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もふもふ猫神とダンジョン飯  作者: もも
第一部 大陸・ダンジョン編

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第56話:門を開ける手

 翌朝、夜明け前から仕込みを始めた。


 黒穀を浸水させ、固形スープの素の出汁を温めた。ハンスから届いた魔豚肉を切り分けた。


 まだ暗い中、城壁が空を背景に立っていた。


 コルトが来た。


「早いな」


「朝食の分を準備しています。起きている人がいれば食べてもらえます」


「王都の城門は今は閉まっているのか」


「夜明け前は閉まっています。開くのは日が出てからだと聞きました」


「その時間を狙うつもりか」


「狙うわけではありません。門が開いた時間に配信をしていれば、出てきた人が来てくれるかもしれません」




 夜明けが来た。


 空が白くなった。城壁の輪郭が浮かび上がってきた。


 水晶板を起動した。


「朝の配信です」とリディアは言った。


「王都の城壁の前から二日目の朝です。今日も炊き出しをします」


 コメント欄に「待ってた」「今日も来た」「城門が開く時間だ」が流れた。


 黒穀の炊き込みを仕上げた。


 エルダ製フライパンを熱した。


 ジュアアアッという音が朝の空気に広がった。


 香りが上がった。




 城門が開く音がした。


 重い、金属と石が動く音だった。


 リディアは配信を続けながら、その方向を見た。


 城門が開いていた。


 朝の商業活動のための開門だった。荷車が出てきた。商人が出てきた。


 出てきた人間たちが立ち止まった。


 香りがした。


 一人が鼻を動かした。隣の人間に何か言った。その人間が香りの方向を見た。


 厨房車の方向を見た。


 来た。


 最初の一人が歩いてきた。次の人間が続いた。また次が続いた。


「食事をどうぞ」とリディアは言った。




 行列ができた。


 昨夜来た人間も戻ってきていた。新しく城門から出てきた人間も混ざっていた。


 全員に盛り付けた。


 コルトの仲間が手伝った。クラウスが配分を仕切った。ダグラスの部下が列を整理した。


「今日は人が多いですね」とコルトが言った。


「昨夜の配信を見た人が来ています」とリディアは言った。


「コメント欄で城壁の内側の人が明日来ると書いていました」


「実際に来たのか」


「来ています」




 午前中、列が途切れなかった。


 城門から人が出てくるたびに、新しい人間が加わった。


 王都の商人。冒険者。荷運びの人間。家族連れ。


 全員の顔が似ていた。


 昨日の兵士が言っていた顔だった。封鎖の間、物価が上がって、不満が溜まって、疲れていた人間の顔だった。


 一口食べると変わった。


 その変わり方もどこかで見た顔だった。


 エルダでヴォルクが食べた時の顔。カイロスで漁師が出汁の取り方を知った時の顔。アランヴァルでグレンが炊き込みを一人で作れた時の顔。


 温かいものが届いた時の顔だった。




 昼前、コメント欄に変化が出た。


「城壁の内側でセドリック殿下が激怒しているという話が出回っている」という書き込みが来た。


「王都の兵士に出動命令が出たとの噂がある」という書き込みが来た。


「本当か」とリディアはにゃん吉に言った。


「城壁の内側から騒々しい気配がする。ただし今すぐ動いてくる感じではない。議論しているのかもしれない」


「議論というのは」


「動くべきか動かざるべきかを、誰かが判断している」とにゃん吉は言った。


「動けば配信で全部映る。動かなければ令嬢が好き勝手やり続ける。どちらも困る状況だ」


「板挟みですね」


「自分で作った板挟みだ」




 昼の配信に切り替えた。


「王都から来た皆さんに、今日は固形スープの素の作り方を改めてお伝えします」とリディアは言った。


「昨日初めて来た方もいるので、最初から説明します」


 実演を始めた。


 素材を並べた。干し肉。香草。黒穀。発酵調味料。


「全部、市場で手に入ります。安価なものです」


 工程を説明した。


「干し肉は細かく刻みます。香草は乾燥させます。黒穀は炒ります。全部を合わせて成形します。乾燥させれば完成です」


「道具は何が要りますか」とコメントが来た。


「刃物と炉だけです。特別な道具は要りません」


「魔力は」


「補助的にあれば便利ですが、なくても作れます。普通の火で十分です」


 コメント欄に「本当に作れそうだ」「材料を買ってくる」「今日中に試す」が流れた。




 午後、城門の方向から人が来た。


 今度は制服を着ていなかった。


 ただし体格と歩き方が兵士だった。


 非番の兵士だった。昨夜の先頭の兵士も混じっていた。


「来ました」と先頭の兵士が言った。


「いらっしゃい」とリディアは言った。


「命令では来るなと言われていたが、非番なので」


「非番の行動は個人の自由です」


「そういうことにしている」


 昨夜と同じように盛り付けた。渡した。


 非番の兵士たちが食べた。


 一人が「城壁の内側でこれが食べられれば」と言った。


「作り方を覚えれば食べられます」とリディアは言った。


「今日の配信で全部説明しています」


「家で作れるのか」


「作れます。今日のコメント欄で、王都の中で作ったという報告が来始めています」


 兵士が水晶板を見た。コメント欄が流れていた。


「本当に来ている」と兵士は言った。


「王都の中から報告が来ている」


「情報は止められません」




 夕方、コメント欄の様子が変わった。


「城壁の内側で騒ぎが起きている」という書き込みが来た。


「セドリック殿下が側近を叱責しているとの情報」という書き込みが来た。


「貴族院で緊急の会合が開かれているという噂」という書き込みが来た。


 にゃん吉が城壁の方向を見た。


