第4話:ビジネス協定
朝になった。
魔石灯の光は一定で、ダンジョンの中に昼夜はない。それでも体が「朝だ」と言っていた。石棚にもたれたまま浅く眠って、目を覚ましたリディアは、まず自分の手を見た。
昨夜の熱は残っていた。
指先に意識を集中させた。何かが動く感覚。川の水を手ですくうような、実体があるような、ないような感触。前世で「魔力を練る」感覚を読んだことがあった。ファンタジー小説の描写そのものだと思った。
それが今、手の中にある。
指を立てた。息を吸った。押し出すように、意識を先端へ。
ぽっ。
小さな光が灯った。
豆粒ほどの、白い光。ランタン一個分にも満たない、頼りない光。それでも確かに、リディアの指先から生まれた光だった。
「……本当に出た」
「当然だ」
にゃん吉が寝床から首だけ出した。毛並みが昨夜より明らかにツヤっている。尻尾の先が薄く光っていた。
「アクセス数が聖魔力に変換される。このダンジョンの、というより、この世界の基本ルールだ。注目されることが力になる」
「でも私は十七年間魔力ゼロだった」
「お前が注目を集めたことがなかったからだろう」
リディアは口をつぐんだ。
否定できなかった。公爵令嬢として存在感はあったかもしれないが、良い意味での注目ではなかった。婚約者の飾りとして、学園で「魔力ゼロの無能」として。そういう視線しか集めてこなかった。
(バズった、か)
指先の光が、まだ揺れている。
「もう一度確認しますよ、ビジネスの話を」
にゃん吉は伸びをした。前足を目一杯伸ばして、あくびをして、それから木箱の上に飛び乗った。
「聞く」
リディアは石棚の端に昨夜メモした羊皮紙を広げた。起きてすぐ、頭が動き始めた瞬間から書き出していたものだった。
「昨夜の最終同時接続数、十三万。ただし投げ銭のコンバージョンは低かった。画面を埋めてはいたけど、単価の低い少額投げ銭が大半だったはずです」
「そのとおりだ」
にゃん吉が渋い声で言いながら、どこかから取り出した容器を開けた。薄い金属の筒で、開けた瞬間に甘い発酵臭がした。
「それ、何ですか」
「マタタビ酒だ。気にするな」
朝からマタタビ酒を飲む神獣と向き合いながら、リディアは続けた。
「視聴者の層が広すぎた。物珍しさで集まったキッズ層と冷やかしが多い。でもああいう層は投げ銭を出さない。次はターゲットを絞ります」
「どこに絞る」
「夜勤明けの冒険者と、夜更かしする中上流の貴族。疲れていて、かつ財布の紐がゆるんでいる時間帯の人間を狙う。配信時間は深夜から明け方にかけて固定。コンテンツは飯テロ一本で行く。疲れた大人は飯と癒やしに金を出す」
「猫で癒やしをやれと」
「演者がいるんですから使います」
にゃん吉が缶を傾けた。ごくり、と飲んだ。
「CVRを上げるなら投げ銭の導線を整えろ。見てる人間が『出したい』と思った瞬間に出せる仕組みがないと取りこぼす」
「分かってます。次回は配信の区切りに必ず、にゃん吉さんのアップカットを入れる。感情が動いた直後が一番財布が開く」
「冷静に言うな気持ち悪い」
「事実です」
二人はしばらく無言で向き合った。
にゃん吉が缶を置いた。
「お前の利益は何だ。明確にしろ」
「魔力と、ダンジョン内での生存基盤です。配信の収益で食料と素材を確保して、バズるたびに魔力を伸ばす。ゆくゆくは外に出られるだけの力をつける」
「俺の利益は神力の回復と、神獣としての権能の復権だ。今は配信のアクセス数でなんとかなっているが、最終的には一定以上の聖魔力を確保しなければならない」
「互いに利益が一致してますね」
「そこだけはな」
にゃん吉が前足を出した。
人間で言えば握手の位置だった。リディアは少し考えてから、指先で前足の肉球に触れた。ぷにっとした。
「演者と、プロデューサー。それでいいか」
「それで構いません」
「対等だ。お前が俺に命令はできない。あくまで企画と演出の提案だ」
「分かってます。最終判断は常ににゃん吉さんに委ねます」
「よし」
にゃん吉が前足を引いた。それで協定は成立だった。
書面もなく、証人もなく、握手とも言えないものだけで結んだ協定だったが、リディアには不思議と盤石に感じられた。互いに利益しか見ていないからこそ、崩れにくい。
