良識の民
「まぁまぁ旅人さん、よければうちに泊まっていきませんか?」
「いやいやうちに泊まってってください! 今朝野菜が採れたばかりなんです」
「夕食なら元コックのあたくしの家が一番おいしいですよ。もちろんお客様をお泊めする部屋もあります」
「うちは宿場です。うちに泊まっていただくのがベストですよ」
「いや……えっと……すでに泊まる場所は決めてますので……。あと、馬の前は危ないです……」
セーラはカノを引き留めながら、下馬することもできずに立ち往生していた。周り中歓迎してくれる人ばかりなのだが、動けない。彼女が小声で注意すると、ようやく前を塞いでいた人だけがさっと横にずれた。
しかし、それでも下馬するほどのスペースはない。
「旅人さんは今までいくつの街を通ってここに?」
「ええと……覚えてないです。二つの国は通りました」
「別の国にはここにはない習慣もあるのですか」
「ええ、でもこんなに歓迎されたのは久しぶりです。冷たいところもありましたので……」
「当然! ここは歓迎を旨とする街ですから」
「そうだわ、パーティーを開きましょう! 今から準備すれば今夜に間に合うわね」
「パーティーまで……ありがとうございます」
一旅団のような人数で街を歩いていたセーラは、今夜泊まる宿場に着いて荷物を降ろした。カノは近くに厩舎があるとのことで預かってもらうことになった。ちなみにまだ昼頃。この後街の人に案内してもらう予定だ。
部屋は暖房設備が充実していた。そしてシャワー室があった。セーラは体を洗い流し、下着を変える。ズボンも冬物に変えた。ポーチを腰に提げ、刀を差す。最後にオーバーコートを羽織って部屋を出た。もちろん鍵を閉めておくことを忘れない。
外に出ると、既に何人もの人が待っていた。老若男女様々で皆暖かそうな格好をしている。風が冷たいせいか、ニット帽をかぶっている人もいた。
「やあ旅人さん! 部屋はどうだい」
外に出るなり、白い肌の男性が威勢のいい声をかけてきた。百八十センチあるセーラよりもさらに背が高くてひょろりとしている。
「ええ、とても快適だと思います」
「それは良かった。さて、どこから見ようか」
「やっぱりあの大きな議会場でしょう、街の名物だ」
「いやいや今ならバザーだ。特産品を売っている」
「王立図書館はどうかしら、歴史書を見せてもらえるかもしれないわよ」
セーラの前で、ああだこうだと言いあっている。このままだと出発する前に日が暮れそうだ。
「あ、あの。王立図書館を見せていただけませんか」
セーラが言うと、人々が振り向いて「ならそうしよう、決まりだ!」とまとまる。同時に「バザーに立ち寄ってからにしよう」ともまとまる。最後は満場一致だった。
バザーは狭い範囲でしか店が開かれていなかったが、どの店も珍しいものを取り扱っていた。ただ、セーラが欲しがるものはドライフルーツくらいだったが。
図書館は恐ろしく大きく、一緒に来た女性が館長に頼み込むと、特別と言って貴重な古い書物を持ってきてくれた。手袋をした年配の男性館長は、テーブルの上に書物を置くと説明を始める。
「これは国が領地を広げて街を作るときの命令です。第三代国王陛下の命によってこの地に大きな街を作り上げると書かれております。これは今から二百年前のことであると考えられています」
館長は指さしてひとつひとつ歴史を教えてくれた。
「こちらの一文は、第五代国王陛下がここを訪れられた際に追記されたものです。ここは紛れもなくこの国第二の都市である。と書かれてあります」
「第一の都市はどこに?」
セーラが問うと、館長は苦笑いを浮かべた。
「実は、すごく遠いんです。国の端ですから、行ったことがありません」
「遠い、ですか……どれくらいかかりますか?」
「聞いた話では、百日はかかると」
「そんなに……」
「ただ、川があるので船を使えば早いですよ」
館長は言いながら、歴史書の隣にある地図を指さした。確かに、この街の近くから大きな川が流れていて、いくつもの街に繋がっている。この一番遠くにある街がこの国第一の都市だろう。
「定期船は次……十日後に出ますね。ここから馬で半日ほどの場所に船着き場がありますよ」
「十日ですか……」
セーラは顎に指先を当てて、少し考え込む素振りを見せた。頭の中では、十日くらい滞在しても良さそうという考えの反面で、長く滞在すると愛着が沸いて離れづらくなるという思いもある。
まだまだ定住という考えはなく、ほんの十秒ほどで考えはまとまった。
「端から端まで街はたくさんあるのですよね」
とセーラが問いかけると館長は、
「そりゃもう! 川沿いに街が五つあります。川から外れた場所にも十以上あります」
と元気よく、それはそれは嬉しそうに言った。
セーラは、行動指針を決めた。
「では、このルートを通ることにしようかと……注意点はありますか?」
と、セーラが地図に書かれている街々をほぼ街道沿いになぞると、館長は少し顔をしかめる。
「この街は避けた方が……噂ですが、反乱の気があるとか」
「時々聞くな。本当なのだろうか」
と、ニット帽を片手に持っている男性が言う。
「僕の家は商売をしているけど、あの街からはしばらく品物が来ていない。可能性は十分あるよ」
「じゃあ……この街は避けて通ります」
「じゃあ問題なしだ。――盗賊がたまに出るというから気をつけてくれ。尤も、旅人さんは刀の腕が立ちそうだな」
「飾りですよ……」
