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妖怪退治は楽じゃない  作者: 奈宮伊呂波
三章 島根の人狼

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一話 とある居酒屋にて

 島根県九代町某居酒屋。

 街が眠りについたころ、その居酒屋は静まった街から逃げてきた人達で賑わっていた。


 店主の親父は汗を拭き取る暇もなく料理を生産し、彼の妻や娘が配膳を務める。料理を作る社員も二人ほどいるが、数十人の食欲は彼らが料理を作るスピードを遥かに超えている。

 酒のつまみと称せばどんな食べ物でも無限に吸い込まれていく。


「だーかーら何度言わせればいいんだ! 真司!」


 田中春斗は茶色がかった卵焼きを食べる合間に、対面に座る友人に怒鳴りつける。

 実は先程から友人が同じ事ばかり話をしていたため田中の気分はダウン気味だったのだ。


「い、いや。俺の話聞いてたのか?」


 真司と呼ばれた田中の体面に座る中年の男、広沢真司が深刻な表情で肩を落とす。


 確かに広沢は同じ話ばかりをしている。今日、仕事終わりにこの居酒屋に来てからというものずっとだ。軽く一時間はその話をしているだろう。

 彼にとっては大事な話なのだが、友人である田中はまともに取り合おうとしない。


「ああ? 聞いてたさ。こうして酒の臭いを撒き散らしている俺だがな、俺は友人の話を無視するほど意識が混濁してたりしないんだよ」


 田中はジョッキを持ち上げ、ビールを喉に流し込む。


「なら!」


 ゴン、と田中がジョッキを机に降ろし、広沢を黙らせる。音は派手だが、ジョッキの底にはタオルが敷いてあるため割れる心配はない。


「その上で言ってるんだぜ真司。お前の話は嘘っぱちだ、と」


 広沢は言葉に詰まる。

 反論ならいくらでもできた。「なぜそう言い切れる」「お前はそれを見てないだろう」「ならあいつはどこに行ったんだ」。

 それをしないのはどうせ話が平行線になるだけだからとか、決めつけてしまう友人に呆れたからとかではない。


 嘘であって欲しかったからだ。


 自分の見たことなどすべて夢か幻で、会社の同僚と連絡がつかないのは何かの偶然である。


 そういう風に思い込んでしまった方が気持ちが楽になる。いっそ記憶なんて酒でなくなってしまえばいい。

 そう思って広沢は友人を居酒屋に誘い、話をしたのだ。


「……なら。言ってくれ。俺が見たことなんて、何もかも気のせいで、あいつは急な用事があって会社を休んでる。そんな妙なもんが存在するわけがないって」


「ったくしつけ奴だな。まあ何度でも言ってやるよ。いいか真司、お前が見たのは疲れのせいで見た夢で、あいつは多分旅行かなんか言ってんだろ。だからお前が言うようなやつは存在しない。人狼なんているわけがないんだ」


