第70話:魔導野菜
ヴェルデに入る前から、景色が変わっていた。
平らだった。
どこまでも続く平地に、畑が広がっていた。緑と茶色が交互に並んでいた。空が広かった。
「農業地帯ですね」とリディアは言った。
「王都の食糧庫と呼ばれている場所だ」とにゃん吉が言った。
「昔から知っている。ただし来たのは久しぶりだ」
「変わりましたか」
「規模が大きくなっている。畑の数が増えた。人が増えた証拠だ」
街に入った。
活気があり、荷車が行き交っていた。市場があって、農作業を終えた人間が道を歩いていた。
ただし街の外れを見た時、足が止まった。
野菜が積まれていた。
それも大量に積まれていた。
形が不揃いなトマト、割れているもの、極端に大きいもの、二つに分かれたもの。根菜も同様だった。大きすぎるもの、曲がったもの、傷がついたもの。
全部が廃棄待ちだった。
「量が多いですね」とコルトが言った。
「毎日これくらい出るのかもしれません」
近くにいた農夫に声をかけた。
マルコといった。四十代の、日焼けした顔の男だった。
「あれは全部廃棄になりますか」
「そうだ」とマルコが言った。疲れた声だった。
「形が悪いと王都の市場が買わない。規格に合わないというのが理由だ」
「味は変わりますか」
「変わらん。同じ畑から採れた同じ野菜だ。ただ形だけが違う」
「以前から同じ問題がありましたか」
「以前はもっと酷かった。関税が撤廃されて物流は良くなった。でも規格の問題は変わらない。形が悪ければ売れない」
「それだけではなさそうですね」とリディアは言った。
マルコが少し目を細めた。
「なぜ分かる」
「野菜の大きさが通常より大きいものが多いです。それと、見た目が特徴的です」
マルコが少し間を置いた。
「この畑の地下に、昔から小規模なダンジョンがある。浅層だけで、魔物が出るわけではない。ただし魔力が漏れ出している」
「魔力が野菜に入るんですか」
「そうだ。地下から魔力が染み出して、根から吸い上げられる。魔力を多く吸った野菜が巨大化する。形が崩れる。それだけならまだいい」
「それだけではないんですか」
「食べると口の中がピリピリする。長く食べ続けると頭が重くなる場合がある。軽い魔力酔いだ。だから食べられないと思って捨てている。特に魔力が多い分は」
「確認させてください」とリディアは言った。
「畑の端とダンジョンの境界を見たいです」
「見るか、あそこを」
「大丈夫です。にゃん吉さんがいます」
マルコが「神獣か」と言った。
「そうです」
「それなら問題ない」とマルコは言った。
「案内する」
畑の東端に向かった。
野菜が大きくなっていた。
通常の二倍から三倍の大きさのトマトが生っていた。色も違った。通常より深い赤だった。
「魔力を多く含んでいる分、色が濃いです」
「食べられないのか、これは」とコルトが言った。
「生のままでは魔力が安定していないので食べにくい。ただし」
「ただし?」
「加工すれば別の話になります」
水晶板を起動した。
「ヴェルデから配信します。魔力を含んだダンジョン野菜を確認しています」とリディアは言った。
コメント欄に「ダンジョン野菜というのか」「魔力入りか」「食べられるのか」が流れた。
「にゃん吉さん、この野菜の性質を教えてください」
にゃん吉が大きなトマトに近づいた。
匂いを嗅いだ。前足で触った。
「魔力が過剰に入っている」とにゃん吉が言った。
「生のままでは魔力が不安定だ。食べると口の中でその魔力が反応する。だからピリピリする」
「安定させる方法はありますか」
「煮詰めることだ。熱を加えて長時間煮詰めると、魔力が熱に変換されて安定する。揮発するような形で出ていく」
「食べられるようになりますか」
「食べられる。それだけではない」とにゃん吉は続けた。
「魔力を含んだ野菜は、通常の野菜より旨味の成分が多い。適切に処理すれば、普通の野菜の十倍の栄養とコクが出る」
「十倍ですか」
「魔力が旨味の成分と結びついている。処理すれば旨味として引き出せる。最深層の過酷な環境で生き抜くために必要な高エネルギー食と同じ性質だ。エネルギー密度が高い素材は、最深層での長期滞在に不可欠になる」
