魔物の終わり
イヴがジルを庇うように前に出た。脚の腱に狙いを定めて斬り込んでいく。
正確な剣の軌道はオリバーの脚を捉えて、転がるように倒れ伏した。
既に敵意を見せていたからか、イヴは躊躇いなく、首をはねとばそうと構えた。確かに突き刺さり、ころりと頭が転がる。
ドロシーは息をつめた。呆気ないほどの終わりに見えた。
だが。
「やはり死なないか」
「野蛮な人間め!」
ジルの言葉の通り、首を刎ねられてもオリバーは死んでいなかった。
声が切り離された首からしている。
隙をつかれたイヴに体当たりした体が器用に頭を拾い上げると、切断された断面に置く。
刎ねられたのが嘘のように元通りになっていた。
イヴに体当たりしたオリバーはそのままジルを狙った。だがジルは華麗にかわした。蹄を地面に食い込ませ、苛立たしげに舌打ちをする。
不老不死。
実際に目にすると、不気味というよりも不思議だった。
死んだはずのオリバーが死なずに喋っている。
「オズ!」
駆け寄ったドロシーはオズの肩を抱いた。イヴに捕まれた手首は真っ赤になっている。痛みに呻くように息をこぼして、オズがはにかむように笑う。
「大丈夫」
「無理しないで。痛いなら手当を」
「必要ない。それより、先生はどうなるの」
「分からない」
ジルの考えていることがドロシーには分からなかった。
オリバーは殺しても死なない。ここからどうなるのか予測が出来なかった。
「私はお前達が成さねばならぬことをかわりにやってやろうとしただけだ! 魔王を殺してやる、それの何がいけない! 世界を救う素晴らしいことではないか。私心があると疑われねばならない、そもそも、企みがあったとて、それの何が悪いというのか」
化け物の言い分だった。興奮しきったザラついた眼差しに身が竦んだ。
「魔王の蘇りが阻止できるのならばやすい犠牲だろう。孤児の命と、世界、どちらが重要であるかなどモナークの天秤に乗せるまでもない」
「モナークの秤に、お前の思惑は乗らぬ」
ジルは硬く、しかし確かな声色で断じた。
碧い瞳が縦に割れている。至近距離でみた、シャイロックのような獣の瞳だった。
だというのに纏う空気は静謐で、教会のなかにいるような神聖ささえあった。
矜持らしきものがありありと表情に浮かぶ。
「気高き神の秤に貴様の妄言をのせよと? オズマの生まれ変わりならば、調教し、人への畏敬を仕込めばいい。そも、お前のような半獣の手を出さずとも、異端審問官に投げ渡せばよかっただろう。死をもってすべてを終わらせたはず。お前は、この子供を利用しようと匿い、自らが抱えた秘密の恐るべき事態を妄想し、殺そうとしている。すべてはお前の秤の上。容易く傾く脆弱な善悪だろう」
「し、死にたくないと思って何が悪い。先生が救ってくださったのだ。体が崩れる恐怖を、治して下さった。同族に嫌悪された私が、同族よりも長生きをしている。エルフのように永劫を生きる名誉を貰ったのだ。いずれ、竜たるシャイロックにも届くかもしれない、この僥倖! 誰にも阻まれてなるものか! 誰も私を殺すことなんてできない!」
「ああ……その本音が聞きたかった。モナーク神を崇めぬ異教の民、呪われた半獣。永遠の命など、醜いだけなのにそれすら分からぬようだ」
恍惚と、ジルが笑う。ぞくりと背筋が凍った。
「不死だと誇った魔物は数多く見てきた。魔女も魔法使いも己は死なぬ。馬鹿な騎士と侮ってきた。だが、どの化け物ももうこの世にはいない」
「何を、馬鹿なことを。その者共が不死でなかっただけだろう。私は違う!」
誇るように声を張り上げるオリバーを無視してジルは続けた。
「イヴ、その男は魔王ではないようだ」
そう言ってオズに目配せをする。ぎくりとオズの肩が揺れた。
「いいのですか。すべて妄言だとは思えない。この子供が本当に魔王の生まれ変わりだったら、すべてを黄金に変えてしまうかもしれませんよ」
「魔王ならば、まずドロシーの側にいない。彼女がオズマを殺した。本当にあの悪鬼がよみがえったというのならばドロシーが真っ先に殺されている。オズマがよみがえったなど、結局はその男の妄言だ。顔の似た男に、己の欲を重ねただけに過ぎない。欲深い罪人は他の人間も自分と同じ懸念を持っていると信じている。人を殺したいと思っているものは、自分も殺されるという強迫観念を持つものだ」
イヴにとって、ジルの言葉はモナーク神の言葉のようだった。恭しく頭を下げると、許しを与えるようにドロシーとオズへと視線を送る。
ドロシーはオズの腕を握った。
「不死の半獣よ、お前に機会を与えよう。今から、そこにいる子供を異端審問官に突き出せ。そうすればお前が理から外れた存在であることを見逃そう」
「な……、ジル! 何を言っているんですか!?」
ジルはドロシーの言葉を無視して続けた。
「できないというのならば、俺を殺しに来るといい。でなければお前を異端審問官に突き出すのだから」
オリバーは眉を微かに上げて首を振る。
「どうせ、どちらを選んでも貴公は私を異端審問官に突き出すのだろう?」
「異端審問官はやはり怖いか」
「馬鹿なことを。そもそも流血は避けられず、死は君達の頭上にある。なぜならば、私は死ぬことがない」
「それはどうだろう。不死を謳う化け物は、往々にして死に至る弱点を持つ。魔王が作り替えた憐れなお前の体も、同じように。……イヴ」
