第75話:最深層の素材
最深層は広くて、天井が見えなくて壁が遠かった。
足元の石が浅層や中層と違った。黒みがかっていて、表面に模様があった。魔力が長年染み込んだ石の色だった。
「どちらに向かいますか」とコルトに言った。
「にゃん吉に任せます」とコルトが言った。
「中心だ」とにゃん吉が言った。
「虚ろの王は最深層の核に近い場所にいる。まだ遠い」
「どのくらい遠いですか」
「ここから一日以上はかかると思う。ただし最深層では時間の感覚が狂う。コメント欄で外の時間を確認しながら進め」
「分かりました」
歩き始めた。
しばらくして、環境が変わった。
温度が急上昇した。
ドランが言っていた極熱地帯だった。
空気が揺れた。地面が熱を持っていた。
厨房車の内部を確認した。
外の温度変化が遮断されていた。内部は安定していた。
「レオンとドランの改修が機能しています」
「外はどのくらいの温度なんだ」とコルトが言った。
「測定はできませんが、金属が歪み始める温度に近いと思います」
「それで厨房車は平気なのか」
「二重断熱構造とエルダの鉱石の組み合わせです」
五分後、温度が急落した。
冷えた。
先ほどまでの熱さが嘘のように冷えた。
「これが交互に来るのか」とコルトの仲間の一人が言った。
「繰り返す」とにゃん吉が言った。
「慣れても気を緩めるな。体力が削られる」
「食事が必要ですね」とリディアは言った。
「そうだ。この環境では通常より早く消耗する」
進みながら素材を探した。
最深層の植物が壁際に生えていた。
青白い色をしていた。葉が薄く、光を透かしていた。魔力を含んでいることが見ただけで分かった。
「これは何ですか」とにゃん吉に聞いた。
「深層幻草だ」とにゃん吉が言った。
「最深層にしか生えない。魔力を大量に含んでいる」
「食べられますか」
「そのままでは無理だ。魔力が濃すぎる。食べると魔力酔いを起こす。ヴェルデの魔導野菜の比ではない」
「処理できますか」
「やってみろ。ヴェルデで学んだ方法を応用できるはずだ」
水晶板を起動した。
「最深層での最初の素材です」とリディアは言った。
「深層幻草という植物です。魔力が濃すぎてそのままでは食べられません。加工します」
コメント欄に「最深層素材だ」「初めて見る植物」「どうやって食べるんだ」が流れた。
「ヴェルデで魔導野菜を煮詰めて魔力を安定させました。同じ方法を使います」
幻草を摘み取った。
触れた瞬間に手がしびれた。
「山魔胡椒のフレークを手に塗ります」
フレークを手に振りかけた。
「ミストルの山魔胡椒には解毒と魔力中和の効果があります。処理の最初に手を保護します」
しびれが和らいだ。
「効きましたね」
「思った以上に効果が出ている」とにゃん吉が言った。
「最深層の過剰魔力に対しても有効だ」
「ミストルで学んでいて良かったです」
幻草を刻み、フライパンを熱し、無凍降脂を薄く引いた。
「ガルムの無凍降脂が最深層でも機能しています。極熱と極寒の交互環境でも溶け方が安定しています」
幻草を入れた。
音が出た。
通常の調理とは違う音だった。魔力が活性化する音がした。青白い蒸気が上がった。
「煮詰めながら魔力を安定させます。ヴェルデのトマトと同じ原理です。熱で魔力が変換されます」
固形スープの素を加えた。
「全拠点の旨味を加えます。幻草の魔力と旨味の成分が結合します」
十五分かけた。
青白い蒸気が消えた。
色が変わっていた。青白から深い翠色になっていた。
「魔力が安定しました」
「匂いが変わった」とにゃん吉が言った。
「最初の刺激的な魔力の匂いが消えた。代わりに旨味の香りが出ている」
「試します」
一口食べた。
しびれがなく、旨味があった。
深みのある、複雑な旨味だった。今まで食べたことのない種類の旨味だった。
「食べられます。美味しいです」
「美味しいのか、あれが」とコルトが言った。
「コルトさんも食べてください」
コルトが一口食べた。
「……体が温まる。外の温度変化が来ても、体の内側が安定している感覚がある」
