十九時限目『俺の名前を呼んでくれ……』
~ 十九時限目『俺の名前を呼んでくれ……』 ~
ピ……ピ……ピ……
定期的に電子音が鳴る。
その感覚は長く、弱々しい。
時間が経つにつれ、計器の数値が小さくなっていく。
「ケン……」
ガラス越しに、ベッドの上で眠るケンの名を呼ぶハヤト。
眠るなどと表現するのは馬鹿馬鹿しい。
起きないのだ。
意識が戻らないのだ。
施せる処置は全て施したと医者は言う。
だが、それでも彼は目覚めない。
感覚が長くなる電子音が、数値が小さくなっていく計器が、今の彼の状態を表している。
まるで、命がゆっくりと消えていくのが解るようだった。
朝。
ガラガラガラ……。
私立獣耳学園13クラスの教室の扉を開けるハヤト。
「あ、おっはよー」
ハヤトが現れたのを見て大きな声を上げるミア。
「おはよう」
それに対してハヤトは端的に挨拶を返す。
「おはよう、ミアちゃん」
「おはよう……」
続いて教室内に入ってくるキユとミユ。
「うあっ、何気に両手に花の登校とはギャルゲー主人公も顔負けだね」
「家が近いんだからしょうがないだろ」
キユもミユも今日は部活が無かったらしく、学園の始業時間に間に合うように出れば大体ハヤトと同じ時間に家を出る事となる。
目的地が同じであるならば、朝の登校時間に会話を交わすのは極々自然な光景だと言えよう。
「いやいや、その時点でぶっちゃけ普通じゃありえない展開なんですよ」
ご尤もな意見だ。
「いーなー。私もご近所に引っ越しちゃおうかな。そして毎朝ハヤトの家に起こしに行くとか。おお、ギャルゲーヒロインっぽい」
「お前な……」
ミアのその言葉に苦悶の表情を浮かべるハヤト。
何が言いたいのかは察するに余りある。
「大体、引越しするなら先立つ物が必要だろ」
単刀直入に言えばお金である。
「そこが問題なんだよねぇ」
学生身分で一人暮らしなど夢のまた夢である。
「そこも、だろ」
「いやいや、お金があれば世の中大体の問題は解決すると思うわけですよ」
「……まぁ、そりゃそうだが」
その点については同意とばかりに反論しないハヤト。
「だがしかし、最後に勝つのは愛だと思いませんか!?」
無意味にガッツポーズを取りながらそう叫ぶミア。
「……朝から元気だな。お前は」
「そりゃもう毎日を楽しんでますから」
「……はぁ」
何時もの朝のやり取りだ。
何も不自然な所は無く、何もおかしな所は無い。
そう思えた。
キーンコーンカーンコーン。
始業時間を知らせるチャイムが学園に鳴り響く。
「あれ、鳴っちゃったよ」
「ケンとコゥちゃんってまだ来てないよね?」
「うん……」
机を見ても鞄が無く、まだ登校してきていない事を意味している。
「委員長は今日は休むって話だ」
「へぇ、珍しいね」
「何でハヤト君知ってるの?」
素朴な疑問だった。
ついさっきまで一緒に登校していたため、誰かに聞いたと言う訳では無いはずだ。
「……昨日の晩に電話があってな。実家の方で何か用事があるらしい」
「ふーん」
それで納得したのか、キユは特にそれ以上の問いを投げかけてはこなかった。
「なーんだ。休み明けに二人揃って休みだなんて何かあったのかと勘ぐっちゃったや」
「何かって?」
「おや、言ってもよろしいのですか?」
「ああ、ごめん。今の無し、却下」
ミアが言おうとしていた事に気付いたのか、キユは速攻で前言を撤回する。
「でもさ。あの二人って最近良い感じじゃん。何かこー、応援したくなるような」
「あー、言わんとしてる事は解るけど、ケンの方がはっきりしないのよねぇ。結構本気で迷惑がってない?」
「そこはそれケンは捻くれてますから。ほら、何て言うの……ツンデレってやつ?」
「いや、それは違うと思う……」
何故この猫人はそういう話に持っていこうとするのだろうと言った表情をするキユ。
「そういやケンは何で休みなんだろ? 休み前に借りた本返そうと思ってたんだけどなぁ」
そう言って鞄の中から一冊の本を取り出してみせるミア。
「ケンは……しばらく学園には来れない」
「はい?」
何で?
