第67話:氷結晶の洞窟
ケセルに戻ったのは朝だった。
ブルンが出迎えた。
「昨日も全員に出した」と言った。
「今日の鉱夫の体の調子が良い。継続して出せる目処が立った」
「順調ですね」
「ただし一つ問題がある」
「何ですか」
「氷雪根の効果が、深部の作業には少し足りない。坑道の最深部はさらに寒い。もっと温熱効果が高いものが要る」
「どのくらい深いんですか」
「地下三十メートルほど。そこまで行くと、氷雪根スープを飲んでも一時間で体が冷えてくる」
「一時間では持たないですね」
「持たない。もっと持続する何かが要る」
にゃん吉が言った。
「ケセルの近くに小規模なダンジョンがある」
「知っているんですか」
「感じる。この街の地下に魔力の溜まりがある。規模は小さいが、ダンジョンの性質を持っている」
「どういうダンジョンですか」
「氷系の魔力が濃い。寒冷地のダンジョンに特有の構造だ」
「魔物は」
「いる。ただし浅層なら対処できる規模だ」
ブルンに聞いた。
「氷結晶の洞窟を知っていますか」
「知っている。ケセルから歩いて一時間ほどの場所にある。鉱夫が偶然見つけた。ただし入ると凍えるので誰も入っていない」
「入れますか」
「入れるが、危険だ」
「コルトさんがいます」
コルトに話した。
「氷系のダンジョンか」とコルトが言った。
「小規模らしいです。浅層だけです」
「入ったことはないが、氷系は経験がある。装備を確認する」
「私も入ります」
「調理師がダンジョンに入るのか」
「素材の確認が必要なので」
「……まあ、にゃん吉がいれば問題ないか」
「そういうことです」
洞窟に着いた。
入口は岩の隙間だった。狭かった。ただし中に入ると広がっていた。
冷気が来た。
ケセルの外よりさらに冷たかった。吐く息が濃い白になった。
壁が光っていた。
氷の結晶が壁面についていた。魔石灯の光を受けて、青白く輝いていた。
「綺麗ですね」とリディアは言った。
「綺麗だが寒い」とコルトが言った。
「問題ない」とにゃん吉が言った。尻尾の先が光っていた。神力を展開していた。
「何をしているんですか」
「周囲の魔物の気配を探っている。二つある。どちらも深部にいる。まだ動いていない」
「避けられますか」
「避けられるが、あちらが来る可能性がある。来たらコルトに任せろ」
「分かりました」
水晶板を起動した。
「氷結晶の洞窟から配信します」とリディアは言った。
「ダンジョン内から配信するのは久しぶりです」
コメント欄に「ダンジョン内だ」「懐かしい」「最初の頃みたいだ」「スパチャ投げます」が流れた。
「最初の頃のダンジョンを思い出しますね」とリディアはにゃん吉に言った。
「あの頃は貧しい装備だったな」とにゃん吉が言った。
「今は違う」
「違います。エルダのフライパンがあります。各地の素材があります。コルトさんがいます」
「随分変わった」
「変わりました」
奥に進んだ。
床に氷が張っていた。慎重に歩いた。
コルトが先頭を歩いた。
「滑るから足元に注意しろ」とコルトが言った。
「分かりました」
壁の素材を確認しながら進んだ。
氷の結晶が成長していた。大きいものは手のひら大になっていた。
「この結晶は食材として使えますか」とにゃん吉に聞いた。
「魔力を含んだ氷だ。飲むと体温が下がる。食材としては使えない」
「保存に使えますか」
「使える。溶けにくい。魔力で温度を保持する性質がある」
「持ち帰れますか」
「ああ。容器に入れれば溶けにくい」
その時、にゃん吉の耳が立った。
「来る」
前方の暗がりから音がした。
ドン、という重い音だった。
次に来た。
白い巨体が見えた。
猪に似た体型だった。全身が白く、体表に氷の結晶がついていた。体重が相当あった。床が揺れた。
「フロストボアだ」とにゃん吉が言った。
「食べられますか」
「食べれる。ただし倒してから聞け」
コルトが前に出た。
「令嬢は下がれ」とコルトが言った。
「はい」
リディアはカメラを固定した。
コルトと仲間が動いた。
フロストボアが突進してきた。
コルトが横に躱した。横腹に剣を入れた。
氷の結晶が削れた。内側から白い霧が出た。
フロストボアが向き直った。
にゃん吉が動いた。
音がしなかった。
