもそれは一つや二つではない。

 囲まれているのだ。もしこのまま考えなしに突っ込んでいたらあっという間に逃げ場を失っていただろう。


「悪い……」


「別にいいよ。私も二人がピンチなら焦るし」


「何デレてんだよ」


「目的が一緒だからね。死なれたら困るんだよね」


「ちょ、っと、速いですよ二人とも……」


 翔が遅れてやってきた。運動が得意ではない翔は激しく息を切らしている。


「お疲れのところ悪いが、さっさと車に乗ってくれ。逃げるぞ」


「え、光一さんが逃げるなんて判断を? 明日は雨が降りますね」


 翔は言いながら後部座席に乗り込んだ。


「雨が降るぐらい普通だと思うけど」


 美柑がくすりと笑う。


「無理なもんに立ち向かっても仕方がないだろ。俺を死にたがりか何かだと思ってんのか?」


 何を当たり前なことを、とでも言いたげに二人はうなづく。

 光一が運転席に、美柑が助手席に座ると、人狼達は一気に走り出した。逃げられると考えたのだろう。


 光一は慣れた手つきでポケットから鍵を差し込み、エンジンをかけた。シートベルト、サイドミラーなど諸々の手続きを数秒で済ませた。

エンジン音が鳴り、車は発進した。

 

「あっぶねえ」


 いくら人狼といえど、車の走行速度には追いつけない。体を張ってまで止めようとする者もいないようで、光一たちを乗せたインパラはあっという間に時速八十キロに到達し森林を抜け、公道に出た。


 バックミラーを視界の端に捉えると十数人の人狼が後を追ってきていた。


 彼らのズボンがかなり膨張していた。肥大した人狼の筋肉と獣毛のせいだろう。彼らの変容は見かけだけでなく、能力も向上している。走力も人間のそれを大きく凌駕しているが、速度の乗った車には及ばない。


 山道に入ると、三人を追ってくる人の姿はなくなっていた。

 ひとまず脅威は去ったようだ。さっきのは分が悪かった。今すぐは難しいかもしれないが、態勢を整えて数日後にでも出直したほうがいいだろう。


「結構数いたね。さすがに私もあれはやれないかも」


「あんなの一人でも倒せるなら人間超えてますって」


「実際人間じゃないしな」


「そうそう。翔君の言う通り、超絶完璧美少女だからね」


「超絶なんて言ってないぞ」


「ですね。僕はそんな安易な褒め方はしませんから」


「完璧美少女はだいぶ安易だと思うんだけど……」


「どっちでもいいわ」


「どっちでもよくは―――何!?」


 急ブレーキがかかった。

 体はシートベルトに引っ張られたものの、光一のほうを見ていた美柑は首を少し痛めたようだ。


「いや、前見てみろ」


 光一が指をさす。

 そこには男が一人。その男はまるで待ち構えていたかのように道のど真ん中に立っていた。よく見ると彼の後ろの脇道に車が一台止まっていた。中に誰かいるようだが顔までは見えない。

