第45話:黄昏の街ノルド
一週間、公爵領で過ごした。
毎朝仕込みをしたし、ギルド食堂の巡回指導の仕組みを作った。固形スープの素の量産型をレオンと詰めた。エルダ製フライパンの分業協定書に署名した。カイロスとアランヴァルに近況確認の通信を入れた。
七日目の夜、ヴィランから羊皮紙が届いた。
ノルドの情報だった。
翌朝、ヴィランに来てもらった。
「口頭でも教えてください」
「はい」とヴィランは言って、羊皮紙を手に話し始めた。
「ノルドは王都から馬車で半日の距離にある中規模の都市です。王都との地理的な近さと、王都の法が完全には及ばないという独自の事情から、王都の規制を嫌う中小の商人や冒険者が集まっています」
「なぜ王都の法が及ばないんですか」
「建国時の特例があります。ノルドはかつて独自の自治権を持っていた街で、その権利の一部が今も残っています。完全な王都の支配下ではないが、完全に独立もしていない。グレーゾーンの街です」
「誰が治めていますか」
「市長が自治を担っています。王都との関係は良好ではないですが、対立するほどでもない。今のところ、という状態です」
「今のところ、ですか」
「ノルドの商人たちは王都に依存している部分もあります。完全に袂を分かつことへの躊躇がある。ただし、利益になる選択肢があれば動く準備はできていると思われます」
リディアは羊皮紙に書いた。
「王都はノルドをどう見ていますか」
「都合の良い中継地として使っています。王都の商人が規制を嫌う取引をノルドを通して行うことがある。黙認している部分があります」
「その黙認が、今後も続くかどうかは分からない、ということですね」
「そうです。王都側が本気でノルドを締め付けようとすれば、できる。ただしそれをすると自分たちの抜け道も塞がるので、今まで手を出してこなかった」
「私がノルドに入れば、バランスが崩れる可能性がある」
「その可能性はあります」とヴィランは言った。
「ただし公爵閣下は、それでも進むべきと判断されています」
「父がそう言っていましたか」
「昨夜、閣下とこの件を話しました。護衛を同行させることを条件に、進めてよいとのことです」
「護衛というのは」
「公爵家の暗部です。表には出ません。ただし何かあった時に動けます」
リディアはにゃん吉を見た。
「にゃん吉さんがいますが」
「閣下は両方あった方がいいとおっしゃっていました」
にゃん吉が缶を傾けた。
「公爵の判断は正しい」と言った。
出発は翌日にした。
前日の夜、固形スープの素を新しいロットで五十個作った。量産型の型でレオンの工房が作ったものが届いていた。全部を保温容器と一緒に厨房車に積んだ。
エルダ製フライパンの量産一号も積んだ。ドランの工房から届いたものだった。試作一号より表面の仕上がりが均一だった。
「道具が揃いましたね」とリディアは言った。
「旅先と比べると手元が豊かだ」とにゃん吉が言った。
「公爵領を拠点にして動くと、補充ができます。旅先では持参した分だけでやるしかなかった」
「それが強みになるのか、今回は」
「なります」
朝、厨房車が動き出した。
護衛は三人いた。一人は御者台に乗った。残り二人は後ろを走る別の荷車に乗っていた。全員が普通の商人か旅人の服装をしていた。
にゃん吉が荷台に乗って耳を立てた。
「護衛の匂いがするが、遠目には分からない」
「それが目的の人たちです」
「腕は立つのか」
「公爵家の暗部なので、問題ないと思います」
「確認しなくていいのか」
「父が選んだ人たちです。信用します」
道が続いた。
公爵領の農村を通り過ぎた。ハンスの農村の前を通った。ハンスが畑から顔を上げた。リディアが手を上げた。ハンスが大きく手を振った。
「顔を覚えていますね」とリディアは言った。
「当然だ。あの農夫の豚はうちの配信に何度も出ている」
「そうですね」
昼過ぎ、街が見えてきた。
最初に見えたのは煙だった。複数の煙が上がっていた。鍛冶か調理か、両方かもしれなかった。
次に音が来た。
活気のある音だった。人の声、馬の蹄、荷車の音が混ざっている。
カイロスとは違う活気だった。カイロスは開いた港の活気だった。ここは路地の活気だった。
「密度が高いですね」とリディアは言った。
「人が集まっている」とにゃん吉が言った。
「様々な種類の人間がいる。商人、冒険者、それから王都からの逃げ出した人間も混じっている」
「逃げ出した人間」
「王都の規制を嫌って出てきた人間だ。服装で分かる。王都系の良い服を着ているが、くたびれている」
