知らない話
激しい雨が地面に水たまりを作っていた。土の地面に流れができて、普段から踏み固められていたであろう道路はぬかるんでいる。馬の足が少し沈み込んで歩きにくい。セーラは、その道に文句を言いながら雨を合羽で防いでいた。腰のポーチは合羽の下に隠れていて、愛用の刀は鞘ごと袋に入れて雨に濡れないようにしていた。
空が暗く、昼間にも関わらず視界が悪く寒い。
「カノ、寒くない?」
セーラの声は震えていて、カノはそんな主人を気遣うような元気のいい声を上げた。彼女は少し前から休むことのできそうな場所を探しているが、一向に見つからない。むしろ、街の明かりが見え始めた。とはいえこのような悪路で馬を飛ばすわけにもいかず、昨日と同じようにゆっくりと前に歩いていた。
見えている街は半島の先に位置しているらしく、大きな建物が一つ見えた。外から見ただけだが、それ以外に変わったところはなさそうだ。このペースならばあと半日ほどで着きそうだ。
暗い街だった。
人口は多そうで科学も発展しているように見えるが、なにしろ活気がない。雨の影響もあるのだろうが、人の姿が見えなかった。暫く歩き回ってようやく、雨に打たれながら海を見ている若い男を見つけた。服も髪も雨でずぶ濡れ。
「こんにちは」
「……ん、こんにちは」
そう言って、男は再び海に顔を向けた。セーラは何かわけがあるでもなく、カノから降りて海を眺めた。男と人二人分くらいの距離を空けている。
「僕は海を見ていないよ」
唐突に、男がそう言った。
「こんな荒れ荒れの海なんて見てても面白くないだろう」
「そうですね」
セーラは正直に答えたが、男は聞こえなかったかのように語り始めた。
「僕はあの灯台を見ているんだ。もう死んだ灯台さ」
セーラが海面から顔を上げた。
「少し前から、あの灯台の灯が消えてしまった」
視界の悪い海を見ていると、奥の方にぼんやりと建造物が建っているような気がした。
「代々続いてきた栄誉ある仕事を全うできなかった」
波が岩に当たって弾けた。男の声は雨と波の音に揉まれて聞き取りづらい。
「だから僕はずっとあの灯台を見続けているんだ」
「また、灯をつければよいのでは? 今はできませんが……晴れた日にでも」
ようやくセーラが声を発した。しかし、男は頭を振って答える。
「灯台の中はボロボロさ……床を踏み抜いたら一巻の終わりだろうね。それに、灯台守は灯台の中に入ってはいけないというルールがあるんだ」
「よくわからないですね……」
「灯台守は遠くから灯台を見守るだけの仕事だ」
「ふうん……行ってもいいのですか?」
セーラが尋ねると、男は構わないよ、と小さな声で答えた。道はあるようだ。男が指さした方向に灯台があって、広くて目立つ道が通っているように見える。セーラは近くにあった安くて風呂があって部屋に鍵がかかり、カノを預ける厩舎が近場にある小さな宿屋に泊まった。
翌朝、セーラは街の誰よりも早く起きた。まだ薄暗く、雨は上がっていたものの寒い。温かいスープを作って体を温めた後、軽い運動をした。刀を腰に差して、厩舎でカノを受け取る。
日が昇ってから街が動き始めた。眠気が覚めきっていなさそうな宿屋の主人に鍵を返し、街を南西方向から出た。空は僅かに細切れのそうな雲が漂っているだけだ。
灯台は街から一本道があって、整備はあまりされていない。雑草が生え放題で、道はデコボコがある。ただし、カノが歩くに困るほどの悪路ではなかった。たいていの悪路でも通り越すことができるのが馬の強みだ。
人の往来はないらしい、到着まで人の陰一つ見えなかった。
「来てみると大きいね……」
土と草は、石造りの建物の前まで続いていた。円柱形の建物があって、その奥左右はそれぞれ十メートルほど先は崖――見下ろすと青い海が見える。落ちれば一巻の終わりだろう。
見上げてみると、首が痛くなりそうだ。所々が崩壊していて、灯は見えない。右手には海があって昨日と比べると格段に静かになっていた。
灯台の入口に扉はない。床はボロボロで、下は地面ではないらしい。穴が開いているところがあって、その下は暗闇だった。
「カノ、待っててね」
愛馬を置いておけるような場所もなく、セーラはカノを広い場所で自由にさせた。鞍を外し荷物も降ろして身軽にさせる。彼女は腰に刀を差し、暗い灯台に足を踏み入れた。
片足を踏み入れ、体重をかけた瞬間、嫌な音がした。身が硬直し、冷や汗が出る。床は割れていない、へこんでもいなかった。無意識にため息をつく。試しに二、三度体重をかけてみたが、床は何ともならなかった。
晴れた昼間と言うこともあって、内部は暗がり程度のもので済んでいた。石造りの古い建物なせいか、隙間風があって苔が生えているところもある。
上階に上る螺旋階段の傍の壁に、簡単な地図が張り付けてあった。通路の一部にバツ印がされていて、二階にも二か所のバツ印がある。螺旋階段は鉄でできていた。
セーラが螺旋階段に足を乗せると、小さくカンと鳴った。それからしばらくカンカンカンカンと規則正しく音が鳴る。