といい、愛刀の柄を撫でる。館長は笑いながら、「東の方、はるか先にこんな形をした武器を扱う兵士がいる国があるそうです。旅人さんはそこの出身ですか?」と言った。
「いえ……西にある国です。東の国を目指してはいますけれど」
「じゃあなおさら第一の都市に行くべきですよ! そこからは海に出る道がありますから」
館長は興奮気味に言って、地図の端近くまで指を動かした。それより右側は青く塗られている。対岸は書かれていなかった。
ただ、その書かれていない先に『東の国』があるのは確かだ。
セーラはそのあと、夜まで街を案内してもらい、夕食を外で食べた。羊の肉を辛く味付けし、野菜と一緒に柔らかいパンに包んだものだ。少し寒くなっていたので、珍しく酒類も少しだけ飲んだ。
部屋に戻るとすぐに暖房を消した。オーバーコートを椅子に立てかけ、刀を枕元に立てかける。
そして、充分に暖かくなっている部屋でベッドに潜った。
アルコールの影響か、すぐに眠くなった。セーラは酒に強くない。故郷にいたときも馬乳酒を何度か口にしただけで、旅に出てから酒を口に入れるのは初めてだった。
翌朝、日が昇る前に目を覚ました。ベッドから出ると、寒気で体が震える。
「うう、寒い……」
寒い時はとばかりに体を動かし、刀を振った。少しすると、体が温まって寒気が消える。少し汗をかいたのでシャワーを浴び、体を完ぺきに乾かした。腰には刀、ポーチもしっかり提げている。最後に大きな荷物を全部持って、宿屋を出た。
「おはよう旅人さん、今日も寒いね……」
「おはようございます。寒いですね」
外に出て暫く歩いていると、眠そうな目を擦りながら白い肌の男性が声をかけてきた。昨日のような威勢のいい声ではなく、眠そうで寒そうにしている。
「今日は商人が朝から来るっていうから街の外れまで行かなきゃいけないんだ……ああ眠い。それに、今日来るのは、昨日言ったしばらく連絡のなかった街からなんだよ。……ふああ」
「もう少ししたら自然に目が覚めますよ」
「いやいや、この眠い時間が一番きついじゃないか……早く帰ってベッドに潜りたいよ。……ま、そのころには目が覚めちゃって寝る気にならないんだろうけどね」
と、男性は小さな声で笑った。セーラは馬を取りに行きたかったので一度男性と別れ、厩舎に向かった。
昨日、セーラはカノに会わなかった。一日ぶりに見たカノはいつもと全く同じで、朝食であろう飼い葉や野菜を食べていた。
「おはよう、カノ。ここの居心地は良かった?」
セーラがカノの体を撫でると、愛馬は気持ちよさそうに体を震わせる。厩舎を管理している人に一泊の馬宿代を支払った。
街の北側の出口で、男の人と出会うはずだった。セーラは、男性と出会わなかったことに街の外に行ってから気づいた。商人とのやり取りはそんなにすぐ終わるのだろうか、と訝しみながら、街道をゆっくり歩む。太陽が昇るごとに寒さは和らぎ、彼女はおもむろにオーバーコートを馬の背に乗せた。袖を荷物に縛り付けて飛んでいかないようにする。そして、馬を飛ばした。ここ最近悪路を通ってきたので、慎重になっていたのだ。風を切って走る快感に、セーラは無意識に笑顔を浮かべた。まっすぐな街道は地平線の先まで続いている。右側は平原、左側は木が生い茂っている。
「あは! 気持ちいいねカノ!」
セーラがそう呼びかけると、カノはさらに足を速めた。髪が後ろになびき、目を細める。
それに水を差したのは、すぐ右側を通り抜けた矢だった。
セーラは慌てて馬を止めて、矢が飛んできた方向を見る。
「そこの女」
岩陰からぬっと姿を現したのは、小柄な男だった。馬には乗っていないが、弓も持っていない。武器は剣だ。矢筒も持っていない。
セーラは反射的に刀を抜いた。敵が左側にいるのは幸いである。彼女は左利きなのだ。
「……道を開けてください」
セーラは力ない声で警告した。声が震えていないだけ、以前よりは成長していると言える。しかし、小柄な男はねばりつくような笑みを浮かべて答えない。
もちろん、ここで男に斬りかかるような真似はしない。弓を持った、この男の仲間と思われる人間がどこかに隠れているからだ。それを見つけるまではこの状態を維持しなければならない。
視界から男を離さずに、矢が飛んできた方向を確認する。当然、人の姿は見えない。
「荷物と馬を置いていきな……へへへ」
「道を開けてください」
「おいおい嬢ちゃん、話は聞かなきゃいけないんだなぁ。それが良識ってもんだろ」
男がへらへら笑いながら言っている前で、セーラは大仰にため息をついて見せた。もちろん、素振りだけで警戒は男と誰かわからない射手に向いている。
しかし、男は侮られたと感じたのだろう、いきなり剣を両手で持って振りかぶった。少し錆の付いた、年季の入った片手でも両手でも扱える種類の両刃である。
「――シッ!」
セーラは待ってました、とばかりに振り下ろされる剣を、刀で横薙ぎにした。狙いは、男の手首。
一瞬、男の表情が驚愕に歪んだ。一拍置いて歯ぎしりと膝から崩れ落ちる音、そして剣を持ったままの手首が地面に落ちる音がした。
「相応の報いです……貴方の良識に対する」
セーラは少し青い顔でそう呟き、カノを駆けた。刀を差し、極力まで身を屈める。
彼女の体の上で、風を切る音がした。姿勢はそのままで顔を後ろに向けると、一本の矢が地面に突き立っている。セーラはすぐに顔を前に戻し、道を全速力で駆けて行った。
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