 彼のことは光一も知っている。昨日の昼間に居酒屋であった男、酒巻だ。

 光一達は車から降り、声の届く距離まで近寄った。


「昨日ぶりじゃないですか。どうしたんですか?」


「俺はあんたに話があって待ってたんだ」


 彼は昨日、環境省の人間として訪れた光一に丁寧な対応をしていた。だが今は敬語を取り払い、楽な言葉を使った。光一の前にこうして突然現れ、素で話をしている。


 酒巻は居酒屋『鰐瓦』の店主としてではなく、何か別の立場でここにきているのだ。


「……話だと? 俺たちを追い回したくせにか?」


 光一はすぐに察しがついた。

 酒巻が人狼のボスだと。


「それも捕まえて話をしようと思ってだ。悪く思わないでくれ。で、だ。俺たちは今回、お前たちを退けることに成功した。ここにいるってことはそうなんだろう?」


「そういうことになるな。気に食わないが」


「だがすぐにまたやってくる」


「そうだな。よくわかってるじゃないか」


「聞いてくれ。俺たちは三年間、平和にこの街で暮らしている」


「だから見逃してくれって? 不可能だ。被害者がいる」


「それは俺のミスだ。償うことはできないが、誠意は見せたい」


「誠意だと?」


「くるんだ」


 酒巻が呼びかけると車の中の人物が出てきた。

 彼の顔を見て最初に反応したのは美柑だった。


「金田、亮……」


 美柑をナンパし、連絡先を入手した男だ。自分に接触した男が人狼だと知り、美柑は軽くショックを受けているようだった。金田は俯いていて、ほとんど顔が見えなかった。


「こいつが、最初の被害者を殺した男だ。こいつの命で勘弁してほしい」


 実行犯を引き渡すから他の仲間を見逃してほしいというわけだ。だがそれだけで納得などできるはずがない。


「最初の? ということは二人目の犠牲者はそいつの仕業じゃないんだろ」


「そうだな。二人目は俺が殺した」


「ならてめえの命ももらう」


「それはだめだ」


「ダメかどうかは俺が決めることだろうが」


「いいや。俺を殺せば人狼達はバラバラになる。統治者がいないからな。何をするかわからない」


「ならそいつらも全員殺すだけだ」


「それができればいいが、あえて言わせてもらえばそれは不可能に近い」


「なんだと?」


「実力どうこうではない。数が違う」


「数だと? 仲間は学校のクラスができるほどいますってか?」


「学校のクラスどころか、学校ができるだろうな。それもマンモス校になる」


 光一は絶句した。

 マンモス校、つまり数千人は存在するということだ。それほどの数の人狼が自由になるなど、考えるだけで恐ろしい。


「素行不良者を押さえつけるために校長先生が必要だってことか」


「そういうことだ」


 ガンガン、と二度山中に金属音が響いた。

 光一の銃が火を噴いたのだ。


「いいか。お前に一つ教えてやる。別々の問題を一つにしてんじゃねえよ」


 酒巻と金田の体が地面に倒れた。銀の銃弾は人狼の命をたやすく奪う。


 光一はポケットに拳銃を滑らせ、運転席に戻った。

 美柑と翔もは何も言わずに座っていた座席に座った。

 酒巻と金田が人狼かつ人間を殺した犯人であり光一の抹殺すべき最優先対象であることと、酒巻が人狼を統率している人物であることは全く関係のないことである。


 殺人犯であろうと人狼であろうと、人間にとって害であれば排除する。それによって何かが起こるとしても知ったことではない。もしも何かが起こってしまったら、その時に改めてそれを排除すればよい。

 よって、酒巻に銀の弾丸を放った。

 それだけのことだ。


「よかったの?」


 アクセルを踏み、ハンドルを切った光一に美柑が尋ねる。


「何が」


「殺しちゃって」


「当たり前だ。俺は保身のために脅しをかけるような奴が大嫌いなんだ」


「なるほどね」


 人狼のボスは排除できた。

 すべての人狼を排除するのはまた別の機会になるだろう。その時、その場所が今回と同じ街だとは限らないがやることは変わらない。


 すぐに戻り、排除したいところだがそもそも数千人もの人狼をすべて見つけ出すことはできない。人狼は銀に触れると火傷をするため、一応見つける方法はあるがそれを街中の人間に行っていれば光一が先に捕まるだろう。

 今回は、殺人の実行犯を殺すことができただけ良しということにした。



 ◆ ◆ ◆



 光一達が走り去った数分後。二つの死体のうち、一つが起き上がった。

 血液は大量に流れ、全身が火傷に見舞われている人狼のボスは何気ない顔で頭を振るった。コツン、と銃弾が地面に転がる。


「あー、いって」


 彼は始祖種。

 ゆえに他の人狼とは異なる能力を持つ。手傷こそ追わせられるが、ただの銀の銃弾では命までは奪えない。

 酒巻に浴びせられていた月明かりがさえぎられる。顔を上げると、そこには彼がよく知った人物が立っていた。安心し、酒巻は彼女に普段どおりに呼びかける。


「母さん」


 そう呼びかけられた居酒屋『酒処鰐瓦』の看板娘、恭子はにこりと笑った。

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