第33話:廃棄素材の変貌
朝、ヴォルクが迎えに来た。
「案内する」と言った。それだけだった。
ギルドの建物の裏手に回った。石造りの低い建物があった。扉が重く、開けると冷えた空気が出てきた。
中に入ったが、目が慣れるまで少しかかった。
そして慣れてから再び見ると、そこには素材が積まれていた。
大きな塊が木の台に乗っている。皮がついたものもあれば、解体の途中で止まったものもある。色が暗い赤で、筋が太い。
「岩角豚です」とヴォルクが言った。
「坑道の深部に出る魔物で、討伐は専門の隊がやっている。でも肉は誰も使えない」
「なぜですか」
「皮が硬すぎて包丁が入らない。無理に入れると刃が欠ける。皮を取り除いても中の肉が筋張っていて、焼いても煮ても固いまま。臭みも強い」
「食べた人はいますか」
「何人か試した。臭みで食えなかったと言っていた。それから廃棄している」
リディアは素材に近づいた。
表面を触った。皮は確かに硬かった。指で押してもへこまない。
皮の継ぎ目を確認した。薄い部分がある。関節の近くだった。
「皮の薄い部分から解体できます」
「包丁が入るか」
「入れ方の問題です。力ではなく角度で入れます」
次に肉の部分を触った。筋が多い。繊維が太い。これは時間で解決できる。
「臭みの成分は」とリディアは一部を小さく切って匂いを嗅いだ。
「鉄分の酸化と、脂の劣化が混ざっています。処理すれば消えます」
「処理というのは」
「漬け込みです。酸と発酵成分を使います。現地で手に入りますか、酸味の強い魔果実と、酒の発酵粕」
「魔果実はある。発酵粕は醸造所に行けばもらえる」
「調達をお願いします。今日仕込みます」
ヴォルクが素材を調達している間、リディアはギルドの若いスタッフを呼んでもらった。
二人来た。
十代後半から二十代前半くらいだった。一人は背が高く痩せていた。もう一人は小柄で、目が丸かった。二人とも少し緊張していた。
「名前を教えてください」
「セルムです」と背の高い方が言った。
「マリだ」と小柄な方が言った。
「今日は一緒に作業してもらいます。ただし見るだけではなく、工程をこの羊皮紙に書いてもらいます」
羊皮紙と炭筆を渡した。
「書く、ですか」とセルムが言った。
「私がいなくなった後も同じものが作れるように、手順を記録します。書きながら覚えた方が残ります」
「分かりました」
素材が揃った。
魔果実は小ぶりで赤い実だった。切ると汁が出た。舐めると酸っぱかった。タンパク質分解の成分が入っていると分かった。
「まず皮を外します」
包丁を取った。
皮の薄い部分、関節の近くに刃を当てた。力ではなく、角度を使って差し込んだ。少しずつ進んだ。
「包丁が入った」とマリが言った。
「入れ方の問題です。硬い素材は力より角度です。セルム、書いてください。『関節近くの薄い部分から、刃を寝かせて差し込む』」
セルムが書いた。
皮を外した。中の肉が出た。赤黒い色だった。筋が太く走っている。
「次は漬け込みの液を作ります。マリ、魔果実の汁を搾ってください」
マリが果実を手に取り搾る。汁が出た。
「発酵粕と合わせます。この比率で」と言いながら混ぜた。
「酸が筋を柔らかくします。発酵成分が臭みを消します。肉を沈めて、最低三時間置きます」
「三時間後に何かするのですか」とセルムが書きながら言った。
「煮ます。ただし低温でゆっくり煮ます。高温で煮ると肉が固くなります。低い温度を長時間保つ。それだけです」
「難しそうです」
「道具があれば難しくありません。移動厨房車の保温容器と、弱出力の魔導火を使います。温度を一定に保つのは道具の仕事です」
セルムが「道具の仕事」と書いた。
「正確です。人間がやることは、温度を設定することだけです」
漬け込みを始めると、肉が液体に沈んだ。表面の色が少し変わり始めた。
「三時間待ちます。その間に別の作業をします」
「何をするのか」とマリが聞いた。
「タレです。煮た肉に絡めるタレを先に作ります。甘辛にします。発酵調味料と蜂蜜と」
材料を並べた。
「マリ、こちらを作ってください。比率はこれです」
羊皮紙に比率を書いて渡した。
マリが見た。材料を取り合わせた。火にかけ煮詰める。
「香りが変わってきたら火を弱めてください」
「はい」
マリがタレを作っている隣で、リディアはセルムに話しかけた。
