第34話:独り立ちの丼
朝、水晶板を起動した。
隣国への通信は時間差がある。マリウスへの連絡はユリウス商会経由で前夜に送っておいた。返信が来ていた。
開いた。
【リディア様、おはようございます。昨夜の通信、拝見しました。エルダ〜ガルムの直接交易ルートの件、喜んでお受けします。正直、あの「岩角豚の角煮」の配信を見た瞬間から、何か来るとは思っていましたが。——マリウス】
続きがあった。
【エルダの鉱石の品質については以前から耳にしていました。王都経由でないルートが使えるなら、流通コストも下がります。詳細を詰めましょう。今日の昼に通話できますか。——マリウス】
「来ました」とリディアはにゃん吉に言った。
「マリウスか」
「快諾です。昼に通話します」
「話が早いな」
「配信を見ていたと書いてあります。岩角豚の配信で、何か来ると思っていたと」
「それは褒め言葉か」
「商人として乗れると判断した、ということです。悪い意味ではないです」
羊皮紙を広げた。交渉の骨子を書いた。
エルダの鉱石をガルムへ。ガルムの流通網を経由して隣国全体へ。見返りとして、マリウス商会が扱う隣国食材のエルダへの安定供給を求める。王都を経由しない双方向の取引ルートができる。
ヴォルクが来た。
「鍛冶場に案内できます」
「お願いします」
鉱山の建物群の奥に鍛冶工房があった。
扉を開けると熱気が来た。炉の温度が外と全然違う。壁に工具が並んでいる。床に金属の削り粉が積もっている。
職人が三人いた。全員が作業の手を止めてこちらを見た。
リディアはレオンから預かってきた設計図を取り出した。
「見てください」
渡した。
一人が受け取った。五十代ほどの、腕の太い男だった。名前をドランと言った。工房の親方だった。
設計図を見て、眉が動いた。
「魔法陣の刻み方が細かい」
「ユリウス商会の魔導技師が設計しました。熱を均等に分散する仕組みです」
「素材は何を想定している」
「今まで鉄合金を使っていました。ただ」とリディアは言った。
「エルダで採れる赤鉄鉱系の鉱石を使えば、熱伝導率が上がります。重さも少し軽くなる」
「どこでそれを知った」
「鉱石の成分を確認しました。昨日、ヴォルクさんに資料を見せてもらいました」
ドランが設計図と資料を交互に見た。
「熱伝導率の差が一・四倍ある」とドランは言った。
「確かに素材として優秀だ。ただし加工が難しい。鋳造の温度管理が繊細になる」
「どのくらい難しいですか」
「やったことがないが、できないとは思わない」とドランは言った。
それから少し間を置いた。
「厚みの指定がある。何ミリか」
「三・二ミリです。均一でないと熱の伝わり方にムラが出ます」
ドランが別の職人と目を合わせた。何か言葉で言うより短いやり取りが、目だけで成立したようだった。
「試作を作る」とドランが言った。
「今日の午後から始める。明日の昼までには一号を上げる」
「ありがとうございます」
「礼は要らん。やってみたかった仕事だ」
昼、マリウスとの通話を繋いだ。
画面に映ったマリウスは、前回より表情が柔らかかった。仕事の話をする顔だった。
「エルダの鉱石の品質についてですが」とリディアは最初に言った。
「ドランさんという鍛冶職人に確認しました。赤鉄鉱系は加工が難しいですが、完成品の品質は現在の流通品より上です」
「具体的な数値は」
「ユリウス商会のレオンから設計図を借りています。比較データを後で送ります」
「助かります。流通の話をしましょう。王都経由を外すとなると、山越えのルートが現実的です。ただし荷の重量制限がある」
「鉱石の一度の輸送量は多くなくて構いません。まず流通ルートを開通させることが優先です。量は後から増やせます」
「同感です」とマリウスが言った。
「小さく始めて確認する。その方が信頼できます」
三十分で骨子が決まった。
試験的な取引から始める。エルダからマリウスへ鉱石を月一回送る。マリウスからエルダへ隣国食材を同便で送る。三ヶ月試して、問題がなければ正式契約にする。
「では三ヶ月後にまた話しましょう」とマリウスが言った。
「あと一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「次にエルダで作る料理は何ですか」
「まだ決めていません」
「楽しみにしています」とマリウスが言って、通話が切れた。
昼の配信を始めた。
今日は自分で包丁を持たないと決めていた。
「セルムとマリに作ってもらいます」と水晶板に向かって言った。
「昨日教えたものを、今日は二人だけでやります」
コメント欄に「独り立ち回か」「二人で作れるのか」「見守る令嬢が見たい」が流れた。
セルムとマリが仕込みを始めた。
漬け込みの液を作った。果実の汁と発酵粕を合わせた。昨日リディアが書いた羊皮紙の比率通りに計量していた。
「比率は合っています」とリディアは言った。
「確認ありがとうございます」とセルムが羊皮紙を見ながら言った。
肉を処理した。関節近くから包丁を入れた。セルムの手元が昨日より安定していた。
「角度が良いです」
「昨日より入りやすい気がします」とセルムが言った。
