聖女になるために
老僧ロズウェルを置き去りにして、ジルに連れられてやってきたのは街の高級住宅地だった。入り口には門兵がいる厳かな屋敷に前には、若く美しい男が直立不動で待ち構えていた。
身なりのいい、執事らしい服装の男だ。ドロシーは高貴さの滲む硬質な美青年をまじまじと見つめた。
美しい瞳と、均等の取れた芸術品じみた顔。伏せる瞳を縁取る睫毛は長く繊細だった。
ジルと似通った顔つきはモナーク神が丹精込めて作り上げた一品のよう。神に愛されていると言われても納得する。
ドロシーは惚れ惚れした。ジルもだが、彼らは美しかった。
「イヴ・ノイシュバーン。君の下僕だ。好きに使って」
パン屋にいた、ジルの従僕だった。刺すような視線を覚えている。
聖女らしからぬと言って壮絶な舌戦をジルと繰り広げていた。
ドロシーは緊張で体が震えていた。前は聖女なんてとドロシーさえ怪訝に思っていたが、今回は勝手が違う。聖女になるために、ドロシーはいるのだ。
最初から認められるとは思っていないが、否定されてはこたえそうだ。
だから一生懸命、表情をつくって笑いかけた。朗らかさ、謙虚さそんなものを混ぜる必要がある。
「はじめまして。騎士様」
「…………ッ」
激しく動揺したのはジルだった。ドロシーはただ、腰にさした剣を見てそう言ったのだが、反応に体が硬直した。
騎士という言葉の何が悪いのか。
考えても分からなかった。
いつも余裕が感じられていたのに、目の前にいるジルはずっとドロシーが思い描いていたジルとは違い、焦っているように思えた。
「……あ、えっと。騎士様ではありませんでしたか」
「……ジル様。これはどのような遊びなのですか」
「黙って。……ドロシー」
砂糖を煮詰めたような甘い声で呼ばれる。視線を動かすと高貴な瞳が強烈な光を宿してドロシーを見下ろしていた。眼光の鋭さに、息を呑む。
「どうして、騎士様とイヴを呼んだの?」
「剣を、さしていらっしゃったので」
「そうなのか。イヴと呼んでいいんだよ。騎士様とは二度と呼ばないで欲しい。あの忌々しい剣聖を思い出すから」
剣聖って誰のことですかと問いかけることも戸惑われるほどの強烈な怒りが滲んでいた。
ドロシーはこくこくと頷くと、唇を舐めた。
イヴと呼ばれていたジルの従者のことを、呼び捨てにするのは気が咎めた。
そもそも、ドロシーにとってはジルと変わらずイヴも高貴な男性である。貴族のように服装が華美ではないが、街の人々とは明らかに違う高価そうな衣服だ。
貴族の周りに侍る人間というのはここまで美しいものを着ていなければならないのかと思ってしまうほど。
そんな彼をイヴと呼ぶのは気が咎めて、小さくイヴ様と呼んだ。
「……ジル様これはいったい」
「イヴ。俺はやっと聖女を見つけたんだ。俺だけのドロシー。俺の聖女になりたいと、彼女も言ってくれている」
「せ、聖女?!」
イヴは目を見開いでジルを見つめていた。聖女を決める選定が王都では行われようとしているときいた。
ジルはドロシーをその聖女に祭り上げようとしている。
望むところだった。ジルがどんな思惑があるかは知らない。
けれど、ドロシーは聖女になりたかった。皆に認められる聖女に。
ジルが力を貸す女に。
「何を、何を考えているんですか。こんな……孤児なのですよね? 子供を担ぎ上げて。おかしくなってから、それでも貴方についてきた献身を無駄にするつもりですか」
「救国の聖女も農民だった。土を耕すのも、パン屋で店番をするのも同じく働き者だ。何が違う?」
「あ……なたッ、本当に頭おかしくなったんですか! この子はどう見ても聖力があるようには見えませんよ」
「聖力などなくて構わない。救国の聖女もなかったのだから。不平を漏らすものがいれば首を刎ねればいい」
「そりゃあ魔王を討ち倒した聖女様はお持ちではなかったかもしれません。ですが今探している聖女様は聖力を持っていなくては話にならない! 戦乱期で女子供も戦場に投入していた当時とはあまりに違うのですよ。力を持つものが魔王を倒す。選ばれたものを探すのが正道だ。そんな道理さえ曲げてしまうつもりですか!?」
「せ、聖力がないといけないんですか!?」
ドロシーはつい声を荒らげた。そんなの話が違う。
教会で読み聞かせられた聖女は天使の声をきいて魔王を倒す旅に出た。
魔王を討つ。その宿業を背負ったのだと。
聖女の血をひいていないとダメなのだろうか。
高貴でもなんでもない女の子が、天使の声を聞いて立ち上がる。
伝説と同じではだめなのか。
「やはり知りませんでしたか。本当にただの孤児を誑かしてきたのですね」
「聖力というのはどうやったら手に入りますか」
あの王女様はもっているとシャイロックは言っていた。ドロシーも持てるものなのだろうか。
ジルが望む通りの聖女にならなくてはならない。
ドロシーは焦り、イヴに詰め寄った。
「わ、私は聖女にならなくてはいけないんです」
「な、ち、近いよ……君」
「天使の声を……魔王を……倒さなくてはいけなくて」
「天使の声……?」
訝しそうに首を傾げたイヴは、もしかしてと前置きをしてドロシーに向き直る。
「天使の声を、きいたと?」
「……はい」
「ジル!」
イヴはますます青褪めた。紫色に近い。
ドロシーを見つめる瞳も、おおよそ狂人に向けるものになっていた。
それもそうだ。天使の声なんて、普通ならば頭が変になったと思われてもおかしくはない。
聖女になりたがる頭のいかれた女だとそう思われたのだろう。
「エルフが気に入らないからと、当てつけに夢見がちな女を聖女に据えるつもりですか? 我が一門を、何だと思っているんです。おかしくなってから、それでも使え続けた献身を、なんだと。竜の一族は、六英雄を汚すためにあるのではないのですよ」
「……ドロシーに失礼だろう。撤回しろ」
「撤回など! 貴方にただ、認めていただきたいだけです。自暴自棄になって我が国の神事を汚そうとしていることを。我らの使命を思い出していただきたい」
「ま、待って! 待ってください」
割り込むように口を開く。
拳を握り込んだ。こんなことで足がすくんでいて、どうする!
