九時限目『帰宅』
~ 九時限目『帰宅』 ~
十二月半ば。
ケンは道の中央に立ち尽くしていた。
「……」
眼前に広がる一件の邸宅を見つめながら、ただ立ち尽くす。
そんな状態がすでに一時間は経過しようとしていた。
目の前のその邸宅はケンの家だった。
久しぶりに見る我が家。
自分が家を飛び出した時から何も変わっていないようだった。
後一歩踏み出せば、タイムスリップしたようにあの日の自分に戻りそうで、それが懐かしくもあり、怖くもあった。
このまま立ち去ってしまおうかとも思えるぐらいだ。
そうこう悩んでいる内に、一時間が経過してしまった。
冬空の中で長時間立ち尽くしていたせいか、手足も段々冷たくなってきている。
いい加減どうするべきか決めなければと思っていた、そんな時
「ケン兄っ!!」
誰かが大きな声で彼の名を呼ぶ。
「……リゼ?」
振り向き、その声の主の方を見れば、制服姿の妹、リゼが立っていた。
肩を上下させている。
息が整っていない所を見るとついさっきまで走ってきたようだ。
「お前、どうしたんだ?」
そんな妹の様子が気になったのかそう問い掛けるケン。
「ケン兄が、帰ってくるって、聞いて、学校から急いで……」
走って帰ってきた。
リゼは息絶え絶えでそう言葉を続ける。
「解った解った、とりあえず落ち着けって、ったく、わざわざ走って帰ってくるこたぁ……」
そこまで喋って気づく。
「待て、お前、俺が今日帰ってくるって誰から聞いた?」
自分は今日帰るなどと家に連絡を入れた覚えは無い。
それなのに何故リゼがその事を知っているのか。
「え、コゥさんに聞いたんだけど?」
ケンの疑問に対し、リゼはあっさりとそう答える。
「……」
どこからツッコミを入れるべきだろう。
自分が今日帰ると何故コゥが知っていた事にだろうか。
それともコゥがリゼに連絡を入れた事にだろうか。
「ってか、あいつどうやってお前と連絡取ったんだ?」
まずはそこだった。
実家の電話番号はコゥには教えていない。
仮にコゥが知っていたとして、実家に彼女が電話をかけたのであれば、それはそれでケンにとって由々しき事態である。
「ケン兄知らなかったの、私とコゥさんメール結構やり取りしてるよ?」
「あん?」
「メル友だよ、……ほら」
そう言ってリゼは自分の携帯電話の履歴をケンに見せる。
見れば履歴の一覧に「コゥさん」と言う文字がずらずらと並んでいた。
約二日に一回、多い時は一日に何度かやりとりしているようだった。
「あいつ、そんな事俺には一言も……」
そうやって愚痴を言いたい所だが、最早後の祭りだ。
今更言った所でそれを止める事は出来ないだろう。
「それより早く入ろうよ、体冷えちゃうし」
呼吸が整ったリゼは、先程とは一転して寒さを訴え始めた。
「……」
自分一人ならまだしも、リゼの前で家に入らずに立ち尽くす訳にはいかない。
「ちっ……」
そう小さく舌打ちし、彼は久方ぶりに自分の家へと足を踏み入れた。
スッ……
いざ、家に入ろうと扉に手を伸ばすと
「あ、ケン兄ちょっと待って」
「ん?」
ケンより先に家に入り扉を支えるリゼ。
そして
「おかえりなさい、ケン兄」
そう、ケンを出迎える。
「……」
一瞬、言葉に詰まるケン。
「……あー、えーっと、……お邪魔します?」
「ケン兄、わざと言ってるでしょ」
そのケンの言葉を聞いてリゼの眼が厳しくなる。
「うるせぇなぁ、気が乗らねぇんだからしょうがないだろ」
対して、ケンの態度は素っ気無い。
「……まぁいいや、早く入ってよ」
「ああ……」
どうにも、ケンの反応はぎこちなかった。
リゼの方はケンの帰宅を素直に喜んでいるようであったが、ケンの方は未だにこの家に足を踏み入れることに抵抗を感じているようだ。
それでも、玄関にずっと立っているわけにもいかず、ケンが靴を脱いで一歩廊下に足を踏み出そうとすると
「ケン……」
中年の犬人の男性がケンにそう声をかける。
体格的にはケンと同じぐらい、年齢を考えるならばがっしりした方だろう。
