第82話:世界の根源への扉
翌朝、長老が来た。
マリウスが通訳した。
「若者たちに料理を教えてほしいと言っています。昨日カイとルカが帰ってから、集落全員が根源草のスープの話をしていたそうです」
「喜んで教えます。何人来ますか」
「来たい者は全員来ると言っています。十五人ほどになるかと」
「十五人、受け入れます」
厨房車の前に場所を作った。
カイとルカが最初に来た。
昨日より表情が柔らかかった。
続いて若者たちが来た。十代から三十代が混じっていた。全員が興味深そうな顔をしていた。
「おはようございます」とリディアは言った。
言葉が通じなかった。
ただしカイが自分たちの言葉で「おはようございます」に相当する言葉を言った。
リディアが繰り返した。
発音が違った。
カイが笑い、リディアが笑った。
水晶板を起動した。
「新大陸での料理ワークショップです」とリディアは言った。
「言葉が通じない状況での調理です」
コメント欄に「言語の壁を食で越えるのか」「令嵴らしい」「カイさんが笑った」が流れた。
「今日は新大陸の素材を使います。昨日カイさんとルカさんが持ってきてくれた魚と木の実を使います」
素材を並べた。
魚が三種類あった。
昨夜のものとは別の種類だった。
山魔胡椒を少量振った。
反応しなかった。
「安全です」
木の実があった。
緑色で、拳ほどの大きさで、触ると固かった。
「これはどうやって食べますか」とジェスチャーで聞いた。
カイが実演した。
石で割った。
中が白かった。
乳白色の液体と、白い果肉が出てきた。
「ああ、ヤシに似たものですね」とリディアは言った。
「ヤシ?」とコルトが言った。
「遠い記憶です。こういう実があった気がします。液体は飲めて、果肉は食べられます」
カイに包丁を渡した。
ジェスチャーで魚を捌くように示した。
カイが包丁を持った。
慎重だった。
最初の一切りが浅かった。
「もう少し深く」とリディアはジェスチャーで示した。
カイがやり直した。
今度は通った。
「良いです」
カイが隣のルカに何か言った。
ルカが次の魚を持った。
見よう見まねでやった。
最初より上手かった。
「覚えが速いですね」
火加減を教えた。
魔導炉の火加減は現地の人間には馴染みがなかった。
代わりに、集落の炉を使った。
薪の炉だった。
火の調節を手で示した。
「強い火はここまで。弱い火はここまで」
若者たちが交代で調節を試した。
匂いの変化で判断する方法を教えた。
「焦げる匂いがしたら強すぎます。香りが出てきたら良い温度です」
マリウスが通訳した。
若者たちが頷いた。
昼になり、全員で作ったものを並べた。
新大陸の魚の炒め物。木の実の果肉を煮込んだスープ。根源草の処理済みのものを加えた小鉢。
「全員で作りました」とリディアは水晶板に向かって言った。
コメント欄に「言葉なしで作った」「集落の若者たちが料理している」「火加減を覚えている」が流れた。
全員で食べた。
集落の人達が自分たちで作ったものを食べた。
カイが一口食べて、何か言った。
「自分で作ったと言っています」とマリウスが通訳した。
「今まで料理は長老と決まった人間がやるものだったと。自分が作れると思っていなかったと」
「誰でも作れます」とリディアは言った。
「方法を知れば」
午後、マリウスが船から荷を運んできた。
公爵領の固形スープの素。ガルムの熟成チーズ。カイロスのオイルサーディン。ノルドの香辛料。
「ローゼンベルク・リングの素材です」とリディアは言った。
「新大陸にも届きます」
「実際に届いている」とマリウスが言った。
「今この瞬間、届いています」
「夜の宴に使います」
夜、宴を開いた。
集落全員が集まった。
リングの素材と新大陸の素材を合わせた料理を並べた。
オイルサーディンと新大陸の魚を合わせた前菜。固形スープの素と木の実を合わせたスープ。熟成チーズと現地の穀物を合わせたもの。
「全部が一つの食卓に来ています」とリディアは言った。
「公爵領からガルムから、海を越えてここまで来た素材と、新大陸の素材が一緒になっている」とコルトが言った。
「ローゼンベルク・リングが新大陸まで届きました」
コメント欄に「これが外交だ」「言葉より食事が先という令嬢の方法」「最高の飯配信」「スパチャ連打」が流れた。
各地からメッセージが来た。
「エルダで見ています。固形スープの素が新大陸まで届いた。——セルム」
「カイロスで見ています。オイルサーディンが海を越えた。——オルセン」
「ガルムで見ています。チーズが新大陸の食卓に乗っている。——マリウスさんに伝えてください、エルザより」
「公爵領で見ている。——R_F_1」
「父も見ています」とにゃん吉に言った。
「毎回見ているな」
「毎回見ています。カレーパンを待っていると言っていました」
「新大陸まで来てもカレーパンの話か」
「そういう人です」
宴の後半、マリウスが長老のそばにいた。