コメント欄に「最深層に繋がった」「にゃん吉の解説が毎回鍵になる」「十倍の栄養というのは凄い」「スパチャ投げます」が流れた。
集落に戻って、リディアは加工を始めた。
「あの廃棄予定のトマトをか」
「全部使います。形はもう関係ありません」
「どうするんだ」
「形をなくします」
大量のトマトを洗った。
形が不揃いでも、傷んでいる部分だけ除けば残りは全部使えた。
「傷んでいる部分だけ取り除きます。それ以外は全部使います」
刻んだ。
「細かく刻みます。この段階では形は全く関係ありません」
大鍋に入れた。
「弱火にかけます。焦らずにゆっくり煮ます」
煮始めると水分が出て液体が増えた。
「このまま続けます。水分を飛ばしながら煮詰めていきます」
二十分経った。
液体が半分になって色が濃くなっていた。
「変化しています。煮詰まるにつれて色が変わります。これが旨味が濃縮されているサインです」
「匂いが変わった」とマルコが言った。
「そうです。生のトマトの酸っぱい香りから、甘みのある濃厚な香りに変わっています。魔力が熱で安定しています」
「魔力が消えているのか」
「消えるのではなく、変換されます。旨味に変わっています」
さらに煮詰めた。
三十分後、液体がとろりとした粘度になった。
「状態を確認します」
スプーンですくうと、ゆっくりと落ちた。
「できました。万能濃縮トマトペーストです」
根菜の加工も並行して進めていた。
「根菜は別の方向で加工します」とリディアは言った。
「トマトペーストとは違うのか」とコメントが来た。
「水分が多いトマトは煮詰めます。根菜は乾燥させます。薄切りにして、均一な厚さにすることが重要です」
薄切りにした。
「魔石灯の低温を当てます。高温では外だけ乾いて中が残ります。低温でゆっくり乾燥させます」
「どのくらいかかるんだ」とコメントが来た。
「数時間かかります。ただし乾燥させれば長期保存できます。お湯で戻せば野菜として食べられます」
夕方、トマトペーストが完成した。
深い赤色だった。光を受けると宝石のような色だった。
「試食をします」とリディアは言った。
固形スープの素を溶いた出汁にトマトペーストを加えた。
ハンスの保存脂を少量入れた。
「旨味を加えます」
ミストルの山魔胡椒を少量振った。
「香りを引き立てます」
混ぜて器に注いだ。
色が変わっていた。出汁の薄い色に、トマトペーストの深い赤が混ざって、温かみのある赤橙色になっていた。
「スープです。今日の素材が全部入っています。ヴェルデのトマト、ハンスさんの保存脂、ミストルの山魔胡椒、固形スープの素の出汁」
「全拠点が繋がっているのか」とコメントが来た。
「繋がっています」
「飲んでください」とマルコに渡した。
マルコが受け取った。
一口飲んだ。
止まった。
長い沈黙があった。
「……これが」とマルコが言った。
「どうですか」
「これが捨てていたトマトから出来たのか」
「そうです」
「こんなに濃いのに、重くない。深い味がする」
「魔力が旨味に変換されているからです。普通のトマトより深みが出ます」
「口がピリピリしない」
「煮詰める過程で魔力が安定しています。安全に食べられます」
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農夫が集まってきた。
マルコが声をかけていた。
全員に配った。
最初の一人が飲んだ。
「濃厚だ」と言った。
「それだけ旨味が詰まっています」
次の人が飲んだ。
「体が温まる」と言った。
「ハンスさんの保存脂と山魔胡椒の効果もあります。ただし素材自体が高エネルギーです」
別の農夫が「これが毎年捨てていたものから出来るのか」と言った。
「出来ます。形が悪くても、過剰な魔力が入っていても、加工すれば全部が素材になります」
マルコが前に出た。
「一つ確認させてくれ」とマルコが言った。
「どうぞ」
「形をなくせば規格外でも売れるということか」