街に入った。
路地が細かった。看板が密集していた。何を売っているのか分からない店も混じっていた。
人がこちらを見た。
移動厨房車が珍しいのかもしれなかった。子供が走って追いかけてきた。
「何の車だ」と子供が叫んだ。
「料理をする車です」とリディアは答えた。
「料理」と子供が言って、走って先に行った。誰かに知らせに行ったようだった。
設営場所はヴィランが事前に手配していた。
街の中央に近い広場だった。四方を建物に囲まれていて、昼でも少し薄暗かった。でも広さがあった。
移動厨房車を止めた。
側面を開けた。
匂いが出た。旅の道中に仕込んでいたものの匂いだった。
広場の端にいた男が立ち上がった。商人風の服を着ていた。
「何の匂いだ」
「道中で作っていたものです。今夜は配信をしますので、来てください」
「配信というのは、あの水晶板のやつか」
「そうです」
「令嬢の配信か」と男が言った。
顔が変わった。
「あのバズ猫の配信を作っている令嬢か」
「そうです」
「本物が来たのか」
夕方、水晶板を起動した。
「ノルドから配信します」とリディアは言った。
「王都から馬車で半日の距離にある街です」
コメント欄に「ノルドだ」「知ってる街だ」「王都の近くじゃないか」「王都に近づいた」が流れた。
「これから何回か、この街で配信します。今夜は最初なので、街を紹介しながら仕込みをします」
カメラを動かした。
広場の周囲の建物が映った。看板が並んでいる。人が行き交っている。
「様々な人が集まっている街です。商人、冒険者、それぞれの事情を持った人たちがいます」
コメント欄に「王都から来た人間もいる」「ノルドは自由な街だ」「令嬢が来るとは思わなかった」が流れた。
仕込みを始めた。
固形スープの素の試作をしながら、明日以降の配信の素材を確認した。
空気が違った。
エルダの金属の匂いでも、カイロスの塩の匂いでも、アランヴァルの水の匂いでもなかった。
人の匂いが濃かった。
様々な場所から来た人間が集まった街の匂いだった。
「にゃん吉さん、この街はどう感じますか」
「密度が高い」とにゃん吉が言った。
「そしていろいろなものを待っている人間が多い」
「待っているものが何かは分かりますか」
「変化だろう」とにゃん吉は言った。
「王都のやり方に不満があって、別の何かを待っている。ただし自分では動けない人間たちだ」
「動けない理由は」
「王都に依存している部分がある。怖い。先が見えない。そういうところだと思う」
「変化が見えれば動く人たちですね」
「そうだと思う」
コメント欄に「にゃん吉の分析が鋭い」「ノルドの空気が伝わってくる」が流れた。
「では明日から、変化を見せます」とリディアは水晶板に向かって言った。
夜、広場に人が集まってきた。
配信を見て来た人間、匂いに引き寄せられてきた人間、たまたま通りかかった人間が混ざっていた。
固形スープの素の説明をしながら、試作を配った。
受け取った人間が飲んだ。
「お湯をかけるだけでこれが飲めるのか」と一人が言った。
「そうです」
「旅先で重宝する」
「冒険者の方ですか」
「そうだ。ダンジョンに持って入れるのか」
「持ち運べます。重さは一個が指先ほどです」
「それは助かる」
別の人間が「王都にはこういうものがないな」と言った。
「売っていませんか」
「売っていない。似たようなものは高価なものしかない。これは安い素材で作っているのか」
「安い素材です。エルダ鉱山都市の黒穀と、カイロスの海産物の廃棄部分と、公爵領の干し肉です」
「廃棄部分が」
「廃棄するはずだったものが素材になっています」
男が飲み終えた椀を見た。
「それがこの味になるのか」
「加工の方法次第です」
配信が終わった後、にゃん吉が言った。
「手応えがあるか」
「あります」とリディアは言った。
「ここの人たちは何かを待っていると言っていましたね。その何かが見えた時の顔をしていた人間が今夜何人かいました」
「何の顔だ」
「良いものを見た時の顔です。知らなかったものを知った時の顔です。変化の入口に立った顔です」
「それが見えたのか」
「前世から人の顔を見る仕事をしていました。慣れています」
王都が近かった。
ここからなら王都の城壁が見えるかもしれなかった。見に行かなかった。今夜はまだその必要がなかった。
羊皮紙を広げた。
明日の配信の構成を書いた。
固形スープの素の正式お披露目。量産型の最初の実績になる回だった。
ノルドの夜が続いていた。




