↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もふもふ猫神とダンジョン飯  作者: もも
第一部 大陸・ダンジョン編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
63/84

第63話:石窯のチーズ

 朝、女将のエルザが来た。


 六十代ほどの大柄な女性だった。昨夜の様子から、長年この街で宿屋をやってきた人間の顔をしていた。働き者の手だった。


「約束通り来た」とエルザが言った。


「お待ちしていました。まず昨日の煮込みから始めます」


「その前に一つ聞いていいかい」


「どうぞ」


「あんたは何者だ。商人でも冒険者でもないだろう」


「料理をする人間です」


「それだけか」


「配信もしています」


 エルザが水晶板を見た。すでに起動していた。


「これが配信というやつか。噂には聞いていた」


「見たことはありますか」


「ない。水晶板は持っていない」とエルザは言った。


「ただし昨夜、宿の若い男が騒いでいた。令嬢の配信が見られるようになったと」


「ガルムでも見られます」


「そうか」とエルザは言った。それ以上は聞かなかった。


「まあいい。料理を教えてくれればそれでいい」




 煮込みの工程から始めた。


 昨日の手順を一つずつエルザに確認させながら進めた。


「茹でこぼしが一番大事です。ここを省くと臭みが残ります」


「面倒だな」


「面倒ですが、省けません。ここが全部の基礎です」


 エルザが鍋に向かった。手際が良かった。長年料理をしてきた人間の動き方だった。


「茹でこぼしの回数は毎回同じか」とエルザが聞いた。


「素材によって変わります。穴熊型は一回。岩蜥蜴は三回。羽なし鳥は一回」


「どうやって判断する」


「匂いです。湯が白く濁って臭みが強い間は繰り返します。湯が透明に近くなって匂いが落ち着いたら次に進みます」


「匂いで判断するのか」


「計れないものは感覚で判断します。繰り返せば分かってきます」


 エルザが頷いた。


「分かった。続けて」




 煮込みを火にかけた。


 待つ間に、リディアは別の準備を始めた。


「乳の話をします」とリディアは言った。


「エルザさん、余っている乳はどこで手に入りますか」


「牧夫のサムのところだ。山羊と魔羊の乳が毎日余っている。もらいに行けばただでくれる。捨てているよりましだと言っている」


「今日もらいに行けますか」


「行ける。量はどのくらい要る」


「まず試作なので少量でいいです。大きな桶で一つ分ほど」


「伝えてくる」とエルザが言って、外に出た。




 配信を続けた。


「今日は二つ進めます。煮込みの続きと、乳の加工です」とリディアは水晶板に向かって言った。


 コメント欄に「乳の加工とはチーズか」「ヴェルンで乳が余っているのか」「また廃棄素材が出てきた」が流れた。


「余っている乳をチーズにします。保存が利いて、栄養もある。固いパンと合わせれば食事になります」


「チーズの作り方を知っているのか」とコメントが来た。


「知識があります」とリディアは言った。


「基本的な方法は単純です。乳を温めて、固める成分を加えて、水分を抜く。それだけです」


「固める成分とは」とコメントが来た。


「本来は凝乳酵素を使いますが、代わりになるものがあります。酸です。酢や魔果実の汁を使えば乳が固まります。本格的なチーズより風味は落ちますが、まずはこれで始めます」




