第60話:極寒仕様の厨房車
翌朝、レオンが来た。
今日は工具の袋だけでなく、大きな設計図を抱えていた。丸めた羊皮紙が三本あった。
「昨日から準備していました」とレオンが言った。
「ガルムの内陸部に向かうと聞いてから、設計を見直していました」
「問題点を先に教えてください」とリディアは言った。
「三つあります」
「どうぞ」
レオンが設計図を広げた。
「一つ目、魔導炉の出力が低温環境で落ちます。現在の設計は公爵領の気温を基準にしています。ガルムの内陸高地は冬季に氷点下になります。その環境では魔導炉が本来の出力の六割程度しか出せない可能性があります」
「六割では」
「調理に支障が出ます。特に高温が必要な揚げ物と炒め物で問題が出ます」
「解決策は」
「魔導炉に耐寒魔法陣を追加します。外気温を感知して、低温時に自動で出力を補正する仕組みです。ドランさんのエルダ製鉱石を素材に使えば、熱効率が上がります」
「二つ目は」
「厨房車全体の断熱です。今の構造は暑さ対策はしていますが、寒さ対策をしていません。高地では作業中に手が悴む可能性があります。側面の扉に断熱材を組み込みます」
「三つ目は」
「保温容器の強化です。今のものは公爵領からエルダへの輸送程度の保温時間を想定しています。ガルムの高地では気温が低いため、熱が逃げるのが早い。二倍の保温時間が必要です」
リディアは書いた。
「全部対処できますか」
「できます。ただし時間が必要です。三日あれば全部仕上げます」
「三日で出発できますか」
「できます。工房の職人を全員当てます」
「無理をさせていませんか」
「させていません」とレオンは言った。
「配信を全員で見ています。ガルムに何があるか、職人たちも気にしています。自分たちが作った道具で令嬢が新しい場所に行くと分かれば、手が速くなります」
「エルダの時と同じですね」
「同じです。作った人間が届け先を知っている時は、仕事が変わります」
にゃん吉がレオンの設計図を覗き込んだ。
「耐寒魔法陣というのは複雑なのか」
「複雑です」とレオンが答えた。
「外気温の感知と出力の自動補正を同時にやる必要があります。ただし基本の構造はエルダ製フライパンの均一熱分散と同じ発想です。ドランさんの素材と組み合わせれば実現できます」
「ドランが関わっているのか」
「エルダから鉱石を送ってもらっています。赤鉄鉱系の素材は低温でも安定して熱を保持する特性があります。それを魔導炉の補助材として組み込みます」
「エルダが遠征を支えているのか」
「エルダだけではありません」とレオンが言った。
「カイロスのタスカさんから耐水加工の材料が届いています。高地は雨や雪が多いので、木部の防水処理をします。アランヴァルのイルゼさんからは断熱素材になる植物繊維が来ています。湿地帯特有の繊維で、断熱性が高い」
「全部の拠点から来ているんですね」
「ヴィランさんから各拠点に連絡を入れていただいていたようです。昨日の午後から届き始めました」
水晶板を起動した。
「準備の配信をします」とリディアは言った。
「ガルムの内陸部に向けて、厨房車を改修しています」
コメント欄に「ガルム編が来る」「どんな改修だ」「レオンさんが来てる」が流れた。
「寒冷地に向けた対策が三つあります」
レオンが設計図をカメラに向けた。
「一つ目、魔導炉の耐寒補正。二つ目、断熱構造の追加。三つ目、保温容器の強化です」
「全部の拠点の素材が使われています」とリディアは続けた。
「エルダの鉱石、カイロスの耐水材、アランヴァルの植物繊維。繋がっている場所が遠征を支えています」
コメント欄に「ネットワークが活きてる」「エルダ、カイロス、アランヴァルが揃った」「令嬢の仕組みがここでも機能している」が流れた。
三日間、レオンが工房の職人たちと厨房車の改修を進めた。
リディアは並行して準備をした。
ガルムへの持参素材のリストを作った。