 ヘッと田中は吐き捨てる。

 あまりに非現実的で口にするのもばかばかしいと感じたのだろう。


 広沢は何度も頷き、「そうだよな。そうに決まってる」と言い聞かせるように呟き始めた。

 そこへ、


「チキン南蛮一人前お待ち!」


 店主の実の娘であり居酒屋の看板娘が威勢よく皿を机に置いた。


「さんきゅー姉ちゃん」


「うちの料理はめちゃくちゃおいしいですから。いっぱい食べてくださいねー」


「いやー。ここの飯はマジでうまい! 適当に入ったんだけど大当たりだぜ。なあ広沢。お前もなんか言えよ」


「え、ああ。そうだな……」


「ところでお兄さんがた、何か面白い話、してませんでした?」


「下らねー話だよ。こいつの頭がおかしくなったって話さ」


「そうなんですか? 私は人狼、って単語が聞こえたんですけど」


「あー、まあそんなこと言ってたな。でもくだらない話さ」


「へ―そうなんですね。あ、では父が呼んでるので。ごゆっくりー」


 そう言って看板娘は二人の机から離れた。


「おい広沢。ここに入った時から思ってたんだけどよ。あの女の子めちゃくちゃ可愛くねえか? 俺狙っちゃおうかな」


「いいんじゃねえの……。悪い少し気分が悪くなってきたからトイレ行ってくるわ」


「大丈夫かよ。疲れてるみたいだしあんま無理すんなよ」


「すぐ戻る」


 広沢が席を立つ。

 ちらりと見えた横顔は普段よりいくらか青白くなっているように感じた。


 しかし、「あいつは少し疲れているのだろう」と田中は酒を口に運ぶ。


 振り返ってみれば、広沢の様子は今日一日おかしかった。広沢が言うには「昨日の夜、同僚の西嶋が人間に喰われているのを見た。しかもそいつの上半身には毛が生えていて、獣のような唸り声が聞こえた」らしい。


 田中としては何の与太話だ? という感じのつまらない話にツッコミを真剣に考えてやったのにボケた広沢があの調子なのでよくわからない。


 正直とち狂った広沢の話を聞くよりもさっきの看板娘との会話の方が百倍楽しいと感じていた。おっさんと話すよりも女の子と話す方が楽しいのは当たり前だが、それを抜きにしても今日の広沢の話は本当に面白くない。


「なんで同僚が死んだ、なんて話を聞かなきゃならねえんだよ」


 アルコールくさい息を吐いて田中はチキン南蛮を食べ始めた。


 広沢を待つことも考えたがなかなか帰ってこない。こりゃ吐いたな、と田中は一人笑う。帰ってこない奴のために食べるのを我慢するのも癪だ。


「お、うめえ」


 鶏肉とタルタルが絶妙にマッチしていた。田中はさらに箸を進める。添えられたレタスで鶏肉を巻き付けるとそこにシャキシャキ感が出て飽きない。


 八つほどに分けられた肉を食べ終えたあたりで田中は何かおかしいと思い始めた。


 いくらなんでも遅すぎる。


 さっきからトイレのドアを何度も確認しているが、広沢が出て来たような様子はない。トイレは田中の後方数メートル辺りにあるのでずっとというわけではないが。

 トイレに行ってからすでに十五分は経っている。スマホでも触っているのなら別だが、食事の席で、しかも二人きりであるのにそんなことをするだろうか。


 戻していて気分が悪く戻れないのなら仕方がない。思う存分吐いてすっきりしてほしいとこだ。


 だがもし、そうでなければ。全身に回ったアルコールが平衡感覚を奪い、何の表紙に頭を打ち付けてしまっていたら。


「笑い事じゃ済まねえな」


 田中は意を決し椅子に手をかけた。

 だがその行為が無駄だったということにすぐ気が付いた。


「あれ?」


 体を捻り、後ろを見るとちょうど広沢がトイレから出て来たのだ。


 しかも一人ではない。調子はまだ回復しないようだが、随分と幸せそうな状況になっている。


「あの子じゃねえか」


 広沢の肩をさっきの看板娘が片方背負っていた。


 あの野郎、と田中は呟く。こっちは倒れてるんじゃ、と心配していたのに当の本人は可愛い女の子と密着していたのだ。さらによく見れば広沢の腕が彼女の体を回って若干胸に当たってるではないか。


