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第12話 前世の記憶には、録音の継ぎ目がある

御厨沙羅は、凛音の本名を知っていた。


予約に使ったのは、黒瀬が用意した偽名だった。


問診票にも、時雨凛音とは書いていない。


それでも御厨は、三か月の失声期まで言い当てた。


帰宅後、黒瀬は施設へ渡した情報をすべて洗った。


電話番号は使い捨て。


メールは新規。


支払いは雛形名義の法人カード。


「漏れた場所がない」


「教祖のときも、同じことを言いました」


「今回は違う。御厨は、お前の過去を知っているだけじゃない。俺たちが昨日、そこへ来ることを知っていた」


暗号化フォルダには、相談の件名が届く前から書かれていた。


御厨の言葉も、その続きなのかもしれない。


凛音は、自分の十四歳の記録を閉じた。


怖いから開くのをやめると、誰かが決めた順番に戻る。


だから、音から先に調べることにした。


零・七秒。


前世の妻が「赤い傘」と言う直前に、毎回、同じ長さの無音があった。


凛音は、六つの音声を重ねて聞いた。


遼の息が消える。


空調も、衣擦れも、遠くの車も消える。


人間が息を止めた無音ではない。


音そのものを切った跡だった。


「ここです」


翌朝。


黒瀬のマンションの仕事部屋。


画面には、六本の音声波形が並んでいる。


黒瀬は腕を組んだ。


「線が震えている」


「音声波形に感情はありません」


「では、なぜ赤い」


「先生が選択範囲を赤くしたからです」


「紛らわしい」


「先生がやったんです」


凛音は、同じ箇所を拡大した。


無音の前後で、背景の周波数が切れている。


録音を一度止め、別の音を継いだ。


その編集点が、六回すべて同じだった。


さらに、駅ベルの三音目に、小さな金属音が混じっている。


誰かが鍵束を落とした音。


六回とも、同じ高さ、同じ長さだった。


御厨が毎回、駅を再現しているなら、偶然まで同じにはならない。


同じ一本の音源を、遼の意識が浅くなったところで流している。


遼はそれを聞き、自分の記憶だと思って続きを話す。


話した内容を次の誘導へ足される。


録音と本人の告白が、回を重ねるたび、区別できなくなっていく。


「遼さんは思い出しているんじゃない。完成した音を、繰り返し聞かされている」


「だが、それだけでは、御厨が非公開情報を知っていた理由にならない」


黒瀬は、別の画面を開いた。


受講者一覧。


離婚直後。


親を亡くした直後。


介護で退職した人間。


不妊治療を中断した夫婦。


仕事を失い、住む場所を変えようとしている人間。


全員が、人生の分岐にいた。


黒瀬は、過去の受講者三人へ会っていた。


一人目は、夫を亡くした六十代の女。


前世で海辺の修道女だったと言われ、海の見える共同住宅へ移った。入居契約と同時に、自宅を相場の六割で売っている。


二人目は、会社を解雇された男。


前世の罪を清算するには山を守れと言われ、管理団体へ退職金を寄付した。団体の代表と、アカデミーの理事は同じだった。


三人目は、介護を終えたばかりの女。


母親と前世でも親子だったと告げられ、遺産の一部を『再会基金』へ預けた。


三人とも、契約書を見せながら言った。


『自分で決めました』


声の揺れまで、同じだった。


自分で決めたと思わなければ、失った金より、自分の弱さを認めることになる。


だから被害届を出せない。


そして、高額の『前世統合コース』を契約したあと、同じ提案を受けている。


前世に縁のある土地へ移る。


前世の罪を償うため、財産を寄付する。


過去を断つため、いまの家を売る。


「記憶回帰アカデミーは、前世を売っているんじゃない」


黒瀬が言う。


「決断を売っている。自分では選べない人間に、“前世が望んでいる”と理由を渡す」


「遼さんにも、何か売らせるつもりですか」


「実家の土地だ」


旧・雨倉駅の周辺では、再開発計画が進んでいた。


駅前広場と温浴施設。


計画区域の中央に、相沢家が所有する古い倉庫と畑がある。


遼の母親が、生前、売却を拒んでいた土地だった。


母親が亡くなり、相続人は遼一人。


