第37話:封鎖された港
朝、港の空気が変わっていた。
昨日は活気があった。船が動いていた。荷が行き交っていた。
今朝は違った。
船が停まっていた。荷を持った人間が岸壁で立ち止まっていて、声が少ない。波の音だけが大きく聞こえた。
マリウスが来た。顔色が良くなかった。
「昨夜から封鎖が始まりました」
「状況を教えてください」
「王都系の大商会が水先案内人を買収した。大型船の案内ができる人間を全員押さえた。加えて、港の荷役を仕切っている組合にも圧力をかけている。事実上、大型船が入出港できない状態になっています」
「エルダからの鉱石船は」
「足止めされていて、沖合に停泊したまま動けない」
リディアは港を見た。
漁師が岸壁に座っていた。網を繕っているわけでも、荷を動かしているわけでもない。ただ座っていた。
「魚は」とリディアは聞いた。
「揚がったものが市場に出せない。大型の輸送船が動かないので、いつもの行き先に届けられない。地元の市場だけでは消費しきれない量が残っている」
「傷み始めていますか」
「今日の分は大丈夫です。だが明日、明後日と続けば」
「分かりました」
マリウスが「何か出来るのですか」と言った。
「やることは変わりません」とリディアは答えた。
市場に行くと、売れ残りの魚介が並んでいた。鮮度は良い。朝に揚がったものだった。ただ買い手がいない。漁師が困った顔で立っていた。
「全部買います」とリディアは言った。
漁師が目を丸くした。
「全部?」
「今日の売れ残りを全部引き取ります。値段はいつもの値で構いません」
「……それは助かるが、どうするんだ」
「保存します。傷む前に形を変えます」
厨房車に戻って仕込みを始めた。
水晶板を起動した。
「今日は保存食の話をします」とリディアは言った。
「港が封鎖されて魚が売れなくなっています。傷む前に長期保存できる形にします」
コメント欄に「封鎖されたのか」「王都の嫌がらせか」「どう対処するんだ」が流れた。
「船が動かないなら、魚を長期保存できるように価値を変えればいい。保存食になれば時間が味方になります」
最初は塩漬けから始めた。
小ぶりの魚を開いた。内臓を取った。塩を全面に振った。重しを乗せた。
「塩が水分を引き出します。水分が抜けた分、保存期間が延びます。一週間後には別の食材になっています」
コメント欄に「また見たことない保存法出てきた」「塩漬けだ」「知識の引き出しが異次元すぎる」が流れた。
「次はオイル漬けです」
別の魚を用意した。塩で下処理したものを、油の中に沈める。マリウスから調達したオリーブに近い魔草の実から搾った油だった。
「密封すれば数週間保ちます。油の中では腐敗が進みにくい。加えて、油が素材の旨味を引き出します」
小瓶に魚を並べて油を注いだ。香草を一本入れた。蓋をした。
「これを一週間後に開けると、味が変わっています」
コメント欄に「発酵してるのか」「熟成だな」「今すぐ食いたいが一週間後に期待できる」が流れた。
午後、昨日の出汁の残りを温めた。
スパイスを加えた。野菜を刻んで入れた。魚介の身を加えた。
「海鮮カレーにします」
昨日作ったブイヤベース風のスープをベースにしてカレーを作る。スパイスの香りが出汁の旨味と混ざった。
広場に匂いが広がった。
昨日来ていた漁師たちが戻ってきた。今日は表情が重かった。仕事が止まっている人間の顔だった。
「食べてください」
渡した。
漁師の一人が一口飲んだ。
「昨日のスープと違う」と言った。
「スパイスが入っています。体が温まります」
「仕事がなくて体が冷えていた」と別の漁師が言った。
「中から来る感じがする」
「スパイスの効果です」
コメント欄に「精神的にも参っている時にこういう飯が来るの強すぎる」「体だけじゃなく気持ちも温まりそう」が流れた。
夕方、配信を終えようとした時、にゃん吉の耳が動いた。
鋭く、一点に向いた。
「どうしましたか」
「人がいる」と低い声で言った。
「どこに」
「厨房車の裏手。二人。さっきから動いていない」
リディアは配信を続けたまま、厨房車の内部を確認するふりをした。裏手を直接見ないようにした。
「王都の人間ですか」
「匂いが王都系の革鎧に近い。ただし今日は平服だ」
「何を待っているんでしょう」
「様子を見ている。まだ動いていない」
コメント欄に「にゃん吉の耳が動いた」「何かいるのか」が流れてきた。
視聴者が気づいていた。
「今夜はここで配信を終わりにします」とリディアは普通の声で言った。
「明日また続けます」
水晶板を閉じた。
にゃん吉に目で合図した。
にゃん吉がカウンターから降りた。
翌朝、マリウスが来た。
昨夜の件を報告した。
「工作員だったようです。厨房車の食材を傷めるか、器具を壊す目的だったと思われます。にゃん吉さんに動きを止めてもらいました」
「捕まえたのですか」
「にゃん吉さんが一瞬で」
マリウスがにゃん吉を見た。
にゃん吉は缶を開けていた。
「神獣というのは、本当に違う種類の存在なんですね」とマリウスが言った。
「格が違います」とリディアは言った。
「工作員が何か言ったか」
「港の封鎖だけではないと。カイロス市内の物流全体を麻痺させるつもりだったようです」
マリウスの顔が変わった。
「それは」
「大きな話になってきました。ただし」
「ただし?」
「食材はまだあります。漁師から買い取った分が残っています。今日も仕込みます。止まる理由がありません」
マリウスがしばらくリディアを見た。
「……不思議な人だ、あなたは」
「よく言われます」
マリウスが何か言いかけて、止めた。
「私は船主たちと話をしてくる。動ける船がないか当たってみる」
「お願いします」
仕込みを再開した。
昨日塩漬けにした魚の状態を確認した。水分が出ていた。塩が馴染んでいた。まだ一日目だが、方向性は正しい。
オイル漬けの瓶を確認した。油の中で魚が沈んでいる。香草の香りが少し出てきていた。
新しい分を仕込んだ。
昨日より手際が良かった。工程が体に入っていた。
「仕込みながら考えています」とにゃん吉に言った。
「何を」
「王都が港を塞いでいる。物流を麻痺させようとしている。それに対してこちらはどう動くか」
「答えは出ているのか」
「出ています。マリウスが船主と話している。別のルートがあるなら、そこを使います。大型船でなくても動けるルートがあれば、封鎖の意味がなくなります」
「王都が読んでいない手か」
「大型船を押さえれば物流が止まると思っている。でも物流は大型船だけではありません。小さい船でも動きます。ただし時間がかかります」
「それまでの間を保存食で繋ぐのか」
「そうです。封鎖が続いても、保存食があれば価値が維持できます。時間を稼いでいる間に別のルートを作る」
にゃん吉が缶を傾けた。
「計算している顔だ」
「しています」
「怒っていないのか」
「怒る時間があるなら仕込みをします」
塩の瓶に魚を並べた。
港の風が入ってきた。塩の匂いと、魚の匂いと、スパイスの匂いが混ざった。
王都が港を塞いでいる。
でも保存食は積み上がっていく。出汁のマニュアルは書ける。漁師に教える時間はある。
動けない時間を、別の仕込みに使えばいい。
ペンを取った。
出汁マニュアルの続きを書いた。手が止まらなかった。