「待て」
階段の終わりの方で、セーラは不意に声を掛けられた。友好的ではない、野太い声だ。見上げると、いがぐりのような無精ひげを生やした男が湾曲した剣を持って睨んでいた。
「戦う意思はありません」
「ならば両手を手すりに当てたまま上がってこい」
セーラは言われた通り、両手を左側の手すりに当てて先ほどより慎重に登った。終わってみると、先ほどの無精ひげの男以外にまだ若いらしい男性が三名立っていた。一様に張り詰めた表情で腰に差した剣を落ち着きなく触っている。
左に目を向けると、白骨死体がひとつ転がっていた。既にバラバラになっているが、骨の量からして一人分だろう、とセーラは適当に検討を付けた。
「何しにこんな所へ来た」
無精ひげの男はリーダー格のようだ。ひとり尊大な態度で、革製の甲冑を着こんでいる。
「灯台の様子を見に来ました。どうやら本当の灯台守は殺されてしまったようですね」
セーラが淡々と言う。手下の三人は異様に緊張している面持ちだ。ひとりは彼女の刀に視線を送っている。無精ひげの男は特に気にした様子でもなく、軽く頷いた。
「……灯台を取り返しに来た街の手先か何かか?」
「違います。戦う意思はないとさっき言ったはずですが」
「信用するとでも思っているのか、このアマ!」
手下の一人が裏返りそうな声で罵声を浴びせてきた。セーラが刀の濃い口を切ると、
「や、やる気か!」
その手下は無精ひげの男の制止も聞こえなかったのか剣を抜いて走ってきた。刀を鞘ごと手に取ったセーラに肉薄し、剣を振り上げて「生け捕りにしてやるから安心しろ!」と言いながら剣を振り下ろしてきた。
甘い、あまりにも単調で冷静を欠いた、彼女にとって甘すぎる一刀だ。以前の彼女なら、向けられた焦りだらけの敵意に怯えて動けなかっただろうが。セーラは体を半歩右にずらして剣を躱し、その場で半回転して勢いをつけ、手下の鳩尾に鞘を突き込んだ。
「ぶぐぉ!」
「この大馬鹿!」
手下の悲鳴と無精ひげの叱咤が同時に鳴り響いた。手下は剣を落として三メートルほども転がってから、鳩尾を抑えて何度も咳をしながら悶えた。立ちっぱなしだった二人の手下が青ざめた顔で、悶え苦しむ同法を抱えて奥の部屋に消えて行った。
「これがあいさつかしら?」
セーラが腰に刀を差し直して、少し睨みつけるようにして無精ひげの男を見た。身長が同じくらいなので、足の長いセーラの方が高く見える。男の顔は少し青くなっていた。
「いや、子分の失態は申し訳ない。別にアンタと戦う気はない。勝てるとも思えないしな」
そう言い、額に溜まっていたのだろう汗を腕で拭った。
「別に気にしてないです。それにしても丁寧に地図まで……あなたたちはなんでここに? それもわざわざこんな朽ちた灯台で、人まで殺して。あの骸骨は灯台守のですよね?」
セーラが白骨を指さした。男ははっきりと頷く。
「その通りだ。俺たちは海賊をしていた。しかし、船が嵐でここの崖に激突してな、大破したんだ。さっきの手下たちはその生き残り、俺は海賊船の副船長だった」
「船長は?」
「衝突した際に海に投げ出されたよ……船が沈んだ時は全滅かと思った。ここから少し離れたところに崖よりはましな道があってな、俺らはそこに打ち上げられたんだ」
副船長は、まだ一年前なのに三十年も前のように感じる、と付け足して言った。
「当時はまだここは綺麗だった。爺さんが一人、灯台守をしていて、俺たちはそいつを殺して火を消し、街から金をせしめて逃げる予定だったんだ……」
「しかし、街からは誰も来ない何の反応もない、と」
セーラは無感動に言った。
「そうやって一年も経ったんだ。俺たちは、アンタが街からの交渉人かと期待していた。しかし、違った」
「街ではみんな灯台から火が消えたことを嘆くばかりで誰も動きませんでしたよ。そもそも、この灯台守の存在も知っていたかどうか」
セーラが言うと、副船長は目の色を変えて一歩踏み込んできた。
「本当か!?」
「ええ、本当です。灯台守と名乗る人は知っている様子もありませんでした」
「そうか……そうか……」
副船長は腕を組み、唸りだした。いがぐりのような口ひげを触りながら、手下が戻ってくるまで考えていた。
「アンタは街に戻るのか?」
「いえ、このまま出発です。どこに行くかはわかりません」
正しくは、決まっていた。北に行けば船に乗ることができる場所があると聞いていたので、そこを目指す。しかし教える義理もないので言わなかっただけだ。
「見るべきものは見たようですね。わたしは出ます」
「……あ、ああ」
副船長が反応したのは、セーラが螺旋階段に足を踏み入れると同時だった。彼女は振り向かずにそのままカンカンカンカンと音を立てながら降りていく。灯台から出る直前、上から「街を襲う!」と副船長の声が聞こえた。
セーラが教えなかったのは、あの街に三百人規模の軍隊があることだけだった。カノに鞍をつけて荷物を載せ、暫くは街道の悪路を通り、それから北に向かった。