そう問う前にハヤトが口を開く。
「交通事故にあったって話だ」
「……交通事故?」
「昨晩の話だ。目撃者は居なかったそうだが、当時の状況からおそらく大型の車に跳ねられたらしい。ケンを跳ねた車はそのまま逃走、現在警察が捜索中だそうだ」
テレビのニュースでよく聞く言葉の数々だった。
そのためだろうか
「……え、それマジ?」
知人が事故にあったというのに今一つピンと来なかった。
「嘘言ってどうする」
「いや、そりゃそうだけど……」
冗談にしては悪質過ぎるし、ハヤトがそう言った冗談を好まないのも知っている。
だが、やはり事故と言う言葉に馴染みが無いためか現実感が無かった。
「それで、ケンは大丈夫なの?」
事故と聞けば怪我を連想するのは当たり前である。
新聞部所属のキユとしては余計にその辺りが気になったのだろう。
「ああ、しばらく学園には来れないだろうけど……大丈夫だ」
そう答えるハヤト。
「あいつが事故で死ぬようなタイプかよ」
笑って、そう答えるハヤト。
その笑顔は余りに自然で、余りに自然だったから、余りに不自然に見えた。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。
ガラス越しに見えるケンは未だに意識を取り戻さない。
その表情は穏やかで、本当にただ眠っているだけのようにも見えた。
このまま意識を取り戻す事はなく、眠り続けるのではないかと思えるぐらいに。
「ハヤト君……」
その小さな声に反応し、視線を向ける。
「委員長か……」
コゥが立っていた。
平静を装っているが、顔色が青い。
「ケンは?」
「即死は免れたが、意識が戻らない。体温、脈拍、呼吸数、全てが弱くなっていっている」
「そんな……」
ガラス越しに、ベッドの上のケンを見つめるコゥ。
出来る事ならば今すぐにでも彼の側に駆け寄りたいと言った所なのだろうか、間にあるガラスに手を当てる。
少しの時間が流れる。
どちらとも会話をするでもなく、沈黙が流れる。
「……さっき、警察から少し話を聞いた」
先に口を開いたのはハヤトだった。
「詳しい話を聞けた訳じゃないが、この一件は……交通事故だそうだ」
「ハヤト君?」
何時もの彼の口調ではなかった。
「委員長、俺はな。その話を聞いた時に、頭の中が真っ白になったよ」
普段の彼は何時も冷静で、焦ったり驚いたりした時でも強弱はあるもののその口調を乱したりする事は無かった。
「あの時と、まったく同じだ」
だが、今の彼は壊れたラジオのように、所々で言葉に僅かなノイズが走っている。
「委員長。教えてくれ、これは本当にただの事故なのか?」
拳が強く握られる。
だと言うのに、彼の表情は変わる事は無く無表情だった。
何を思っているのか、その表情からは何一つ読み取る事は出来ない。
「解らないわ……」
震える声でそう答えるコゥ。
「俺が言いたい事ぐらい解っているだろ。解らないじゃ済ませられないんだ!!」
廊下に、ハヤトの声が響く。
「ただの事故ならそれもいい。だが、この一件に連合が、あの時みたいに、シロやクロが事故にあった時のように連合が何かやったとしたなら。俺はっ!!」
「解らないって言ってるでしょっ!!」
コゥの叫び声が廊下に響く。
「何で私がケンを事故にあわせなくちゃならないのよ!!」
怒りとも、悲しみとも解らない。
解らない。
何も解らない声が廊下に木霊する。
「……くそぉっ!!」
そんなコゥに背を向け、壁を思いっきり蹴るハヤト。
「……俺だって、委員長がケンをどうこうしたなんて考えてない。ケンはたまたま俺と委員長の間に居ただけだ。けど、それが気に入らない連中だって居る。そいつらを抑えられなかったのは委員長のミスだ」
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で、コゥは謝罪する。
涙を流して。
その涙が廊下に落ちるのを見て
「……違う」
ハヤトは後悔する。
