十時限目『君と熱に浮かされて』
~ 十時限目『君と熱に浮かされて』 ~
「……なさけねぇ」
実家の自室の自分のベッドの氷枕の上で、ケンはそう唸った。
いや、唸るのが精一杯と言った方がいいだろう。
絶え間なく襲いくる頭痛と徐々に体力を奪っていく熱のせいで、歩く事はおろか動く事すらままならない状態だったのだ。
「ケン兄……」
そんなケンを心配そうに見つめながら、水と薬を差し出すリゼ。
「ただの風邪だ、心配すんな」
そう、彼は風邪を引いてしまったのだ。
冬の寒空の下、屋外に長時間立っていたのが災いしたらしく。
一晩眠って朝目覚めた時には体は思う通りに動かなかった。
「薬飲んで一日眠ってりゃ治る」
ケンは這い上がるように身を起こし、リゼから薬を受け取り用法・用量を確認してその薬を飲む。
通常、風邪はそう長引くものではない。
薬を飲み、食事を取り、一日眠れば次の日にはある程度回復している。
それがケンが一人暮らしで身に付けた知恵だった。
一人で生活する以上、頼れるのは自分のみ。
そして、生活をするためには金が必要で働かねばならない、故に怪我や病気は大敵である。
「食欲ある?」
時刻は昼前、通常なら昼食を取る所だが
「……いや、今は無い」
先程遅めの朝食を無理矢理胃袋に叩き込み、風邪薬を今飲んだ所だ。
幾ら何でも食欲は湧かない。
「暇だったら本とか買ってくるけど?」
「寝てるからいい」
「じゃあ何か栄養あるの作っておくから」
「ああ」
「何かあったら呼んでね」
「解った」
いい加減眠らせてくれと言わんばかりの返事だった。
事実、母親とリゼは朝からずっとケンにつきっきりだった。
見ての通りのお節介焼きの二人であるため、代わる代わるケンの看病をしているのである。
正直な所、ケンにとっては有難迷惑だった。
「ちゃんと寝てなくちゃ駄目だよ」
「解ってる……」
ケンの返事を聞き、ようやく部屋を出て行くリゼ。
「(……くそ、冗談じゃねぇ)」
心の中でそう悪態をつくケン。
無論、それはリゼに対してのものではなく自分に対してのものだった。
「(実家に帰って気が緩んだとかいうつもりか、俺はそんなに軟弱だったのか?)」
自分の体に文句を言いながら、ケンは溜息をつく。
実家に帰って風邪引いて寝込みました。
別段、悪い事ではないのだが、どうやら彼の中ではそれは恥じに分類される出来事であったらしい。
「(寝よう、余計な事考えずに、今は……)」
もとより熱のせいで力が入らないが、ここに来て一気に脱力感が来た。
どうやら薬が効き始めたようだ。
ならば後は寝るのが一番の治療になる。
ケンは目を閉じて考えるのを止めた。
「……」
目を開く。
視界が歪んでいる。
ゆらゆらと。
「(どこだ、ここ……)」
体が熱い。
頭がぼうっとする。
意識がはっきりしない。
良く解らないが辛い。
「(誰か……)」
手を伸ばす。
何かを求めた。
漠然と何かを掴みたくて、手を伸ばした。
ただ、手を伸ばして何かを掴みたかった。
ギュ……
「(ぁ……)」」
誰かがその手を握ってくれた。
少し安心した。
駆り立てられていた心が静かになっていく。
気付く。
掴みたかったのではなく、掴んで欲しかった。
……誰かに掴んで欲しかった。
自分は……救いを求めたのだ。
額に何かが当てられる。
ひんやりとしていた。
冷たいとは思わなかった。
熱い体にはそれが心地よかった。
視界が再びぼやける。
目を閉じた。
何も考えられない。
ただ、心地よく……心が安らいだ。
「…………ん、……かあった……、……んで……」
「ええ……、……がと……」
声が聞こえた。
意識が完全に戻っていないせいだろうか、うまく聞き取れない。
バタンッ……
ドアの閉まる音が聞こえた。
その後会話が消える。
どうやら誰かが外に出て行ったようだ。
「っ……」
疑問に思う事で眠りが覚めたらしい。
意識が戻るに連れて、今度は肉体が悲鳴を上げる。
喉が痛い。
水が欲しい。
「……リゼ、水をくれ」
自分の部屋に来るとしたら母か妹のどちらかだろう。
出て行ったのはおそらく母親だろう。
家事を担当してる分、妹よりここに居られる時間が少ないはずだ。
ならばここに居るのは妹だ。
手を伸ばし、妹に水を求めるケン。
すると
「はい」
コップが渡された。
水が入っている。
まずはそれを飲む。
熱くなった体に水が注ぎ込まれ、枯渇しかけていた水分が補給されたお陰か喉が潤っていくのが解る。
それだけで、大分体調が良くなったような気がした。
「……ふぅ」
一息つく。