おそらくケンが年をとって中年になれば彼のようになるのでは、そう連想させる男性だった。
「……親父」
その男性を前にそう声を上げるケン。
どうやら彼がケンの父親のようだ。
『……』
しばらく、互いの顔を見合い静止する二人。
そんな二人の間でリゼがおろおろしていると
「……よく、帰ってきたな」
「……何?」
父親の言葉をそう聞き返すケン。
文章では解り辛いが、彼の父親が発した言葉は否定ではなく肯定の言葉だった。
憎まれ口の一つや二つを覚悟していた矢先にそんな言葉を言われたのでは戸惑うのも無理は無い。
「疲れただろう、まずはゆっくりしなさい、すぐに母さんが夕食を作ってくれる」
何の変哲もない、寧ろ温かい出迎え。
「おい、待てよ、……何だよ、何なんだよそれは!!」
だが、ケンはそんな父親に対して声を荒げる。
「あんたが出て行けって言うから出て行ってやったんだろうが!!」
近所にまで響きそうな大声である。
自身の憎しみを全てぶつけるように、父親を睨むケン。
「なのによく帰ってきただと、ふざけんなっ!!」
「……ケン」
そのケンの言葉を父親は黙って聞いていた。
「あの時はお互い感情的になりすぎていた」
「なっ……!!」
「もう一度ゆっくり話そう」
穏やかにそう言葉を紡ぐ父親。
そこに敵意や害意は無く、真摯にそう願っているようだった。
「あ……くっ!!」
その父の言葉にどう反応すれば良かったのか解らず
「お、俺は……、まだそんな気分じゃねぇ!!」
そう言って、ケンは自分の荷物を持ち階段を駆け上がる。
「ケン兄!!」
後を追うリゼ。
兄の行き先は解っている。
この家にある、彼の部屋だ。
ついこの間まで暮らしていた自分の部屋。
ドサッ……
勝手知ったるなんとやら、荷物を乱暴に部屋の隅に投げ捨てるとベッドの上に倒れこむ。
「(あのクソ親父、一体どういうつもりだ……)」
彼の記憶にある父親は厳格な男であった。
仕事に明け暮れ、良くも悪くも自分の主張を曲げない頑固な男。
最後の最後まで自分の主張を変えようとしない。
それが原因で、自分はあの男と縁を切った……つもりだった。
「(なのに……何で今更)」
コンコン……
考えの最中で、ドアをノックする音が聞こえた。
「ケン兄、入るよ」
ガチャ……
「返事を聞く前に入ったら意味ないだろ」
「あ、ごめんなさい……」
ケンの言葉にしゅんとなるリゼ。
「いい、……何か用か?」
「ううん、ただ、ケン兄と話がしたくて……」
他意は無いのだろう。
ただ純粋に兄と会話がしたい。
「話ねぇ……」
かと言って、ケンの方にはこれといった話題が無かった。
そもそも彼は会話が上手な訳ではない。
どちらかと言えば下手な方だ。
「俺は自分から話題振るのが苦手だ、何か聞きたい事があれば答えてやるよ」
「私、ケン兄があれからどう暮らして来たのか聞きたい」
「……あれから?」
「その、ケン兄が家から出て行ってから……」
どうやら兄との間にある空白の時間を埋めたいらしい。
「出て行った……か」
一瞬「俺は追い出されたんだ」と言いたくなったが、それをリゼに言っても単なる八つ当たりにしかならない。
言うべき相手は他に居る。
「そうだな、家を出てからしばらくはダチの家を転々としてた、それから色々あって……マスターに拾われて、そのままバイトさせてもらって、何とか獣耳学園に通うようになって……」
一々説明する気にもなれず、大分中略したが大まかにはそんな感じだった。
「今でこそ人並みの生活してるが、金稼いで生活するってのは思っていた以上に大変だった、大方、親父は俺が泣いて帰ってくるとでも思ってたんじゃねぇかな」
「そんな事は……」
無いとリゼが言おうとするが
「いや、俺にとってそんな事は今更どうでもいい」
自分の苦労話を聞かせるつもりはなかったし、今更過去の事に対して愚痴を言うつもりもなかった。
「ただ、親父のあの態度の変わり様は気に入らねぇ……」
そう呟き、ケンは思い出す。
自分がこの家を出て行った日の事を。
「……ケン兄?」
「あ、悪い……」
