第73話:旅の集大成
朝、コルトが来た。
いつもの冒険者の服を着て武器が整備されていた。
「正式に来ました」と言った。
「同行をお願いします」とリディアは言った。
「止めても行くと言いましたが、正式に頼まれたいと思っていました」とコルトが言った。少し照れた顔をした。冒険者が照れるのは珍しかった。
「なぜですか」
「始まりからずっと一緒にいた。ノルドの城門でも、エルダでも、ガルムでも。全部に同行しました。最後だけ非公式というのは収まりが悪い」
「最後ではありません。最深層への始まりです」
「そうですね」とコルトは言った。
「ではこれが始まりへの正式参加です」
「仲間は何人来ますか」
「五人です。全員が最深層付近の経験がある者を選びました。といっても、最深層そのものへは誰も入ったことがありません。前人未到の場所ですから」
「にゃん吉さんが頼りになります」
「神獣がいれば安心だ。俺たちは令嬢を守ることに集中します。調理は令嬢に任せる」
「役割分担ですね」
「それが一番効率が良い」
コルトが仲間を連れてきた。
五人いた。全員が熟練した顔をしていた。それぞれが最深層を経験していないことは知っていたが、厳しい環境での遠征経験が豊富なことは顔を見れば分かった。
全員に固形スープの素を一個ずつ渡した。
「これを持っていてください。体が冷えた時や疲れた時に、お湯があれば使えます。最深層でもお湯を作れる環境は確保します」
「頼もしい」と一人が言った。
「あと山魔胡椒のフレークも一人一袋渡します。毒気を含む素材に触れた時の中和に使えます」
「スパイスが武器になるのか」と別の一人が言った。
「調理の道具が武器にもなります」
午後から仕込みを始めた。
水晶板を起動した。
「最深層への最終仕込みを配信します」とリディアは言った。
「全拠点から集めた素材を、最深層で使える形に加工します」
コメント欄に「最終仕込み回だ」「全部の素材が揃った」「何が出てくるんだ」が流れた。
エルダのフライパンを確認した。
「エルダのフライパンは三枚持っていきます。最深層の急激な温度変化にも耐える素材です」
カイロスの出汁を確認した。
「カイロスの魚骨を乾燥させた粉です。お湯に溶かせば出汁になります。液体は持ち運びが難しいので全部粉末化しています」
アランヴァルの黒穀を確認した。
「黒穀は固形スープの素の中にも入っていますが、単体でも持ちます。高エネルギーの主食になります」
ノルドの固形スープの素を確認した。
「百個持ちます。一日三個使えば三十日分以上あります」
ガルムの熟成チーズを取り出した。
「チーズは保存性が高いです。ただし最深層の温度変化で状態が変わる可能性があります。真空容器に入れて保護します」
にゃん吉が近づいた。
「真空容器はカイロスの密封技術を応用したものか」
「そうです。カイロスのオイルサーディンの瓶の密封方法を大型容器に応用しました」
「また繋がっているな」
「全部が繋がっています」
ミストルの山魔胡椒を確認した。
「毒気を中和する効果があります。最深層の素材に触れる時、必要になる可能性が高い」
「最深層に毒気を含む素材がありましたね」とコルトが言った。
「にゃん吉さんが言っていた毒沼エリアです。そこの素材を調理する時に使います」
「スパイスが調理の安全装置になるのか」
「なります」
ヴェルデの濃縮トマトペーストを確認した。
「高エネルギー食の素です。魔力を含んだ野菜を煮詰めていますので、通常の食材より栄養密度が高い。少量で大きなエネルギーが取れます」
「最深層での長期滞在に向いているのか」
「向いています。軽くて、保存が利いて、エネルギー密度が高い。三つの条件が揃っています」
「全部の素材を確認しました」とリディアは水晶板に向かって言った。
「エルダ、カイロス、アランヴァル、ノルド、ガルム、ミストル、ヴェルデ。全拠点の素材が今、この厨房車に入っています」
コメント欄に「全部揃った」「ローゼンベルク・リングが一台の厨房車に詰まっている」「令嬢なら最深層でも美味いものを作れる」「スパチャ連打」が流れた。
夕方、前夜配信を始めた。
「明日、ダンジョンの最深層へ降下します」とリディアは言った。
コメント欄が止まった。
一拍後に流れ出した。
「ついに」「本当に行くのか」「待っていた」「令嬢なら大丈夫だ」が画面を埋めた。
「最初にダンジョンに入ったのは、追放された日の夜でした。廃ダンジョンの浅層を、ハイヒールのまま歩いていました。お腹が空いていました。何も持っていませんでした」