体はまだ熱い感じがするが、呼吸が楽になった。
どうやら本当に体調が良くなっているようだ。
動くにはまだ少々辛いが、この調子ならもう一眠りすれば普通に動けるぐらいには回復していそうだ。
「ケン、大丈夫?」
「ああ、大分良くなっ……」
おかしい。
リゼの声ではない。
それ以前に妹は自分の事を呼び捨てにはしないだろう。
なら今コップを渡してくれたのは誰だ。
聞き覚えのある声だった。
ケンはコップを渡してくれた相手を見る。
「……コゥ?」
そこに居たのは牛人コゥだった。
ベッドの横に置かれている椅子に座り、心配そうにこちらを見ている。
「具合はどう?」
再度、体調を聞いてくるコゥ。
「……大分良くなった」
「そう、良かった」
その返事を聞き、コゥは少し安堵した表情を見せる。
「……いや、ってか何でお前がここにいるんだ?」
とりあえず、自分の体調が回復した事を喜んでくれてはいるようだが、ケンにとってはまずそっちの疑問が先だった。
普段なら驚きの声の一つも上げそうなものだが、やはり風邪のせいだろうか、妙に冷静にそう問い掛けてしまった。
「リゼちゃんに聞いたのよ」
「リゼ……」
何て事をしてくれたんだと言わんばかりにそう唸るケン。
今の会話だけで事の成り行きがどのようなものだったのかが容易に想像できた。
言葉通り、リゼがコゥに連絡を入れ、コゥが見舞いに来たと言った所なのだろう。
「いきなりケンが死にそうだってメールが来た時はびっくりしちゃった、慌てて飛んできたんだから」
「あの馬鹿……」
幾ら何でもそれは大袈裟だろと言いたかったが、それだけ辛そうな顔をしていたのかと思うと反論できない。
「でも良かった、昼間は本当に辛そうな顔してたから」
「……何?」
コゥのその一言にケンはそう聞き返す。
「待て、今何時だ……」
ケンは頭を捻り、壁に掛けてある時計を目にする。
二十時一三分。
「夜じゃねぇか!?」
最後に意識があったのは昼頃、単純計算で八時間は寝ていた事になる。
「ってかお前何時から居たんだよ!?」
「えーっと、三時ぐらいからかな」
「お前なぁ……」
頭痛を感じるケン。
勿論、これは風邪のせいではない。
「見舞いだからってこんな時間まで居る奴がいるか、早く帰れ」
「解ったわ」
了承するコゥ。
「……やけにあっさりだな」
「嫌だって言ってケンを困らせた方が良かった?」
「いや、別に、そう言う訳じゃねぇけどよ……」
そう聞き返されると困る。
確かに自分は帰れと言ったが、それは何時ものやり取りな訳で、こうもあっさりコゥが了承してくれるとは思っていなかった。
いや、それだけならいいが、そう言われると改めて自分の行いを省みてしまう。
どういう意図があってコゥが来て、そして帰ると言ったのかは解らないが、彼女は自分を心配して見舞いに来てくれたのだ。
その一点だけは間違い無く事実だ。
「じゃあ、私帰るね」
更に、昼から居たと言う事は自分をずっと看病してくれていたと言う事ではないだろうか。
そんな自分の事を心配してくれた相手に、頭ごなしに帰れと言ってしまった。
そして、今まさに彼女は帰ろうとしている。
「あ、コゥ……」
それは駄目だ。
幾ら何でもそれは駄目だ。
それは許せない、許されない事だ。
例え彼女がその事を気にしていなくても、このままでは自分が許せなくなってしまう。
一言。
言葉を言わなければならない。
「その、ありがとう……な」
言って思う。
ああ、自分は今熱があるのだ……と。
だからそんな言葉が言えたのだ。
それでも普段口にしない言葉を発したせいか、無償に恥ずかしさが込み上げてきて視線をそらすケン。
「気にしないで」
笑って、そう答えるコゥ。
スッ……
途端、ケンの視界が暗くなった。
何事と振り向く。
『……』
コゥが居た。
目の前に。
一点が触れ合っている。
何故か、驚きは無かった。
不思議と心は落ち着いていて、触れ合っている一点だけが温かかった。
スッ……
やがてコゥが静かに離れる。
「これでチャラにしといてあげる」
「……風邪、うつるぞ」
「望む所……かな」
少し照れくさそうに笑うコゥ。
ケンはそんなコゥを見て「自分でやっときながら」とあきれた顔をする。
「明日も来るね」
「好きにしろ」
ケンのその返事を聞き、コゥは部屋を出て行く。
「……」
その後姿を見送り、ケンは再びベッドに倒れ込んだ。
目を閉じて、今さっきあった出来事を思い出す。
何故自分は驚かず、抵抗すらしなかったのだろう。
考えても答えが出ない。
結局、それは熱のせいだと笑いながら、眠りに落ちる事にした。




