綺麗事
雨の匂いがして、目を覚ました。
「雨の匂いが一番強い夜にこれを書いている。僕の好きな匂いだから……。ふふ」
オズがくれた手紙を思い出して口に出す。全てが夢みたいだった。
あのあと、西の街に着く頃には朝になっていた。街のなかに入るとジルは自分が泊まるホテルにドロシーを連れて行こうとした。だが、ドロシーが強固に辞退すると、また迎えに来ると言ってひいてくれた。
荒屋に帰ると、驚いた。
すっかり存在を忘れていた子供達は、孤児院に行ってご飯を恵んでもらっていたらしい。
ドロシーの分はないからねとぷりぷり怒っていた。
今まで子供達の事を思い出すこともなかったのに、薄情だと思ってしまい……それと同時に力が抜けた。
ドロシーがいなくたってこの子達は困らない。
みんな、逞しさがある。
頼られることで形を保っていたのはドロシーの方だったのだ。
誰かに必要とされたいから、頑張った。ドロシーが価値のあるものになりたかった。だから、自分がしなくちゃと思い込んでいた。
体を横たわらせて汚れた毛布に包まると、意識が溶けるようにして気を失った。
夢を見ないほどの深い眠りから覚めると、外は雨が降っているらしい。
子供達は雨の日でも構わず遊んでいる。ご飯はなに? 無邪気に問いかけられてドロシーはため息をついた。
全て終わったのだと、そのとき初めて実感した。
ドロシーは朝ご飯をつくり終えるとオリバーの家に向かった。オズはオリバーの家で探し物があると言って、一緒には戻らなかった。
探し物が何かは聞けなかったが、オリバーの家に向かえば会えるだろう。
雨は上がっていて、雨上がりの冷たい風が吹く。湿った空気が肌にまとわりついた。
途中で、イヴに出会った。ドロシーを探していたらしく、見つけるなり神妙な顔をしていた。
「ああ……。お会いできましたね」
「イヴ様」
「ジルが呼んでいます。どこかに向かわれる最中ですか?」
「オズを……探しに。オリバー様の家にいると思うんですが」
「オズ。あの少年ならばさっきあちらの道に行くのを見ましたが」
指さされた先にはドロシーが一度も足を踏み入れたことがない高級住宅街があった。
裕福な商人や城に住む高官などが住む地区で、入口には衛兵が立ち、入る人間を制限している。
オズがそんな場所に何の用だろう?
「行かれるのですか?」
「つ、ついてきてくれますか? 私だけでは衛兵が門前払いして終わると思うので」
イヴはこくりと頷いた。ドロシーのことをひとまずは許すことにしたらしい。言葉の端々は冷淡だが、邪険には扱われない。
天使に選ばれた聖女とは信じていなくとも、オリバーという魔物を探り当てたことは評価してくれているのかもしれなかった。
住宅街に入ると、不躾な視線がドロシーを撫でた。
身なりの汚い女が何をしに。盗みでも働くつもりではないだろうなというような疑いの眼差しだ。だが、隣にいるイヴを見つけるなり、ぱっと視線が逸らされる。
逸らされた後、皆、自分の衣装を整えるのが不思議だった。
ドロシーはイヴの姿を見た。洗練された装いは、この街では殊更浮いている。
高級住宅街にいる人々も、彼の姿を見れば自分が見窄らしく思えたのだろう。
「イヴ様はいつも王都にいらっしゃるのですか?」
「……? 私のことが知りたいの?」
「? はい」
探るような眼差しを向けられる。何か裏があると思われたのだろうか。立派な装いは王都で過ごしているからなのかと思っただけなのだが。
「……いつもはノイシュヴァーンの屋敷にいる。ここからだと、北東に位置する領地です。魔物が多い故、あまり栄えてはいないが」
「そうなのですね。ご立派な仕立てだったので、王都の方はこんなに煌びやかなのかと。この街を出たのもこの間のオズを追ったときが始めてで、都会には輝かしい方が多いのだとばかり思っていました」
「あぁ。……これはジルがグレイス家の人間だから。財を凝らした衣装がいくつも贈られてくるんです。私もそのおこぼれに預かるだけ」
「……ええっと」
ドロシーはオズを探しながら、ふと生まれた疑問に首を傾げた。
「ジル様は、ノイシュヴァーン家のお人ではないんですか? グレイス家が竜の一族?」
「なるほど、何も分かっていないらしい。ジルから説明も受けていない?」
「は、はい。竜の一族であることだけ知っていますが」
「天使は教えてはくれないのか?」
ドロシーは顔を伏せた。イヴはドロシーの言うことを信用していない。
