第52話:孤立するセドリック
五日目の朝、街道の私兵が消えていた。
にゃん吉が確認してきた。
「全員いなくなっている。昨夜のうちに退いた」
「撤退命令が出たんですね」
「そうだと思う。形だけ残っていた人間たちが、夜のうちに消えた」
リディアは広場を確認した。
いつも通りだった。厨房車があって、朝の仕込みをする場所があって、霧が少し残っていて。
何も変わっていない。
「封鎖が終わりました」とリディアはにゃん吉に言った。
「実感があるか」
「あまりないです。水路で物資が届いていたので、封鎖中も変わらなかった。終わっても変わらない」
「それがお前の戦い方だったからな」とにゃん吉が言った。
「止まらなければ、封鎖されても封鎖されていないのと同じになる」
ヴィランから通信が来ていた。
【朝の報告です。昨夜、セドリック殿下が封鎖の撤退命令を出しました。理由は複数あります。一、封鎖が物資の妨害に機能しなかった。二、逆に王都内部の物価上昇を招いた。三、貴族院からの批判が続いていた。四、王都の民衆の不満が高まっていた。側近の一人が「このまま続ければ殿下の求心力がさらに落ちる」と進言したとのことです。——ヴィラン】
【公爵閣下より。「想定通りだ。次の段階に備えろ」とのことです。——ヴィラン】
「父が次の段階と言っています」とリディアはにゃん吉に言った。
「何が来る」
「セドリックがさらに追い詰められれば、直接的な対決を選ぶ可能性があります。あるいは貴族院が先に動くか」
「どちらを期待している」
「期待はしていません。来るものに対処します」
午前中、ノルドの市長ヘンドリックが来た。
顔が昨日より明るかった。
「封鎖が終わりました」と言った。
「今朝確認しました」
「私からも街の商人たちに知らせます。街道が使えるようになれば、物流が正常に戻ります」
「戻ります。ただし一つお願いがあります」
「何ですか」
「今後のことを話し合いたいです。ノルドが王都に頼らない流通を持つために、正式な取り決めを作りたい」
「どういう内容ですか」
「エルダ、カイロス、アランヴァルの各拠点との直接取引ルートをノルドが公式に持つこと。ユリウス商会とノルドの商人組合が連携する協定を結ぶこと。公爵領との定期的な物資交換のルートを整備すること。この三点です」
ヘンドリックが少し考えた。
「ノルドが王都の迂回路になる、ということですか」
「迂回路ではなく、独自のルートです。王都を通らなくても動ける仕組みです」
「王都が承知しないでしょう」
「承知する必要はありません。合法的な範囲で動けます。ノルドには自治権があります」
「確かに」とヘンドリックが言った。
「ただし王都との摩擦は続きます」
「続きます。ただし今回の封鎖で分かりました。摩擦があっても動き続ける方が強い。止まった側が損をします」
ヘンドリックが腕を組んだ。
「商人組合の長と話をします。明日返事をできますか」
「お待ちします」
水晶板を起動した。
「今日の報告があります」とリディアは言った。
「昨夜、王都側の私兵が街道から撤退しました。封鎖が終わりました」
コメント欄に「終わったのか」「令嬢が勝ったか」「どうやって」が流れた。
「勝ち負けではありません」とリディアは言った。
「私は止まらなかっただけです。水路で物資を届け続けた。配信を続けた。料理を続けた。それだけです」
「それだけで封鎖が終わったのか」とコメントが来た。
「封鎖した側が、続ける理由がなくなったんです。物資は止まらなかった。情報は届いた。王都内部で不満が高まった。貴族院が批判した。それが重なって、撤退を選んだ」
「令嬢が直接戦わなかったのか」
「直接戦う必要がありませんでした。こちらが止まらなければ、向こうの手が全部空振りになります」
料理を始めた。
「今日は祝いというわけではないですが、少し良いものを作ります」
コメント欄に「何を作るんだ」「封鎖明けの飯か」が流れた。
ハンスから届いていた魔豚肉を取り出した。
「公爵領の農夫ハンスさんから届いた素材です。封鎖中も水路で届けてくれていました」
エルダ製フライパンを熱した。
魔力を通した。均一に温まった。
肉を入れた。
ジュアアアッという音が広場に響いた。
「この音が続いていれば、封鎖が終わっても何も変わりません」とリディアは言った。
「ただ今日は少し心に余裕があります」
コメント欄に「珍しい」「令嬢が余裕を認めた」「封鎖が終わった実感か」が流れた。
肉を仕上げた。
カイロスの海産発酵ペーストをベースにしたソースを合わせた。
アランヴァルの黒穀を炊いた添え物にした。
「エルダ、カイロス、アランヴァル、公爵領の素材が全部入っています」とリディアは言った。
「全部の拠点の素材か」とコメントが来た。
「そうです。繋がっている拠点の素材が一つの皿に乗っています」
