第69話:スパイス街道の開通
朝、ラムが若者たちを連れてきた。
十人いた。十代から二十代が中心だった。全員が少し緊張した顔をしていた。
「来てくれましたね」とリディアは言った。
「集めた」とラムが言った。
「みんな、昨日の干し肉を食べた。自分たちで作れると聞いて来た」
「今日一日で基礎を覚えてもらいます。三工程です。難しくありません」
水晶板を起動した。
「今日はミストルの若者たちとスパイス加工のワークショップをします」とリディアは言った。
コメント欄に「ワークショップ回だ」「大人数で覚えるのか」「上手くいくといいな」が流れた。
「三工程を順番にやります。乾燥、焙煎、磨砕です。全部に目安があります。感覚で判断できるようになれば自分でできます」
まず乾燥から教えた。
「山魔胡椒の実を採取したら、まず魔石灯の低温を当てます。手をかざして、じんわり温かい程度の温度です。熱くなってはいけません」
全員でやってみた。
温度が高すぎた人が二人いた。
「低くしてください。香りが飛んでしまいます」
調整した。
「この温度感を体に覚えてください。一時間続けます。途中でチェックするのは、実の表面が乾いているかどうかです。指で触って水分が感じられなくなったら次に進みます」
「一時間の間に何か変化がありますか」とラムが質問した。
「色が少し変わります。表面が鮮やかな赤黒から、少し暗い色になります。そこでも判断できます」
「二つの判断基準があるのか」
「複数の基準を持てば確認が確実になります」
一時間待った間に、次の工程の説明をした。
「焙煎の判断基準は二つです。一つ目、音です。乾煎りを始めるとぱちぱちという音が出ます。その音が安定してきたら次の段階です。二つ目、香りです。最初は生っぽい香りがします。熱が入るにつれて、木の香りと柑橘系の香りが混ざった複雑な香りに変わります。その香りが出たら火を止めます」
「音と香りで判断するのか」
「計測できないものは感覚で判断します。ただし感覚には必ず変化の基準があります。変化を知っていれば感覚でも正確に判断できます」
乾燥が終わった。
「全員確認してください。表面が乾いているか、触って確かめてください」
全員が確認した。
「良いです。焙煎に移ります」
フライパンを配った。エルダ製ではなく、集落にある普通の鍋を使ってもらった。本番は現地の道具でやる必要があるからだった。
「エルダ製のフライパンでなくても作れます。道具の性能が違えば時間が変わりますが、判断基準は同じです」
「道具を選ばないのか」とラムが言った。
「選びません。判断基準さえ分かれば何でも使えます」
全員が焙煎を始めた。
音が出てきた。ぱちぱちという音が十個のフライパンから同時に鳴り始めた。
「音を聞いてください。今は最初の段階です。まだ安定していない」
三分経った。
「音が変わってきました。安定してきています」
香りが変わり始めた。
「香りを確認してください。生っぽい香りから変化しているのが分かりますか」
「分かる」とラムが言った。
「分かります」と別の若者が言った。
「変化が分かれば正解です。もう少し続けます」
五分後。
「今です。火を止めてください」
全員が止めた。
十個のフライパンから、同じ香りが立った。
部屋全体に広がった。
「良い香りですね」と若者の一人が言った。
「そうです。これが山魔胡椒本来の香りです。生の時とは全然違います」
「これが毎年捨てていた草の香りなのか」
「そうです」
磨砕の工程に移った。
「石を使います。力加減が重要です。強すぎると粉になりすぎます。弱すぎると粗くなりすぎます。ちょうど良い力加減を見つけてください」
全員が砕き始めた。
力加減がバラバラだった。
「隣の人と比べてください。粗さが違います。どちらが良い粗さか確認してください」
全員が比べた。
「これくらいです」とリディアが一つ見本を示した。
「この粗さが標準です。自分のと比べてください」
調整が始まった。
「合わせていくのか」とラムが言った。
「揃えることが重要です。粗さが揃えば品質が安定します。品質が安定すれば信頼されます」
磨砕が終わった。
全員分を並べた。
「比べてください。粗さが揃っていますか」
全員が確認した。
「大体揃っています。最初にしては十分です。繰り返すごとに揃ってきます」
「繰り返すか」と若者の一人が言った。
「三回やれば体に入ります。五回やれば自信が持てます。今日は一回目です」
昼、イルゼに通信を入れた。
【山魔胡椒の加工に成功しました。ミストルの若者十人に教えました。サンプルを送ります。受け取れますか。——リディア】
返信が来た。
【待っていました。受け取ります。というより、今すぐ送ってください。——イルゼ】
「急いでいますね」
「イルゼらしい返事だ」とにゃん吉が言った。
保存の容器を考えた。
湿気が強い場所だった。普通の容器では山魔胡椒の香りが飛ぶか、湿気で品質が落ちる可能性があった。
「密封できる容器が必要です」とラムに言った。
「竹があります」とラムが言った。
「この辺りは竹が多い。アランヴァルの水運でも竹筒を使っている。密封できる」
「見せてもらえますか」
竹筒を確認した。
節を利用して蓋が作られていた。密封性が高かった。軽かった。水に浮く素材だった。
「これが使えます」
「なぜ浮くことが重要なのか」とラムが聞いた。
「水運で運ぶ時、落ちても流されずに回収できます。川を使って運ぶなら、浮く容器の方が安全です」