「幻草の魔力が栄養に変換されています。最深層の環境に対する耐性が上がっています」
「バフがかかったのか」とコルトの仲間の一人が言った。
「最深層の素材から最深層の環境に対する耐性が得られます。適切に処理すれば毒が薬になります」
全員に配った。
護衛隊の全員が食べた。
「顔色が変わっています」とリディアはコメント欄に向かって言った。
「最深層の素材から作った食事が、最深層での活動耐性を上げています」
コメント欄に「最深層で最深層の素材を食べる」「最高の現地調達だ」「令嬢にしか思いつかない発想だ」「スパチャ連打」が流れた。
進みながら別の素材を見つけた。
魔獣だった。
蛇に近い形をしていた。体が光っていた。最深層の魔力を体内に蓄えていた。
「あれは食べられますか」とにゃん吉に聞いた。
「食べられる。ただし解体に注意が要る。魔力を含んでいる部分と含んでいない部分を分けないといけない」
「どうやって分けますか」
「山魔胡椒が使える。魔力を含む部分に振りかければ反応する」
「分かりました」
コルトが処理した。
倒してから、リディアが解体した。
山魔胡椒を振りかけながら確認した。
反応した部分と反応しない部分が分かれた。
「ここからここが使えます」とリディアはコルトに言った。
「それ以外は魔力が濃すぎます」
「細かい判断だな」
「料理人の目で見ます」
使える部分を保存した。
今夜の素材が揃ったので、止まれる場所を探した。
壁際に安定した場所があった。温度変化が少し穏やかな場所だった。
「ここで今夜の食事を作ります」
厨房車を止め、調理を始めた。
深層幻草のペーストを使った。
蛇型魔獣の肉を処理してから、カイロスの出汁粉と合わせた。
ガルムの熟成チーズを削ってから、最後にミストルの山魔胡椒を振った。
「最深層の食材と全拠点の素材を合わせます」とリディアは水晶板に向かって言った。
「深層幻草のペーストがベースです。その中に魔獣の肉を煮込みます。全部の旨味が一つになります」
コメント欄に「全拠点が最深層で使われている」「繋がっている」「今どこにいるんだ」「最深層からの配信だ」が流れた。
ようやく完成した。
深い翠色のスープに、肉が沈んでいた。チーズが溶けていた。山魔胡椒の香りが最深層の空気に混ざった。
「食べてください」
コルトが受け取った。
「最深層の食事が、こんなに美味いとは思わなかった」と一口食べてから言った。
「素材が良かったです」
「今回は現地調達だな」とコルトが言った。
「最深層の素材で最深層での食事を作りました。それが一番の形です」
にゃん吉が長く噛んでいた。
「……幻草の魔力が肉の旨味を引き出している」
「反応しています。素材同士が」
「これが最深層の食事か」
「そうです。浅層のスライムゼリーポンチから始まって、ここまで来ました」
「遠くまで来たな」とにゃん吉は言った。
「ただし虚ろの王はまだ先です」
「そうだな。明日も進む」
「今日の配信は以上です」とリディアは水晶板に向かって言った。
「最深層の一日目が終わります。明日も進みます」
各地からメッセージが来た。
「エルダで見ていました。明日も進んでください。——セルム」
「カイロスで見ていました。——タスカ」
「公爵領で見ていました。カレーパンを待っています。——R_F_1」
「最後のメッセージはブレないな」とにゃん吉が言った。
「父らしいです」
最深層の夜の配信を終えた。
外は温度変化が続いていた。熱が来て、寒が来た。
厨房車の中は安定していた。
全員が食事を終えて、順番に休んでいた。
リディアは羊皮紙を出した。
「書くのか」とにゃん吉が言った。
「今日の素材の記録をします。深層幻草の処理方法と、蛇型魔獣の解体のポイントを書いておきます。明日以降に使います」
「寝なくていいのか」
「書いてから寝ます。短くします」
最深層の一日目の記録が羊皮紙に並んでいった。
厨房車の外で、熱と寒が交互に来続けた。
でも内側は安定していた。
全拠点の素材と技術が守っていた。




