二十四時限目『コンプレックス』
~ 二十四時限目『コンプレックス』 ~
午後一時、センター街。
カランカラン……
センター街の一角にあるカメラショップのドアを開け、店内に入るキユ。
店内に入るとショーケースには様々なカメラやレンズ、その他備品が並べられていた。
店舗自体はそれほど大きくないものの、品数の豊富さがこの店の売りであった。
所謂玄人好みの品が置いてある店である。
「こんにちわー」
店に入るなりそう挨拶するキユ。
「お、キユちゃんいらっしゃい」
そんなキユにそう気軽に挨拶を返す狸人の店員。
店員とは言っても店内には彼一人しかおらず、どうやらキユと顔見知りであるようだ。
「店長、現像お願いしたいんだけど」
店員の男性はどうやらこの店の店長であるようだ。
「ああ、何時もの分だね。先月は来なかったけど何かあったのかい?」
どうもキユはここの常連であるらしく、ある程度キユの行動パターンが解っているようだった。
「んー、色々ごたごたしてね。ああ、それとフィルム十個とクリーナーも頂戴」
「あいよ」
店長はキユからフィルムとデータを受け取ると、代わりとばかりに新品のフィルムとレンズクリーナーを取り出して来る。
これもある程度何時ものやり取りであるらしい。
手馴れた手つきで代金を払い、商品を受け取っていると
「お、そうだ。キユちゃんに見せたい物があるんだった」
「え? 何?」
何だろうと、首をかしげるキユ。
「ほら、去年の暮に一度でいいから使ってみたいって言ってたじゃないか」
「……え、嘘!! マジで手に入ったの?」
その店長の一言に目の色が変わるキユ。
「おう、ちょっと待ってなよ」
そう言って店長は奥の棚に置いてあった一つの箱を取り出して来る。
少し大きめの箱で緩衝材が使われている事から精密機器である事が伺えた。
丁寧にその箱をカウンターに置き、開けていく。
「おおっ!!」
中から出てきたのは白銀の筒に黒い金具が絶妙のバランスで均衡を保っているデザインの望遠レンズだった。
「いやぁ、それにしても今の技術は凄いもんだね。一昔前じゃコンピューター制御のレンズ何て考えられなかったのに」
どうやらそう言う一品であるらしい。
「ちょ、ちょっと使って見てもいい!?」
どうやら兼ねてより期待していた品であるらしく、期待に目を輝かせながら店長にそう聞くキユ。
「もちろん」
店内で使うには狭すぎるため、望遠レンズを屋上まで持っていく二人。
特に目立った被写体がある訳ではないが、街中と言う事もあり性能を確かめるには十分であった。
「うわ、すごっ!!」
どこがどう凄いのかは説明するのが面倒なのでこの際はぶくが、ジャーナリスト志望でありカメラに精通する彼女が心からそう思えるほどその望遠レンズの性能は良かった。
ちなみにお値段の方もすごかった。
最新機器と言うのは何時の時代も高いものであるが、この望遠レンズに至ってはとてもカメラの備品の値段ではなったと言う。
だからこそ、キユが一度で良いから使ってみたいと言っていたのだ。
「どうだい?」
「店長ーこれすごくいいよー。一体どうやって手に入れたの?」
性能に感動しつつもどういう経緯で入手したのかが気になる辺りが実にキユらしい。
「ちょっとしたコネでね」
どうやら値段だけでなく、コネも必要である一品のようだ。
「一ヶ月前に発注依頼があってね。初めは無理かと思ってたんだが、とある人からの口添えで割りとトントン拍子に仕入れられたんだ」
「え、これ買う人いるの?」
発注依頼があったと言う事はこれを買う者が居ると言う事である。
と言う事は今使っているこの望遠レンズはすでに売約済みと言う事だ。
「俺も驚いたよ。確か今日取りに来るはずなんだが……」
時計をちらりと見る店長。
その様子からして、そろそろそのお客がこのレンズを取りに来る時間である事が伺える。
どうやら今キユがこうして使えたのは実に偶然に偶然が重なった結果であるようだ。
「ふぅん、どこかのお金持ち?」
先に述べた通り、半端な値段ではない。
かと言ってもレンズはレンズだ。
この手のレンズは共有物や公用品として使われる事は滅多になく、個人使用が目的と考えられる。
