第49話:街道の封鎖と裏水路
リディアの仕込みの途中の夜明け前、にゃん吉の耳が立った。
「来た」
「どこですか」
「街道の主要な三か所。人が配置されている。私兵だ。装備の匂いがする」
リディアは手を止めなかった。
「クラウスさんに通信します」
「クラウスはここにいないが」
「公爵家の護衛に連絡します。裏のルートを使う準備をしてもらいます」
護衛の責任者はダグラスという男だった。
四十代で、体格が大きく、表情が動かない。公爵家の暗部の人間で、昨夜から厨房車の近くにいた。
「街道が塞がれています」とリディアは言った。
「把握しています」とダグラスは言った。
「夜明け前から監視していました。私兵が三十人ほどいます」
「ノルドへの物資の搬入路が塞がれます」
「代替ルートはあります」とダグラスは言った。
「ノルドには街道以外に水路が通っています。大型荷車は通れませんが、小型の荷と人間は通れます」
「使えますか」
「使えます。ただし今夜動くか、昼間動くかで変わります」
「今夜は仕込みを続けます。昼間に配信をしながら動きます」とリディアは言った。
「昼間に動くのですか」とダグラスが言った。少し驚いた声だった。
「見ている状況で動けば、私兵も派手なことはできません。カイロスで確認しています」
「……分かりました。水路の確認を今から始めます」
夜明けに水晶板を起動した。
「朝の配信です。今日も仕込みをしています」とリディアは言った。
コメント欄に「早い」「今何時だ」「朝から配信してる」が流れた。
「報告があります。今朝から街道の主要三か所に王都側の私兵が配置されています。ノルドへの物資搬入を妨害する目的だと思われます」
コメント欄が止まった。
「物理的な封鎖です。エルダ鉱山都市から運んだ鉱石、カイロスから届く海産保存食、アランヴァルの黒穀、公爵領の食材、全部が止まる可能性があります」
「どうするんだ」というコメントが来た。
「別のルートで運びます。今日中に届けます」
「別のルートがあるのか」
「あります」
昼前、水晶板を持って移動した。
配信を続けながら歩いた。
ノルドの裏水路は街の外縁を走っていた。観光用ではなく、もともと荷運びに使われていた古い水路だった。
ダグラスが先行していた。
「問題ありません。今日は使われていない。水路の先に荷が届いています」
「エルダからの分ですか」
「公爵領からの分です。魔豚肉とカレーパンの素材が届いています」
「カレーパンも来ているんですか」
「昨夜のうちに公爵家の別ルートで送られてきました」
ヴィランが動いていた。あるいは父が指示を出していた。
水路の出口に荷があった。
木箱が積まれていた。
ハンスからの魔豚肉が入っていた。保冷状態が保たれていた。一緒に手紙があった。
【心配しています。でも配信を見ています。農村全員で応援しています。最良の肉を送りました。美味く使ってください。——ハンス】
「ハンスさんから来ました」
「農夫か」とにゃん吉が言った。
「はい。農村全員で応援していると書いてあります」
コメント欄に「ハンスさん」「農村から届いた」「令嬢への支援だ」「スパチャ投げます」が流れた。
広場に戻ると厨房車の前に人が集まっていた。
街道が塞がれたという噂はすでに広まっていた。コルトが昨夜から仲間に話していた。
「食材は届きましたか」とコルトが聞いた。
「届きました」
「どこから」
「水路です」
「水路を使ったのか」とコルトが言った。顔が変わった。
「王都の私兵は街道しか押さえていない。水路まで考えていなかったのか」
「大型荷車が通れないので、物資の主要ルートと見ていなかったんだと思います」
「それが盲点になったのか」
「盲点を作らないためには全部を押さえる必要があります。全部を押さえるのは難しい」
「三十人いても足りないのか」
「人数ではなく、設計の問題です。主要ルートを塞ぐという設計自体に穴があります。主要でないルートが残る」
配信を続けながら、料理を始めた。
「今日の素材はハンスさんから届いた魔豚肉です」とリディアは言った。
「街道が塞がれていますが、水路で届きました」
コメント欄に「来た」「水路突破した」「王都の私兵の計算違いだ」「スパチャ連打」が流れた。
エルダ製フライパンを熱し、魔力を通した。均一に温まった。
魔豚肉を入れた。
ジュアアアッという音が広場に響いた。
コメント欄に「この音好きすぎる」「封鎖されてもこの音が来る」「令嬢止まらない」が流れた。
