七時限目『ハヤトの逆鱗』
~ 七時限目『ハヤトの逆鱗』 ~
一月三日、夜。
「ふむ、三箇日も今日で終わりか……」
夕食を食べながらスズネがそうしみじみと言う。
「そうですね」
その言葉にそう答えるハヤト。
「んー、何かあるの?」
いきなりそんな会話を始められたら誰でも聞きたくなるだろう。
そんな二人のやり取りに疑問を頂いたミアがそう尋ねる。
「俺がこの家で手伝いをするのは一応今日までって約束でな」
「ここ一ヶ月うまい料理を味わっておったからのぉ、明日からまた自分で食事を作らねばと考えるとなんとも辛い」
どうやらスズネの心配は食に関する事のみであるらしい。
「あのー、こう言う時は普通一人になるのが寂しいとか言うものでは?」
ツッコミ役であるキユがそう横からツッコミを入れる。
「それで騙されてくれるならそうするのじゃが」
「良く言いますよ、四年前までは俺が居なくなると寂しいとか言って泣き落としにかかってたくせに」
「かっかっか、あの頃のお主はまだ可愛げがあったからのぉ」
つまり昔はやっていたが今のハヤトには通用しないのでやらないと言う事らしい。
「それで、お主は明日帰るのか?」
本題に戻ろうと言わんばかりにそう会話を切り替えるスズネ。
「そうですね、学園が始まるのが七日とは言え、一ヶ月も家を空けてしまいましたから、そろそろ戻って生活感を戻そうと思います」
帰ったら帰ったで色々とやらねばならない事が多い。
「そうか」
ハヤトの言葉にスズネはそうあっさりと了承する。
それが二人の普通のやり取りだとミア、キユ、ミユの三人は思っていたが
「……随分あっさりしてますね」
ハヤトはそう聞き返した。
「もう一日ぐらいゆっくりして行けと言うかと思いましたが」
「ほぅ、ワシがそんなに寂しがり屋に見えるか」
「寂しがり屋には見えませんが、例年であれば引き止めていたはずです」
「何、そう難しい話ではない」
食事の箸を一旦休め、スズネは少し真面目な顔をする。
「今のお主を引きとめるのは筋違いだと思ってるだけじゃ、何があったかは知らんがお主は良い顔をするようになった、ワシはそれが嬉しいのじゃ」
だから好きにしろ、と言う事らしい。
「まぁ、何かあったらまた来ると良い」
「はい、お世話になりました」
それで、とりあえず別れの挨拶が済んだらしい。
その後は何があるでもなく時間過ぎ、皆眠りについた。
翌朝。
最後の料理と言う事もあってか、ハヤトの作った少々豪勢な朝食を食べながら会話をする面々。
そんな会話の途中で
「それじゃあミアちゃんも一緒に帰るの?」
ハヤト、キユ、ミユの三人が帰るのだから自分も帰るとミアが言い出したのだ。
「うん、だって一人で残っても退屈なんだもん、それに私も明日には帰る予定だったし」
一日早まった所で大差は無いと言う。
「別に俺達はそれでも構わないんだが、年末からずっとここに泊まってて……家の方はいいのか?」
大晦日も正月も、ミアは実家の方に帰ろうとしなかった。
本人は「家は退屈だから」と言ってここに居座っていたのだが。
「あー、うーん、確かにこのまま顔も見せずに帰りますって訳には行かないか……」
そう言って、少し考え込むミア。
「ミア、もしやとは思うが、家に帰りたくない理由があるのか?」
立ち入った事を聞いているのはハヤトも承知している。
だが、それを聞かずに同行を許可する訳にはいかない。
「まぁ、単に居心地が悪いと言いますか……」
「居心地が悪い?」
今度は「何故?」とは聞かなかった。
彼女がそう言うのだからそうなのだろう。
その理由まで聞くのは野暮と言う物だ。
「あー、でもどの道荷物を取りに一回は帰らないと行けないのか」
仕方が無い、とばかりに覚悟を決めるミア。
「じゃあ、ちゃちゃっと荷物取って来るから駅の所で待っといてくれる?」
別行動をするのだから待ち合わせの場所を決めておかねばとそう提案するが
「いや、その必要は無いじゃろ」
『え?』
先程まで黙って成り行きを見守っていたスズネがそう声を上げる。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味じゃ、皆でそやつの家に行き、その後駅に行けば良い、その方が面倒が無くて良いじゃろ」
「それはそうですが……」
ハヤトはミアの方を見る。
本人が居心地が悪いと言う家に、皆で押しかけるのは負担になるのではと考えたからだ。