「前世の妻が、駅で待っている。駅へ戻るには、土地を差し出さなければならない」


凛音は、黒瀬の図を見た。


「救いの話に見せて、地上げをしてる」


「可能性だ。証拠はない」


「先生、そういうときだけ慎重ですね」


「物語なら、犯人はもう逮捕している」


「現実でやってください」


その日の午後、記憶回帰アカデミーの公開セミナーが開かれた。


参加者は百二十人。


壇上には、白い椅子が三脚。


御厨沙羅は、三人の参加者を順番に座らせた。


一人目の男には、戦時中の工場。


二人目の女には、海辺で亡くした妹。


三人目には、燃える寺の鐘。


御厨が短い質問を重ねるたび、参加者は自分から細部を足していった。


煙の匂い。


冷たい床。


妹の青い着物。


観客は、当たった言葉だけに拍手をした。


外れた質問は、最初からなかったように流れた。


御厨が客席を見回す。


「そちらの女性。あなたも、一つ、思い浮かべてください」


凛音を指していた。


「子どもの頃に失くした、小さなもの」


凛音は、何も答えなかった。


質問票にも書いていない。


誰にも話していないものを選ぶ。


青いビー玉。


島根の縁側の下へ転がり、最後まで見つからなかった一粒。


御厨の左耳で、青い光が点いた。


「青いビー玉ですね」


凛音の背中が冷えた。


声に出していない。


表情も変えなかったつもりだった。


客席から、感嘆の息が漏れる。


御厨は微笑んだ。


「記憶は、隠しても声になります」


凛音は、自分の喉へ指を当てた。


声を出していないのに、聞かれた。


一瞬だけ、本当に心を読まれたと思った。


隣の黒瀬が、小さく言う。


「待合室の絵を見たか」


「いま、それどころじゃ」


「青いガラス玉が描かれていた。受付の机にも、青いビー玉。お前は入室時に二度見た」


「それでも、色まで」


「壁の額縁にカメラがある。視線を拾い、補聴器へ送った」


黒瀬は、御厨の左耳を見た。


「心じゃない。目を読んだ」


休憩に入ると、黒瀬は待合室へ戻った。


額縁の縁に、針より小さなレンズがある。


受付の机のビー玉は、青だけが照明を反射する位置へ置かれていた。


選んだ物を当てたのではない。


選ばせ、選んだ瞬間を見た。


御厨の補聴器へは、受付奥の端末から短い音声が送られている。


凛音が『青いビー玉』を思い浮かべてから、補聴器が光るまで、一・二秒。


人間の心を読むには短すぎる。


カメラ映像を伝えるには、十分だった。


凛音は息を吐いた。


怖さが消えたあと、腹が立った。


「先生。次、私がやります」


公開セミナーの休憩時間。


凛音は、参加者の前で御厨へ提案した。


「同じことが、私にもできるか試していいですか」


御厨は断らなかった。


客席は、すでに次の奇跡を期待している。


選ばれたのは黒瀬だった。


「目を閉じてください」


「断る」


「恋人役なんですから、協力してください」


「その設定は、受付を通った時点で終わった」


「まだ破局してません」


黒瀬は、嫌そうに目を閉じた。


凛音は、待合室で使われていた映像と香りを思い出す。


白い雪の城。


焦げた紙の匂い。


質問票にあった、兄弟姉妹の欄。


御厨の低い声を、そのまま借りた。


「雪の中に、城が見えます」


黒瀬の呼吸がゆっくりになる。


「手には、燃える手紙。誰かが、あなたを待っています。妹です」


「……妹が、泣いている」


客席が静まった。


「何と言っていますか」


「締切を守れと」


凛音は地声へ戻った。


「先生」


黒瀬が目を開ける。


「俺に妹はいない」


「かかってなかったんですか」


「俺は、人の言うことを聞かない」


「欠点が防御力になった」


客席に、遅れて笑いが起きた。


黒瀬は立ち上がる。


「いまの記憶は、待合室の映像、匂い、質問票から作った。誰でも、自分の中にある材料を並べられれば、見たことのない景色を思い出せる」


御厨は拍手した。


「お見事です。けれど、沢田千鶴さんの火傷と、十七番のロッカーは、どこから作ったのかしら」


そこだけは、残った。


凛音の再演は、記憶を作れることを示した。


非公開情報の出所までは、消せない。