目線を逸らしたらそれだけやましいことがあると取られかねないのに。それでも、顔は上がらなかった。
「天使は巡礼をせよとしか教えてはくれません」
「よくもまあ、そんな声に自分の人生をかけようと思ったものですね」
「オズを死なせたくなかったので」
オリバーが死んだ今、オズを殺そうとする人間はいなくなったはずだ。あとはあの王女達に会わなければ。
ドロシーの思惑はうまくいっている。
ジルに任せれば、オズだって錬金術師になれそうだ。
孤児はなれないと聞いていたのに。
……結婚して入婿に……。
ジルの言葉を思い出しそうになり、首を振る。オズが夢を叶えるためには仕方がないことだ。
「……君はあの少年のことが好きなの?」
「はい。ずっと孤児院で一緒に過ごしてきました」
じくじく痛む心臓に気付かないふりをして微笑んだ。
「……ジルが遠ざけようとするはずだ。ジルと会ったのはこの間なのだろう? なのに、あんなに執着されて怖くはない?」
「……戸惑ってはいます。あの方は、どうして私にあんなにも執着されるのかと」
「それは私には答えられない質問だ。……他の質問に答えるならば、グレイス家は竜の一族と何ら関わりはない。ジルも言ったように、竜の一族は才能こそ血筋だと考えている。血筋に才能が現れると信仰しているグレイス家の頭のおかしな天才どもとは思考そのものが逆であると定義していい」
「ジル様はグレイス家の人間で、でも竜の一族にもなられたのですね」
よくはわからないが、イヴはそう言いたいのだろう。
グレイス家というのは竜の一族とは違う、と。
竜の一族は本当にシャイロックの血を飲んだ人間の集まりということらしい。
「竜の血を飲み、適応できた者は竜の加護と一族の誇りを背負う。血に拒まれ、死んだものも多い。ノイシュヴァーンを名乗れるのも、竜の一族のひと握りだけだ。他はスケアクロウの家名を名乗る。ジルは竜の一族のなかでも飛び切り才能を見込まれた男です。あの歳で魔王討伐の任を受ける当主になったものはいない」
イヴはジルのことをやはり崇拝しているようだった。
言葉の端々に彼への畏敬の念を感じる。
「イヴ様は竜の一族として、ジル様の従兄弟なのですか」
「私はグレイスの分家の生まれですよ。彼とは本当に血の繋がった従兄弟。私には才能がなかった。グレイス家のおちこぼれだ。頭の中の王様になりきれず、くすぶっていた。富だけはあったが、それだけ」
驚いた。イヴはグレイス家のことを嫌っているように思えた。
家のことを憎む方もいるのか。ドロシーはぼんやりした。
家族に捨てられたドロシーにとっては、イヴの境遇は遠過ぎる。
「ジルは本家の人間で、あの通り眉目秀麗な男だ。スタイルもいいし、ハンサムだろう? 彼のおさがりばかり着る私は、見劣りする」
「どうしてジル様と比べる必要があるのですか?」
こんなに素敵なのに、イヴは自嘲するように笑う。
どうしてなのだろう。一度、立ち止まり隣にいたイヴを見上げた。
彼もドロシーを見て立ち止まる。探るような視線だった。
「ここにはイヴ様しかいません。皆、貴方をみて自分を恥じているのに」
靴の先から、髪の毛一本まで綺麗な方だ。
隣にいるドロシーのことは召使だと思われているだろう。
それぐらい、生きている世界が違う。隣で歩くことは奇跡のようだった。
イヴはゆっくりと歩く始めた。
習うように、ドロシーも一歩を踏み出す。
「恥じる、か」
「私は貴族様の帽子を落としたことがあります。背中が腫れあがるほど、鞭で叩かれました。高貴な方の身に着けるものは、私みたいな人間が触れないような綺麗なもの。美しいものは、それだけで人の間に線を引けるんです。……イヴ様もそのように美しいものに見えます」
さっと、彼の顔が赤く染まる。
「私もイヴ様のように美しい人になってみたい」
「褒められすぎると、どう反応していいか分からない」
「も、申し訳ありません。……そ、そういえば、今日は剣をさしていらっしゃらないのですね」
話の流れを変えようと、ドロシーは彼の腰に佩いていた剣がなくなったことを指摘した。
「ジルが壊してしまったからね」
「あの剣はもとから聖剣だったのですか?」
「まさか……。ジルはモナーク神の恩寵深い信徒ゆえ……。ん」
釘付けになるように、視線がある屋敷に向けられた。
庭先に出てきた華奢な少女の前にいるのは、まぎれもなくオズだった。彼はポケットから光り輝く何かを取り出した。
