第57話:対決
朝が来た。
城門がまだ開いていた。
夜通し開いていた。誰も閉める命令を出さなかったらしかった。あるいは出せなかったのか。どちらかは分からなかった。
リディアは夜明け前から仕込みを続けていた。
固形スープの素の残りを確認した。昨日から配り続けて、残りが三十個になっていた。
「補充が要りますね」とコルトに言った。
「公爵領から追加を送れるか」
「レオンに連絡します」
朝食の炊き出しを始めた。
城門から人が出てきた。昨日と同じように、出てくるたびに厨房車の方向に歩いてきた。
配信を起動した。
「三日目の朝です」とリディアは言った。
「今朝も炊き出しを続けます」
コメント欄に「令嬢が止まらない」「昨日の貴族院の話はどうなった」「今日何かが動くのか」が流れた。
「貴族院の採決が今日の朝とのことです。詳細は私には分かりません。こちらはこちらのことを続けます」
朝食の途中だった。
城門の方向から、別の足音が来た。
昨日の市民の足音ではなかった。
重い足音だった。金属の音が混じっていた。
にゃん吉の耳が立った。
「来る」
「どんな人間ですか」
「王都の正規の護衛だ。多い。二十人以上いる。中に、護衛とは違う人間が一人いる」
「護衛とは違う人間」
「威圧感がある。育ちの良さとプライドが混ざった気配だ」
リディアは水晶板のカメラを城門の方向に向けた。
人の群れが来た。
護衛が先頭を歩いていた。全員が正装だった。
その中央に一人、若い男がいた。
金髪だった。背が高く、服が良い。顔立ちが整っていた。
最後に顔を見たのは卒業パーティの日だった。あの夜から何か月も経っていた。
セドリック・ヴァルムだった。
コメント欄に「王子だ」「本人が来た」「直接対決か」「スパチャ連打」が流れた。
セドリックが立ち止まった。
厨房車を見た。配信用の水晶板を見た。集まっている市民を見た。
それからリディアを見た。
「リディア・ローゼンベルク」とセドリックが言った。声が大きかった。周囲に聞かせるつもりの声だった。
「このような場所で何をしているのか」
「炊き出しをしています」とリディアは言った。
「炊き出し」
「食事を届けています。王都の皆さんに」
「貴様は追放された身だ。王都の近くで活動することは」
「城壁の外です」とリディアは言った。
「公爵家の所有する倉庫を使っています。王都の管轄外の土地です。法的に問題はありません」
セドリックの顔が少し動いた。
「法的な問題がないとしても、王家の意向として」
「王家の意向は正式な法として示していただく必要があります。私的な意向に従う義務はありません」
コメント欄が止まった。
全員が次の言葉を待っていた。
セドリックが一歩前に出た。
「貴様がエルダやカイロスやアランヴァルで、王都の正当な商業活動を妨害してきたことは把握している。それを反逆と呼ばずして何と呼ぶ」
「反逆していません」とリディアは言った。
「言い訳をするか」
「事実を言っています」とリディアは言った。声のトーンは変えなかった。
「エルダでは廃棄されていた坑道魔物の肉を食材にしました。カイロスでは廃棄されていた魚の頭から出汁を取る方法を教えました。アランヴァルでは家畜の餌だった黒穀の調理法を伝えました。ノルドでは固形スープの素の作り方を公開しました。王都の城壁の前では炊き出しをしています」
「それが王都の商業を」
「廃棄されていたものを使いました」とリディアは続けた。
「捨てられていたものに価値を見つけました。それを人に届けました。それだけです。誰かの商業活動を直接妨害したことは一度もありません」
広場が静かだった。
市民が聞いていた。
兵士が聞いていた。
コメント欄が流れていたが、音はなかった。
「貴様は魔力ゼロだった」とセドリックが言った。声が少し変わった。
「だから婚約を破棄した。それが間違いだったと言うつもりか」
「殿下の判断については何も申し上げていません」とリディアは言った。
「では何が言いたい」
「何も言いたくありません」とリディアは言った。
「ただ仕事をしています。ここで料理をして、届けています。それだけです」
「仕事だと」
「そうです。私の仕事です」
セドリックが周囲を見た。
市民が自分を見ていた。
兵士が自分を見ていた。
水晶板が自分を見ていた。
「貴様は」とセドリックが言いかけた。
「殿下」と後ろから声がした。