警察へ相談しても、「古い記事か、関係者の話をどこかで知ったのだろう」で終わった。


二十四年前の失踪事件。


いま被害届を出していない成人男性の前世療法。


動く理由が足りない。


黒瀬は、十七番のロッカーを餌にした。


春菜からアカデミーへ、わざと連絡を入れる。


『夫が思い出した番号は、十七ではなく十二かもしれません』


受付へだけ伝え、遼には知らせない。


御厨が現代の情報を拾って台詞を作るなら、次のセッションで前世の妻は十二番と言う。


翌日。


遼は、再び椅子へ座った。


御厨の左耳が光る。


部屋の奥から、千鶴の声。


『十七番を、開けて』


偽の十二番には、変わらなかった。


遼は涙を流した。


「ほら。千鶴は、嘘の番号に惑わされなかった」


春菜が、夫の肩へ手を伸ばす。


遼は避けた。


「君は、僕を試した。千鶴を試した」


「違う。あなたを戻したくて」


「戻る場所を、君が決めるな」


それは、遼自身の言葉だった。


前世の台詞ではない。


だからこそ、春菜は何も言えなくなった。


凛音は音を聞きながら言った。


「新しく作ってるんじゃない。元の録音に、最初から十七番が入ってる」


「なら、原音の出所は、旧・雨倉駅だ」


一行は、その日のうちに現地へ向かった。


旧・雨倉駅は、線路を剥がされたまま、地域資料館の倉庫として残っていた。


ホームには草が伸び、時刻表だけが二十四年前のまま残っている。


駅舎を管理する老人は、沢田千鶴の名前を覚えていた。


「雨の日だったよ。あの子は、ずっと公衆電話の前にいた。誰かを待ってたんじゃない。電話をかけるか、逃げるか、決められない顔だった」


老人は、失踪したという報道を見て、警察へ話した。


けれど、『若い女の家出だろう』で終わった。


「赤い傘を忘れていったと言ったんだが、翌朝には、なくなってた」


誰が持ち去ったのか。


老人は知らない。


春菜が千鶴の親族から承諾を取り、町の職員が立ち会った。


待合室の右。


階段の下。


錆びたコインロッカーが二十台。


十七番だけ、扉の色が少し違った。


黒瀬が手袋をはめる。


「爆発したら、お前が先に逃げろ。俺は原稿データを持って追う」


「私より原稿が先なんですか」


「原稿は走れない」


「先生も、たぶん遅いですよ」


町職員が、笑わずにマスターキーを回した。


扉が開く。


中には、赤い傘が一本あった。


布は褪せ、骨の一部が曲がっている。


柄の根元に、黒く乾いた染みがある。


凛音が手を伸ばすと、黒瀬が止めた。


「触るな」


「血、ですか」


「二十四年前のものなら、残っている可能性がある。前世より、先に警察へ渡すべき物だ」


町職員が写真を撮り、傘をそのまま証拠袋へ入れた。


傘の奥に、薄い金属板。


黒瀬が指で押すと、背面が外れた。


隠し箱。


古いカセットテープが一つ。


ラベルには、黒い文字。


『K.S. ARCHIVE 17』


凛音は、その頭文字を見た。


黒瀬誠司。


KUROSE SEIJI。


黒瀬も、同じ読み方をしたはずだった。


それでも、口には出さない。


「先生のお父様のものですか」


「頭文字だけでは証拠にならない」


「違うと言わないんですね」


「違うと言える材料がない」


父親を庇う声でも、疑う声でもなかった。


答えを先に決めないため、感情を後ろへ押し込んだ声だった。


別の誰か。


別の組織。


どちらにも読める。


ホテル事件以来、黒瀬の鞄には小型のカセット再生機が入っていた。


「先生、持ち歩いてるんですか」


「二度目からは、偶然ではなく備えだ」


テープを入れる。


回転音。


雨。


若い女の浅い呼吸。


そして、男の声がした。


凛音の記憶にある声だった。


父、時雨源一郎。


『千鶴さん。あなたの記憶を、別の人間へ渡す実験を始めます』


凛音は、再生機を見つめた。


自分の父が、二十四年前の失踪者へ、そう告げていた。


駅の壊れた時計は、二十二時十四分で止まっている。


テープの中でも、同じ時刻のベルが鳴った。

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