と言う事は自ずとこの望遠レンズの購入者も個人であると推測される。
「それが、受取人の連絡先が私立獣耳学園の男子寮になってるんだが、何か知らないかい?」
「え?」
驚くキユ。
「んー、学園の寮が望遠レンズなんて買うはずもないし、多分学生だと思うんだが」
獣耳学園の男子寮が連絡先と言う事は、おのずとその受取人も学生と言う話になる。
だが、獣耳学園にこんな高価なレンズを買うような者はいないはずだとキユは言う。
何と言ってもキユは獣耳学園新聞部の部員である。
そんな物好きな生徒がいればネタとして上がっているはずだが、そんな話は聞いたことも無いと説明する。
「ふーむ、じゃあ新入生か。まぁ、うちとしては大事なお客さんがまた一人増えて嬉しいんだがね」
「新入生か……」
そう言えば以前ハヤトが新入生の体験入学を実施するとの話をしていた事を思い出すキユ。
「ふむ……」
少し考える。
獣耳学園には現在カメラを扱う部活が二つある。
新聞部と写真部。
この二つの部活は互いをライバル視している。
新入生と言う言葉は部活動に身を費やすキユにとっては新戦力と言う言葉に容易に結びつく。
レンズを買うと言う事は少なからずカメラに興味があると言う事だ。
それに、これ程のレンズを買う新入生がただ者であるはずがない。
ならばその新入生は期待の新人である可能性が十分高いし、例え戦力にならなくとも記事のネタになる事は十分考えられる。
新入生に部活入部の意思があるかどうかは不明だが、この場に現れると言うのであればライバルである写真部より先に新入生と接触できると言う事だ。
「……よし、店長」
「ん?」
「このレンズ受け取りに来る人、獣耳学園の学生だったら私もちょっと会わせて貰って良いかな?」
「……ふむ、まぁ、いいだろう。ただしトラブルは起こさないでくれよ」
店側としてはその受取人が将来キユと同じ学園の生徒となるのであれば、仲介役を買って出ても良いと言う意向であるらしい。
「うん、お店に迷惑はかけないよ」
そう約束するキユ。
「ま、他ならぬキユちゃんの頼みだしな」
個人経営の店において常連客の存在は経済面以上に店に大きな影響を与える。
特にキユのように活発に行動するタイプの客は周囲に与える影響が大きく、情報網の広い彼女を介してこの店の情報が広まる事も少なくない。
そう、キユは知らない間にこの店の株を上げているのだ。
この店におけるキユの存在は彼女が自身で想像しているより大きく、店長としては彼女の頼みはそうそう断れないと言った理由があった。
「その客が着たら呼ぶよ。それまでそのレンズの性能を堪能しといてくれ」
「うん、ありがとう店長」
笑顔でそう答え返すキユ。
午後二時。
「……よし、決めた」
センター街の一角にて、そう決意を固めるハヤト。
何に対しての決意かと言うと、言わずもがな夕飯を何するかについてである。
「最近は冬場って事で鍋や煮込み物が多かったが、今日はパーティっぽくピザやパスタで行こう」
パーティであるし、たまにはそういう物も悪くあるまいと一人で結論付ける。
「確かさっき乳製品フェアをやってる所があったな。まずはそこでチーズを……」
結論が出てからのハヤトの行動は早い。
彼が頭の中ですばやくルート計算を進めていると
「あ、ハヤト発ー見!!」
そんな聞き覚えのある声が聞えてきた。
「ん……?」
声のする方向を見るハヤト。
するとそこにはこれまた見覚えのある猫人の少女が立っていた。
「いやぁ、見つけるのに三時間もかかっちゃったや」
ミアである。
こちらの返事を聞く事もなく、手を振りながら真っ直ぐ近づいてくる。
「センター街で会うのは珍しいな。買い物か?」
そう問うものの、言動を見る限りミアは自分の事を探していたようだ。
「違う違う。ハヤトを探してたんだよ」
「物好きな奴だ。家で待っていればいいのに」
「いやぁスズカちゃんのお昼寝を邪魔してはいけないと思いまして」
「あいつのあれは昼寝じゃない」
「何だ。やっぱ解かってるんじゃん」
解かっていても確認せずにはいられないのがハヤトである。