ドロシーにはそれが、黄金のように見えた。
「あれは……」
ドロシーは走り寄って庭の外壁に体をつけた。心臓がバクバクと鳴っている。
オズはゆっくりと、大きな声ではっきりと話した。少女へのいたわりを声から感じた。
「先生が、ナタリーシャに渡してほしいって」
「先生、が?」
「うん。治療費の足しにしてほしいって。聞いた。デコスタ製薬の医者の人に診てもらったって。緩和療法を試してるんだよね」
「う、うん。……いたみ、とぉってくれるのぉ、……あのぅ、あり、ありがとう」
ナタリーシャ。拳を握りしめる。彼女の声はオズのようにはっきりとはしていなかった。
耳が不自由なのかもしれない。言葉はあやふやで、別の言葉と混ざってしまう。
それでも、オズは熱心に耳を傾けているようだった。
ずきり、ずきり。胸が痛くてたまらない。
「でも、いいの。……それにぃ、お。お、お、オズはもうぅ、王都に向かったはず、だよね?」
「うん。少し問題があって、街に戻ってきたんだ。すぐに行かなくちゃいけない。……だから、少しでも顔が見たかったんだ」
「うぅ、うれ、嬉しい」
足が動かない。自分を傷つけているのは分かっているのに、知らないことが怖くてずっと聞いていたかった。
ナタリーシャは健気な少女だった。ゆっくり話すのは彼女のなけなしの努力を感じた。オズも彼女に合わせるようにゆっくり、優しく喋る。
二人だけの、優しい世界だ。
「錬金術師になって戻ってくるよ。きっとナタリーシャの治療法も見つけてみせる」
「う、うう、うん」
オズ。
髪の毛をかきむしりたくなった。
雨の日……。
オズがくれた手紙の文字はなんだっけ。
思い出そうとするがうまく言葉が出なかった。
ナタリーシャへの優しい声色だけが頭を侵していく。
ドロシーのことが好きと言ったオズはこんな声だっただろうか?
思い出せない。
「手紙を書く」
「ま、待って、るぅ」
「……まるで、恋人達の逢瀬だ。彼女は?」
いつの間にか隣に並んでいたイヴは見下ろすようにドロシーを見つめた。
「ナタリーシャ。それ以外は知りません」
「あのオズという少年が渡した黄金。オリバーが持っていたと? あまりにも出来過ぎたはなしだとは思わないか?」
イヴに返事が出来なかった。
オズは死んだオリバーの部屋から金品を盗むような人じゃない。
だから、あの黄金はオズのものなのだろう。オズはオリバーが言う通り、本当に黄金を生み出すことが出来たのかもしれない。
魔王かもしれないと疑われているのにも関わらず、ナタリーシャに黄金を渡したかった理由なんて……ドロシーには分かりたくなかった。
「ジルの判断は正しかった。身内に飼えば、魔王となったとしてもうちうちで処分できる」
ドロシーは何も言えずに項垂れた。壁越しに、オズとナタリーシャの優しい声が聞こえる。
オズが救えたからいいじゃない。
それ以上を望むのはよくないことだ。
……嘘つき。
ドロシーが頑張ったのだ。痛い目にあって、酷い目にあって。なれるかどうかも分からない聖女の真似事までした。
なのに、ご褒美はなし?
誰かも分からない女にとられて、終わり?
「オズは……魔王じゃありません」
煤だらけの頬。腹に突き刺さった十字架の剣。鎖で木に磔にされて、眼窩にはなにもないオズ。
荊を引きちぎって、オズを助けようとした。木の棒で頭を殴られて、死んだ。
何度も、何度も痛い目にあってきた。
焼かれたこともあった。殺されたこともあった。自分で死んだこともあった。
その結末を乗り越えて、ドロシーはここまでたどり着いた。
なのに、オズはドロシーに感謝もしない。
全部、全部、ドロシーのおかげじゃないか。
ドロシーの苦痛の答えが、これだ。
惨めな、雨上がり。
雨の匂いが、風に混じって強く香る。
ジルに破かれた手紙は、もう二度とドロシーのものにはならない。
「魔王なんかじゃないんです」
優しい声でナタリーシャを呼ぶオズは、目元にいっぱい皺を作って泣きそうになりながら、笑っているのだろうか?
瞳の下にいっぱいキスするのだろうか?
腹の奥がぐつぐつと煮えている。
怒りを隠すように体を折り曲げる。泣きたくないのに泣きそうで、吐き気がする。
「だから、心配する必要はありません。魔王になんかならないから……」
生きてくれて、良かった。
そんな綺麗事を最後まで貫き通せる聖人だったら良かったのに。




