第5話:極厚フライドチキン
中層への入り口は、浅層の最奥部にある鉄格子の扉だった。
三日間、リディアはその手前までを何度も往復した。地形を頭に叩き込み、逃げ道を確認し、にゃん吉から中層の魔物の生態を聞き出した。
コカトリスは視線で石化を放つ怪鳥で、正面から目が合うと四肢が固まる。ただし夜間は視力が落ちる。
「主夜神の権能は夜間特化だ。俺が結界を張れば石化は届かない。お前は調理に集中しろ」
「倒すのはどうするんですか」
「俺がやる。神獣をなめるな」
三日でそこまで把握した。四日目の深夜に、扉を開けた。
カメラはすでに回っていた。
にゃん吉が自撮り棒を器用に口でくわえ、斜め後方から二人を撮れる角度に固定している。リディアは魔石灯を手に、中層の石廊下を歩いた。
浅層と空気が違った。
湿度が高く、壁から染み出した鉱物が青緑に光っている。天井が高く、足音が遠くまで響いていた。
コメント欄には「こんな奥まで入るのか」「探索もの好きすぎる」「猫が棒くわえてるの笑う」という文字が流れているとにゃん吉が低い声で読み上げた。
「雰囲気は出てますか」と問うと、にゃん吉が「申し分ない」と答えた。
コカトリスは三つ目の分岐を曲がった先にいた。
大きかった。羽を広げると部屋の幅いっぱいになる。鶏に近い体型だが首が長く、目が金色に光っている。リディアと目が合いそうになった瞬間、にゃん吉の尻尾が光った。
空間が薄い膜で覆われた感覚。
コカトリスの金色の光が膜に当たって、散った。
「石化無効だ。動くな」
にゃん吉が前に出た。丸々とした猫が、三歩で距離を詰めた。尻尾の先が鋭く光を放った瞬間、コカトリスが一声鳴いて、膝から崩れた。倒れる音が廊下に響いた。
静寂。
コメント欄に「速すぎる」「え何したの」「神獣つよ」が流れた。
「撮れてましたか」
「撮れてた。コメントが伸びてる」とにゃん吉が口から自撮り棒を外して言った。
「引きずって戻るぞ」
コカトリスはにゃん吉の神力で動けなくなっているだけで、気絶に近い状態だった。羽をつかんで引きずるとずるずるとついてきた。想像以上に重かった。
「これ何キロありますか」
「さあ。お前が全部食べる気か」
「配信で食べます。残りは保存します」
スタジオに戻ったのは深夜だった。
コカトリスの解体は早めに済ませた。前世の記憶と、この三日間でにゃん吉から聞いた魔物の体の構造を合わせれば、どこを切ればいいかの見当はついた。
出てきた肉は、引き締まった白身だった。
触った感触が良い。脂の層が適度にある。火を通せばジューシーになる確信があった。
漬けダレから作った。
石棚で乾燥させておいたハーブ類数種と、ダンジョン産の根菜を砕いた粉、それに前日のうちに採取しておいた酸味のある魔果汁を合わせる。塩は浅層で採れる岩塩が使える。全部を混ぜて、骨つきの厚切り肉を沈めた。
「これで三十分置きます」
「待つのか」
「待ちます。その間に衣を作る」
パン粉は前日に仕込んでいた。硬いパンを魔石灯の熱で完全に乾燥させ、砕いて粉にしたものを篩にかけてある。粗さが均一でないと食感が変わる。そこだけ時間をかけた。
魔石オイルは、スタジオの棚に改築と一緒に補充されていた素材だった。高温でも安定する特性がある。鍋に注いで魔石灯の強火にかけると、じわじわと温度が上がっていく。
水晶板のコメント欄には、漬け込みの段階から「何作るの」「スパイスの配合教えて」「猫は」「猫は今どこ」という文字が流れ続けていた。
にゃん吉はカウンターの端で欠伸をしながら「今仕込み中だ静かに待て」と低い声で言った。
コメント欄に「猫が喋った」「聞こえた」「声好きすぎる」が流れた。
「にゃん吉さん、声出し過ぎです」
「配信中だろうが」
「素の声が出てます」
「……チッ」
オイルが適温になった。
漬けた肉を引き上げて、パン粉をまぶした。圧をかけて押し込むようにする。剥がれないよう、全面均一に。骨の際まで丁寧に。
そのまま油に沈めた瞬間、音がした。
盛大な、快音だった。
ジュアアアァと鍋が鳴った。気泡が一斉に立ち上がる。スパイスの香りが部屋に広がった。きつくなく、甘みと辛みが混ざった、腹を刺激する匂いだった。