その辺りをミアも解かっているため、そう問答を繰り返していたのだ。
「んじゃ、解かってるついでにデートでもしようよ」
「買い物があるからそうもいかんだろ」
「あれ? そう言えば何買ってるの?」
見た所何も持っていないようだけどとミアが問うと
「スズカから聞いてないのか?」
家に行ったのならばスズカから聞いているはずだと思い話を進めていたハヤトだったが、どうやらミアは事情を知らないらしい。
そんな訳で説明する事約五分。
「なるほど、お姉様の送別会の買出しに来てたんだ」
納得とばかりに頷くミア。
「そう言う訳だ。だから買う物買ったら家に帰って仕込みに入らないといけない」
「むぅ、それは残念」
アイの送別会と言う事であるならば流石に自分の我儘を通すわけにはいかない。
「まぁ、二人楽しくランデブーは無理としても、その分夕食が楽しみだからいっか」
ハヤトは拘る時は拘る男である。
その彼がわざわざ夕食の買い出しに出てアイの為に料理を作ると言っているのだ。
否応なしに期待せずにはいられない。
「それにしてもお前」
「ん?」
「計画性の無さは今更だが、俺が見つからなかったらどうするつもりだったんだ?」
センター街は広い。
人通りも多く、その中からハヤト一人を見つけるのは中々に至難の業だ。
暇つぶしが目的であったとしても、合理性を常に説いているハヤトにとってミアの行動は少々理解に苦しむものがあった。
「ふふーん、その点は問題ないよ。私にはハヤトレーダーが搭載されているからある程度近くまで来たらハヤトがどこに居るか解るんだ」
「そうか」
そう述べ一歩を踏み出すハヤト。
「うわ、滅っ茶スルー!?」
思わずそうツッコミを入れてしまうミア。
「お前が述べているのは結果論だ。俺が見つかったから言えるだけで見つからなかったら言えない台詞だろ。今のは」
「甘ーい。これが意外と精度高かったりする訳ですよ。何だったら今度ハヤトどっかに隠れてみてよ。探し当ててみせるから」
「わざわざ隠れるのが手間だ。そもそも付き合う道理が無い」
「相変わらずツレナイなぁ」
ハヤトがミアに対して素気ないのは何時もの事である。
それでも受け答えはしている辺りが実にハヤトらしい。
そんなこんなで二人で話ながら道を歩く事数分。
「ちょっと待ってろ」
道でミアを待たせ店内に入っていくハヤト。
どうやら本格的に食材を購入しに行ったらしい。
店内まで付き合おうとも思ったが、食材を見てしまっては後の楽しみが減るため、ここは我慢しようと考えるミア。
その間どう時間を潰そうかと考えていると、数分もしない内にハヤトが店内から出てくる。
「ありゃ? 随分早いんだね」
「買い物をする時は何時も予め決めてからするからな」
買い物袋を両手に提げながらハヤトはそう説明する。
「そう言えばハヤトとこうやって買い物に来るの初めてだったっけ?」
「……そう言えばそうだな」
考えてみれば休みの日は大抵家で会うし、センター街は学園の帰り道から少々道が外れているため放課後に来る事は少ない。
来たとしても大抵の場合は遊ぶ事が目的であるため買い物自体は行わない。
そう思い返しながら話していたせいか
「ミユとは良く来るんだがな」
思わず、そう口にしてしまう。
その言葉を聞き
ピクッ……
ミアの猫耳が一瞬動く。
ハヤトはそれを見逃さなかった。
「(しまった……)」
近年「耳や尻尾の動きから読み取れる人の感情」と言う著書がとある猿人の手によって発行された。
著書の始まりは「何故我々は違う耳や尻尾を持っているのか」と言った哲学的な話から始まり、最終的に「種族を問わず、種族の象徴たる各部位は感情を現すための器官である」と言う結論を出していた。
その各部位のどのような動きがどのような感情を表しているのかは今後の研究によって明らかにしたいと言う言葉で締めくくられてはいたが、その本を読んでハヤトは苦笑したと言う。
結局、それらは統計学によって成り立っているだけであって、心理学の観点からも個人によって結果が違うのは明白である。
そうであるならば調査結果が出たとしてもそれらはあくまで参考でしかなく、個人の感情を読み取る事は出来ないと思えたからだ。