「ミアはそれでいいのか?」
「うん、別にいいよ」
とりあえずミアはそれでいいらしい。
「それに泊まらせた身としては何の挨拶もせん訳にはいかんじゃろ」
「……確かに」
世間一般から見てそれは流石に無作法と言える。
「解りました、それでは食事が済み次第ここをお暇します、スズネさんも息災で……」
「これこれ、その挨拶はまだはやかろう」
「え?」
「こやつの家までは距離がある、歩いて行くのは少々辛かろう」
「……まさか」
「ワシが車を出そう」
「やっぱり……」
着いて来る気だこの人、と言わんばかりだった。
「かっかっか、まぁそんな顔するでない、ワシも久しぶりにニケの奴と会ってみたくなったのでのぉ」
何が楽しいのか満面の笑顔でそう笑うスズネ。
「って言うか、スズネさんって免許持ってたんですね」
キユがそう問いかける。
どうにもこの面子ではツッコミ役になってしまうらしい。
「うむ、これでもゴールドじゃ」
何がこれでもかは解らないが、とりあえずゴールド免許と言う事は事故を起こしてはいないらしい。
「そう言えば、聞きそびれていたんですけどスズネさんっておじいちゃんと知り合いなんですか?」
以前、ミアの実家の話をした時にスズネはニケと言う名を口にした。
その時はあまり気にしなかったが、これからその人の家に行くというのであれば聞かない訳にはいかない。
「旧知の仲と言った所じゃろうか、何、お主等が生まれるずっと前からの知り合いと言うだけの話じゃ」
『……』
今更ながらにスズネの言葉に沈黙する面々であった。
「で、車と言うのはあれなんですか?」
「ワシが乗る車と言ったらあれしかあるまい、何、少々狭いかもしんが五人は乗れる」
その答えを聞きハヤトは溜息をつく。
「……ねぇ、スズネさんの運転って酷いの?」
そんなハヤトの様子を察したのかキユが小声でそう問う。
先程ゴールド免許であると言う話は聞いたが、もしかしたらペーパードライバーと言う可能性もある。
「酷いと言えば酷い」
「へぇ、スズネさんって運転下手なんだ」
逆サイドからそう小声でミアが喋る。
「いや、スズネさんの腕は神技だ」
『は?』
「いいよ、乗れば解るから」
スズネがああ言い出した以上、乗らない訳にはいかない。
ハヤトはそう思い、あえて説明を伏せた。
約一時間後。
一台の赤い車が峠を駆け下りていく。
「だっはあぁぁぁ!!」
「横、横に走ってますって!!」
「あのー、スズネさん、四駆でドリフトは止めた方がいいですよ、タイヤもすぐ減りますし」
「これが峠の醍醐味じゃ、なーに事故らんかったら問題なかろう?」
「ちょ、坂道でアクセル踏まっ……!?」
「ぎゃぁぁ、な、何か変な方向からGがぁ!!」
「うるさいのぉ……」
「ご自分の運転がどのようなものか自覚して下さい」
「何、アイよりはましな運転じゃて」
「う、う、浮いてますよーっ!!」
「ぶっちゃけありえない!!」
「あー、喋ると舌噛むぞ」
「ハヤト何でそんなに冷静なの!?」
「……慣れてるからな」
「よし、興が乗ってきた、レッドフォックスと呼ばれておった頃の血が騒いできたわい、そろそろ本気で行くかの!!」
『ぎゃぁぁぁーっ!!」』
約三十分後。
予定より早く目的地に到着したものの
ヨロヨロ……
ミアとキユの二人はしばらくまともに歩く事が出来なかった。
「情けないのぉ」
『だ、誰のせいですか……』
どうやら相当堪えているらしく、抗議の声に力がこもっていない。
「ハヤトやミユを見てみい、お主等より元気じゃぞ」
ハヤトが平気なのは耐性があったためだ。
ミユは幸か不幸かはじめのコーナーであっさりと気を失ったため、変に体力を消耗しなかったようだ。
「やれやれ」
そんなやり取りを横目に、ハヤトはミアの実家を見ていた。
一言で言うなら大きな家だ。
お金持ちの家というよりは古い屋敷と表現した方がしっくりくる。
しかしハヤトの興味を引いたのは家の大きさではなくその作りだった。
「(随分日本風の作りだな)」
外から見えるだけで瓦や窓の配置が日本のそれに良く似ていた。
「(向こうに見える大きなのは……道場か?)」
家とは別に庭先に建物が見えた。
「ミア、お前の家って何か武術でも教えてるのか?」
「うん、猫人族の中じゃ結構名が知れてる双爪術の宗家なんだ」
「ほぉ……」
それならば確かに色々と納得できるものがあった。