「あーあ」


 心配して損した。

 そう思って田中は雑に椅子に座る。若干転げそうになったがすぐに立て直す。


 トレイに行ったと思えば女の子に介抱されていた。これはからかうしかない、と田中は広沢の帰りを待つ。


 ニヤニヤと二人の方を見ていると、なぜかこっちに歩いてこない。向かった先は店の入り口だった。


「外の空気か」


 新鮮な空気を吸い、店内より静かな空間で落ち着かせようとしている、と田中は推測した。


 それと同時に「それほど重症なのか」と心配が再び膨らみ始める。


 見てしまったからには無視できるはずもなく、田中は机に一万円を置いて二人の後を追った。

 店を出ると、二人の姿はなかった。


「どこ行った」


 店の外は様々な建物が並んでいて、一本道になっている。田舎では珍しい商店街的な道路だ。


 建物同士の間に隙間はあるが、別の道に出るにはしばらく一本道を進まなければならない。二人が別に道に出たとは考えにくい。


「となると……」


 店の裏だ。

 わざわざ正面から回り込んだのは謎だが、別にそこは大切ではなかった。部外者を厨房とか事務所に近づけてはいけないみたいなルールでもあったのだろう。


 田中は正面右側の脇道を通り、店の裏側に回った。

 道は狭く、人一人通るのがやっとという程度だった。そのくせゴミか何かをいくつも置いてあるので気を抜けば足を引っかけそうになる。アルコールの入った頭には少し厳しい。


 道を進むと、奇妙な物音が聞こえてきた。道の向こうの方だ。

 ドスン、だとか、ゴン、だとか。

 重い物質でも運んでいるのだろう。田中は適当に当たりをつける。


 道が終わり、裏に出る直前。


 田中はビタリと足を止めた。


 おかしな、だがどこかで嗅いだことのある匂いが鼻腔をくすぐったからだ。


「なんだったけか」


 田中はぼんやりと記憶を辿る。

 辿りながら、一歩踏み込んだ。靴の底が砂を踏んだ。ジャリという音を別の音がかき消した。


 唸り声だった。


 田中は思い出す。さっきの広沢との会話を。

「昨日見たんだ。西嶋が喰われているのを。聴いたんだ、獣のような唸り声を」


 その唸り声だ。


 直感でわかった。


 いや、待て。田中は冷静に務める。怪物だの妖怪だのは空想上の生き物だ。そんなものがいるなんて聞いたことがないし、いるわけがない。そう言ったのは他でもない田中自身だ。


 再び、田中は思い出す。さっきの臭いの正体。


「血だ」


 子供の頃、友達と鬼ごっこをしていた時に転んだ経験がある。その時、田中の膝は酷くめくれ上がり、大量の血が流れた。


 あの時と同じ匂いなのだ。


「たしか、めよう」


 そうだ。

 見ればいい。嘘だと思うなら確かめればいい。


 右足はすでに裏の敷地を踏み込んでいる。後は体を前に向ければ、それだけで自分が正しいと証明できる。

 田中はついに見た。向こう側の光景を。


「ッ……!」


 店の裏は小さなスペースだった。左側に店が、正面に別の建物の壁が、右側には高い仕切りが立てられている。まず最初に目に入ったのは、大きな冷蔵庫だった。巨大な銀の箱は保存という役割をもってこの店に貢献しているに違いない。


 右に目を移せば水道が通っていた。二人が同時に作業できるように蛇口は二つ付いてある。


 もう一つ視線を右へ。そこが店の裏口のようだ。ちょうど真ん中に位置している。

 さらに右へ。そこには棚が置いてあり、箱がいくつも置かれていた。備品か何かを置いてあるのだろう。そこから先は壁で行き止まりだ。さらに右側には何もなかった、ように見えた。


 田中は息を吐き、緊張の糸が切れたのを感じる。


 ほら、何もない。さっきの音は気のせいで、多分自分も広沢同様疲れていたのだろう。もしくはアルコールの飲みすぎだ。たった二杯しか飲んでいないがそういう日もあるだろう。

 こうなればまた広沢を探さなければならない。


 やれやれどこに行ったのか、とぐるりと視界を回転させる。


「……?」


 今、何か。何かおかしな光景が一瞬だけ目に入った。ような気がした。振り返ったその時に、見逃してはいけないものが確かに映り込んだ。


 田中はもう一度振り返る。

 そこには、


「お、おい」


 広沢がいた。

 彼は仕切りにもたれかかりうつ伏せに寝転がっていた。


「広沢!」


 田中は駆け寄る。


「こんなとこで何してんだ。あの子はどこ行ったんだよ?」


 言いながら田中は友人の肩を揺する。手に何か付いた気がしたが暗闇が視覚を阻みその正体は判別できなかった。田中はその謎の液体を無視した。それよりも友人の安否が大切だったからだ。