そう、本を読んだ時は思ったものだが
「(……今のは地雷だろ、俺)」
今は目の前の猫人の耳の動きが何を意味しているのかが非常に気になるところであった。
「ふーん、ハヤトってミユちゃんとは良く買い物に来るんだ」
そう述べるミアの視線は冷たい。
「待てよ。同じ学園に通って同じ時間帯に家に帰って家事をやっているんだ。買い物に出る時間だって大体同じになる」
それは真実だ。
実際、夕方の時間帯にハヤトとミユは良く近所のスーパーで会う事がある。
「けど、別に一緒に買い物に出ている訳じゃないぞ。たまたま近所のスーパーとかで会うだけで……」
そう弁論をするハヤトだったが
「……ふーん」
全てを言い終わる前に、ミアのそんな不満爆発の相槌に脆くも打ち砕かれてしまう。
「(……駄目だこれは)」
後悔先に立たず。
最早、何を言ってもこの猫人は聞き入れないだろう。
ハヤトが幾ら真実を述べた所で受け取り側であるミアが曲解して受け止めているのであれば意味が無い。
「……はぁ」
深く溜息をつくハヤト。
こう言う時は諦めが肝心である。
「どうすれば機嫌直してくれるんだ?」
普段であれば放って置く所だが、これから送別会を開こうと言うのにこんな態度で居られては困る。
ミアが不機嫌になる事は割と良くある事だ。
彼女の良い所はちゃんとした代価を支払えば機嫌を直してくれる所にあるとハヤトは考えている。
「むー」
少し、考え込むミア。
「じゃあ腕組んで歩いてよ。勿論ハヤトの家までね」
「……まぁ、それぐらいなら構わんが」
何時ものミアの言動から考えれば些細な要求である。
だが
「俺、両手が塞がってるぞ?」
先程購入した買い物袋がハヤトの両手には提げられていた。
「ふふーん」
ニヤリと笑うミア。
ガサッ……
ミアはハヤトの左手、軽い方の買い物袋を手に取り腕に抱きつく。
「これで万事解決だよ」
「いや、買い物袋重いだろ」
返せと言うハヤト。
軽い方とは言え、あくまで比較的にである。
五人分の食糧が二つの袋に分割されており、それなりに重量がある。
以前にも述べた通り、ハヤトは自分の荷物を誰かに持たせるような性格はしていない。
「いーのいーの。こうやって買い物袋を分担して持って腕組んでるとカップルっぽく見えるでしょ」
「そう言う事か……」
自分と腕を君で居る猫人の魂胆がようやく読めたハヤトであった。
「どっちかと言うとそれはバカップルだろ」
「カップルはカップルでしょ」
「……まぁ、別にいいけどな」
皮肉の一つも言ってやろうかと思ったが、ここでまた機嫌を損ねられてはかなわない。
なので、あえて訂正や反論は述べない事にした。
「そうそう、人間諦めが肝心だよ」
「重かったら言えよ」
「お、今の発言恋人を気遣う男っぽい」
「解った。もう黙ってろ馬鹿猫」
そんなこんなで家路に着くハヤトとミア。
「(こんな所誰かに見られたら言い訳出来んな)」
心の中でそんな事を考えながらも、ミアだからの一言で片付きそうな気もしていた。
「(まぁ、そうそう知り合いに見られる事もないだろう。それに事情を知っている者ならば状況も解ってもらえるだろうし)」
ならば気にするだけ気の無駄遣いだ。
そう結論付けるハヤト。
だが、彼はそれが甘い考えであり、軽率な行動であった事に気づく事は無かった。
同刻、センター街の一角にあるカメラショップの屋上。
一心不乱にカメラを覗き込むキユの目にそれが飛び込んできたのは偶然だった。
そう、ただの偶然だ。
たまたま街ゆく人々を見ていただけだった。
それなのに、それを見た途端
ドクン……
心臓が一際大きく鼓動するのを感じた。
同時に、口の中に苦い嫌な感覚が広がる。
「……」
カメラから目を離し、口元を押さえるキユ。
何を見たかは言うまでもないだろう。
腕を組み、街中を歩くハヤトとミアが見えたのだ。
「(違う。私は何を考えている)」
キユは自身の思考を必至に否定する。
「(あの二人は何時もああじゃない。なのに、今になって、何でこんな……)」
ハヤトとミアのやり取りはハヤトが転校してきた日からずっと見てきた。
腕を組んで歩くなど、あの二人にとっては些細な出来事だ。