「……ジル、魔王の恩寵を受けて不老不死になった化け物ですよ、手に余る」
「何を言っているの? 魔王の恩寵で死を迎えられない半獣など造作もない。そもそも、六英雄たる我々が魔に屈するなどできるはずがない」
「戯言ばかりを。お前達は私に殺される!」
今度はイヴにオリバーの突進があたった。とんでもない距離を転がっていくイヴをジルは呆れた顔で見やった。
「イヴ、何を油断しているんだ? こんな小物に手間取るなんて。栄誉ある竜の一族の名が泣く」
「嫌味なことばかりいいますね……」
「自慢の血で野蛮な獣ぐらいどうにかならない?」
たらりとイヴの顔面に血が垂れた。頭を打ち付けたときに傷が出来たらしい。ダラダラと鼻をつたっていく。
ドロシーは驚いて駆け寄りかけた。だが、すぐ側にはオリバーがいる。狙われるのは明らかだった。邪魔になってはだめだ。そう自分に言い聞かせて足を止めた。
「魔王を倒す旅に出ると粋がっていたのに、お前は弱いままだ」
「……魔王を倒す旅に出るのは貴方でしょう。貴方にはその力がある」
「魔王軍の魔法使いでもない獣に怪我を負わせられるようなものよりはな」
イヴは綺麗な服で自分の血を拭った。手負いの人間を狙った方がいいとオリバーに思われているのか、執拗に脚を狙われる。
ジルは試すようにイヴが襲われているのを見ているだけだ。
胃がキリキリして捩れそうだった。
イヴは上手に交わし続けていたが、斬りつけても治ってしまうオリバーに疲弊し、やがて脚がもつれるように蹴り倒された。うめき声があがり、重たいものが落ちる音がした。
腕が変な方向に曲がっていた。そのせいで剣を落としてしまったようだ。
ジルは冷たいため息をこぼすと地面に落ちた剣を拾い上げる。
刀身に指を滑らせた。力強い光と風が舞い上がる。
夜を明かすような鮮烈な光に焼かれるように後ずさる。シャイロックが落とした雷のような輝きだった。それでいて、心臓を焼くような美しさがある。
いうなれば、一度だけ聞いた。あの声のようだった。
——巡礼を。
巡礼を、再開しよう。ドロシー。
天使の声。透徹した慈悲の声が、光になって現れたようだと思った。
ジルの手にはいつの間にか、大ぶりの剣が握られていた。さっきまでの剣がレイピアのように刀身が鋭く細いものだったので、ドロシーは驚いた。
ジルが手を少し動かすだけで、神聖な光の残滓が揺れる。星の瞬きを集めたような、神々しい光だった。
「――聖剣なのか」
目を奪われたように剣を見つめながらオリバーがこぼす。
「どうして、聖剣を、聖騎士でもないものが持っている」
「どうしてだろうね」
吐き捨てるようにジルは答えて剣を構えた。紳士の装いだと戦いにくいのか、上着を脱ぎ捨ててシャツだけの姿になる。オリバーは油断なく何度も足踏みをした。
シャイロックごと貫かれたことを思い出す。ドロシーは口のなかにあふれた唾を飲み込んだ。
「モナークが認めた五つの聖剣の一つなの? モナーク神の金槌たる、正義の鉄槌だって、いう?」
オズがこぼした言葉に目を見張る。六英雄の聖騎士が持っていたというあの聖剣だというのだろうか。
ステンドグラスに描かれた逸話。
聖剣は選ばれしものの元に現れる。聖騎士がふるう剣は全てが光り輝く聖剣となった。
なんて。
聖職者が語るただの御伽噺だと思っていた。
「なぜだ、なぜ!」
「お前とは違い神の寵愛があるから」
「馬鹿馬鹿しい! 神の寵愛などあるものか」
「呪われたお前はそうだろうな」
小石でも投げるような気安さでそう吐き捨てると、オリバー目掛けて斬りかかる。
大ぶりな剣だ。動作は読みやすい。オリバーが素早く飛び去ると、地面がえぐれた。
ひゅっと喉の奥がなった。
ジルが振り回すには大剣だろうに、楽々と扱っている。重さも、大地が受けた被害を見るとよく分かった。
「亀のように遅い。それでは殺せないぞ」
「二つ、問いたい」
ジルは穏やかな声を出して言った。
オリバーが警戒心をあらわにして睨みつける。
「一つ、お前は六英雄たる聖女が死んだときどこにいた?」
「どうして、そんなことを? ……王都にいた。先生の、オズマを屠った女がどんな風に死ぬか見たかったから」
「……ふふ」
ジルは手の甲で口元を隠すように笑った。
ふふふ、ふふふ。明るい笑い声だった。真夜中の一幕とは思えない。
「二つ、ドロシーを殺そうとした?」
「邪魔立てするならば」
「そうか。ならば、手加減する必要もなかったね」
ジルは剣を顔の前に構えた。大地全てを照らす太陽のような、見たことがない光だった。
「天にまします偉大なる神よ。――憐れな魂をお救いください」
凄まじい光が目を焼く。
再び目を開いたときにはオリバーの姿なかった。それどころか大地に大穴があいたように割れていた。
地面の下に水脈でもあったのか、泥水らしきものまで噴き上がっている。
腰を抜かしたドロシーは、地面を強く握りしめた。
さっきまでいたはずのオリバーはどこに行ってしまったのだろう。
不死の彼のことだ。危険を察知してどこかに隠れてしまったのかもしれない。
あたりを注意深く見渡してみるが、オリバーがあの凶悪な前脚で走り寄ってくることはなかった。
そこでようやくドロシーはオリバーがあの光の渦に巻き込まれて死んだのではないかと思い当たった。あんな一瞬で、魔物と化したオリバーが死んだ?