 しかし起きない。意識がないようだ。


「起きろよ。おい。大丈夫か」


 しばらく起こそうとしてみたが、失敗に終わる。

 何かがおかしかった。いや、おかしいことは山ほどあったが、最も気になったのは広沢に生気が感じられないということだ。

 田中は彼を仰向けにひっくり返した。彼の口の方に手を当ててみるとそれは確信に変わった。


「呼吸ができていないのか」


 死んでいる。

 そう思った瞬間、田中の頭が真っ白になりパニックになった。どうしよう救急車か、嫌まずはAEDいや違うだろ心肺蘇生だそれよりも人を呼ぶのが先かいやそれより……。


「落ち着けよ。俺」


 田中は深く息を吐いた。ため息ではなく深呼吸だ。空気を吸い込み、脳に酸素を送り思考を落ち着かせる。


 ある程度冷静になり、まずは店に助けを呼ぶことにした。

 自分一人では心もとない。こういう時に詳しい人がいればいいだろう。そう思って彼は素早く立ち上がる。


 脇道に入り、同時に救急車も呼ぶべきために右手を服で拭う。スマホをポケットから取り出したところで、田中の目の前に影が落ちた。見上げるとそこに誰かが立っていた。


「え、と」


 かなり大きな人物だ。だが田中は彼を知っていた。彼がつけていたエプロンは田中が店の中で見たエプロンと一致したからだ。


「あ、ああ。店長か。ちょうどよかった。裏で広沢、俺と飯食ってたやつが倒れたんだ。店の客とかにこういうの詳しい奴がいないか呼んでくれよ。俺は救急車呼ぶから。あ、いや逆の方がいいか。俺ここの住所分かんねえし」


 田中はスマホを彼に差し出した。これで連絡してくれ、という意思表示だったのだが、なぜか店長らしき人はいっこうに受け取らない。


「……あんた。それよりも自分の心配をしたほうがいい」


「何言ってんだ? 電話、頼むって」


 ようやく喋ったかと思ったら訳の分からない。


「自分の手を見て見ろ」


「あん?」


 不審に感じたが田中は言われた通り自分の手を見た。暗がりでよく見えず、スマホの画面を明るくした。

 息が止まった。


「な、なん……これ」


「だから自分の心配をした方がいいと言ったんだ」


 店長らしき人物が言った。田中の見間違いでなければ、彼の口は大きな弧を描いていた。


「あれをやったのは俺達なんだからな」


 彼の口元で犬歯にしては大きすぎる、牙のような歯が生えているのがちらりと光る。


「だっ、誰―――!!!」


 衝撃が走る。

 言葉が途切れ、全身に焼けるような熱が回る。呼吸ができなかった。殴られたのだと田中は思った。田中はこの時、小学生の頃に公園の防止柵に股を激突させたときのことを思い出していた。


 脳が揺れ、視界が曖昧に動く。聴覚も壊れていた。聞こえてくる音はこんな街中ではなあり得ないはずの、ライオンのような唸り声が聞こえていた。

 追い打ちのように拳が落ちる。その拳はなんとなく獣のように毛が深く生えていたような気がした。

 それが田中の最後の記憶だった。


「……あれ?」


 とは、ならなかった。


 田中が目を開くとそこは初めて見る天井だった。起き上がろうとして、首元に激痛が走る。田中は反射的に首を抑えた。


 痛みが治まり、もう一度目を開く。やはり知らない天井だ。だがその部屋が何の建物にあるかは匂いで分かった。


 このアルコールと揚げ物の匂いが充満した空間、それは居酒屋だ。記憶に新しい居酒屋と言えば、広沢と飲んでいた居酒屋だが。


 そうだ。


 田中は思い出す。


 自分が広沢と仕事終わりに居酒屋に入ったこと、朝から広沢の様子がおかしかったこと、「人狼」について話したこと(田中はあり得ないと切り捨てたが)、トイレに行った広沢が中々帰ってこなかったこと、広沢が倒れていたこと。

 そして、自分自身が何者かに襲われたこと。


「起きたか」


 声はベッドのすぐ横からだった。激痛を覚悟したが、予想に反し楽に横に向けた。

 聞き覚えのある声だった。


「あんた、店長、だよな」


「ああ。おめでとう。これでお前も俺達の仲間入りだ」


「俺達ってなんだよ」


「決まってるだろ?」


 店長はにやりと笑い、一呼吸置いた。


「人狼だ」

こんにちは、奈宮です。今回は人狼のお話になります。評価、感想などよろしくお願いします!

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