 エルザが戻ってきた。


 大きな桶を抱えていた。中に白い液体が入っていた。


「サムが喜んでくれた。余っているから好きなだけ使えと言っていた」


「ありがとうございます。作り方を見せますね」


 乳を鍋に移した。


 弱火にかけた。


「温度が大事です。熱しすぎると固まる前に変質します。体温より少し高いくらいが目安です」


「どうやって測る」とエルザが聞いた。


「手首の内側で確認します。触って温かいと感じる程度です。熱くなったら一歩手前です」


 温めながら魔果実の汁を少量加えた。


「酸を加えます。少しずつです。多すぎると酸味が強くなりすぎます」


 混ぜた。


 しばらくすると変化が出てきた。


 乳が分離し始めた。白い固形物と、薄い黄色の液体に分かれていく。


「分離しました」


「白いものが固まったのか」とエルザが言った。


「そうです。タンパク質が固まっています。これがチーズの素になります」




 布で漉した。


 固形物が残った。


 柔らかい、白い塊だった。


「これがカッテージチーズに相当するものです。今日はここまでです」


「食べられるのか、今すぐ」とエルザが言った。


「食べられます。塩を少量加えて食べてみてください」


 塩を振った。


 エルザが一口食べた。


 少し考えた顔をした。


「柔らかい。酸味がある。クセがない」


「そうです。そのまま食べても美味しいですが、固いパンに乗せるとよく合います」


 エルザがパンを取ってきた。


 チーズを乗せた。一口かじった。


「……パンが食べやすくなった」


「チーズの水分がパンに入ります。固さが和らぎます」


「なぜ今まで誰もこれをしなかったんだ」


「乳が固まることを知らなかったか、方法が分からなかったかです」


「簡単なことじゃないか」


「知っていれば簡単です。知らなければ分かりません」




 コメント欄に「チーズができた」「カッテージチーズか」「固いパンとの組み合わせが良さそう」「エルザさんの反応が良い」が流れた。


 にゃん吉がチーズを一口食べた。


「酸味がある」


「乳の種類と酸の量で変わります。今日は試作なので酸味が少し強いです。調整します」


「調整できるのか」


「加える酸の量を変えます。次回は少し減らして、もう少し穏やかな味にします」


「回数を重ねれば良くなるのか」


「必ずなります」




 昼前、煮込みが仕上がった。


 エルザに確認させた。


「箸を入れてください」


 エルザが箸を入れた。


 崩れた。


「昨日と同じになりました」とエルザが言った。


「同じ手順でやれば同じものができます」


「私でもできたのか」


「できました。あとは繰り返して体に覚えさせます」


 エルザが煮込みを器に盛った。


 宿の客に出した。




 最初の客が食べた。


 五十代の鉱夫だった。毎日この宿で昼食を取っているらしかった。


 一口食べて止まった。


「エルザ、何をした」と言った。


「令嬢に教わった」とエルザが答えた。


「いつものじゃないな」


「いつもの肉だ。料理の仕方が変わっただけだ」


「柔らかい。口の中でほどける」


「そうだ」


 鉱夫がもう一口食べた。また止まった。


「温かい」と言った。


「温かいのはいつも同じじゃないか」とエルザが言った。


「温かさが違う。中から来る温かさだ」


 コメント欄に「中から来る温かさ」「鉱夫の言い方が詩的だ」「届いてる」「スパチャ連打」が流れた。




 午後、マリウスが来た。


「噂が広まっています」とマリウスが言った。


「エルザの宿で食事が変わったと、街の人達が話しています」


「一日でですか」


「この街は小さいので広まるのが早い。昼に食べた鉱夫が仲間に話したようです。夕食に来たいと言っている人間が増えています」


「エルザさん、夕食の量を増やせますか」


「材料が要る」とエルザが言った。


「干し肉を追加で買ってきます。乳ももう一桶もらいに行きます」


「私が行く」とエルザが言った。


「サムには私の方が話が通りやすい」




 エルザが出ている間、リディアは次の段階を考えた。


 カッテージチーズの次は熟成チーズだった。


 熟成させれば保存期間が延びる。栄養密度も上がる。固いパンと合わせて食べれば、一食で必要な栄養が取れる。


「次は熟成チーズに進みます」とにゃん吉に言った。


「時間がかかるのか」


「本格的な熟成には時間がかかります。ただしここでは石窯が使えます。石窯の温度と湿度を利用すれば、熟成の速度を上げられます」


「石窯があるのか」


「エルザさんに聞いたら、街の外れに古い石窯があると言っていました。昔はパンを焼くのに使っていたが、今は使っていないそうです」


「使えるのか」


「明日確認に行きます。使えれば熟成チーズの試作を始めます」




 夕方、エルザが戻ってきた。


 乳を二桶持ってきた。


「サムが今日から毎日持ってくると言っていた。令嬢が使うなら喜んで渡すと」


「ありがとうございます。明日から乳の加工を本格的に始めます」


「石窯の件も話してきた」とエルザが言った。


「石窯のことを聞きましたか」


「街の古い石窯のことを知っているか聞いたら、何の用かと聞き返された。チーズを熟成させると言ったら、鍵を渡してくれた。好きに使えと言っていた」


「話が早いですね」


「この街の人間は無駄なことを言わない。寒い場所では言葉が少なくなる」




 夜の配信で今日の成果を伝えた。


「今日、カッテージチーズの試作に成功しました。固いパンと合わせて食べました。明日は石窯を使って熟成チーズに進みます」


 コメント欄に「一日で進んだ」「石窯熟成チーズか」「ガルムで食文化が変わっていく」が流れた。


「ヴェルンの素材は少ないですが、使えるものがあります。干し肉と乳があれば、タンパク質は取れます。あとは調理の方法です」


「それを届けるのが令嬢の仕事か」とコメントが来た。


「そうです。届けて、教えて、仕組みを残します。それだけです」




 夜、エルザが煮込みの残りを持ってきた。


「夕食に全部出したら全部なくなった。明日も作るから教えてくれ」


「明日も一緒に作ります」


「チーズも出した。全部なくなった」


「一日で」


「少ない量だったからな。もっと作れば良かった」


「明日から量を増やします」


 エルザが「頼む」と言って部屋を出た。


 マリウスが残っていた。


「令嬢」とマリウスが言った。


「はい」


「一つ言ってもいいですか」


「どうぞ」


「カイロスで初めて会った時から、あなたは止まらないと思っていました。今日もそれを確認しました」とマリウスが言った。


「ありがとうございます。この街に来てくれて」


「素材があったので来ました」


「素材を見つけるのがあなたの仕事ですね」


「そうです」


 マリウスが「そうですね」と言って、立ち上がった。


「明日も来ます」


「来てください。石窯を見に行く時に一緒に来てもらえると助かります」




 夜、羊皮紙を広げた。


 石窯チーズの熟成工程を書いた。


 温度の目安。湿度の確認方法。熟成期間の目安。表面に出るカビの種類と対処法。


「随分詳しく書いているな」とにゃん吉が言った。


「前世の知識を全部出しています。正確に伝えないと失敗します。チーズの熟成は繊細です」


「繊細なのか」


「温度と湿度が合わなければ良いものができません。ただし石窯は蓄熱性が高いので、温度が安定しやすい。条件が整えば上手くいきます」


「また新しい場所で新しいものを作るのか」


「そうです」


「楽しそうだな」とにゃん吉が言った。


「楽しいです」とリディアは言った。


 暖炉が続いていた。


 外の風が窓を叩いていた。


 ヴェルンの夜は深かった。


 でも宿の中は温かかった。


 煮込みとチーズの香りが残っていた。


 ペンが動いた。


 明日の準備が羊皮紙に並んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。