「そうじゃない……」
例え何者かが故意に事故を引き起こしたのだとしても、それが抑えられなかった彼女に罪は無い。
罪の在り処は事故を起こした者にある。
だと言うのに、彼女を責めて何になる。
これはただ八つ当たりだ。
「これは……ケンを守れなかったのは、……俺のミスだ」
そうだ。
ハヤトはそう考え心の中で舌打ちをする。
コゥに落ち度は無い。
落ち度があるとすれば、薄々その可能性を感じながらも後手に回った自分にある。
そんな事は解っていたはずだ。
始業のチャイムが鳴ったと言うのに四人で話し込んでいると
ガラガラガラ……。
「グッモーニング生徒諸君。チャイムがなったら席につかないと駄目だぞー」
教室の扉を開け、チタ先生が姿を現した。
「先生ー。その生徒の内二人が居ませーん」
ケンとコゥの席を指出しながらそう質問を投げかけるミア。
「コゥ君は今朝方今日は欠席するとの連絡があった。何でもご家庭の事情で二、三日は登校できないそうだ」
ハヤトの言った通りである。
「ケンが交通事故にあったって話、本当ですか?」
率直な質問だった。
別にハヤトの話を信じていなかった訳ではない。
ただ、情報は多角的に得るべきものであり、情報は多いに越した事はない。
「ああ、先生が聞いた話では……」
チタ先生の説明は然程ハヤトの説明と変わらなかった。
一言で言ってしまえば轢き逃げである。
「退院の見通しとかは立ってるんですか?」
「いや、詳しい話はまだ何ともだ。昨日の今日だしね」
ご尤もな話だった。
「ふーん、長くなるようだったらやっぱお見舞いとか行かないと駄目かな?」
「まぁ、何だかんだで一年の付き合いだもんね。行っといた方がいいでしょ」
「見舞いって言えばやっぱこー立派な鉢付きの植物がいいかな?」
「嫌がらせも大概にしとかないと洒落になんないよ……」
ミアならやりかねないと一応釘を刺しとくキユ。
「こらこら、お見舞いに行くのはいいが今は一応授業中だ。私語は慎みなさい」
「遅れてきた先生が言っても説得力無いでーす」
「教師が遅れて喜ぶのは生徒諸君じゃないのかな?」
「そこはそれ、生徒の本音と建前は別であっても、教師には義務と責任が付きまとうと思うわけですよ」
「なら早速授業に入ろうか、一時限目と言う事なのでゆっくりしようとも思ったが、教師の義務と責任を果たせばならないしね」
「うあっ、これって藪蛇?」
そんなこんなで一時限目の授業が始まる。
皆教科書を開き、チタ先生が黒板に書いた内容をそれぞれの解釈でノートに書いていく。
何も変わらない授業風景。
クラスメートが二人休みでも、それが変わる事は無い。
社会のシステムとは非情に出来ている。
例え、人が一人居なくなった所で学園と言うシステム自体にはなんの支障も無く、日常は続いていく。
『……』
しばらくの間、ハヤトとコゥは無言でケンの前に立っていた。
こうなったのはきっと誰のせいでもない。
少なくともハヤトやコゥのせいではない。
だが、こうなったせいで今の二人の関係は崩れ始めている。
元々、二人が友好的な関係だったのかと問われればそうではない。
連合の観察保護下にある人族の生き残りと連合会長の孫娘。
そんな二人の関係が友好的でいられるはずがない。
そう思われていた。
だが、一人の犬人の少年がそんな二人の間を取り持つ事となる。
彼は何も知らなかったが、二人の間に立っていた。
二人は彼を共有する事によって、二人の関係ではない別の関係を持つ事が出来た。
それは、奇跡のような状況だったと言える。
敵対するはずの二人が、同じ空間で笑ったり協力したりするなど、本来であればあるはずがなかった。
そんな状況に戸惑いつつも、二人はそれが心地よかった。
次第に、その関係が続けば良いとも思い始めていた。
その二人の甘い考えの結果がこれだ。
彼が二人の関係によって被害を被ったのであれば、この関係を続けれるはずがない。
「……」
スッ……。
その場を離れるハヤト。