「え、じゃあミアちゃんが何時も使ってる爪技みたいなのもそうなの?」
「そうだよ、んー、言ってなかったっけ?」
「聞いてない聞いてない」
初耳であると答えるキユ。
「てっきりその場のノリでやってるものだと思ってた」
「技名何かはそうだけどね」
実はちゃんとした技名があるとかないとか。
「……」
ミアの話を聞きながらハヤトはなおも道場の方へ視線を向けている。
「ハヤトどうしたの?」
「いや、……何でもない」
一呼吸置き、ハヤトはそう言葉を返す。
「ふむ、そろそろ行くぞ」
スズネは皆の体調が整ったのを確認すると、そう声を上げ玄関の方へ歩き出す。
客間。
「ふへぇ……」
その内装を見回しながらキユがそんな声を上げた。
外から見た時に大きな家だとは思ったが、中に入って改めて大きな家なんだと実感させられた。
客間と言えば接客の場である。
だからしてそれなりに広い作りなのだが、ここは少し広すぎる。
例えるなら旅館の宴会場ぐらいに広い。
一個人の家だと言う事を考えるなら、幾ら何でも広すぎだ。
「ミアちゃんって結構お金持ちの出身だったんだね」
「家が広いだけで別にお金持ちって訳じゃないよ、贅沢な暮らしなんてしてないし」
ミアはそう言うが、一般人の視点で見れば広い家だけでもお金持ちだと言える。
「左様、この家の主は金儲けが昔っから苦手でのぉ、弟子達から指導費なり年会費なりを巻き上げておれば今頃億万長者じゃろうに」
出された茶をすすりながらミアの言葉にそう付け加えるスズネ。
「ああ、別に貶している訳ではないぞ、寧ろ誉めておる」
流石にやや言葉が過ぎたと思ったのか
「金と言うのは悪い奴の所に集まり易い、悪い事をすればするほど金儲けというのはやりやすいからのぉ、そう言う意味ではニケは実に善人だと言えよう」
そうフォローを入れるスズネ。
「そう言う意味では、うちの校長は相当な悪人ですね」
スズネのその言葉を聞き、ハヤトがそう感想をもらす。
「ジー坊か、あやつは確かに大悪人じゃな」
スズネはそう言ってかかかと笑い出し
「西部での戦乱の際、奴が軍より着服した財は一国に相当する、その総資産を考えるなら、私立の学園を作るなどわけなかろう」
さらっとそんな事を言う。
『……』
一同沈黙。
「む、どうした?」
ここは笑うところだと言わんばかりにスズネはそう訝しげに声を出す。
「い、いえ、何と言うか予想の範疇ではあったものの実際に事実を突きつけられると流石に考えさせられるといいますか」
流石のミアもリアクションに困るらしく、少々言葉がどもっている。
「西部での戦乱と言うと、五十年前に起こったと言う犬猿戦争の事ですか?」
そんなミアを横目に、キユはそう質問を返していた。
こう言う局面のリアクションに置いては、ジャーナリスト魂を持つキユの方に一日の長があるらしい。
「左様」
犬猿戦争。
その名の通り、かつて犬人族と猿人族との間で戦争があった。
今となってはその発端は不明とされているが、その戦火は大きく広まり、犬人族と猿人族だけでなく多くの他種族を巻き込んだ戦乱へと発展した。
結果、西部一帯は焦土と化し、それを愁いた各種族は互いに同盟を結び今の連合と呼ばれる組織を設立、事を収めるに至った。
「当時、七色の悪魔と呼ばれる部隊が戦場を駆け幾多の軍を打ち倒した、その一人がジー坊じゃ、コードネーム『ホワイトタイガー』と言えば今でも西部の者で知らない者はおらん、最も今では七色の悪魔自体が伝説扱いじゃがの」
何やら凄まじい話を聞かされているのは間違いないのだが、残念ながら情報と現実が未だに一致しない。
まして、そのような話をされても生まれるずっと前の話なのだ、どう反応してよいかも解らない。
そんな時
「そんな古い話を今の若者に聞かせてどうする」
音も無く、初老の男が客間に現れていた。
体格はそれほど大きくなく、おそらくミア程度。
その頭髪は部分部分で白黒茶の色が入り混じっており、規則性の無さからおそらく元よりそのような髪なのだと言う事が伺える。
推測するに彼がミアの祖父、ニケなのだろう。
「まったく、狐が山から降りてくるなど、今日は雨でも降っているのかと思ったぞ」
「残念ながら、嫁入りする気はまだ無いでの」
皮肉か冗談か、二人はお互いの顔も見ずそんな会話を交わす。
一見して、知り合い同士の何て事の無い会話のように見えた。