固形スープの素を百五十個。アランヴァルの黒穀を十袋。カイロスのオイルサーディンを三十本。ハンスの保存脂を容器に入れたものを五個。ノルドで仕入れた香辛料。
「全拠点の素材が揃っています」とリディアはにゃん吉に言った。
「持っていけるだけ持っていくのか」
「寒冷地では手に入らないものがあります。現地で何が手に入るかは行ってから分かります。その前に使えるものは全部持ちます」
「旅支度が大きくなってきたな」
「拠点が増えた分だけ持てるものが増えました」
三日目の夕方、レオンが報告に来た。
「完成しました」
厨房車を確認した。
外見は大きく変わっていなかった。ただし細部が変わっていた。
側面の扉を触った。昨日より厚みがあった。
「断熱材が入っています」とレオンが言った。
「外気温が下がっても、内部の温度を保てます」
魔導炉を起動した。
温まり方が変わっていた。以前より早く、均一に広がった。
「耐寒補正の効果が出ています」
「寒い場所で試していませんが」
「こちらで計算した数値では、氷点下十度の環境でも通常の八割以上の出力を保てます。実際に寒冷地で使ってみて、調整が必要なら連絡してください。追加の魔法陣を郵送で送れます」
「遠隔で対応できますか」
「設計図を送れば、現地の鍛冶師に依頼できます。ガルムにドランさんと連携できる鍛冶師がいれば問題ありません」
「マリウスさんに確認します」
夜、各拠点への通信を入れた。
エルダのセルムへ。
「明後日出発します。ガルムに向かいます。耐寒魔導炉にドランさんの素材を使っています」
カイロスのタスカへ。
「耐水材が届きました。ありがとうございます。カイロスの状況はどうですか」
アランヴァルのイルゼへ。
「植物繊維が活きています。組合の食材部門の状況を教えてください」
ノルドのヘンドリックへ。
「出発の前に確認です。正式協定の書面に問題はありませんでしたか」
マリウスへ。
「ガルムの内陸部に向かいます。鍛冶師の伝手を教えてください」
ガルムのガルムへ。
「コラボの機会があれば声をかけてください」
返信が来た。
エルダのセルムから。
「応援しています。角煮丼は今週も毎日作っています。ドランさんが『あの厨房車に俺の鉱石が入っているのか』と言っていました」
カイロスのタスカから。
「カイロスは順調だ。オイルサーディンの二か月物が完成した。次に来た時に食わせてやる。ガルムの海が見えるくらい遠くまで行くのか」
アランヴァルのイルゼから。
「組合は独立して動いています。グレンが若手の指導を始めました。山魔胡椒という香辛料の情報が上流から来ています。何か分かったら連絡します」
ノルドのヘンドリックから。
「書面に問題ありません。ノルドは活気が続いています。コルトが一緒に行くと言っています。止めますか」
マリウスから。
「ガルムの内陸都市ヴェルンに信頼できる鍛冶師がいます。名前はロッシュ。私の名前を出せば対応してくれます。あと一つ、ヴェルンは食事が本当に貧しい。覚悟して来てください」
「マリウスさんが覚悟してと言っています」とリディアはにゃん吉に言った。
「貧しいのか、食事が」
「貧しいようです。寒冷地で新鮮なものが手に入りにくい。乾燥した塩辛い肉と硬いパンばかりと」
「エルダに最初に行った時と似ているな」
「似ていると思います。ただしエルダより厳しい環境だと思います。気温が低い分、食材の選択肢が少ない」
「どうするつもりだ」
「行ってから判断します。現地の素材を見てから決めます」
「行く前から決めないのか」
「决めすぎると現地で修正できなくなります。方向だけ持って行って、素材に合わせます」
にゃん吉が缶を開けた。
「そのやり方は最初からそうだったな」
「最初からです。スライムモドキから始まって、素材を見てから決めてきました」
「覚えているのか、スライムモドキを」
「覚えています。最初の食材でした」
翌朝、出発の準備をした。