コメント欄に「音が暴力」が流れた。
続けて「飯テロ規制しろ」「深夜に何してくれてんだ」「匂いが伝わってきそう」が連なった。
リディアは鍋を傾けながらオイルをかけ続けた。表面が色づいていく。薄い黄金色から、濃いキツネ色へ。衣の端がカリッと固まり始める音が変わった。
「あと二分です」
にゃん吉の鼻が動いた。目が細くなった。
「……良い匂いだ」
「正直ですね」
「事実だろうが」
二分後、鍋から引き上げた。
極厚のコカトリスフライドチキン。骨つきで、衣がカリカリに固まっている。断面の見えない部分から湯気が上がっていた。
台に置いた。にゃん吉が近づいてきた。
「食べてください。カメラ、引きで」
「分かってる」
にゃん吉が両前足を伸ばした。
骨の部分をしっかり挟んだ。肉球でぐっと掴む。カメラに向かって少し持ち上げた。
かぶりついた。
サクッ、という音がした。
衣が割れる音だった。続けてジュワ、と肉汁の音。
にゃん吉の目が止まった。
噛むのを止めたわけではない。ちゃんと噛んでいた。ただ目だけが、一瞬、遠くなった。何かを受け取っているような顔だった。
ごくりと飲み込んで。
「んま〜い」
言い方は間延びしていた。でも声が低かった。演技ではない声だった。もう一口かぶりついた。サクッ。ジュワ。
コメント欄が弾けた。
文字が流れる速度が視認できなくなった。魔石のアイコンが降り積もり始める。大きいものが混じっている。単価の高い、投げ銭の上位帯だとリディアは即座に判断した。
「音が暴力すぎる」「猫の顔が限界」「んま〜いってなんだよ可愛すぎる」「チキン一口に魂売ります」「スパチャ投げました食べてください」。
同時接続数が伸びていく。
にゃん吉は三口目をかぶりつきながら、カメラをちらりと見た。目が細くなった。前足の肉球が骨をしっかり掴んでいる。
その状態のまま、首を少し傾けた。
コメント欄に「やめろ」「尊死する」「課金する」が流れた。
リディアは自分の分を一口食べた。
熱かった。スパイスがじんわり来た。衣がカリッとして、中がほぐれた。脂が甘かった。コカトリスの肉は下処理の甲斐があった。
(美味しい)
素直にそう思った。
配信が終わった後、にゃん吉は骨を綺麗にしてから缶を開けた。
リディアは収益の計算をした。今夜の魔石が昨夜の倍以上ある。同時接続の最高値も昨夜を超えた。
「ターゲット層、刺さってますね。夜勤冒険者からの投げ銭が厚い」
「チキンの威力だな」とにゃん吉が言った。
「次はグラタンを考えてます。マンドラゴラと魔界チーズで」
「マンドラゴラは悲鳴がある」
「耳を塞いで引っこ抜けば問題ない。それも配信の演出にする」
にゃん吉が缶を持ったまま、じっとリディアを見た。
「……お前、本当に追放されて三日しか経ってないのか」
「四日です」
「もっと荒れていてもおかしくないだろう」
リディアは少し考えた。
「前世で似たような経験が何十回もあったので」
「何の話だ」
「クライアントに突然企画を全部ひっくり返されて、翌日から別の案件で一から作り直した話です。それと大して変わらないと思ってます」
にゃん吉は長い沈黙のあと「そうか」とだけ言った。
同じ頃、王都の王立学園の一室。
セドリック・ヴァルムは水晶板を見ていた。
画面の中で、追放したはずの公爵令嬢が揚げたてのチキンを一口食べ、静かに目を細めていた。隣で茶トラの猫が骨を前足で掴んで「んま〜い」と言っている。画面の端に流れるコメントと、降り積もる魔石の量が、嫌でも目に入った。
「なんで」
声が低くなった。
「追放したのに、なんでこんなに……」
隣に立つイザベラが水晶板を睨んだ。美しく整えた顔に、隠しきれない表情が浮かんでいた。
「王子殿下、この配信。止めることはできませんか」
「調べさせる」
セドリックは水晶板から目を離せなかった。
画面の中のリディアは、こちらを見ていない。王都も、学園も、婚約破棄も、何も関係ないように見えた。ただ静かに、自分の仕事をしている顔だった。
それが。
何故か、一番癇に障った。