「売れます」とリディアは言った。
「ペーストになれば形は関係ありません。旨味だけが残ります。それが商品になります。王都の料理人が問い合わせを出しています」
「本当か」
「今日の配信を見た人間からすでに来ています」
コメント欄を確認した。
「王都の料理人です。このペーストを売ってほしい」という書き込みが来ていた。
「ノルドの宿屋です。スープのベースに使いたい」という書き込みが来ていた。
「カイロスの漁師です。魚のスープに合いそうだ」という書き込みが来ていた。
「全拠点から声が来ています」とリディアは水晶板に向かって言った。
「どこでも需要があるのか」とコメントが来た。
「あります。使いやすい素材は需要が広い。水で溶かせば料理になる。少量でも効果がある。保存が利く。全部の条件が揃っています」
「形をなくせば規格外なんて関係ありません」とリディアは続けた。
「煮詰めたペーストなら日持ちもして、王都や各地へ輸送できます」
コメント欄に「令嬢が言い切った」「形をなくせばいい、か」「これが革命だ」「スパチャ連打」が流れた。
「加工の方法を教えます」とリディアはマルコに言った。
「明日、一緒にやります。覚えれば毎年の廃棄がなくなります」
「本当に教えてくれるのか」
「それが目的で来ました」
マルコが「ありがとう」と言った。
直接的だった。農夫らしい言い方だった。
「素材があったからです」
「そうやって返すのか、あなたは」
「事実です」
「来てくれなければ分からなかった。来てくれたことへのありがとうだ」
夜、にゃん吉が言った。
「また同じことを言われたな」
「ラムさんも同じことを言いました」
「お前が行く先で毎回言われる言葉だ」
「届いているということだと思います」
「届いているな」とにゃん吉が言った。「確かに届いている」
羊皮紙を広げた。
「明日の指導の計画を書きます」とリディアは言った。
「またか」
「書かないと漏れが出ます」
「ヴェルデが終わったら次はどこに行くんだ」
「公爵領に戻ります」
「公爵領に何がある」
「ヴィランと父と話します。ローゼンベルク・リングと呼べる輪が完成したか確認します。そしてレオンとドランに依頼があります」
「最深層の準備か」
「最深層の準備です」とリディアは言った。
「今まで訪れた全ての場所で、最深層に繋がる何かを学んできました。エルダで低温長時間調理を学んだ。カイロスで出汁の取り方を学んだ。アランヴァルで保存食を学んだ。ガルムで無凍降脂と寒冷地調理を学んだ。ミストルで解毒作用のあるスパイスを学んだ。ヴェルデで高エネルギー食の加工を学んだ」
「全部が繋がっているのか」
「繋がっています。全部が最深層への準備でした。意識していたわけではありませんが、振り返ると繋がっています」
「それが次の段階か」
「次の段階です」
にゃん吉が缶を傾けた。
「いよいよか」
「いよいよです」
「虚ろの王を調理するのか」
「してみたいです。百年前に食べた人間が言葉を失ったと聞きました。どんな味なのか知りたいです」
「言葉を失うほどの味を知りたいのか」
「そのために全部の技術を積み上げてきました」
にゃん吉が少し間を置いた。
「お前らしい」とだけ言った。
平野の夜が続いていた。
星が見えた。
王都が近かった。
でも今夜はそこを見なかった。
羊皮紙を見ていた。
エルダから始まって、カイロス、アランヴァル、ノルド、ガルム、ミストル、ヴェルデ。全部が一枚の羊皮紙に書いてある地図に乗っていた。
全部が繋がっていた。
「ペンが止まりましたね」とにゃん吉が言った。
「今日分は書き終わりました」
「珍しい。すぐに次を書き始めないのか」
「今夜は地図を見ていたいです」
「珍しいな」
「たまには立ち止まります」とリディアは言った。「ガルムの夜空を見た時みたいに」
にゃん吉が缶を置いた。
「そういう夜もある」
「そういう夜もあります」
地図を見た。
繋がっていた。
全部が繋がっていた。
明日からまた動く。
でも今夜は、繋がった輪を見ていた。