荷台を確認した。全部の素材が積まれていた。
コルトが来た。今日も仲間を連れていた。
「止めなかったんですか」とリディアはヘンドリックへの返信を思い出しながら言った。
「止める理由がないから止めなかった」とコルトが言った。
「前回も一緒に行った。今回も行く」
「ガルムの内陸部は寒いですよ」
「ダンジョンより寒いことはないだろう」
「ダンジョンより寒い可能性があります」
「それはそれで面白い」
ダグラスが来た。
「今回も同行します」と言った。
「よろしくお願いします」
「公爵閣下からの指示です。ただし今回は前回より少人数にします。大人数だと目立ちます」
「分かりました」
「ガルムの国境での確認事項があります。マリウス様の書状を持参してください。ガルム側の通関で必要になります」
「準備しています」
出発前、ヴィランが来た。
「公爵閣下からです」と言って封筒を渡した。
開けた。
短かった。
【気をつけろ。美味いものを見つけてこい。——父より】
「相変わらずですね」とリディアはにゃん吉に言った。
「気をつけろと美味いものを見つけろを同列に言うのか」
「同じ重さで書いてあります」
「それが公爵のバランスなのか」
「そうだと思います」
荷車が動き出した。
公爵領の城門をくぐった。
道が伸びていた。
ガルムへの街道は今まで通ったことがなかった。マリウスとの取引では彼の商会の人間が物資を運んでいた。リディア自身がガルムの土を踏むのは今回が初めてだった。
「どんな土地ですか」とにゃん吉に聞いた。
「岩が多い。草が少ない。風が強い」とにゃん吉が言った。
「昔通った時の記憶だが、そんなに変わっていないと思う」
「食材は」
「少ない。ただし少ない中に珍しいものがある場合がある」
「珍しいものがあればいいですね」
「お前は常にそれを探しているな」とにゃん吉が言った。
「探さないと見つかりません」
街道が続いた。
荷台でリディアは羊皮紙を広げた。
「また書いているのか」とコルトが御者台から言った。
「移動中は考える時間があります」
「ガルムで何を作るか、もう考えているのか」
「まだ決めていません。現地の素材を見てから決めます。ただし持参した素材との組み合わせは考えています」
「組み合わせを考えるだけで書くことがあるのか」
「たくさんあります」
コルトが「そういうものか」と言った。
公爵領の境界を越えた。
景色が変わった。
草の色が薄くなった。岩が増えた。空が低く感じた。
「ガルムに近づいていますね」とリディアはにゃん吉に言った。
「あと二日だ」
「二日で着きますか」
「街道が整備されていれば。ただし国境越えで時間がかかる可能性がある」
「ダグラスさんに確認します」
ダグラスが「問題ありません。マリウス様の書状があれば通関は一時間以内で終わります」と言った。
「では明後日の昼にはヴェルンに着きます」
夜、宿場の野営地で止まった。
焚き火を起こした。
固形スープの素を使ってお湯を作った。
「改めて飲むと、全部の拠点の味がします」とリディアは言った。
「エルダとカイロスとアランヴァルが一個に入っているのか」とコルトが言った。
「そうです。それぞれの素材が入っています」
「今夜はガルムへの途中でこれを飲んでいる。それが面白いな」
「面白いですね」
にゃん吉が椀を受け取って飲んだ。
「ガルムでこの素材が手に入らないことを考えると、よく分かる味がする」
「よく分かる味、というのは」
「大事にしたくなる味だ」とにゃん吉は言った。
「遠くに来てから分かる味というのがある」
「前世でも似たことを思いました。旅先では地元の食材の良さが分かりませんでした。離れてから分かることがある」
「神獣も同じだ。長く生きていると、当たり前だったものの価値が後から分かることがある」
焚き火が続いていた。
ガルムまであと二日だった。
空が広かった。
星が多かった。