そんなハヤトに対して、コゥは何も言わない。
病院内を少し彷徨うように歩き、やがてフロントまで辿り着く。
そのまま外に出ていれば、おそらくここに戻ってくる事は無かっただろう。
だが
「ハー君」
フロントでそう声をかけられる。
「姉上……」
アイだった。
消灯時間が過ぎていたせいか、暗いフロントの中央に立つ彼女の姿にハヤトは気付いていなかった。
「どこに行くの?」
「……どこに行くつもりだったんでしょう」
特に何か考えていた訳ではない。
ただ、何となく病院の外へと足が向かっていた。
「……ふぅ」
そんなハヤトを見て、深く溜息をつくアイ。
「あの子、ケン君って言ったっけ? 貴方にとってそんなに大事なの?」
「……」
その問いに、ハヤトはうまく答えられなかった。
アイに問われて、初めてその答えを考えたからなのかもしれない。
答えられないと言うより、頭の中で幾つもの答えが生まれたのだ。
「イエスかノーかでいいわ。正直に答えなさい」
「……イエスです」
大事でないはずが無い。
同じ学園の、同じクラスの仲間だ。
今日まで約一年間、ほぼ毎日顔をつき合わせては笑ったり怒ったりしあってきた。
ハヤトが本音で話し合える数少ない人間、それがケンだ。
「そう、なら見捨てる訳には行かないわね」
「姉上……?」
アイの言葉の意味を問う前に、アイは懐から携帯電話を取り出し
ピピピッ……
手早く操作する。
「……あ、ジーク? 遅くにごめんなさい。例の件だけど、条件付で引き受ける事にしたわ。……ええ、そう。話が早くて助かるわ。私は今から忙しくなるから、そっちはよろしくね。うん、それじゃ……」
ピッ……
一分にも満たない僅かな通話時間の後、終了ボタンを押す。
「姉上、一体何を?」
いや、ここまで来ればアイが何をしようとしているのかがハヤトには解っていた。
それでも、そう確認せずにはいられない。
「決まってるでしょ。あの子を助けるのよ」
「駄目ですっ!! そんな事したら姉上の立場が……!!」
そう声を荒げるハヤトだったが
「……あの子、このままだと確実に死ぬわよ」
「っ!!」
アイのその一言でハヤトは言葉を失う。
「それぐらい解ってるでしょ」
解っている。
そんな事は、ベッドの上で眠るケンを見た時から解っていた。
しかし、自分には何も出来ない。
ただ、ケンの命が消えていくのを見守る事しか出来ない。
「私なら、あの子を助けられるかもしれない」
アイの言葉は決して偽りのものではなかった。
ハヤトもその事を知っている。
「ですが……」
だが、ハヤトはそれをアイにして貰う訳にはいかなかった。
してもらってはいけない理由があったのだ。
だから、余計に自分の無力さが悔しかった。
そんな自分がどうしようもなく嫌になって、コゥに八つ当たりまでして、逃げ出そうとしていた。
「……ハヤト」
スッ……
アイはハヤトの名前を口にし、彼を抱きしめる。
「……姉上?」
強引にではない。
優しく、ハヤトの頭を抱きしめるように胸元に沈めるアイ。
「たまにはお姉ちゃんを頼りなさい」
温かかった。
「建前とか、立場とか、そんな物は一切捨てて本音を吐きなさい」
まるで絶望の淵に立たされていたハヤトの心を優しく包み込んでくれているようだった。
「……あの子を助けたいんでしょ?」
心の壁が、解けていくようだった。
「…………はい」
消灯時間が過ぎてて良かった。
「お願いします。あいつを……ケンを助けて下さい」
姉が自分を抱きしめていてくれて良かった。
「……俺の、親友なんです」
そうでなければ。
「俺は、もう友達を失いたくない……」
ハヤトはおそらく一生で一番情けない顔を見られた事だろう。
ゆっくりと、瞳を開く。
白い何かが見える。
ぼやけてよく見えなかった。
うまく、焦点が定まらない。
だが、自分が横になっている事から、おそらく天井を見ているのだろう。
思考による答えでなく、感覚的な答えだった。
数回天井を見回した後、視線を横に向ける。