「それは考えていなかった」
「素材の特性が用途に合っています。最適な容器です」
山魔胡椒フレークを竹筒に詰めた。
蓋を閉めた。
「サンプルをアランヴァルに送ります」
今夜の内に発送する手配をマリウス経由でした。
夕方、イルゼから映像通信が来た。
顔が映った。
「届きました」とイルゼが言った。
「今すぐ試させてください」
画面の向こうでイルゼが竹筒を開けた。
匂いを嗅いだ。
「…良い香りだ。ダンジョン由来のスパイスってこんな香りがするのか」
「焙煎で引き出しました」
黒穀の煮込みがあったらしかった。
フレークを一振り振りかけた。
「……イルゼさん?」
「黒穀の煮込みが」とイルゼが言った。声が上がっていた。
「一瞬で高級料理になった。脂っこさが消えて、香りが全体を引き締めた。これは」
「続けてください」
「ガルムの肉料理に使ったら絶対に売れる。カイロスの魚の臭み消しにも使える。ノルドの固いパンに振りかけても合う。これは爆発的に需要があるわよ!」
コメント欄に「イルゼさんが興奮している」「珍しい」「スパイス一振りで料理が変わるのか」「欲しい」「スパチャ連打」が流れた。
「流通の話をしましょう」とリディアは言った。
「もちろんです」とイルゼが落ち着いた声に戻った。
「ミストルからアランヴァルへは川を使えますね。竹筒は水に浮く。上流から流せる」
「そう考えていました」
「アランヴァルからガルムへは陸路。カイロスへは水路と海路を組み合わせます。マリウスさんにも連絡を入れます」
「お願いします」
「ミストルが一躍、スパイスの産地になりますね」
「なります。ダンジョンの近くだから敬遠されていた場所が、最良の産地になります」
通信が終わった後、長老が来た。
「一つ相談がある」とラムが通訳した。
「どうぞ」
「スパイスの加工が始まれば、山魔胡椒は今より多く栽培したい。ただしダンジョンの霧が作物を傷める問題が残っている。そちらも何とかなるか」
「加工の過程で出る廃材が使えます」とリディアは言った。
「廃材というのは」
「磨砕した後の果皮の残りです。スパイスとして使えない部分です。ただしその残りを燃やすと、強い乾燥成分と防カビ成分が煙に出ます」
「燃やして煙を出すのか」
「畑の周りで燻煙させます。煙がダンジョンの湿気とカビを抑えます」
実演した。
加工後に残った果皮を集めた。
火をつけた。
煙が出た。
白い煙だった。山魔胡椒の香りが混じっていた。生の刺激的な香りではなく、加工後の残りから出る穏やかな香りだった。
「この煙を畑の周りに回します」
村人が手伝って、畑の周囲を煙が囲んだ。
「ダンジョンの霧が来ても、この煙が防壁になります。完全ではないですが、カビの発生が減るはずです」
「試してみる価値はあるな」とラムが通訳した。
コメント欄に「廃材まで使う」「無駄がない」「ダンジョンの霧対策にスパイスの残りを使うのか」「令嬢の発想が好きだ」が流れた。
にゃん吉が煙を嗅いだ。
「この成分は確かに乾燥作用がある。菌の繁殖を抑える効果もある」
「理論通りですね」
「理論ではなく経験から来たのか」
「燻製の経験からです。燻製は煙で食材のカビを防ぎます。同じ原理を農業に応用しました」
「旅の経験が繋がっているな」
「カイロスで燻製を学んでいなければ、今日この発想は出なかったです」
翌朝、出発の準備をした。
ラムが全員を集めていた。
「昨夜も練習した」とラムが言った。
「三回やった」
「三回ですか」
「体に入れたかった」
リディアは確認した。
「やってみてください」
ラムが一人で全工程をやった。
乾燥の温度確認。焙煎の音と香りの判断。磨砕の力加減。
全部が昨日より正確だった。
「合格です」とリディアは言った。
「今日から村で作れる」
「作れます。若者たちも同じ水準になれれば、生産量が増えます」
「なる。昨夜みんなで練習した」
「マニュアルを渡します」とリディアは言った。
羊皮紙を手渡した。
「全工程が書いてあります。判断基準の言葉も全部入れました」
ラムが受け取った。
「ありがとう」とラムが言った。直接的な言い方だった。
「素材があったからです」
「そうやって返すのか、あなたは」
「事実です」
「事実でも、来てくれなければ分からなかった。来てくれたことへのありがとうだ」
長老が来た。
ラムが通訳した。
「父が言っている。三十年間、あのダンジョンを恨んでいた。霧のせいで作物が傷み続けた。でも今日から考えが変わった。ダンジョンの近くだから、あの草が育った。あの草があったから、スパイス産地になれた。呪いが宝になった」
「そういうことですね」
「父がもう一言言っている。旅を続けてくれ。あなたが行く先で同じことが起きるだろう、と」
荷車が動き出した。
霧が出ていた。
でも今日の霧は違って見えた。
スパイス産地の霧だった。
「次はヴェルデですね」とリディアはにゃん吉に言った。
「王都の東の農業地帯か」
「規格外の野菜が捨てられていると聞いています」
「また捨てられているものか」とにゃん吉が言った。
「毎回そうです」とリディアは言った。
「そしてお前が行くたびに変わる」
「変われるものがあれば変わります」
川が見えた。
アランヴァルへ向かう川だった。
この川の上流から、竹筒に入った山魔胡椒が流れていく。
アランヴァルへ。そしてガルムへ、カイロスへ。
ミストルから世界へ向かうスパイス街道が、今日開通した。




