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妖怪退治は楽じゃない  作者: 奈宮伊呂波
二章 大阪の猫又

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七話 ふさわしい最期

 光一はサバイバルナイフを、男は血に濡れたマチェットをそれぞれ構えた。


「あんた、名前は?」


 光一が尋ねると男は「あん?」と睨んだ。


「そんなもんどうだっていいじゃねえか。知ってどうする気だ」


「自分が殺す相手の名前ぐらい知っておきたい」


「それもそうか。俺は谷悠馬だ。お前は?」


「柳光一」


「そうか柳、じゃあな」


 始まる。

 そう感じて光一は身構えるも谷は近づかない。光一を見据え、じりじりと足を動かし距離を詰める。

 光一は身長が高く、谷よりも若く体つきがいい。肉弾戦なら光一に分があるだろう。谷もそれをわかっているから突っ込んだりしないのだろう。

 谷は気が狂っているように見えて冷静に物事を考えている。

 対峙しただけでも谷が手ごわい相手だとわかる。だてに妖怪狩り(ハンター)ではないということだろう。

 さらに光一は武器で劣っている。相手は首を一刀両断できるマチェット。光一はサバイバルナイフ。刃渡りで言うとナイフはマチェットの四分の一ほどしかない。実力が同程度であれば普通にやって勝ち目はない。

 不利な立場だ。だが勝機はいくらでもある。


 谷のマチェットが不意にピクリと跳ねた。

 来る。


 光一は腰を屈めて膝を軽く曲げた。左手を緩く開き胸のすぐ前に空に置き、その前面にナイフを持った右手を構えた。体をコンパクトにして的を小さくし、相手にとって一番近いものがナイフになるようにしたのだ。

 谷が軽く振りかぶった。


「フッ!」


 マチェットはよく創作物の中では殺人の凶器にしばしば用いられているが、本来は熱帯雨林などのブッシュを刈り、取り除くための農具に分類される。そのため長い時間使い続けるため、大きさの割に刀身は軽い。

 光一のナイフなら受け止められる。

 左斜めからマチェットが迫る。


 光一は足を素早く動かし、体を左方向にスライドさせた。

 ナイフでマチェットを受け止め、刃と刃が触れた瞬間、谷の力をそのまま受け流すように右側に逸らした。

 谷の攻撃はほとんど空振りに近い形になり、それを予期できなかった谷のバランスが大きく崩れる。


「―――ハッ!」


 光一は谷の体制が整う前に谷の右腕を絡めとった。

 さらに隙を与えず、サバイバルナイフを谷の右肩に二度突き立てた。


「ぐああ!!」


 谷はマチェットを手放した。

 だが谷もやられっぱなしではない。谷の右腕に吸い付いている光一の腕に全身で食らいついた。左足を大きく踏み込んだかと思うと急速に重心を下げた。

 背負い投げだ。

 光一は咄嗟のことで反応できず、勢いに逆らわずそのまま投げ飛ばされた。地面に背中から激突し、素早く起き上がり谷から離れた。


(くそっ。完全に決められた)


 ここが柔道の試合なら光一の負けだが、ここは路上で、柔道家はいない。ただ勝つことのみを考えればいい。

 光一は何度かせき込んだ。硬いコンクリートでせき込む程度のダメージで済んだのは衝突の瞬間に顎を引き、体を丸めていたからだ。


「ざまあねえな」


 言ったのは光一の方だ。

 光一の方は背中が少し痛む程度のダメージだが、谷の方は右肩をナイフでやられている。筋肉を裂かれているだろうから完全に使えない。手放したマチェットを拾い、左手で構えているがどう見ても不慣れな様子だ。


「降参しろ、と言うことはできない。だから大人しく死んでくれ。俺は苦しませるのは嫌いだ」


 光一が狩りをするときは必ず最小限の時間と手間で妖怪を殺す。苦しませたり、いたぶったりせず、殺す。どんなに酷いことをした妖怪であってもだ。

 この理由は二つある。一つは追い込まれた時の力は恐ろしいということを知っているからだ。

 窮鼠猫を噛む、という諺にもあるように生物は体力の限界で死にかけであっても、いや、むしろ死に際の方が生への力は高いと言える。

 もう一つは死へ向かうことは恐ろしいからだ。死の間際の絶望と諦念が浮かんだ表情、震える手、かすれる声。今でも目に焼き付いているその光景を二度と見たくない。

 それが目の前のイカれた男であっても。


「俺にはまだやるべきことがある。ハヤテに会うまで止まることなんてできないんだよ!」


 谷は叫び、勢いよく駆け出した。


「!」


 向かった先は光一ではなかった。

 光一は呆気にとられるのも束の間。進行方向には日与美がいた。光一と日与美の目が合った。

 彼女は心配になり、様子を伺いに来ただけだ。たまたま光一に背負い投げをしていた谷の目に入り、狙われることになった。


「待て!」


 光一は谷の後を追う。

 だが一度開いた距離を詰める時間などあるわけがなかった。

 咄嗟にサバイバルナイフを投擲し、谷の左足ふくらはぎに命中した。

 それでも谷は止まらなかった。呻き声一つ上げることなく一直線に日与美の方へ走る。

 谷は死を目の前にして興奮した状態になっている。手負いの獣だ。まさに光一が危惧していた事態になった。

 あのナイフ意外に光一には武器がない。家に帰れば、インパラに乗れば、いくらでも武器がある。あのような死にかけの男一人いかようにでもできる。

 だが今の光一には何もない。持っているスマホを投げようが、落ちている小石を投げようが谷が止まることはないだろう。

 万事休す。なす術がない。

 決して足を休めることはないが頭の中には後悔ばかりが募る。なぜもっと強く留まるように言わなかったのか。なぜあの時、結界の中に入れてしまうなどというミスを犯したのか。

 まだ何とかなるかもしれない。

 日与美が反撃すれば時間が稼げる。谷が躓くかもしれない。雷が落ちるかもしれない。

 ありもしない可能性を頼りに光一は走った。


 だが、奇跡は起こった。


「な、お前らは……!」


 谷の顔が驚愕に染まる。

 日与美の周りには大量の猫が集まり、眼光を放ち谷を睨みつけていた。一匹一匹が四足を敵ににじり寄っている。

 猫達は逃げたわけではなかったのだ。大将を殺され、指示系統がいなくなったことでバラバラになったとばかり思っていたのだが、そうではなかった。

 機会をうかがっていたのだ。


「くそったれが」


 今際の時を前に、谷はそう呟いた。ただし、そこに怒りや妬みの色は見えなかった。

 次の瞬間、大量の小さな猫達が一斉に谷に飛び掛かった。

 谷は抵抗することなく、彼らの制裁を受け入れた。

 数十匹の群れは小さな爪をたて、服を切り、皮膚を破り、肉を裂き、少しづつ谷の体を削っていった。


「柳さん……」


 日与美は猫達を迂回して光一の隣に立った。光一は彼女の目を軽く塞いだ。慣れていない人が見ていい光景ではない。


「まあ、あの男らしい最後じゃねえの」


 (ハヤテ)を殺されたショックでおかしくなり、若者を使って猫を殺させた。その男の最後が猫によって迎えられる。

 身勝手な欲望を振りかざした憐れな妖怪狩りに相応しい末路だった。


 やがて谷の体は地面に崩れ落ち、その場には血だまりが出来上がっていた。

 猫達が一匹、また一匹と谷の体から離れていく。残ったのは全身を真っ赤に染め上げた谷の体だけだった。

 谷は最後まで悲鳴を上げなかった。

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