「これが令嬢の作ってきたものか」
「作ってきたものの一つの形です」
コルトが受け取って食べた。
「……全部が一皿に入っているのか」とコルトが言った。
「そうです」
「エルダの鉱石でフライパンを作って、カイロスの魚で出汁を取って、アランヴァルの黒穀を添えて、公爵領の豚を焼いた」
「繋がっている分だけ選択肢が増えます。一か所が止まっても別の素材で補えます」
「封鎖された時に強かったのはそのせいか」
「一本しかルートがなければ、一本を塞がれれば止まります。複数あれば、一本が止まっても続きます。素材も同じです」
コルトが黙って食べた。
しばらくしてから言った。
「俺たちダンジョン攻略の連中も、同じことをパーティでやっている。一人が倒れても他がカバーする。役割を分けておけば一人欠けても動ける」
「同じ発想です」
「だからあんたのやり方に共感した」とコルトが言った。
「見ていて、自分たちがダンジョンでやっていることと同じに見えた」
昼過ぎ、王都から人が来た。
昨日のコメントで予告していた人たちだった。
下級貴族が二家族。商人が三人。そして一人、王都の兵士が来た。非番だと言った。
「来てくれてありがとうございます」とリディアは言った。
「封鎖が終わって良かった」と兵士が言った。
「封鎖が続いている間、正直辛かった。王都内部でも食材が減って、民衆の不満が高まっていた。同僚たちの中でも封鎖に疑問を持っている人間が多かった」
「命令には従っていましたか」
「従っていました。でも正しいとは思っていませんでした」
「食べてください」とリディアは言った。
兵士が受け取った。食べた。
「……美味い」とだけ言った。
コメント欄に「王都の兵士が来た」「封鎖を命じた側の兵士が食べている」「これが令嬢の配信の力だ」が流れた。
夕方、ヘンドリックが戻ってきた。
「商人組合の長に話を通しました。正式な取り決めに向けて動けます」
「ありがとうございます」
「一つ聞かせてください」とヘンドリックが言った。
「どうぞ」
「あなたはこの後、どこへ行くつもりですか」
「公爵領へ一度戻ります。状況を整理して、次の段階を考えます」
「次の段階とは」
「王都です」とリディアは言った。
ヘンドリックが目を細めた。
「王都に乗り込むのですか」
「乗り込むわけではありません。届けに行きます。今まで届けてきたものを、王都の人たちにも届けます」
「王都は許可しないでしょう」
「王都の外から届けます。城壁の外で配信をします。届けたい人間が届きます」
ヘンドリックが「それは」と言いかけて止めた。
「大胆な計画ですね」と言い直した。
「やることは今までと変わりません。料理して、配信して、届ける。場所が変わるだけです」
夜、にゃん吉と二人になった。
「公爵領に戻る日を決めたのか」とにゃん吉が言った。
「明日、ヘンドリックさんと正式な取り決めを交わします。それが終わったら出発します」
「急ぐのか」
「急ぎません。ただし次の段階の準備が要ります。公爵領に戻って、全拠点の状況を確認して、父と話して、それから王都の外に向かいます」
「王都の外というのは城壁の外か」
「そうです。城壁の外に厨房車を持っていきます」
「俺が必要になる局面があるかもしれないな」
「あると思います。お願いできますか」
「最初からそのつもりだ」とにゃん吉は言った。
「ダンジョンで配信を始めた日から、ついてきた。今更止まる理由がない」
リディアは少し止まった。
「ありがとうございます」
「礼は要らん」
「言います」
にゃん吉が缶を傾けた。
封鎖が終わった静かな夜だった。
でも次が始まる前夜でもあった。
「一つだけ聞いていいですか」とリディアは言った。
「何だ」
「ダンジョンで私に声をかけた時、どういうつもりでしたか。画角の邪魔をするなと言いましたが、追い払うこともできたはずです」
にゃん吉がしばらく黙っていた。
「お前の手を見た」と言った。
「手を」
「追放されて、腹を減らして、ドレスのまま石畳を歩いていた。それでも手が動いていた。何かを探している手だった。そういう人間は面白い」
「それだけですか」
「それだけだ」とにゃん吉は言った。
「ただし今は違う」
「今は」
「今は、続きが見たい」と言った。渋い声だった。それ以上は言わなかった。
ペンを取った。
明日の準備を書いた。
ヘンドリックとの取り決めの内容確認。ノルドの商人組合との協定の骨子。公爵領への帰路の段取り。
書きながら、次の段階を考えた。
王都の外に厨房車を持っていく。
城壁の前で配信をする。
どんな匂いを出せば城門が開くか。
どんな料理を作れば兵士たちが動くか。
まだ分からない部分があった。
でも分からない部分は行ってから考えればいい。
今までもそうしてきた。
ノルドの最後の夜が続いていた。