会話の相手を前にして余計な事を考えるのは無粋と言う物だろう。
「ケン兄は、そんなに父さんの事が嫌いなの?」
「嫌いだね」
即答だった。
「どうして……」
そのケンの答えを聞いてリゼは困った顔をする。
彼女にとっては兄と父の言い争いを見ているのも辛い事。
出来れば仲直りして欲しいというのが本音だった。
「別に、親父の事が前から嫌いだった訳じゃない、いや、あの日まで、俺は親父の事を尊敬していたんだ」
「え?」
「そうさ、嫌いだった訳じゃない、……ただ、あのクソ親父は絶対に許せ無い事をやろうとしやがったんだ」
初耳だった。
実の所、リゼは二人が何故仲違いをしたのかを知らなかった。
てっきり、馬が合わないなどの小さな衝突の積み重ねによって今日に至っていたのだと思っていた。
だが、ケンはそれを否定した。
「父さん、何をやろうとしたの?」
原因が、明確な仲違いの原因があるのだ。
その原因が解れば、二人を仲直りさせる事だって出来る。
リゼは是が非にもその原因を聞きたかったが
「……知らされてないんだろ」
「え?」
「リゼは、何も知らないんだろ?」
「……うん」
ケンが言っているのはその原因の事だろう。
ならば自分は知らない。
「そうか、ならいい」
知らなくていい。
そうケンは言った。
「ケン兄?」
「……」
以降、ケンは黙り込んでしまう。
『……』
気まずい沈黙が部屋に流れる。
「あ……」
その沈黙を破ろうと、リゼが声を出そうとするが
「部屋、掃除してくれてたんだな……」
「え?」
ケンは部屋の中をぐるりと見回してそう言う。
部屋の隅を見ても埃が積もって無かった。
こまめに掃除しないとこう綺麗にはならない。
「うん、ケン兄がいつ帰ってきてもいいようにって」
「お前がしてくれてたのか?」
「……うん」
「そうか……」
そこで会話が再び止まり、また気まずい沈黙が流れる。
だが今度の沈黙は比較的早く打ち破られた。
「リゼ」
「何?」
「……その、ごめんな」
一瞬、聞き間違えかと思った。
自分の知る限り、兄は父と同じく滅多に謝る事が無かった。
遠回しに悪かった等の言葉を発する事はあっても、明確に謝る事は無かった。
その兄が面と向かって謝罪の言葉を言った。
「……ケン兄?」
だが、何に対しての謝罪なのだろう。
兄は何に対して、自分にそう言っているのだろう。
「今更だけど、俺はあの時家を出るべきじゃなかったんだと思う、お前を置いて、それじゃ意味が無いって知ってたのに、俺は家を出た、すまない」
主語がはっきりしない。
リゼには文章の全体図が把握できなかったが、どうやら兄は家を出て行った事に対して謝罪しているようだ。
「いいよ、ケン兄が出て行ったのショックだったけど、今のケン兄はあの時よりずっと良い顔してるし、私もお兄ちゃん離れをするにはいい時期だったと思う、それに、ケン兄は帰ってきてくれたじゃない、だから昔の事はもういいんだよ」
「リゼ……」
今度こそ、ケンは言葉に詰まってしまう。
一人で金を稼いで生活して、少しは強くなった気でいたのに、何て事は無い、自分よりリゼの方がよっぽど強いではないか。
何時までも過去を清算できないでいる自分より、遥かに。
それだけ、リゼが自分より強くなるほどに、彼女の心を傷つけてしまったのだとケンは思い知らされるようだった。
「そうだな、俺は家に帰ってきたんだ……」
事実は事実で受け入れよう。
そして、まずはやるべき事をやろう。
「下に行こう、まだ母さんと会ってなかった」
「うん!!」
ケンの言葉にリゼは笑顔で頷く。
夜。
居間にてケンは夕食を食べていた。
「ケン、おいしい?」
テーブルの向かい側に座っている髪の長い穏やかな口調の女性がケンにそう問う。
「ああ」
その問いにそう短く答えるケン。
「沢山食べてね、ああそうだ、この前良いお肉を買ったのよ、折角だからそれも……」
「母さん、そんなに沢山出されても食べきれない」
ケンは女性、母親にそう言う。
テーブルにはすでに所狭しと料理が並べられていた。