長い話をしていた。
リディアが近づいた。
「何を話していますか」
「取引の話です」とマリウスが言った。
「新大陸の素材を定期的に送ること。ローゼンベルク・リングの素材をここに届けること。正式な取引の骨子を話しています」
「長老は同意していますか」
「同意しています。今夜の宴を見て確信したと言っています。食べ物で繋がれれば、言葉の壁は越えられると」
「それは私も同じです」
宴が終わった後、長老が来た。
マリウスが通訳した。
「世界の根源についての伝承を話したいと言っています。行く前に聞いておけと」
「聞きます」
長老が話した。
長い話だった。
マリウスが少しずつ通訳した。
「禁足地の最深部に、世界原初の魔力が満ちる場所がある。先祖はそこを世界の根源と呼んでいた。誰も入れないのは、通常の体では魔力に当てられるからだ。普通の食糧では補えない。体の内側から魔力への耐性を作らなければ踏み込めない」
「内側から耐性を作る、というのは食事で対処するということですね」
「そういうことだと思います。先祖の伝承に、根源草のスープを飲んでから入った者がいると記録されている。でも詳細は不明だと」
「根源草のスープを飲んだということは、私が正しい方向を向いていますね」
「さらに複数の素材を重ねる必要があると言っています。一種類では足りない。複数の旨味が体の中で層を作ることで、魔力の荒波に耐えられると」
「全拠点の素材を重ねる、ということですね」とリディアはにゃん吉に言った。
「各地で出会った全ての素材が、あの場所に入るための鍵になるわけか」とにゃん吉が言った。
「そうです。エルダの出汁、カイロスの旨味、ガルムの脂、ミストルのスパイス、ヴェルデの野菜、根源草、全部を重ねます」
「全部の旅が、あの場所への準備だったのか」
「結果的にそうなりました」
翌朝から準備を始めた。
一日かけて仕込んだ。
「全要素の結晶スープを作ります」とリディアは水晶板に向かって言った。「世界の根源への戦闘糧食です」
コメント欄に「全素材が集まる」「最後の料理だ」「令嬢の旅の集大成」が流れた。
根源草のアク抜きをした。
カイロスの出汁粉を溶かした。
「海の旨味をベースにします」
ガルムの熟成肉を加えた。
「大地の旨味を加えます」
無凍降脂を少量入れた。
「持続性を加えます」
ミストルの山魔胡椒を最後に振った。
「解毒と魔力中和を加えます」
全部が一鍋に入った。
煮込んだ。
香りが出た。
今まで作った料理の全部の香りが混ざって、一つになっていた。
「複雑ですね」とリディアは言った。
「複雑だが調和している」とにゃん吉が言った。
「全部の場所の記憶が一つの鍋に入っている」
「これを飲んで世界の根源に向かいます」
保存食に加工した。
固形化した。
「お湯で溶かせば飲めます。持ち運べる形にします」
固形スープの素の要領で成形した。
完成した。
出発の朝、集落全員が見送りに来た。
カイが来た。
「ありがとう」と公爵領の言葉で言った。
昨日から覚えていたらしかった。
「ありがとうございます」とリディアは言った。
カイが少し笑った。
禁足地に入った。
根源草の巨木を越えた。
さらに奥に進んだ。
にゃん吉の尻尾が光を強めた。
「近い」とにゃん吉が言った。
「どのくらいですか」
「もう少しだ」
見えた。
空間が歪んでいた。
場所というよりも、境界だった。
空気の質が違う場所があった。古い魔術の気配が渦巻いていた。
その中央に、ドアのような形があった。
作られたものではなかった。
自然に形成された境界だった。
古い木が二本、向き合うように立っていた。その間から、別の空間が見えていた。
「あれが世界の根源への入口ですか」
「そうだ」とにゃん吉が言った。
立ち止まった。
数千年前に一度だけ近づいた場所の前に、今また立っていた。
「行くぞリディア」とにゃん吉が言った。
声が変わっていた。
渋い声のままだったが、何か別のものが混じっていた。
「数千年、誰にも拓けなかった扉を開ける」
「配信を続けます」とリディアはマリウスに言った。
「任せてください」とマリウスが言った。
「ここで水晶板を持ちます。行ってきてください」
コメント欄が止まっていた。
全員が見ていた。
「では行くか」
「行きます」
全要素の結晶スープを一口飲んだ。
全拠点の旨味が体に広がった。
エルダの熱。カイロスの海。アランヴァルの水。ガルムの大地。ミストルの風。ヴェルデの緑。根源草の古さ。
全部が体の内側に層を作った。
「温かいですね」
「全部の場所が体を守っている」とにゃん吉が言った。
「行きます」
境界に足を踏み入れた。
空気が変わった。
重かった。
でも体が耐えていた。
スープが体を守っていた。
にゃん吉が隣にいた。
コルトが後ろにいた。
扉の向こうに、世界の根源があった。
今は歩くだけだった。
手が動いた。
足が動いた。
世界の根源が、目の前にあった。