不死の彼が、神聖さをともなうとはいえただの一振りで?
信じられないことだった。
ジルの手には既に光り輝く剣はない。彼が一振りしたあと、砂になってボロボロに崩れていった。
ドロシーは舌を縺れさせながら、ジルに問いかけた。
「お、オリバー様は?」
「どうしてあの半獣が異端審問官を恐れていたのだと思う?」
質問を質問で返されるとは思わず、意味を咀嚼するのにしばらく時間がかかった。
「お、おそれていましたか?」
「本当に不死ならば異端審問官から逃げる必要はない。オズに似た子供を突き出せないのならば自分が異端審問官に会えばよかった。だがそうしなかったのは恐れていたからだ。そして、異端審問官を恐れる理由など限られている」
足元に落ちた砂を踏みつけて、ジルは冷ややかにドロシーを見つめた。
「魔王オズマはモナーク神の聖女たるドロシーに殺された。魔王に治された悪しきものがモナーク神の信徒たる異端審問官を恐れるのは道理だ」
訴えかけるような冷めた瞳だというのに、ジルははにかんだ。笑みをよく見せる人だと思っていたが、この笑みには背筋を凍らせるほどの闇が見える。
どうして、ジルが聖剣を使えたのかはよく分からない。
彼は竜の一族ではなかったのか。
――聖騎士殿。
ジャイロックの声が蘇る。首を振って、考えを追い払う。
「魔物オリバーは神のもと、灰となった。どうしたの、ドロシー。そんなところに座って。……手を出して」
引き上げてくれる手はつるりとしていて、まるでご令嬢のように苦労を知らない。ドロシーは息をつめた。さきほど、オリバーを殺した人間の手とはとても思えなかった。
ジルはドロシーの体をジロジロと穴が開くほど見つめた。
「どこにも怪我はない? ならよかった。……西の街に帰ろう。流石に君も疲れただろう」
疲れたというか……。
ドロシーは曖昧に微笑んだ。まだオリバーがそこにいてオズを狙っているように思える。
「ああ、そこの錬金術師見習いのために飛翔馬も呼び寄せないと。王都の試験を受けるのだものね」
「飛翔馬……」
聞き覚えがある言葉だった。いつ聞いたのだったかと思い出そうとしたが思い出せなかった。
色々なことが一気に解決したせいで頭が追いつかずぼおっとしていた。
「空を飛び、鳥よりも早く駆ける馬だよ。錬金術師達が努力の末に生み出した移動手段だ」
「ジル、それは内密という話だったのでは?」
「ドロシーならば構わない。それに、試験を受けるためにはそうしなくては。……なあ」
ジルがオズの目の前に立つと、見下ろすようにオズを見た。
「お前は魔王ではなく、錬金術師になるのだものな?」
「……はい。貴族様」
「ならばいい。俺が後見人になってやろう。望むのならば、我が一族の分家の娘との結婚を。入婿として貴族となれば誰もお前を孤児とは見ない」
「は……、な、なに、それ」
ドロシーも雷にうたれたように狼狽えた。ジルはオズを結婚させると言っていなかったか。
「有能なものを囲い込むために結婚するのは貴族では当たり前のことだ。そもそも竜の一族というのはそういう集まりでもある。才能は、血筋を越える。貴族のなかでも異質ゆえ、お前のことも歓迎しよう。お前が試験で合格したならば、成功は約束されたも同然だ」
「嘘、だ。そんな夢のような話あるはず、ない」
「本当の話だよ。……未来の従兄弟殿。竜の一族は君を歓迎しよう」
からかうような言葉を紡いで、ジルはドロシーに視線を向けた。
「これで全て解決だね、ドロシー。夜も深い。魔獣に襲われないように静かに帰るとしよう」
地面から噴き出していた泥水が深い溝に溜まり川となっていく。ここら一帯の地形は変わってしまうのかもしれない。
そう思いながらも、ドロシーはジルに手を引かれて馬車に乗り込んだ。