「さて」
にゃん吉が立ち上がった。
「改築をするぞ」
「改築?」
「昨夜集まった魔石が部屋の外に積まれている。ダンジョンはアクセス数で動く仕組みと連動していてな、集まった聖魔力を使って空間を書き換えられる。このくらい集まれば部屋一つ丸ごと変えられる程度の力にはなる」
物置の扉を開けた。
外の床に、青白く光る石が山積みになっていた。大きさは様々で、小粒のものから拳大のものまである。全部で数百個はくだらない。
「これが全部昨夜の……」
「スパチャの実体化だ。視聴者が送った魔力が物質として残る」
にゃん吉が尻尾を一振りした。
光が動いた。
魔石の山がゆっくりと浮き上がり、部屋の壁へ向かって流れていく。壁に触れた瞬間、石が溶けるように吸い込まれていった。
変化は静かに始まった。
薄暗かった石壁が、内側から白くなっていく。亀裂が塞がり、凹凸がなだらかになり、表面が滑らかな石材に変わっていく。天井が少し高くなった。床の石畳が平らになって、足元がしっかりした。
次に家具が変わった。
ひっくり返した木箱がカウンターになった。高さがちょうど調理に向いた位置で固定され、表面が清潔な白石になった。壁際に棚が生まれ、調理道具の形をした器具が一式並んだ。鍋。へら。包丁。スプーン類。前世で使っていたものと完全に同じではないが、用途は分かる形に整っている。
魔石灯が増えた。
一つだったのが、五つになった。天井の四隅と中央に配置されて、部屋全体を白く照らす。影のできにくい、撮影向きの光の配置だとリディアは即座に分かった。
「カメラ映えする灯り位置ですね」
「ダンジョンが気を利かせたのか、俺の神力が作用したのか、どちらかだ」
水晶板を置くための台まで、壁に埋め込まれた形で生まれていた。角度が自由に変えられる仕組みになっている。
五分ほどで変化は止まった。
物置だった部屋は、こぢんまりとしながらも整った空間になっていた。調理場と撮影スペースが一体化した、機能的な作りだった。
「これで本格的に撮れますね」
リディアはカウンターに手をついた。表面が冷たくて、清潔で、固かった。この感触が妙に嬉しかった。追放されてから初めて、足場がある場所に立てた気がした。
「次の企画はどうする」
にゃん吉がカウンターの端に飛び乗った。
「コカトリスのフライドチキンです」
「中層の怪鳥か。簡単ではないぞ」
「アクセス数を先に稼げば、それが魔力になる。倒すのに使う魔法分くらいはなんとかなるはずです」
「お前の魔力はランタン一個分だろうが」
「だから配信しながら稼いで、稼いだ力で倒す。順番の問題です。ライブ感があるほうが視聴者も盛り上がる」
にゃん吉がリディアを見た。それからふいと視線を外した。
「……まあいいだろう」
その時、にゃん吉の耳がわずかに動いた。別の方向へ、鋭く向く。
「どうかしましたか」
「いや」
短く言ってから、少し間があった。
「王都の方から、騒がしい気配がする。お前の配信が届いているとしたら……そっちでも気づいている者がいるかもしれん」
リディアは手を止めた。
「誰が」
「さあな。ただ、良い顔をしない連中が見ていても不思議ではない」
にゃん吉は尻尾をぴんと立てて、新しいカウンターを爪でひっかいた。
「まあいい。来るなら来い。配信している間はこちらに地の利がある」
リディアは新しい包丁を手に取った。持ち重りがある。ちゃんとした刃がついている。
「次の配信は三日後にしましょう。それまでに中層の地形を把握します」
「三日で覚えるのか」
「前世で五日でイベント立ち上げたことがあります。三日でなんとかなります」
にゃん吉はしばらくリディアを見てから、缶を傾けた。残りのマタタビ酒を飲んで、空になった缶を新しい棚の端に置いた。
「……頼もしいのか頭がおかしいのか判断に迷う」
「両方です」
「そうか」
にゃん吉は目を細めた。怒っているわけでも、笑っているわけでも、たぶんない。ただ、悪くないとは思っているような顔だった。
王都で何かが動いているとしても、今のリディアには関係なかった。
やることは変わらない。撮って、食わせて、バズらせる。それだけだった。