「それが今日まで続いてきました。明日、また同じダンジョンに入ります。ただし今日は違います。全拠点の素材があります。改修された厨房車があります。コルトさんとにゃん吉さんがいます」
コメント欄に各地からのメッセージが来始めた。
「エルダより。セルムとマリです。令嬢のフライパンで道を開いてください。——エルダ・ギルド」
「カイロスより。タスカです。最深層から戻ったら一番良いオイルサーディンを出してやる。——タスカ」
「アランヴァルより。グレンです。黒穀を持っていってください。お腹が空いた時に役立ちます。——イルゼ・グレン一同」
「ノルドより。応援しています。戻ってきたらカレーパンを食べましょう。——ヘンドリック」
「ガルムより。マリウスです。熟成チーズが最深層まで届きますように。——マリウス」
「ミストルより。ラムです。山魔胡椒を持っていってください。必ず役立ちます。——ラム」
「ヴェルデより。マルコです。規格外のトマトが最深層でも食われるとは夢にも思わなかった。頑張ってください。——マルコ」
「全部の拠点から応援が来ています」とリディアは言った。
コメント欄の流れが止まらなかった。
「令嬢なら絶対に戻ってくる」「虚ろの王を調理してくれ」「百年ぶりに食べた人間が出る」「最深層からの配信を見たい」「スパチャ連打」が続いた。
スパチャが降り積もった。
量が今まで見たことのない規模になっていた。
「ありがとうございます」とリディアは言った。
「全員の応援を受け取りました。戻ってきます。虚ろの王を調理してきます。そしてここで報告します」
配信を終えた。
夜になり、公爵領が静かだった。
スタジオの石の部屋に戻った。
にゃん吉が缶を開け、「座れ」と言った。
リディアは座った。
二人でしばらく何も言わなかった。
「いつから来ていたんだ」とにゃん吉が言った。
「最初にダンジョンに入ったのは追放された夜です。あなたの画角に入り込んだ夜です」
「覚えている。ドレスのまま来た」
「覚えていますか」
「覚えている。腹が減っていたな」
「減っていました。パーティの料理を一口も食べられなかったので」
「そこから今日まで来たのか」
「来ました」
「最初の夜、あの場所に戻る」とにゃん吉が言った。
「どんな気持ちだ」
「始まりに戻る気持ちです。ただし全然違う状態で戻ります」
「何が違う」
「全拠点の素材があります。改修された厨房車があります。コルトさんと仲間がいます。魔力があります。手が震えていません」
「手が震えていないのか」
「今は震えていません。最初の夜は少し震えていました。ダンジョンで初めて手を動かした時、心臓が速かった」
「今は」
「今は違います。落ち着いています」
「何が変わった」
「届けてきたからだと思います」とリディアは言った。
「各地で食事を届けるたびに、自分の仕事が分かっていきました。分かれば怖くなくなります」
「虚ろの王をどう調理するか、もう決めたか」とにゃん吉が言った。
「決めていません」
「行く前に決めないのか」
「出会ってから決めます」とリディアは言った。
「素材と対話するのが料理ですから。スライムモドキの時も、決めていませんでした。見てから決めました」
「それが最初から変わらないのか」
「変わりません。一番大事なことは変わらないものです」
「では一つだけ確認する」とにゃん吉が言った。
「どうぞ」
「最深層から戻る気はあるか」
「あります」
「なぜ確認するかというと」
「分かっています」とリディアは言った。
「危険な場所だからですね。戻れない可能性があるかもしれない」
「そうだ」
「戻ります。戻って、各拠点に報告して、次の場所に向かいます。まだ行ったことのない場所があります。まだ捨てられている食材があります。まだ届けていない人達がいます」
「それが理由か」
「それが全部の理由です」
「そうか」とにゃん吉は言った。
缶を傾けた。
「一杯だけ付き合え」
「匂いだけです」
「それで良い」
缶を受け取った。
甘い発酵の匂いがした。
いつも通りの匂いだった。
ダンジョンに来た最初の夜は何の匂いだったか。石の匂いと湿気の匂いだけだった。
今は違う。
スパイスの香り、チーズの香り、スープの香り。全拠点の素材の香りが厨房車から漂ってきた。
「明日、戻りましょう」とリディアは言った。
「始まりの場所に」
「そうだな」とにゃん吉は言った。
魔石灯を暗くした。
石の部屋が静かになった。
最深層が明日になった。
目を閉じた。
今夜は何も書かなかった。
明日行けば、書くことが新しく生まれる。
それだけで十分だった。




