第74話:深層への扉
朝、城門の前に全員が集まった。
コルトと仲間五人。ダグラスと護衛二人。リディアとにゃん吉。
移動厨房車が後ろにあった。
出発前、ヴィランが来た。
「公爵閣下からです」と言って封筒を渡した。
開けたが、短かった。
*気をつけろ。戻ってこい。カレーパンを待っている。——父より*
リディアは少し笑った。
「相変わらずですね」とにゃん吉に言った。
「カレーパンを待っているのか」
「それが父の言い方です」
返信を書いた。
【戻ってきます。虚ろの王の味を報告します。カレーパンも揚げます。——リディア】
渡した。
「行って来ます」
ダンジョンの大穴に着いた。
変わっていなかった。
石造りの入口が地面に口を開けていた。魔石灯がぽつぽつと浮かんでいた。湿気が来た。
「懐かしいですね」とリディアは言った。
「変わっていない」とにゃん吉が言った。
「私は変わりました」
「変わったな」
浅層に踏み込んだ。
水晶板を起動した。
「始まりのダンジョンに戻ってきました」とリディアは言った。
「追放された夜、最初にここに入りました。今日また入ります」
コメント欄に「始まりの場所だ」「懐かしい」「令嬢が戻ってきた」「スパチャ投げます」が流れた。
「最初に来た時との違いを言います。あの夜はドレスのままでした。何も持っていませんでした。お腹が空いていました。魔力がありませんでした」
「今は違います。全拠点の素材があります。改修された厨房車があります。仲間がいます。魔力があります」
浅層に行くと、スライムモドキが出た。
にゃん吉が一瞬で処理した。
「懐かしい素材ですね」とリディアは言った。
「最初に調理した素材だな」とにゃん吉が言った。
「スライムゼリーポンチを作りました。あれが全部の始まりでした」
コメント欄に「スライムゼリーポンチだ」「第一話だ」「令嬢の原点」「覚えてる」が流れた。
浅層を進む。
今は違うが、かつて苦労した道だった。
コルトの仲間が先行した。魔物が出るたびに素早く処理された。にゃん吉が気配を先読みした。進む速度が全然違った。
「速いですね」とリディアは言った。
「以前はどのくらいかかっていたんですか」とコルトが言った。
「最初の夜は何時間も浅層を彷徨っていました」
「今は三十分もあれば抜けられます」
道中、素材を確認しながら進んだ。
中層の素材が手に入った。
コカトリスの羽が散乱していた。コルトの仲間が倒した跡だった。
「この肉を保存食にします」とリディアは言った。
素早く解体した。前世の知識と今までの経験が手を動かした。
「固形スープの素と山魔胡椒を合わせます」
厨房車の中で即座に仕込んだ。
「これが行動食になります。護衛の皆さんに持っていってもらいます」
コルトが受け取った。
「これが爆速ダンジョン飯ですか」
「最深層に向かう時間が惜しいので」
「理にかなっている」
コメント欄に「爆速で進んでいる」「懐かしいエリアを一瞬で通り抜けた」「即席ダンジョン飯が出た」「コルトたちが強い」が流れた。
中層を過ぎると、環境が変わり始めた。
空気が重くなった。
魔力の濃度が上がっていた。壁の発光が変わった。浅層と中層の青みがかった光から、赤みを帯びた光になっていた。
「感じますか」とにゃん吉に言った。
「魔力の質が変わっている。下層に近づいている」
「体への影響は」
「今はまだ許容範囲だ。ただしここから先は注意が要る」
下層への境界に来ると、床の色が変わっていた。黒に近い石になっていた。
一歩踏み込んだ瞬間に、温度が急上昇した。
熱かった。
火の近くにいるような熱さが空気から来た。
「熱いですね」
「極熱地帯の始まりだ」とにゃん吉が言った。
「ここから先は周期的に温度が変わる。熱い時間と、急に冷える時間が交互に来る」
「レオンとドランの改修が試されますね」
「試される」
厨房車の魔導炉の状態を確認した。
フィルタが機能していた。乱れた魔力が吸気口で選別されていた。炉の出力が安定していた。
「安定しています」
「レオンの設計通りだな」
「竹のフィルタ原理が最深層の入口で機能しています」
駆動部を確認した。
無凍降脂が正常に機能していた。極熱の環境でも駆動部が滑らかに動いていた。
「ガルムのフロストボアの脂が役立っています」