理由は無い。
何となくだ。
すると、そこに居た誰かに焦点があたる。
そこにはコゥが居た。
「……よぉ」
口が渇いているせいだろうか、それとも体に力が入らないせいだろうか、うまく喋れない。
ただその第一声だけは、何故か考えるよりも先に口に出していた。
多分、そう言おうと前から決めてたからだと思う。
「ケン……」
「何……泣いてんだ?」
目元を真っ赤にして、今も涙を流して、ケンを見つめている。
手が、温かい。
コゥが手を握っている。
「……何か、前にもこんな事……あったような」
そうだ。
確か去年の年末。
熱を出して寝込んでいた時と同じだ。
あの時も、誰かが手を握ってくれていた。
「そっか、あの時も、お前が居てくれたんだな……」
思い出した。
あの時の温もりと同じ温もりだ。
「……ごめんなさい」
泣きながら、謝るコゥ。
「本当に、ごめんなさい……」
ポロポロと、留まる事無く涙が流れ落ちている。
「……何で、謝るんだ?」
「私のせいで、ケンが……こんな目に」
「……」
何となく、解った。
良くは解らないが、多分、察する事が出来た。
まだ頭がボーっとしているが、兎に角、解った様な気がした。
「コゥのせいじゃない……」
考えがまとまるとかまとまらないとか、そう言う以前の話だ。
目の前で、彼女が泣く姿を見たくない。
そんな一心から言葉が出る。
「でも……」
それでも、コゥの涙は止まらない。
彼女は涙を流し、謝り続ける。
「……解った」
解った。
今の彼女に何を言っても無駄なのだ。
元々、言葉で何かを伝えられるほど自分は器用ではない。
事情がどうあれ、経緯がどうあれ、やる事はもう決まっている。
そう決めていた。
「……悪い。うまく喋れないんだ。耳、近づけてくれ」
「うん……」
顔を近づけ、口元に耳を向けるコゥ。
そんなコゥの首に手を回し
グッ……
引き寄せる。
うまく動かない体がうまく動いてくれた。
多分、生涯で二度無いと言うぐらい体が心に答えてくれた瞬間だった思う。
おかげで、コゥの唇に唇を触れさせる事が出来た。。
「……ケン?」
涙を流しながらも、目を丸くするコゥ。
驚いていると言うより、虚を突かれたと言った表情だった。
「……お前のせいでも構うもんか」
無理をしたせいだろうか、喋る事が辛い。
だが、それでもまだ動ける。
「俺は……」
だから、後一言。
「……お前が好きなんだ」
あの時伝えられなかった事が言えればそれでいい。
「だから、泣くな……」
「ケン……」
相も変わらず、コゥは泣いていた。
だが、先程までの涙ではない。
別の涙だ。
「へへ……」
それを見て、思わず頬が緩む。
「つぅ……」
途端、体から力が抜ける。
良く解らないが無理をしたせいだろうか、コゥの首に回していた手がだらしなくベッドの上に投げ出される。
「ケンッ!!」
コゥの叫び声にも似た声が気こたえた。
「大丈夫、だ。ちょっと、寝起きで無理しすぎた……」
必死に、平気である事をアピールするかのように声を出す。
すると
「……馬鹿。本当に馬鹿なんだから」
また、さっきみたいに涙を流し始めるコゥ。
「……なぁ」
「何?」
「……返事、聞かせてくれよ」
まだ、返事を聞いていなかった。
「好きよ。私もケンの事が大好き……」
泣きながらも、笑顔でそう答えるコゥ。
「……そっか。へ、へへへ、あー、やべぇ、夢見てるみたいだ。幸せすぎて……死にそう」
意識が遠くなっていくのが解る。
どうも、本当に無理をし過ぎたようだ。
「今死んだら。絶対許さないんだから……」
「ああ、そう……だな」
笑う。
意識が飛ぶ前に、最後の力を振り絞って笑う。
「じゃあ、死なないように、見張っててくれ。少し寝る……から」
コゥの手を握り返し、目を閉じる。
「うん。おやすみなさい……ケン」
おやすみ。
そう答える前に、意識が飛んでしまった。
だが、あの時と同じように、いや、あの時以上に、心地よく……心が安らいでいた。