そんな事解かっている。
解かっている。
それだと言うのに。
「(何で、こんなに気持ち悪いの……)」
それは嫉妬や羨望と言った感情ではなかった。
少なくとも、キユはミユに対し恨みや憎しみを抱いた事は無かった。
ただ、居ても立ってもいられない衝動が彼女を襲っているのだ。
「(駄目だ。この感覚はまずい。忘れろ私。今見た事を無かった事にするんだ)」
ここ最近、キユは自分の新たな一面を発見していた。
思考がループした場合、感情の逃げ道がなくなった場合、自分は非常に自虐的な考え方に至る。
彼に、それを指摘してもらった。
だから、その対処法は至って単純。
忘れる事だ。
忘れてしまえば初めから無かった事になる。
記憶と言うのはそう簡単に消えぬものだが、そう思い込むことは出来る。
所謂一つの暗示だ。
キユは自身にそう思い込ませることによって自分の感情を出来るだけコントロールするよう心がけたのだ。
「(今日は、朝起きて、ハヤト君の家に行って、センター街に来て、カメラ屋に来て、それで……)」
精神を集中させるキユ。
そんな時
カランカラン……
店の扉が開かれベルが聞えた。
店員に客の来訪を知らせるためか、屋上に居てもベルが聞える仕組みのようだ。
この出来事はキユにとって非常に有意に働いた。
気が逸れたのだ。
逆説的になるが、忘れようとしていても忘れようとした出来事は忘れない。
だが
「キユちゃん、例のお客さんが来たよー」
「あ……、はーい」
今この一瞬だけ、キユの意識は忘れようとした事も忘れてそっちに向かった。
一瞬でも全てを忘れる事が出来たのだ。
精神と言うのは不思議なもので、その事実だけでも負荷が減るものである。
タンタンタンッ……
返事をした後、キユはすぐに階段を下りていった。
その時は、全てを忘れていた。
だが、その心の波紋が後に大きな波となって再び襲い掛かってこようとは、その時のキユには知る由もなかった。
午後三時、公園。
獣耳学園とセンター街の丁度中心辺りに位置する公園。
この時間、平日であれば学園帰りの学生達の姿があっただろうが、今日は休日と言う事で人の姿は見当たらなかった。
そんな公園のベンチにて
「はぁはぁ……」
肩で息をしながらぐったりする猫人が一人。
ミアである。
「だから、重かったら言えって言っただろうに」
そんなミアにそう声をかけるハヤト。
「い、いやぁ、チャンスは最大限に生かしとかないと後々後悔するじゃん」
「その結果がその様だと説得力ないぞ」
センター街を出るぐらいまでは意気揚々としていたミアだったが、やはり重量過多と腕を組んだ状態で歩く負荷に体が耐えきれなかったらしく、公園に辿り着く頃には疲労の色が見え始めていた。
そんなミアの姿を流石に見かねたのか、公園で休憩していこうとハヤトが提案し現在に至る。
「まったく、少しは自分の限界を考えろよな」
こんな状態になる前に普通はギブアップするものだとハヤトは言う。
「そ、そうは言いますが……」
反論しようとするが、まだ呼吸が整っておらず息絶え絶えと言った感じの喋り方である。
「はぁ……、ほれ」
一度溜息をつき、公園に設置されている自販機で購入した飲み物を手渡すハヤト。
「ど、どうも……」
そう返事をし
ゴクゴクゴク……
「ぷはぁ!!」
缶の中身を一気に飲み干すミア。
「……この寒い中でよく冷たい物を一気飲みできるな」
二月下旬、寒さのピークは過ぎたとは言えまだまだ寒い事に変わりは無い。
「ふ、この程度の寒さで私の情熱の炎は消えませんよ。この道中で私がどれだけハヤトからエネルギーを充填したとお思いですか? もう爆発寸前で体が火照りまくりだよ」
「……」
その答えを聞いて苦悩の表情を見せるハヤト。
どうやらもう心配はいらないらしい。
「毎度ながら思うんだが、もう少し大人しくなれんのか?」
「むー、こればっかりは性格だし仕方ないんじゃない?」
「人事かよ……」
これも毎度毎度のやり取りである。
「そもそも大人しくって字自体がおかしでしょ。大人だって別に全員が全員物静かな訳じゃないし」
「全員とは言わないが、……良識ある行動をするのが大人ってもんだろ」