フロストボアが静止した。そのまま倒れた。
「速い」とコルトが言った。
「余計な時間は使わない」とにゃん吉が言った。
「解体を急げ。低温で鮮度が落ちにくいが、早い方が良い」
解体した。
氷系の魔物だったが、内部の肉は赤みがあった。触ると固かった。
脂身の部分を確認した。
白かった。
ただし触感が違った。ハンスの保存脂とは違う質感だった。冷やしても固まらなかった。
「にゃん吉さん、この脂を確認してください」
にゃん吉が近づいた。匂いを嗅いだ。前足で触った。
「これが無凍降脂だ」とにゃん吉が言った。
「凍らないんですか、この脂が」
「氷系の魔獣の脂は、魔力によって凍点が下がっている。極寒の環境でも液体のまま保たれる性質だ」
「調理に使えますか」
「使える。ただし通常の脂と性質が違う。熱を加えると魔力が活性化して、加熱効率が上がる」
「温熱効果が高まるということですか」
「そういうことだ。食べると体の内側から持続的に温まる。氷雪根スープより保温効果が長続きする可能性がある」
「ブルンさんが言っていた、坑道深部の問題に使えます」
「そうだ。ただし最深層の話をするなら」とにゃん吉が続けた。
「最深層の極寒地帯にいる魔獣も同じ性質の脂を持っている。今日の経験が直接繋がる」
コメント欄に「最深層に繋がった」「伏線だ」「にゃん吉の解説が毎回鋭い」「スパチャ連打」が流れた。
「分かりました」とリディアは言った。
「持ち帰ります。今日の夕食に使います」
洞窟から出て、ヴェルンに向かった。
目的はチーズだった。一週間前に石窯に仕込んでいた熟成チーズの確認日だった。
石窯に入るとチーズが並んでいた。
表面が変わっていた。
白い膜が全体を覆っていた。昨日確認した時より、さらに変化が進んでいた。
包丁を入れると、断面が出た。
黄みがかった色だった。しっとりしていた。艶があった。
匂いを嗅ぐと、深みのある発酵の香りが出ていた。
「完成しています」
エルザが来た。
「見ていた。包丁を入れた瞬間から分かった」
「どう分かりましたか」
「良い匂いがした。一週間前の試作とは全然違う」
「一週間の熟成です」
「時間が仕事をした、ということか」
「そうです」
今夜の料理を考えた。
無凍降脂と熟成チーズと氷雪根を合わせる。
(グラタンにできます)
前世の記憶が動いた。
フロストボアの肉と脂でソースを作る。そこに氷雪根を加えて温熱効果を持たせる。チーズを乗せて焼く。石窯で焼けば完璧だった。
「エルザさん、石窯を今夜使えますか」
「使える。チーズを出したあと、まだ熱が残っている」
「グラタンを作ります」
仕込みを始めた。
水晶板を起動した。
「今日はガルム編の集大成として、三つの素材を合わせます」とリディアは言った。
「氷結晶の洞窟で倒したフロストボアの肉と無凍降脂、ヴェルンの熟成チーズ、ケセルの氷雪根です」
コメント欄に「全部揃った」「ガルム編クライマックスか」「どんな料理になるんだ」が流れた。
まずソースから作った。
無凍降脂を鍋に入れた。熱した。
音が出た。普通の脂とは違う音だった。弾けるような、活性化した音だった。
「無凍降脂は熱を加えると反応が変わります。魔力が活性化します」
フロストボアの肉を加えた。
「肉を加えます。無凍降脂の魔力が肉に入っていきます」
「肉に魔力が入るのか」とコメントが来た。
「魔物の脂が持つ特性です。素材同士が反応します」
氷雪根を薄切りにして加えた。
「氷雪根を加えます。温熱効果が加わります。無凍降脂の持続性と氷雪根の即効性が組み合わさります」
「両方の効果が合わさるのか」とコメントが来た。
「合わさります。即効性で体が温まり、その後に持続性が続きます」
耐熱の器に移した。
「チーズを乗せます」
熟成チーズを削った。器の上に均一に乗せてから、石窯に入れた。
「石窯で焼きます。チーズが溶けるまで待ちます」
七分後、石窯から出した。
チーズが溶けて表面が泡立っていた。焼き色がついていた。
中から香りが来た。
無凍降脂の魔力と、氷雪根の温熱成分と、熟成チーズの発酵香が混ざった複雑な香りだった。
「できました。ガルム風グラタンです」
ブルンが受け取った。
スプーンを入れた。チーズが糸を引いた。
一口食べた。