「街道が塞がれても、この音は止まりません」とリディアは言った。
「食材が届く限り、料理を続けます」
にゃん吉が広場の端から戻ってきた。
「私兵の一部が動き始めた」と低い声で言った。
「街道から移動していますか」
「二人が街の方向に向かっている。水路のことを把握したかもしれない」
「では次の手を打ちます」とリディアは言った。
「次の手とは」
「水路のルートを複数使います。一本を把握されても、別のルートで続けられます。ダグラスさんに連絡します」
ダグラスに通信を入れた。
【水路のルートが把握される可能性があります。代替ルートを準備してください。——リディア】
返信が速かった。
【すでに二本の代替ルートを確認しています。準備できています。——ダグラス】
「準備されていましたね」とリディアはにゃん吉に言った。
「公爵家の暗部は仕事が速い」
「父が選んだ人たちなので」
午後、にゃん吉が私兵の一人を止めた。
厨房車の裏に回り込もうとした人間だった。
音がしなかったが、次の瞬間、人間が地面に伏せていた。
ダグラスの部下が素早く来て、別の場所に連れていった。
コルトがその様子を見ていた。
「神獣というのは本当に格が違うな」とコルトが言った。
「戦闘はにゃん吉さんの担当です」
「あんたは何の担当だ」
「料理と仕組みと配信です」
「役割が明確だな」
「それぞれが得意なことをするのが一番効率が良いです」
夕方、配信の同時接続数を確認すると、今日一日で過去最高を更新していた。
街道封鎖の報告を朝に配信してから、数字が跳ね上がっていた。
「王都側は配信を止めようとしていましたね」とリディアはにゃん吉に言った。
「止められたか」
「止まりませんでした。むしろ見ている人が増えました」
「封鎖が宣伝になったのか」
「妨害が話題になりました。話題になれば見る人間が増えます。見る人間が増えれば聖魔力が集まります。魔力が増えます」
「王都が妨害するたびに、お前が強くなる仕組みだ」
「この世界の構造です。アクセスが魔力になる。注目されれば力になる」
「最初からそうだったな」とにゃん吉が言った。
「ダンジョンで出会った時から」
「そうでした」
夜、ヴィランから通信が来た。
【状況を報告します。王都内部で、今日の配信を見た中小商会から非公式の連絡が入っています。
「街道封鎖に反対している商会が複数ある。水面下で動ける」という内容です。
公爵閣下はこれを受けて、王都内部の商会との接触を検討されています。閣下より一言。「街道を三十人で塞いでも、水路一本で突破された。向こうは根本的なところで間違えている」とのことです。——ヴィラン】
「父の分析ですね」とリディアはにゃん吉に言った。
「正しいと思うか」
「正しいです。物流は封鎖するより、動かす側の方が設計として強い。塞ぐ側はあらゆるルートを把握して全部を押さえる必要があります。動かす側は一本でも通れれば動けます」
「非対称な戦い方だな」
「最初からそうでした。ダンジョンの中で配信を始めた時から、私は動かす側にいました」
羊皮紙を広げ、明日の計画を書いた。
水路ルートの追加確認。固形スープの素の在庫管理。フライパンの新規注文対応。王都中小商会への返信準備。
「また書いているな」とにゃん吉が言った。
「書かないと忘れます」
「忘れる量をやっているということか」
「そうです」
にゃん吉が缶を開けた。
「今夜は少しだけ飲め」と缶を差し出した。
「飲みません」
「お前が疲れているのは分かっている」
「疲れていません」
「嘘をつくな」とにゃん吉は言った。渋い声だったが、普段より低かった。
「今日一日、片時も止まらなかった。水路で荷を確認して、料理して、配信して、私兵を対処して、通信を入れ続けた」
「止まれない状況でした」
「今は止まれる」
リディアは手を止めた。
「……少しだけ、嗅ぎます」
缶を受け取った。
甘い発酵の匂いがした。
「美味いですね、匂いが」
「それだけで十分だ」とにゃん吉が言った。
缶を返した。
少しだけ、手が緩んだ気がした。
「明日も来ます、王都側の次の手が」とリディアは言った。
「来る」
「来たら対処します」
「分かっている」とにゃん吉は言った。
「ただし今夜は早く寝ろ。明日の分の体力が要る」
「書いたら寝ます」
「それでいい」
ノルドの夜が静かに続いた。
王都が近かった。
ペンが羊皮紙を埋めていった。