「……んー?」
ハヤトの言葉に一度首を傾げるミア。
「今まで聞いたことなかったけど、ハヤトってもしかして早く大人になりたいタイプ?」
子供、特に思春期の学生には大まかに分けて三タイプの学生が居る。
早く大人になりたいタイプ、大人になりたくないタイプ、特に気にしていないタイプ。
「何でそんな事聞く?」
「何となく」
往々にしてこれらは環境に左右されやすい分類ではあるが、ミアは先程のハヤトの言動が妙に引っ掛かっていた。
「……別に早く大人になりたいとか考えてる訳じゃないが、……そうだな。早く一人前になりたいとは思っている」
大人になりたい訳じゃない。
ただ、自分の義務や責任をきっちり果たせる男になりたいとハヤトは言う。
「それが大人っていうなら早く大人になりたいって事なんだろうけどな」
「ま、その辺は千差万別だよね」
先程ミア自身が言ったとおり、世の中で言われている大人全てがそう言ったことを考えているかと言えば答えはノーであるからだ。
「でも、ハヤトそんな事考えてたんだ」
意外とばかりにそう述べるミア。
「俺がそんな事考えてたらおかしいか?」
「別にそういう訳じゃないけど。んー、何ていうかな」
どう答えを返そうか、自分は何を言おうとしていたのかが一瞬分からなくなるミアだったが
「ハヤトって、前はそんな事気にしてなさそうだったんだよ。何かこう、そう言う事には興味ありませんって感じだった」
そう述べる。
「でも最近のハヤトって違うんだよね」
「……違う?」
「何かさ、矛盾してる感じがするんだよ。大人になりたいとか言ってるくせに自分は大人じゃないって言ったり、どう言えばいいのかなぁ。焦ってるようでのんびりしたいって言うのかな。進みたいけど進まない? んー、どれもしっくりこないな」
言葉に迷うミア。
そして
「……あっ、そうそう。今を大切にしてるって感じがするんだ」
そう、結論に達する。
「ほら、前のハヤトって結構自暴自棄だったじゃん。でも今のハヤトってそう言った矛盾抱えまくってる感じで、今を変えようとせずに前に進もうとしてるって感じ。前から思ってたんだけど、何ていうかこう……子供っぽさに勢いが増してるんだよね」
その言葉を聞き、ハヤトは目を丸くして驚きの表情を見せる。
近年稀にみる事の無い驚きの表情である。
そして
「子供っぽいか。ふっ、はははは……」
笑い始めるハヤト。
「どうかした?」
「いや、こうも図星を指されると笑うしかなくてな」
笑うハヤト。
最近は、そんな彼の姿を見る事も多くなったが、それでもその笑いはどこか儚げな感じがあった。
だが、今の彼の笑い方はそうではなかった。
「ついでだ、俺のどこら辺が子供っぽい?」
試しに聞いてみるのも一興だろうとそう問うハヤト。
「んー……」
ハヤトにそう問われ、少し考え込むミア。
「感情を押し殺して自分が犠牲になればいいって考えてるところとか、いかにも子供っぽいよね」
グサッ
「自分じゃクールなつもりだけど傍から見たら全然クールじゃないところとか、実際ハヤトって三枚目な所多いし」
グサグサグサッ
次々とミアの容赦ない言葉の矢がハヤトに突き刺さっていく。
「お、お前な……」
聞いといてなんだがもう少し言葉を選んでくれと言おうとするハヤトだったが
「後は……好きな人に素直に好きって言えないところとか?」
ザクッ……
今季最大級の言葉の矢がハヤトの心臓を貫く。
その威力は言葉であるにも関わらず、思わずその場で蹲るほどであった。
「ハヤトー、どうしたー?」
「痛ってーなぁ」
物理的ダメージは一切受けていないものの、精神的ダメージは計り知れない。
「おー、もしかしてクリティカルヒット? 会心の一撃ってやつだった?」
「どっちかって言うと痛恨の一撃かな」
文字通り痛い一撃であった。
「危うく死にかけたぞ。精神的に」
「むぅ、それは惜しい事をした」
ここ最近ハヤトには負けが続いているため、たまには勝ちたかったと述べるミア。
「でもまぁ、すっきりした」
「ん?」
「いや、ここ最近自分が子供である事を自覚する事が多くて……少し焦ってたんだろうな。それをミアにずばりと指摘されて逆に諦めがついた」