「……熱い」とブルンが言った。
「口の中ですか」
「口の中ではなく、体の中だ。食べた瞬間から体の内側が熱くなっている。氷雪根スープよりはるかに速い」
「無凍降脂の効果が加わっているからです」
「この持続時間は」
「今日はまだ確認していません。ただし理論的には氷雪根スープの二倍から三倍は持続するはずです」
「それが坑道の深部でも使えるのか」
「持続時間が二倍なら、深部での作業時間が変わります」
ブルンが二口目を食べた。
「チーズが来た。濃厚だ。肉の旨味と全部が一緒になっている」
「三つの素材が合わさっています。それぞれの効果が重なっています」
エルザが食べた。
「うちのチーズがこうなるのか」と言った。
「石窯で熟成させた分の深みが出ています」
「一週間待った甲斐があった」
「時間が入っています」
「それが違いになるんだな」
「そうです」
コメント欄に「グラタンだ」「三つの素材が合わさった」「ガルム編の集大成」「にゃん吉の食レポが聞きたい」が流れた。
にゃん吉がスプーンで一口食べた。
「無凍降脂の魔力がチーズに溶け込んでいる」
「溶け込みましたか」
「加熱したことで魔力が拡散した。チーズ全体に広がっている。食べると全部から温熱効果が来る」
「点ではなく面で来るということですね」
「そういうことだ。氷雪根の刺激とは違う。全体から温まる」
「それが最深層との繋がりですか」
「そうだ。最深層の極寒地帯では局所的な熱源では対応できない。全方向から温まる必要がある。無凍降脂がその答えになる可能性がある」
夕方、領主フォルツから通信が来た。
マリウスが通訳してくれた。
*ガルム全域の指導者育成網が完成した。ヴェルン、ケセル、それぞれに指導者が決まり、マニュアルが配布された。加えて今日の配信でフロストボアの活用法が分かった。ケセルの鉱夫のために正式に採用したい。ガルムとして感謝する。——フォルツ*
「フォルツ領主から正式な連絡が来ました」とリディアはにゃん吉に言った。
「ガルム編が完結したのか」
「完結しました。エルザとブルンが指導者として動いています。無凍降脂の活用方法も記録されました」
「次はアランヴァル上流だな」
「ミストルへ向かいます」
夜、ブルンが来た。
「体の熱が三時間持続している」と言った。
「三時間ですか」
「グラタンを食べてから三時間が経つが、まだ体の内側から熱が来ている。氷雪根スープは一時間で切れた。これは全然違う」
「無凍降脂の持続性が出ています」
「坑道の深部に持っていける」
「フロストボアの脂を定期的に入手できますか」
「洞窟が近くにある。討伐に行ける」
「定期的に採取してグラタンの素として加工する仕組みを作ります。明日マニュアルを作ります」
「助かる」とブルンが言った。
「本当に助かる」
夜遅く、羊皮紙を広げた。
無凍降脂グラタンの加工マニュアルを書いた。
「また書いているのか」とにゃん吉が言った。
「明日ブルンさんに渡します」
「今日は色々あったな」とにゃん吉が言った。
「洞窟に入って、フロストボアを倒して、チーズが完成して、グラタンを作って、領主から連絡が来ました」
「密度が高い一日だった」
「ガルムはどこも密度が高かったです。寒い場所の人間は一つ一つの話が短くて、行動が速い」
「寒さのせいか」
「寒さのせいだと思います。外で長話をする余裕がない。だから要点だけ話す。だから覚えが速い」
「それがガルムで仕組みを作るのが速かった理由か」
「一つの理由だと思います」
にゃん吉が缶を傾けた。
「最深層での無凍降脂の話をしたが、今日の洞窟の経験が実際に役立つと思うか」
「役立ちます」とリディアは言った。
「氷系の魔獣の性質を理解できました。最深層の極寒地帯で同じ性質の魔獣に会った時、今日の経験が基準になります」
「基準があれば判断が速くなる」
「そうです。初めて会う素材でも、似た性質を知っていれば応用できます」
「旅先での経験が全部積み上がっているのか」
「はい、積み上がっています」とリディアは言った。
「エルダから始まって、カイロス、アランヴァル、ノルド、ガルム。全部が最深層に繋がっています」
ペンが動いた。
ガルム編の記録をまとめた。
それが終わったら次の場所に向かう。