「各地の素材が全部活きているのか」とコルトが言った。
「全部が繋がっています」
下層を進んだ。
温度が周期的に変わった。
熱い時間が来た。空気が揺れるほどの熱さだった。
三分後、急に冷えた。
「来ましたね、にゃん吉さんが言っていた温度変化が」
「そうだ。熱と寒が交互に来る。規則性はあるが、完全には読めない」
「厨房車の中はどうですか」
確認した。
内部の温度が安定していた。二重断熱構造が外の温度変化を遮断していた。
「完璧に守られています」
「ドランの鍛冶が正確だった」
下層の最奥に向かった。
魔物が変わった。
浅層や中層とは別の種類の魔物が出た。体が大きく、魔力を帯びていた。
コルトの仲間が対処した。
にゃん吉が助けた。
全員が無事だった。
進み続けた。
どのくらい時間が経ったか分からなくなってきた。
「これが時間感覚の変化ですか」とにゃん吉に言った。
「最深層に近いほど魔力が濃くなる。人間の感覚が狂い始める。時計代わりに配信のコメントを確認しろ。外の時間の感覚を保てる」
「分かりました」
コメント欄を確認した。
「三時間経っています」とリディアは言った。
「感覚では一時間程度だったな」
「外と内でずれ始めています」
その時、全員が止まった。
前方に何かがあった。
巨大な門だった。
高さが何メートルあるか分からなかった。幅も分からなかった。
黒い石で作られていた。表面に文様が刻まれていた。古い文様だった。何の言語かも分からなかった。
門の隙間から何かが漏れていた。
光ではなかった。
気配だった。
圧倒的な魔力の気配だった。今まで感じたことのない種類の気配だった。
そしてその気配の中に、何かが混じっていた。
「匂いですか」とリディアは言った。
「そうだ」とにゃん吉が言った。
「食材の匂いがします」
「最深層から漏れ出している。虚ろの王の気配だ」
コルトが止まった。
「ここまで来たことがある冒険者はいません」と静かに言った。
「これが前人未到の最深層への扉です」
「中から匂いがします」とリディアは言った。
「そうですね」
「どんな匂いだと思いますか」
「表現できません。今まで嗅いだことのない匂いです」
にゃん吉が缶を置いた。
荷台に乗っていた缶を、静かに置いた。
「ここから先が、前人未到の最深層だ」
全員が門を見た。
リディアが一歩前に出た。
門に手をかけた。
冷たかった。石の表面が、この場所の全ての時間を吸い込んできたような冷たさだった。
押した。
重かった。
ゆっくりと、音を立てながら、扉が開き始めた。
光が来た。
暗さの奥から、薄い光が漏れ出してきた。
青みがかった光だった。魔力の光だった。
匂いが濃くなった。
未知の食材の匂いが、確かに漂ってきた。
甘くもなく、辛くもなく、酸っぱくもない。今まで嗅いだことのない匂いだった。
でも確かに食材の匂いだった。
「入りましょう」とリディアは言った。
コルトが頷いた。
にゃん吉が前に出た。
全員で、扉の向こうに踏み込んだ。
コメント欄が止まった。
長い静寂があった。
それから爆発した。
「最深層に入った」「見てる」「令嬢が入った」「虚ろの王まで届いてくれ」「ここまで来た」「スパチャ連打」が画面を埋め続けた。
各地からのメッセージが来た。
「エルダで見ています。——セルム」
「カイロスで見ています。——タスカ」
「アランヴァルで見ています。——イルゼ」
「ミストルで見ています。——ラム」
「ガルムで見ています。——マリウス」
「ヴェルデで見ています。——マルコ」
「公爵領で見ている。——R_F_1」
最後のメッセージを見た。
「父も見ています」とにゃん吉に言った。
「素直でないな」
「そういう人です」
扉が完全に開いた。
最深層が目の前に広がっていた。
床に青みがかった光の柱が点在していた。
魔力の濃度が全然違った。
そして匂いが、さらに濃くなった。
「どこかにいますね」とリディアは言った。
「いる」とにゃん吉が言った。
「虚ろの王だ」
「どのくらい遠いですか」
「この最深層の中心にいる。まだ遠い」
「向かいます」とリディアは言った。
歩き始めた。
移動厨房車が続いた。
全拠点の素材が積まれた厨房車が、最深層を進んだ。