護衛の一人ではなかった。別の方向から来た人間の声だった。
振り返ると、馬に乗った男が来ていた。王都の紋章が入った服を着ていた。貴族院の使者だった。
「貴族院より急ぎの連絡です」と使者が言った。
「本日の採決の結果をお伝えに参りました」
使者がセドリックの耳元で何かを言った。
セドリックの顔が変わった。
色が引いた。
「採決が」とセドリックが言った。声が小さくなっていた。
「はい」と使者が言った。声は小さかったが、広場に聞こえた。
「セドリック殿下の王位継承権の一時停止と、諸問題についての審議開始が決定しました。エルダ、カイロス、アランヴァル、ノルドへの妨害工作についての調査も含まれています」
広場が静かになった。
コメント欄が止まった。
一拍置いて、コメント欄が流れ出した。
「貴族院が動いた」「採決が出た」「セドリックの顔が」「スパチャ連打」が画面を埋めた。
セドリックがリディアを見た。
今まで見たことのない顔をしていた。怒りではなかった。プライドでもなかった。
理解できないものを見る顔だった。
「なぜ」とセドリックが言った。
「何がですか」
「なぜお前は」とセドリックは言った。続けられなかった。
リディアは答えなかった。
答える必要がないと思った。
フライパンを見た。まだ火が入っていた。肉が焼けていた。
「失礼します」とリディアは言った。
「焦げます」
フライパンの前に戻り、肉を返した。
ジュアッという音が出た。
香りが広がった。
セドリックが護衛とともに城門に戻っていった。
誰も追いかけなかった。
コルトが近づいてきた。
「今ので終わりか」
「終わりではないです。審議が始まります。ただし私がやることは変わりません」
「料理を続けるのか」
「続けます。来ている人がいます」
行列が続いていた。
セドリックが来て帰っても、行列は途切れなかった。
城門から人が出てくることも続いていた。
リディアは肉を盛り付けた。黒穀を添えた。渡した。
また次の人に渡した。
昼過ぎ、ヴィランから通信が来た。
【採決の詳細をお伝えします。貴族院の三分の二が賛成しました。セドリック殿下の王位継承権は審議中に限り一時停止されます。国王陛下も採決を受け入れられました。公爵閣下より。
「よくやった。今日の炊き出しを続けろ」とのことです。——ヴィラン】
「父から連絡が来ました」とにゃん吉に言った。
「今日の炊き出しを続けろ、か」
「そうです」
「素直でない応援だな」
「いつも通りです」
夕方まで続けた。
固形スープの素が全部なくなった。
黒穀も全部使い切った。
最後の一人に盛り付けた。
渡した。
「ありがとう」とその人間は言った。年配の女性だった。
「封鎖の間、本当に大変だった。物価が上がって、棚が空いて、何かが変わってくれないかと思っていた」
「変わり始めています」とリディアは言った。
「あなたのおかげか」
「皆さんが動いたおかげです。私は料理しただけです」
女性が「そういうことにしておきます」と言って、帰っていった。
夜、片付けをした。
「素材が全部なくなりました」とにゃん吉に言った。
「補充は来るのか」
「レオンに連絡しています。明日届くはずです」
「明日も続けるのか」
「続けます。審議が終わるまで、状況を見守る必要があります。その間は炊き出しを続けます」
にゃん吉が缶を開けた。
「今日は長かった」
「長かったです」とリディアは言った。
「セドリックが来た時、怖くなかったのか」
リディアは少し考えた。
「少しありました」と言った。
「珍しく認めるな」
「今日は正直に言える気分です。ただし怖くても続けました。続ける理由があったので」
「届けたい人がいた、か」
「来ている人が行列になっていました。止まれません」
羊皮紙を広げた。
明日の計画を書いた。
素材の補充確認。炊き出しの継続。審議の動向確認。各拠点への状況報告。
「また書くのか」とにゃん吉が言った。
「書かないと明日の準備が遅くなります」
「短くしろ。今日は疲れている」
「少しだけです」
にゃん吉が「まあいい」と言った。
城壁が夜空を背景に立っていた。
城門は夜間の閉門時間に静かに閉まっていた。
でも今日の出来事は残った。
配信の記録として残った。貴族院の採決として残った。行列の記憶として残った。
消えないものが今日また増えた。
ペンが動いた。
明日もここで料理をする。
止まる理由がない。




