第58話:終わらない街道
レオンが自ら持参していた。
固形スープの素が二百個。エルダ製フライパンが五枚追加。カイロスのオイルサーディンが三十本。アランヴァルの黒穀が十袋。ハンスから届いた魔豚肉が保冷容器に入っていた。
「昨日の二倍持ってきました」とレオンが言った。
「なぜですか」
「今日はさらに人が来ると思いまして。工房の職人たちが全員で昨夜仕上げました。配信を見ていたので」
「工房の皆さんに伝えてください。ありがとうございますと」
「伝えます。ただし職人たちは令嬢のために作ったというより、今日の炊き出しに並ぶ人間のために作ったと言っていました」
炊き出しを始めた。
城門が開いた。
昨日より多い人間が出てきた。
昨日の人間が家族を連れてきていた。昨日来なかった人間が今日来ていた。
行列ができた。
コルトの仲間が列を整理した。ダグラスの部下が安全を確認した。クラウスが盛り付けを手伝った。レオンが素材の補充を管理した。
「人が多いですね」とコルトが言った。
「昨日の採決の話が広まっています。何かが変わると思って来ている人が多いんだと思います」
「何かが変わったのか」
「変わり始めています」
午前中、ヴィランから通信が来た。
【朝の報告です。王都内部の商人から公爵家に接触が相次いでいます。セドリック殿下の審議が始まったことで、これまで王都大商会の圧力で動けなかった中小商会が動き始めています。具体的には、エルダの鉱石、カイロスの海産物、アランヴァルの黒穀との直接取引を希望する声が複数出ています。公爵閣下は現在、対応の検討中です。——ヴィラン】
「王都の内部が動いています」とリディアはにゃん吉に言った。
「中小商会が動き出したのか」
「ノルドで接触してきた商人が言っていた通りになっています。何かが変わる時を待っていた人たちが動き始めました」
「それがセドリックの審議開始で来たのか」
「審議だけではないです。炊き出しが三日続いたこと、城門から市民が出てきたこと、全部が重なっています」
昼前、王都から別の来客があった。
貴族院の紋章が入った服を着た男だった。
「ローゼンベルク令嬢にお会いしたい」と言った。
「私です」
「貴族院の使者として参りました。審議に関連して、令嬢の活動についての正式な確認事項があります」
「どうぞ」
「エルダ鉱山都市、カイロス港湾都市、アランヴァル水運都市、ノルドにおける令嬢の活動内容を公式に記録したいとのことです。令嬢の口から直接聞きたいという貴族院の要望です」
「記録に残していただけるなら喜んで」とリディアは言った。
「今日中に時間をいただけますか」
「炊き出しを続けながらであれば話せます。並行して構いませんか」
使者が少し戸惑った顔をした。
「料理をしながらということですか」
「手を止める理由がないので」とリディアは言った。
「来ている人がいます」
配信を続けながら、使者に話した。
エルダで何をしたか。カイロスで何をしたか。アランヴァルで何をしたか。ノルドで何をしたか。
全部を話した。
廃棄されていた素材を使ったこと。現地の人間が自分で作れる仕組みを残してきたこと。流通ルートを繋いだこと。妨害が来るたびに別のルートで対処したこと。
使者が全部書き留めた。
コメント欄に「公式記録になるのか」「令嬢の活動が記録される」「重要だ」が流れた。
使者が帰った後、にゃん吉が言った。
「記録に残るのか、全部が」
「残ります。そちらの方が都合が良いです」
「なぜだ」
「私が動いてきたことが公式に確認されれば、後で誰かが否定しにくくなります。記録は証拠になります」
「先を読んでいたのか」
「記録を残しておくことは最初から意識していました。配信自体がその機能を持っています」
「配信が証拠になるのか」
「全部が映像として残っています。何があったかを後から否定できない」
午後、ヴィランから短い通信が来た。
【重要な報告です。国王陛下が今日の午後、王都の商業規制について見直しの検討を開始されました。エルダ、カイロス、アランヴァル、ノルドとの取引に課していた不当な関税と制限を撤廃する方向で動いているとのことです。公爵閣下は現在、法務担当と詳細を詰めています。——ヴィラン】
「関税と制限が撤廃される方向です」とリディアはにゃん吉に言った。
「ついに来たな」
「まだ確定ではありませんが、方向が出ました」
「それで王都包囲の新経済圏が正式に認められるのか」
「認められれば、王都を中心とした独占の構造が変わります。エルダ、カイロス、アランヴァル、ノルド、ガルム、公爵領、全部が対等に繋がった流通圏になります」
夕方の配信で、状況を伝えた。
「今日、王都内部で動きがありました」とリディアは言った。
「詳細は確定していませんが、不当な関税と制限の撤廃が検討されています」
コメント欄に「本当か」「ついに」「変わる」「スパチャ連打」が流れた。
「ただし私がやることは変わりません。今夜も炊き出しを続けます。明日も続けます」
「いつまで続けるんだ」とコメントが来た。
「来ている人がいる間は続けます」