実際、ミア、キユ、ミユにはそう見えていたかもしれない。
だが、ハヤトにはそう見えなかった。
二人の間合いがそれを物語っている。
ニケはスズネを中心にグルリと回るようにテーブルの対岸部に腰を降ろす。
スズネはそれを見て飲んでいた茶をテーブルに置き、背筋を伸ばして何時でも動けるように姿勢を構えた。
互いに、何かを計っている。
「さて、まず先に礼だけは済ましておこうか、ミアが世話になったな」
「何、ワシは部屋を貸しただけ、世話をしたのはそこに居るハヤトじゃ」
「ほぅ、話には聞いていたが、君がハヤトかね……」
スズネの言葉を聞き、ニケがハヤトを見る。
ハヤトはニケに対して姿勢を正し一礼する。
「なるほど、昔から見所はあったが、なかなか誠実そうな若者に育ったようじゃ」
話の流れからして、どうやらニケは自分の事を知っているらしいと判断するハヤト。
だが、当の本人はその見当がついていないらしい。
「あれ、おじいちゃん何でハヤトの事を知ってるの?」
その疑問をハヤトに代わりミアがしてくれた。
「ワシと彼は初対面ではない、もう十年程昔の話になるかな、当時彼は……」
バシャー……
ニケの言葉を遮るように水が零れ落ちる音がする。
「……失礼、お茶をこぼしてしまいました」
にこやかに笑いながら、ハヤトは手に持っている茶碗を見せた。
その手にしっかりと茶碗を握り、斜めに倒している。
まだ茶碗の中にお茶が残っているのを見ると、ゆっくりと斜めに傾けていったらしい。
「大変失礼致しました」
「いや、気にすることはあるまい」
「ありがとうございます、では失礼ついでに席を外してもよろしいでしょうか?」
「何処へ行かれるのかの?」
「いえ、ご覧の通りの水浸しです、こぼれたお茶が服にかかってしまいましたので外で乾かそうかと思いまして」
見れば、テーブルの上は確かにお茶で水浸しだった。
だが、ハヤトの服には一滴たりともお茶はかかっていない。
「ふむふむ、それは大変じゃ、どれ乾かすなら浴室の方がいいじゃろ、ワシが案内しよう」
「これはどうもご親切に」
そうにこやかに笑いながら席を立つ二人。
『……何あれ?』
その光景を一部始終見ていた面々がそう声を揃える。
「かっかっか、面白くなってきたのぉ」
その中、一人笑いを堪えきれず笑い出すスズネがいた。
「スズネさん、何か知ってるんですか?」
「何、あの馬鹿目がハヤトの逆鱗に触れおっただけじゃ、いや、わざと触れたのか、どちらにしても面白い……さてさて、どちらが勝つかのぉ」
スズネは面白い面白いと言わんばかりに顔が笑っている。
「か、勝つっておじいちゃんとハヤトが闘うって事ですか!?」
「左様、実に面白い見世物じゃて」
「そんな、幾らハヤトでもおじいちゃんが相手じゃ……」
珍しく、ミアの顔が青くなっている。
「ミアちゃん、ニケさんってそんなに強いの?」
「強いなんてもんじゃないよ、おじいちゃんに勝てる人なんて私知らないんだから」
獣耳学園でもミアは卓越した運動能力の持ち主である。
そのミアを持ってしてそう言わせるのだからその実力は推して知るべきだろう。
何と言ってもニケはミアの師匠に当たるのだ。
「止めなきゃ!!」
今から追えばまだ間に合う。
ミアは客間を飛び出そうとするが
「よせ、ああなっては誰もハヤトを止められん」
「どうしてです?」
「先程も言ったが、ニケはハヤトの逆鱗に触れた、事が収まるまで待っておいたほうがええ」
「ハヤトの逆鱗?」
それは何だ?
ハヤトの気質は基本的に温厚だ。
敵対する者が居ない限り、彼が自分から誰かに危害を加える所など見た事がない。
それなのに、先程の彼はまるで別人のようだった。
初対面に者に対してのあの態度は普段の彼からは考えられない。
「さてさて、少々喋り過ぎたかの、ワシはハヤトに殺されたくないんでこれ以上は何も言えんな、聞きたくばお主達が自分の口であやつに尋ねるがよい、……まぁ、聞けるなら……じゃがの」
『……』
スズネのその言葉に、三人は何も言い返せなかった。
それが出来れば苦労は無い。
スズネを持ってしてそう言わしめるハヤトの逆鱗。
解らない……とは言わない。
彼は以前から何かを隠してきている。
それこそが、おそらく彼の逆鱗なのだ。
以前、三人は僅かにそれを垣間見た事がある。
その時に気付いてしまったのだ。
自分達はまだそれを知る資格が無いと言う事を……。