「慣れています。一回でも違います」
マリがタレを作った。発酵調味料と蜂蜜の比率を計りながら合わせた。火にかけた。煮詰め始めた。
「香りが変わったら弱めます」とマリが言った。独り言のように言った。手順を声に出して確認していた。
漬け込みの時間が来た。肉を液体に沈めた。
「三時間です」とセルムが羊皮紙に時間を書き込んだ。
待つ間、鍛冶場に行った。
ドランが鋳造の作業をしていた。炉の温度を何度も確認しながら、ゆっくりと形を作っていた。
「どうですか」とリディアは聞いた。
「難しいが、形になりそうだ」とドランが言った。作業を止めずに答えた。
「熱伝導率が高い分、冷え方も早い。タイミングがシビアだ」
「何時間かかりますか」
「夕方には一号が出る」
「楽しみにしています」
「見にくるのか」
「見ます」
ドランが少し笑った。
三時間後、肉を低温で煮た。
セルムが保温容器の温度を管理した。マリがタレの仕上げをした。
二時間後に取り出した。
切った。スッと入った。
「昨日と同じ柔らかさです」とセルムが言った。
「合格です」
セルムが器にご飯を盛った。肉を乗せた。タレを絡めた。盛り付けた。
マリが別の器で同じことをした。
二つの丼が並んだ。
「食べてください」とリディアは言った。
二人が食べた。
セルムが「できた」と言った。声が少し震えていた。
「俺たちで作れた」
「マニュアル通りに作ればできます」とリディアは言った。
「昨日の自分たちが書いたものです」
「それでも」とマリが言った。
「あの固い肉がこうなった。自分たちの手で」
コメント欄に「現地スタッフが完全にマスターしてる」「教え方が神すぎる」「内製化できてる」が流れた。
夕方、鍛冶場に戻ると、ドランが待っていた。
「上がった」と言った。
台の上にフライパンが乗っていた。
赤みがかった金属の色で、赤鉄鉱の色が残っている。表面が均一に仕上がっている。
持ってみたら、重さが適切だった。底の厚みを確認した。ドランに計測器を借りた。
「三・二ミリ、均一です」
「時間がかかったのはそこだ」とドランが言った。
「均一に保つのが一番難しかった」
「魔法陣を刻んでみます」
赤鉄鉱の表面は刻みやすかった。魔力の通りを確認した。均等に広がった。
「熱してみます」
魔力を通した。
温まり方が今まで使っていたフライパンと違った。全体が一度に温まっていく。中央から端への時間差が小さい。
「速い」
「熱伝導率が高いからか」とドランが言った。
「そうです。これがあれば調理の精度が上がります」
「量産できるか、という顔をしているな」とドランが言った。
「しています」とリディアは正直に答えた。
「時間をくれれば職人を揃える」
「お願いします。先にレオンへ設計図と試作品のデータを送ります。連携できると思います」
夜、配信の最後ににゃん吉がエルダ製フライパンで肉を焼いた。
音が出た。
ジュアアッという、今まで聞いた中で一番均一な音だった。
「音が違う」とにゃん吉が言った。
「熱の均一さが音に出ています」
「分かる。底全体から同じ温度が来ている」
「合格ですか」
「合格だ」とにゃん吉は言った。渋い声だったが、確かに言った。
コメント欄に「鍋まで現地生産してる」「王都の検疫嫌がらせが意味なくなった」「独立経済圏ができてる」「スパチャ連打」が流れた。
配信が終わった後、クラウスが来た。
「ヴィランさんから通信です」
受け取った。
【王都からの報告が入りました。セドリック殿下が、エルダの鉱石がガルムへ直接流れ始めたことを把握したようです。相当ご立腹とのことです。加えて、現地での調理器具量産の話も届いたようで、担当者への叱責が続いているという情報があります。——ヴィラン】
末尾に一行あった。
【なお、公爵閣下より。「順調だな。カレーパンの差し入れを送ってもいいか」とのことです。——ヴィラン】
リディアは少し止まった。
「父がカレーパンを送ってくると言っています」
「保温容器で来るのか」とにゃん吉が言った。
「そのようです」
「届くのか、ここまで」
「公爵家の輸送なら届きます」
返信を打った。
【ありがとうございます。ただし、こちらにも魔導鍋と発酵窯があります。到着したらここで揚げ直せます。保温容器ごと送ってください。——リディア】
送信した。
「父に頼んでいるのか」とにゃん吉が言った。
「素材だけ送ってもらいます。揚げるのは自分でします」
「それがお前らしい」
鉱山の夜は澄んでいた。星が多かった。ダンジョンの中では見えなかった星だった。
羊皮紙を開いた。
明日の作業リストを書いた。セルムとマリへの三回目の指導。ドランへのレオン連携の手紙。マリウスへの取引条件の最終確認。
書いていたら、遠くから足音が聞こえた気がした。
複数の人間の足音だった。
「にゃん吉さん」
「聞こえている」とにゃん吉が言った。
「街道の方から来ている。荷馬車の音もある」
「誰でしょうか」
「分からん。ただ、急いでいる動き方ではない。目的を持って来ている人間の動き方だ」
リディアは羊皮紙から目を離した。
明日になれば分かることだった。
今夜はまだ書くことがある。
ペンを動かした。




