八話 揺らぐ心
裏路地には何人か若者が残っていたが、猫達が彼らを襲うことはなかった。
事件を起こした谷の命を奪ったことで溜飲が下がったのだろうか。それとも統率を取る指揮官がいなくなったため全員で同じ方向に向かうことができなくなったのか。
猫の言葉など光一が分かるはずもなく、真意を追うことはできなかった。
「お前らはさっさと帰れ。二度と動物なんて虐めないことだな」
「は、はい……」
彼らは礼も忘れて裏路地を去った。谷が死んだことで結界も解かれたようでまっすぐ帰ることができたようだ。
その姿は本来は陽気な性格であろう彼らからは考えつかないほどに陰鬱な様子だった。目の前で起こった人間同士の刃物のやり取り、非現実的な凄惨な最期を迎えた谷などがよほどショックだったようだ。
むしろまともに歩けているだけよく頑張っている方だ。
光一はスマホで連絡帳を開き、目的の人物に電話をかけた。
「中井戸か。俺だ。柳だ。ちょっと仕事を頼みたくてな。なんだって? 女? 知らねえよ。金はやるからとっとと来い。場所は大阪駅のコンビニとビルの間にある裏路地だ。住所? わかったよ。今送るから。すぐ来いよ」
光一はマップから現在地の住所をコピーし、中井戸に送り付けた。
返信はすぐに来た。くたばれ、だそうだ。
「柳さん、今の方は?」
「掃除屋だよ。妖怪狩り専門の。獲物が幽霊だったり、山とか廃屋にいたとかなら必要ないけど、こういう街中だと死体をほっとくわけにもいかねえだろ」
猫又の死体はともかく、谷の死体はまずい。
「友達なんですか?」
「違うわ。あんな奴仕事でなければ一生連絡なんてしてやらねえよ」
「複雑そうですね」
「そういうもんだ。日与美ちゃんももう帰れ。送ることはできなくなったけどな」
用がなければいつまでもこんな血の匂いのする場所にいる必要などない。光一は一般人が入ってこないか見張る必要があるし、汚れたナイフを処理するものがないため離れるわけにはいかない。
「そうですね……一つだけ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「光一さん、なんかちょっとおかしい、変でしたよね……?」
「……どこが?」
「あの猫又の人、やっぱり殺す必要はなかったと思うんです」
「さっきも言っただろ。猫又は元々―――」
「私は猫又のことは知りません。今日初めて知ったので猫又の特性とかどんな妖怪だとか、そういうのは全くわかりません。でも、あの猫又がどんな考えで、どんな風に生きているのか、それはわかったんです。何となくですけど」
「猫又は人を殺したりなんかしないって? 殺すよ。これまでもそうだった」
「でも、柳さんも言葉を話す猫又は初めて見たんですよね? それなら例外もいるってことじゃないですか」
「……そうだとしても。妖怪であるなら俺は殺す。悪いがこのことに口出しはしないでくれ。さっきも言ったが昔に決めて、俺はそれを実行してきている」
「全部ですか? 完全に?」
「当たり前だ」
「柳さんだって、優しい妖怪がいることは知ってるんじゃないですか? あの猫又は殺す必要があるほどの悪性を持っているとは到底思えませんでした。柳さん、柳さんは妖怪は本当に必ず、妖怪にどんな事情があっても一匹残らず殺してきたんですか?」
どんな事情があっても。
その言葉は光一の痛いところを突いた。数日前までの光一なら「当たり前だって言っただろ」と切り捨てることができた。それで話は終わり、猫又は殺して正解だったしこれからもそのスタンスを維持する。
だがそれはできない。
今の光一には「高島美柑」がいる。
「……それなら日与美ちゃんは妖怪に会えば、一度話を聞いて何をしているか、どういう信条なのか確かめて回れっていうのかよ。馬鹿言うなよ。そんなことしてたら命がいくつあっても足りねえよ」
「私は猫又の話をしてるんです」
光一は黙ってしまった。
「ごめんなさい。柳さん、仕事に口出しされて鬱陶しいですよね。でも、本当は別のことを言いたかったんです」
「……何を」
「なんか、焦ってませんでしたか?」
「焦ってなんかない。俺は妖怪狩りとして事件を解決しようとして、行動しただけだ。美柑はいないけど関係な―――」
言いながら、光一は気づいてしまった。語るに落ちるということだ。
今回の事件はどう考えても人間側に非がある。猫又に悪いところなど一つもなかった。谷が余計なことをしなければあの猫又は猫達と一緒に平和に暮らしていただろう。