「内側がざわついてきた」


「騒ぎになっていますか」


「民衆の声が大きくなっている。兵士が止めようとしているが、止まらない様子だ」


「城門の中の様子ですか、そこまで分かるんですか」


「神獣の感覚だ。詳しいことは分からんが、全体の気配は読める」


「何が起きていると思いますか」


「民衆が城門の内側から出ようとして、兵士が止めているのかもしれない。あるいは、もう止められていないのかもしれない」




 夕方の配信の途中だった。


 城門が動いた。


 昼間の商業活動の時間は過ぎていた。夜間の閉門時間まで、まだ少しある時間帯だった。


 城門が開いた。


 正規の開門ではない開け方だった。ゆっくり、少しずつ、内側から押されるように開いていった。


 人が出てきた。


 最初は二人だった。次に五人。次に十人。


 全員が市民の服を着ていた。


 先頭の一人が走ってきた。


「令嬢か」と言った。息が上がっていた。


「そうです」


「配信を見ていた。城壁の内側で毎日見ていた。来たくても来られなかった」


「今日は来られましたか」


「来られた。兵士が止めようとしていたが、人数が多くて無理だった」


 後ろを見た。


 人が増えていた。


 城門から続々と出てきていた。


「食事を用意します」とリディアは言った。


「ありがとう」と先頭の男は言った。


「本当にいた。本物だった」


「本物です」




 コメント欄が止まった。


 止まってから、今まで見たことのない速度で流れ出した。


「城門が開いた」「民衆が出てきた」「令嬢の前に人が集まっている」「これは」「スパチャ連打」が画面を埋めた。


 にゃん吉がカウンターの端から城門を見ていた。


「兵士が城門を閉めようとしていない」


「なぜですか」


「止める命令が出ていないのか、止めることへの躊躇があるのか。どちらかだ」


「止めたら配信に全部映ります」


「それを兵士も分かっているのかもしれない」とにゃん吉は言った。


「命令に従えば映像として残る。従わなければ従わなかったことになる。どちらを選ぶか判断している」




 人が増え続けた。


 城門から出てきた人間が列を作った。


 コルトの仲間が追加の食材を出してきた。


「足りますか」とコルトが言った。


「今日の分は足りません。固形スープの素を全員に渡します。作り方は知っています」


「それで良いのか」


「自分で作れれば、次からは来なくても食べられます。それが目的です」


 固形スープの素を配り始めた。


 一人に一個ずつ渡した。


「お湯をかけるだけで飲めます」と全員に伝えた。


「作り方は配信で説明しています。家でも作れます」


 受け取った人が礼を言った後に、また別の人が来たので渡した。


 



 夕暮れが来た。


 城門がまだ開いていた。


 兵士が何人か城門の前に立っていた。閉めようとしている動きではなかった。ただ立っていた。


 コメント欄に「閉めないのか、あの兵士たちは」という書き込みが来た。


「閉める命令が来ていないのだと思います」とリディアは言った。


「命令が来ないのはなぜだ」


「城壁の内側で、命令を出せる人間が今それどころでないのかもしれません」


「何があっているんだ」


「王都の内部で、今何かが動いているのだと思います。詳しくは分かりません」




 ヴィランから通信が来た。


【緊急の報告です。王都の貴族院で今日の午後から緊急会合が開かれています。セドリック殿下への弾劾動議が複数の貴族から提出されたとの情報があります。民衆が城門から出て令嬢の炊き出しに向かっていることも、会合の議題に上がっているとのことです。公爵閣下は現在、貴族院の協力者と通信中です。——ヴィラン】


「貴族院が動いています」とリディアはにゃん吉に言った。


「父親の書簡が効いたのか」


「書簡と、この五日間の配信と、今日の城門の出来事が重なったんだと思います。一つではなく、全部が同時に来た」


「それが決め手になるのか」


「なると思います。一つだけでは動かない人間も、複数が重なれば動きます」




 夜になった。


 城門はまだ開いていた。


 出てきた人間の総数は、リディアには分からなかった。ただ列は続いていた。


 固形スープの素を配り続けた。


 黒穀の炊き込みを作り続けた。


 エルダ製フライパンを使い続けた。


 音が続いていた。


 香りが続いていた。


 城壁の前で、炊き出しの煙が上がり続けていた。




 深夜近く、にゃん吉が言った。


「疲れたか」


「疲れています」とリディアは言った。


「珍しく認めたな」


「今日は認めます。それだけ動きました」


「休めるか」


「もう少し続けます。来ている人がいる間は続けます」


「無理をするな」


「無理ではないです。来ている人がいるなら続けます。それが理由として十分です」


 にゃん吉が少し間を置いた。


「……そうか」と言った。




 ヴィランから再度通信が来た。


【追加の報告です。貴族院の会合が続いています。セドリック殿下への弾劾動議の採決は明日の朝になるとの情報があります。公爵閣下は「明日が決まる」と仰っておられます。——ヴィラン】


【閣下より一言。「今夜も止まるな。明日まで続けろ」とのことです。——ヴィラン】


「父から連絡が来ました」とリディアはにゃん吉に言った。


「何と言っている」


「今夜も止まるな、明日まで続けろ、と」


「珍しく直接的だな」とにゃん吉は言った。


「そうですね」


「応援しているということだ、あれで」


「分かっています」


 フライパンを熱した。


 また肉を入れた。


 ジュアアアッという音が夜の空気に響いた。


 城壁が闇の中に立っていた。


 城門がまだ開いていた。


 炊き出しの煙が、夜空に向かって上がり続けた。

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