善意でやってくれてるのだろうが、今ある分でも食べきれるか解らないのにこれ以上出されては困ってしまう。
「ああ、ごめんなさい、お母さん嬉しくってつい」
そう嬉しそうに言う母親を見て内心で一度溜息をつく。
今テーブルを囲んでいるのは四人。
ケンとリゼと母親、そして父親である。
「(……まったく)」
親の言動を見れば見るほど目の前の両親の血を引いているのだと実感させられるようだった。
間違い無く、ケンは父親似でリゼは母親似なのだ。
「ん、リゼ、メールは後で打てよ」
ふと、リゼが携帯電話を取り出してメールを打っているのが見えた。
別にマナーが悪いと言うつもりはないが行儀が良いとも言えない。
「あ、ごめんなさい、コゥさんにケン兄が着いたって連絡しとこうと思って」
「しなくていい……」
家に帰ってまでコゥに振り回されたくないと頭を抱えるケン。
すぐに立ち直り食事に手を伸ばすが
「(……ん?)」
そこである違和感に気づいた。
父親である。
何時もであれば……とは言っても自分がこの家に居た頃の話ではあるが、兎に角、何時もであれば自分が注意する前に父親がリゼを叱っていたはずである。
それなのに、父親は黙々と食事に手をつけるだけだった。
「(それに……)」
もう一つの違和感。
酒である。
記憶している限り、ケンは父親が食事の席で酒を飲むのを見た事が無い。
祝いの席や祭りの席では見た事があるが、少なくとも家で父親が酒を飲んでいる姿は覚えが無かった。
「(そういや親父……、ちょっと痩せたな)」
以前、リゼがそんな事を言っていたのは覚えているが。
「(痩せた、って言うより、やつれてるって気が……)」
気のせい、と思うには余りにも記憶とのギャップがありすぎる。
「……ケン、もういいのか?」
そんな自分への視線に気づいてかそうでないのか、ケンの箸が止まっている事を指摘する父親。
「いや、まだ食うよ」
別に反発してそう言った訳ではない。
本当に腹が減っていたのだ。
とりあえず考えるのは後回しにしようと、箸を進めるケン。
そんな時
「ねぇねぇ、ケン?」
「ん、何?」
ケンは食事をしながら母親の言葉に答える。
「コゥさんって誰?」
「っ!?」
一瞬、食事が喉に詰まる。
最早定番のパターンである。
「母さん、コゥさんってのはケン兄のこ……」
「リゼ!!」
例え誤解であってもその先を言わせるわけにはいかないとばかりに、ケンはそう大きな声を出す。
「コゥは同じ学園のクラスメートで、委員長で、ただのクラスメートだよ」
余程動揺していたのか、クラスメートが二回口に出てしまい動揺が丸解りである。
「そうなの?」
「そうなの!!」
ここでそういう事にして置かなければ、後々何を言われるか解ったものではない。
「大体なんで母さんがコゥの事知ってる訳?」
「リゼがケンの恋人さんだって言ってたから気になって」
母親のその一言を聞きリゼを睨むケン。
見ればリゼは視線をケンと合わせぬようにし、そ知らぬふりをしていた。
「聞けばもうデートもしたらしいじゃない」
「買い物に付き合っただけだって」
「でも、コゥさんの方はケンの事が好きなんでしょ?」
「俺が知るわけないだろ……」
まさに、そこがケンにとっての苦悩の為所であった。
そんなこんなで、ケンは久方ぶりに家族の団欒というやつを味わうのであった。
皆が寝静まる時間。
「親父、話って何だ?」
ケンは父親に話があると呼び出されていた。
「……俺もお前も、回りくどいのが嫌いだから単刀直入に言うぞ」
先にも述べた通り、ケンは父親似だ。
その父親がそう言うからには何か大事な話があるのだろう。
そう思い、ケンはすぐに心構えをする。
「お前は好きに生きろ」
「……何?」
父親のその言葉を聞き、ケンは一瞬自分の耳を疑った。
「家の事も俺の会社の事も気にするな、なりたい職業になって好きな風に生きろ」
「……どういう風の吹き回しだよ、ガキの頃から散々後を継げって言ってたくせに」
それこそ、耳にタコが出来るぐらいそう言い聞かされてきた。