「諦めですか?」
「諦めだ」
そう言ってハヤトは再び笑う。
「幾ら背伸びしたって子供は大人になれない。当たり前の事だけど、少し踵を上げて手を延ばせば出来ると思ってた自分が急に馬鹿馬鹿しくなった」
「……ふーん」
何やら悩みを自己完結したようだが、本人がそう言うならそうなのだろう。
ミアはハヤトのその言葉をそのまま受け取る事にした。
ただ一点、今の台詞で気になる所があった。
「……ねぇ、ハヤト」
「何だ?」
「もしかして、ハヤトって自分の身長が低いの気にしてる?」
「なっ……」
先程とは違う驚きの表情を見せるハヤト。
「い、いや、別に俺はそんな事……」
慌てて気にしてなどいないと言おうとするハヤトだったが、その態度から気にしている事は明白である。
ハヤトの身長はお世辞にも高いとは言えない。
同世代の男子の平均身長の範囲にかろうじて入り込んではいるものの、来年には怪しいであろう数値である。
平均身長の範囲内であるのだからして、気にする様な事ではないのではと思われる人も多いかもしれないが、そこはそれ、彼とて人並みの悩みを抱える事だってある。
「おや、おやおやおやぁ……」
ミアは「弱点見つけたり」とばかりにニヤニヤ笑いながらそう声を上げる。
「うわ、うっわー、ハヤトってばそんな事気にしてたんだ。可ー愛いー!!」
……実に嬉しそうだ。
そんなミアを見て
「ぐっ……」
軽率な反応だったと言わざるをえない。
そう自分の行動を省みて絶句するハヤト。
だが、済んでしまった事は仕方がない。
「天下の獣耳学園生徒会長様がご自身の身長を気にしてたなんて、キユちゃん辺りに売り込める良いネタだよねぇ」
「ミアっ!!」
思わず、そう声を大きくしてしまう。
続けて「それだけは勘弁してくれ」と言おうとしたが、それでは弱点を曝け出しているようなもので泥沼となってしまう。
何を言っても言い訳にしかならないのであれば、ここは素直に認めるしかない。
「わ、悪いかよ……」
プイッ……
そっぽを向いて、そう答えるハヤト。
だが、自分が身長を気にしている事が知られたのが恥ずかしかったのか、その態度は素気ないと言うよりも照れ隠しで剥きになっていると言った風にしか見えなかった。
「……」
そんなハヤトを見て一瞬固まるミア。
目を見開き、凄い物を見たと言った感じの表情をしている。
「ちょ、ちょっと……たんま」
突如、片方の手で制止の手を突き出し、もう片方の手で口元を押さるミア。
「どうした?」
そんなミアの行動を不思議そうに尋ねるハヤト。
「ご、ごめん。ちょっと興奮しすぎてやばい……」
ミアは顔を真っ赤にさせ、ハヤトから視線を逸らそうとしている。
「おい、大丈夫か?」
流石に、その不可解な行動からミアを心配するハヤト。
「い、いや、ちょっとハヤトが余りにも可愛過ぎて私の中のゲージが吹っ切れかけたと言うか。危うく襲い掛かっちゃう所だったって言うか。寧ろ襲ってくださいって言ってるように見えて……」
「は?」
ミアが何を言おうとしているのかがさっぱり解らないハヤトだった。
「くっ、もう少し自分の言動には注意してよ。私を犯罪者にするつもりですか」
「いや、だから訳が解らんのだが?」
結局、その後もミアの言いたい事が解らず帰路へ着くことになる。
帰宅後、アイの送別会は恙無く行われた。
当初ハヤトが想定していたような何かは結局最後まで何も起こらず、皆でおいしい料理を食べ、楽しい会話を交わす一時を過ごしただけであった。
アイが何を考え、何を思い、ミア、キユ、ミユの三人を呼ぶように言ったのかはハヤトには最後まで解らなかったが、姉の楽しそうな姿を見る事が出来ハヤトは満足だったと言う。
明くる日、アイはハヤトとスズカが起きる前に姿を消していた。
それ事態は何時ものことなので二人は気にも留めていなかったが、テーブルの上に置かれた一枚の紙を見て二人とも苦笑いを浮かべたという。
「春頃にまた来ます アイ」
その手紙を見た瞬間、二人にはアイが何をしようとしているのかが薄々解っていたのかもしれない。
だが、それはまた後の話である。