夕方、城門の前に別の人物が来た。
王都の服を着た、年配の男だった。貴族の服だった。
一人で来ていた。護衛がいなかった。
「令嬢」と男が言った。
「はい」
「王都の下級貴族の者です。名前は申し上げません。ただ一つ伝えたくて来ました」
「どうぞ」
「配信を最初から見ていました。ダンジョンで猫と一緒に始めた頃から」
リディアは少し止まった。
「最初からですか」
「そうです。最初の頃、スライムゼリーポンチというものを作っていましたね」
「作りました」
「あれを見た時、何かが変わると思いました。食材の価値をひっくり返せる人間がいると思いました」
男が一歩前に出た。
「今日伝えたかったのはそれだけです。変えてくれてありがとう」と言った。
頭を下げた。
そのまま城門に戻っていった。
コメント欄に「見ていた人がいた」「ダンジョンの頃から」「スライムゼリーポンチ」「最初を覚えている人がいる」が流れた。
にゃん吉が言った。
「覚えていたのか、最初のことを」
「あの人は覚えていたみたいです」
「お前は覚えているか」
「覚えています」とリディアは言った。
「お腹が空いていて、ハイヒールで石畳を歩いていて、あなたが画角に入り込むなと言った夜です」
「そうだ」
「あの夜から続いています」
「ずいぶん遠くまで来たな」
「来ました」
夜、関税と制限の撤廃が正式に決定したという通知がヴィランから届いた。
【正式な決定が出ました。王都が課していた不当な関税と流通制限が全廃されます。エルダ、カイロス、アランヴァル、ノルド、ガルム、公爵領との自由な取引が認められます。公爵閣下より。「終わった。ただしお前の仕事は終わっていない」とのことです。——ヴィラン】
「父から連絡が来ました」とリディアはにゃん吉に言った。
「なんと言っている」
「終わった。ただしお前の仕事は終わっていない、と」
「どういう意味だ」
「父らしい言い方です。関税の問題は終わった。でも私のやることは変わらない、ということだと思います」
「料理を続けろということか」
「そういうことだと思います」
水晶板に向かった。
「正式な発表がありました」とリディアは言った。
「不当な関税と流通制限が全廃されます」
コメント欄が爆発した。
「本当か」「ついに」「令嬢が変えた」「スパチャ連打」が画面を埋めた。
「ただし私がやることは変わりません」とリディアは続けた。
「何を言っているんだ、十分すぎる」というコメントが来た。
「仕組みができました。関税が撤廃されました。流通が自由になります。でもそれだけでは届かない場所がまだあります。まだ処理方法を知らない食材があります。まだ捨てられている素材があります」
翌朝、厨房車の準備を始めた。
にゃん吉が荷台に乗ってきた。
「どこへ行く」
「公爵領に一度戻ります。レオンと次の開発を詰めます。ハンスとも話したいことがあります」
「戻ってどうする」
「次の場所を考えます」
「次の場所があるのか」
「あります」とリディアは言った。羊皮紙を取り出した。
「この一年で繋がった場所の外に、まだ繋がっていない場所があります。ガルムの内陸部。アランヴァルの上流にある高地の集落。王都の東側の農業地帯。行ったことのない場所がまだあります」
「行くのか、全部」
「行けるところから行きます」
コルトが来た。
「出発するのか」
「公爵領に戻ります」
「ノルドに戻る我々とは別れるな」
「またコラボできる機会があれば声をかけてください」
「こちらから行くかもしれない」とコルトは言った。
「あんたが行く場所に面白いものがあるのは証明されている。ついていきたくなる」
「来てください。試食役は常に歓迎します」
「試食役か」とコルトは笑った。
「それが俺の役割か」
「大事な役割です」
荷台が動き出した。
城壁が後ろになった。
三日間、この場所にいた。
三日間で、城門が開いて、市民が出てきて、採決が出て、関税が撤廃された。
「にゃん吉さん」
「何だ」
「最深層の話を覚えていますか。虚ろの王という素材の話」
「覚えている。まだ行くつもりか」
「いずれ行きます。今はまだ外の仕事が残っています。ただし忘れていません」
「そうか」
「次の仕事が始まります」
「そうか」
にゃん吉は缶を開けた。
街道が続いていた。
公爵領に向かう道だった。
荷台でリディアは羊皮紙を広げた。
新しいページを開いた。
一番上に書いた。
「次の仕事:行ったことのない場所へ」
その下に行きたい場所の名前を書いた。ガルムの内陸部。アランヴァルの上流の高地。王都の東の農業地帯。最深層。
書きながら、移動厨房車が進んでいった。
「また書いている」とにゃん吉が言った。
「次の準備です」
「次が既にあるのか」
「いつもあります」
にゃん吉が「そうか」と言った。
缶を傾けた。
マタタビ酒の甘い発酵の匂いが風に乗って広がった。
街道が伸びていた。
公爵領が向こうにあった。
その先に、まだ行ったことのない場所がある。
まだ捨てられている食材がある。
まだ届けていない人間がいる。
移動厨房車の車輪が回り続けた。
街道は終わらなかった。