「本音を言えば、俺は今でもお前に後を継いで欲しいと思っている」
「回りくどいぜ親父、……何があった?」
単刀直入に、と言う割には話が迂回し過ぎだ。
「お前が家を飛び出す前の事、覚えてるな?」
「忘れたくても忘れられるか」
「親会社は不祥事が発覚し倒産寸前、子会社である俺の会社もその煽りを受け経営が困難な状態になっていた」
「ああ……」
冷静を保っていたケンの態度に変化が生じ始めた。
「よーく覚えてるぜ、あの頃のあんたは会社を潰さないために新しい親会社を探そうと毎日血眼になってた」
腕を組みながら指をトントンと叩き、歯を食いしばり始める。
「俺だって、何で親父がそこまで必死になっていたかぐらいは知ってたさ、親父の会社が潰れれば社員であるみんなが路頭に迷う事になる、俺に何が出来たって訳じゃねぇが、協力できる事があれば協力だってしていた、けどな……」
喋っている内に、自分の中で押さえ込んでいた感情が露になってきたらしい。
「何だってあんな話になっちまったんだ!!」
怒りだ。
何時もの彼の怒りではない。
炎が燃えているような、激しい怒りだ。
その怒りの正体、それは
「リゼをどこぞの誰とも知れない奴に売ろうなんて、どうかしてる!!」
……そう言う事であるらしい。
「そしてお前は家を飛び出した」
「そうさ、あのクズ野郎を半殺しにして家に帰ってみれば、今度はあんたに出て行けと言われた、だから俺はこの家を出て行ってやったんだ」
「リゼを置いてな」
「ああ、……馬鹿な事をした事ぐらい解ってるさ、何の解決にもなっていない、だがな、あんたにだけは言われたくない!!」
怒りの全てを父親にぶつけ、そう言葉を吐き出すケン。
「……まったくだ」
その怒りを、父親は真っ向から受け止めていた。
「言い訳をするつもりは無い、俺がやろうとした事は最低の行為だ、ケン、お前が言っている事の方が正しい」
「……親父?」
あの父親が折れた。
今まで一度も自分の主張を曲げなかった父親が、間違っていたと認めている。
「だから、俺はお前に何かを押し付ける事は出来ない、幸い、俺の会社は大手会社と契約を取り交わす事ができ持ち直すことが出来た」
「大手会社?」
どこだよ?。
一瞬、そう聞きたくなった。
だが、好きに生きろと言われ、生きる道を見つけつつある自分が親の会社について詮索するのはどこかおかしい風に思えたので聞くのを止めた。
「リゼにもいずれそう言うつもりだ」
「……それでか」
文化祭の折り、リゼの元気な姿を見てケンは少なからず安堵を覚えていた。
父親はケンに自分の後を継がせる事をずっと考えていた。
そのためか、子供の頃の教育と言えばまずケンが優先された。
長男で跡取と言う事になれば当然の流れかもしれない。
だが、その影で父親に見向きされない妹の存在があった事をケンは知っていたのだ。
「リゼが俺に酷い目にあわされているのではと思っていたか?」
「妹の心配してどこが悪い」
心配するのは当たり前だ、と言わんばかりだ。
「そうだな」
「……親父、あんた変わったな」
前はこれほど口数が多くなかったような気がする。
「取り返しのつかないことをしてしまえば、誰だって変わるものだ、お前もそうだろ?」
「……解った、もう何も言わねぇよ」
お互い、不器用な生き方をしてしまったと言う事らしい。
「話はそれだけか?」
「ああ」
「なら俺はもう寝させて貰うぜ」
そう言ってケンは父親に背を向ける。
「親父の事情は解ったし、リゼが無事だって事も解った、もうこの家に用はねぇ、明日には俺は自分の家に帰らせて貰う、俺はもう……一人で生きれる」
ノブに手をかけ、部屋を出て行こうとするが
「ケン」
「何だよ?」
「お前はさっき妹の心配をしてどこが悪いと言ったな」
「ああ……」
「俺が言うのは間違っているかもしれないが、親だって……子供が心配なんだ、俺は兎も角、母さんとは度々会ってやってくれないか」
僅かな間が空き
「……考えとく」
バタン……
その一言と共にドアが静かに閉められる。