平和を乱され、怒り、抵抗し、反撃した。
仲間を殺され怒りに燃える者を咎める人間などこの世のどこにいる。
光一は結論を急いだ。
少し考えれば意見が変わっていたかもしれない。結局は人を殺す妖怪は生かしておけないという結論に至るかもしれないが、それでも別の選択肢を取ることもできた。
最初から選択肢を一つに絞り、深く考えることを辞め、その結果猫又も谷も死ぬことになった。
猫又と谷の間を仲介し、話の場を作っていれば、あるいは。
なぜそれができなかった。どうして思考を停止してしまったのか。妖怪は殺すと、過去に決めたことを言い訳にしてしまったのか。
その答えを光一は自分の口から出してしまった。
「……ごめんなさい。余計なお世話ですよね。今日はありがとうございました。また会いましょう」
そう言って日与美は裏路地を後にした。
とりあえず、見張りでもしようかと大通りへの通りに足を運んだ時である。
スマホの着信音が鳴った。光一は名前を確認し電話に出た。電話は美柑からだった。
「……どうした?」
『あ、やっと出たー。何回も電話したのに出ないからさー』
「色々あってな。なあ美柑、日与美ちゃんにお前の半分が鬼だってこと話したのか?」
『話したけど?』
「なんで?」
『なんでって、友達だし、性格的にも言っても問題ないかなーって思って。口外はしないって言ってたし』
「……そうか」
『なーんか怪しいね。まあいいけど。というか圏外って言われたけどどこにいるの?』
「梅田」
『ああ、地下ね。あれ? でも梅田の地下って電波届かないっけ?』
「知らねえよ。ずっと街の中にいたよ。結界があったんだ」
『……ちょっとよくわからないけど、電話してるってとは解決したんだよね?』
「一応。日与美ちゃんには帰ってもらった」
『あ、そう言えばデートはどうだった? って事件が起きたんだし駄目だったか』
「別に、普通だった」
『何それ?』
「そのうち話す」
『ふーん。まあいいけど。なんか元気なくない?』
「ちょっと疲れてるだけだ。気にすんな」
『へえ、大変な狩りだったんだね』
「そんなとこだ」
『あ、そういえば。翔君は東京に戻ったよ』
「帰ったのか?」
『ううん。退学手続きだって。電話じゃダメなんですか? おかしくないですか? って言ってたけどそりゃ無理だろって話でしょ。あの子天才なのか馬鹿なのかわかんなくなる時があるよねー』
「それより、何か用があったんじゃないのか?」
『え? 用? ……ああ、あったねあった。すっかり忘れてたよ』
「そうか」
『で、用なんだけど。仕事だよ』
「内容は?」
『島根県の田舎町で惨死体が二つ発生。二人は旅行者で全身に喰いちぎられたような跡があったらしい。どう思う?』
「人狼だ」
『随分判断が早いね。ま、私も同じ意見だけどー。やっぱ気が合うのかな?』
「知らねえよ」
そう言ったところで、光一は人の気配を感じた。
通りの方から男が数人。
一人を除き全員が大きなリュックを背負っている。
「久々だな、柳。お前ら、始めとけ」
リュックを背負っていない男が言った。小柄でやせた、この男こそが中井戸だ。
彼の合図でリュックを開き、中から服を取り出し着替え始めた。さらに中から妙な機械や液体が入ったボトルを使い始めた。
光一は彼らを一瞥し、乱暴に言った。
「金はまた振り込む。そこのお前、ナイフの洗浄を頼む」
光一はナイフを作業員に渡した。作業員の男は持っていたボトルを床に置いてナイフを持ってバッグの方へ戻った。
「挨拶もなしとはな。いいご身分じゃねえの」
電話でもわかるように光一と中井戸は中が悪い。
光一と中井戸は昔からの付き合いだが、出会って最初の言葉が「なんだこのカスは」だった。多少の勘違いはあったもがそれを解消しても関係は改善されず、今に至る。
そんな光一だが今ばかりは軽口を叩ける気にはなれなかった。
「悪いな」
「……素直に謝んじゃねえよ気持ち悪い。お前なら『おいおい寂しがり屋か?』ぐらい言うだろ」
「次からは気を付ける」
「いや別に気を付けるったって……ああもう調子狂うな。もういいよ。料金は後で請求するからな覚えとけよ」
中井戸は「なんだあの野郎」とぶつくさと言いながら作業員の近くに寄って指示を飛ばし始めた。
光一はさっきの作業員から洗浄を終えたナイフを受け取るとそのまま裏路地を後にした。
こんにちは、奈宮です。今年も最後になりましたね。みなさん、良いお年を。来年もよろしくお願いします!