ドロシーはオズを助けるのだ。聖力なんて持っていなくても聖女になる。
ジルの協力を得るのだ。
「救国のため私は天使ミカエルに選ばれました。その証拠を、ご覧にいれましょう」
「は……?」
「ご協力ください、竜の一族の方。血を分け合った同胞達。シャイロック様のお力を、どうかお貸しください」
ジルとイヴは、竜のーーシャイロックの血を体に入れたという。
尋常ならざる力を持つに違いない。
ならば、頭を下げて、シャイロックに命乞いをしていた街の人々のように敬意を示す。
シャイロック。名前を聞いて、ジルが目を見開く。
シャイロック様。出会えなかった人の名前を借りた。黄金の鞄を、皮肉げな物言いを、だらしのない服装を思い出して、一瞬息が詰まった。
あの方はどこにいるのだろう。
街の外に行ったのだろうか。ドロシーを置いて。
「魔王と顔が似ているという理由で、男が一人殺されます。まずはその未来を変えなくては」
目的を隠しながら、従わせる。
高貴な方達を操るのだ。
頭が沸騰するほど緊張する。頭を上げることすら不敬だった人達と対等に話している。夢みたいだった。
興奮、していた。
「――魔王を倒すために、私は天使に選ばれたのです」
救国を成し遂げる。オズを助けれるために。
聖女になるのだ。
そのことしか頭になかった。
◾️◾️◾️
街道に灯りはない。
馭者には金をやった。隣街の、その隣の、またその隣の街に行けと。その街に金を置いているから、取りに行け、と。
男は転がるように金を求めて走り出した。これで、邪魔をする人間はいなくなった。
真夜中は危ない。
ここで野営をしようと言う言葉を、オズは素直に信じた。
馬車の方が眠りやすいだろうと勧めたら、すぐに寝息が聞こえてきた。
疲れていたのだろう。
錬金術師になるための勉強を沢山してきたのだ。
仕方がないことだ。
けれど、彼女のために医者になるのだと、オズは言った。
治したい病気がある。
どうせ、錬金術師にはなれないんですよね。
白い手袋をして、大人ぶった顔をしてオズは首を振った。
前から知っていました。身分の確かなものしか、なれないと。
誰が産んだかすらわからない孤児だ。
選ばれるわけがない。
錬金術師になんか、なれるワケがない。
諦観が見て取れた。背筋が震えた。
錬金術師ではなく、医者になる。
オズは確かにそう言ったのだ。
ずっと夢見ていたことだった。先生になってくれることを、望んでいた。錬金術師なんかじゃなく。
なぜならば、彼は医神なのだから。
魔族、亜人、人間、魔法使い。それら全てを平等の秤にのせ、医術という祝福をくれた。
崩れゆく体を救い、業病から助けて下さった。
魔王オズマ。
奇跡のような方だった。
「オリバー。この世に治せないものはない。僕はそれを証明するために魔王になったんだ」
清廉で正しく優しく、それでいて……。
「年頃の、そのレディは何を好む? 好きな女がいるんだ。でも、僕は何も知らないから。……全てが終わったら、伝えたいことがある。そのときに、何も知らないだなんて幻滅されたくない」
誰よりも。
「彼女は、僕のことを先生と呼んでいた。尊敬してくれてたんだ。ずっと、ずっと、死ぬまで。告白まで、してくれた。好きです、先生って。あの声を、忘れたことはない」
誰よりも、誰よりも。
「オリバー、今度は僕の方から告白をすると決めているんだ。目を見て、愛していると伝える。……恥ずかしくて目を逸らしてしまうかもしれないけど。でも、幸せに歩いている姿を、笑っている姿を見たら、きっと目なんかそらせない」
誰よりも、ただの普通の恋をする人だった。
オリバーの名前を呼んで、治療をしてくれた。
汚泥と言われたこの身。土塊と見做された澱み。
神は微笑まず、ただ死を願われるだけの日々を、あの方は救ってくれた。
あの人の恋を応援したいと思った。
オリバーを治してくれたように、あの人の力になりたいと。
「誰よりも幸せにすると、したいと伝えたい。だから」
魔王なんて、名ばかりの。夢を語る人だった。
口数が多い、不器用な、愛されるべき人だった。
「だから僕は魔王になったんだ」
ーーだから、いいんです。
オズは諦めたように笑う。
あの日の先生の言葉を思い出す。誰よりも幸せにしたいと言った彼の恋を思い出す。
夜風が冷たい。今からすることは自分でも狂っていると思っている。
考えていることが全て矛盾している。
支離滅裂で理が立たない。
けれど、やめるワケにはいかない。
――これは、世界を救うためなのだから。
馬車の扉を開ける。
首を絞めて殺す。魔王オズマは聖女にその殺し方を強いた。
自らの手で、罪を犯せと、そうしなければならないのだと。
だから、殺し方は、決まっていた。
――なのに。
「オリバー様、貴方だったのですね」
月のない夜。オズマを殺した女と同じ顔をした女が、悲しそうに目を伏せてそう言った。
オズの姿はない。
なかった。