「書けていますか」
「書けています。ただ、なぜこの比率なのかが分からないところがあります」
「どこですか」
「酸と発酵粕の比率です。どちらを多くしてもいいのではないかと思いまして」
「良い質問です」とリディアは言った。
「酸が多すぎると肉が崩れすぎます。発酵粕が多すぎると臭みが別の匂いに変わります。この比率はどちらかに偏らないための数字です」
「試したことがあるのですか」
「似た素材を扱ったことがあります」とリディアは言った。
「詳しくは説明できませんが、経験から来ています」
「分かりました。書きます」
三時間後、漬け込んだ肉を取り出した。
色が変わっていた。表面の臭みが薄れていて、触ると少し柔らかくなっていた。
「低温で煮ます」
保温容器に水を張った。魔導火の出力を最低限に絞った。肉を沈めた。蓋をした。
「このまま二時間置きます」
「配信はどうしますか」とセルムが聞いた。
「今から始めます。煮ている間が一番コメントが盛り上がります。待っている時間を見せることで、食べた時の印象が変わります」
配信を始めた。
「今日はエルダ鉱山ギルドの皆さんと一緒に、廃棄されていた素材を料理にします」とリディアは水晶板に向かって言った。
コメント欄に「エルダ回続いてる」「捨てられてた素材か」「セルムとマリが映ってる」が流れた。
「二人が作り方を記録しています。私がいなくなった後も、ここのギルドが自分たちで作れるようにするためです」
コメント欄に「教え方が神すぎる」「内製化してる」「これは良い配信だ」が流れた。
二時間後、蓋を開けると香りが来た。
漬け込みの酸の香りが飛んで、代わりに肉の深みのある香りが出ていた。
「取り出します」
肉を引き上げた。
崩れそうだった。形は保っているが、触ると柔らかい。
「切ります」
包丁を当てた。
スッと入った。抵抗がなかった。
「マリ、タレを温めてください」
タレが温まった。肉に絡めると艶が出た。タレが肉の表面に纏わりついた。
「盛り付けます」
セルムとマリに器を渡した。
「自分たちで盛り付けてください」
二人が受け取った。器にご飯を盛った。肉を乗せた。タレを追いがけした。
「食べてください」
セルムが一口食べた。
止まった。
「マリも食べてください」
マリが食べた。同じように止まった。
二人が顔を見合わせた。
「……俺たちが作ったのか」とセルムが言った。
「そうです」
「これが、あの固い肉か」
「そうです」
マリが「信じられない」と言った。もう一口食べた。
コメント欄に「捨ててた肉が角煮になった」「二人の顔が良い」「現地で内製化されてて草」「最高の教育配信」が流れた。
夕方、片付けをしていると、ヴォルクが来た。
「食った」と言った。
「どうでしたか」
「信じられなかった。あの廃棄素材があれになるとは」
「素材は問題ありませんでした。処理の問題だけでした」
「セルムとマリが作れるようになったのか」
「今日一回では不十分です。三回から五回繰り返せば定着します。その間に私がいれば確認できます」
「留まれる間に覚えさせてくれ」
「そのつもりです」
ヴォルクが去ってから、クラウスが近づいてきた。
神妙な顔だった。
「通信が来ています」
水晶板を受け取った。
ヴィランからだった。
【王都側の動きをご報告します。エルダ鉱山都市との取引に王家が関与し始めています。鉱石の流通に「検疫強化」の名目で検査を増やし、出荷を遅らせる動きがあります。事実上の嫌がらせです。エルダ鉱山ギルドへの影響が出る可能性があります。公爵家として対抗措置を検討しています。——ヴィラン】
リディアは読んだ。
にゃん吉が横から覗いた。
「検疫強化か」
「鉱石の流通を遅らせて、エルダを孤立させようとしています」
「腹立たしい手だな」
「想定の範囲内です」とリディアは言った。
「主要街道の関税を上げると言っていたのが、鉱石の検疫に変わっただけです。手の形が変わっても、目的は同じ。こちらを孤立させること」
「どうする」
「相手の手が増えたなら、こちらの選択肢を増やせばいいです」
「具体的には」
リディアは羊皮紙を取り出した。
「鉱石の流通を王都経由に頼らないルートを作ります。エルダから直接、隣国のガルムのルートへ繋げます。マリウス商会は隣国の商人です。別の経路が使えます」
「ガルムに連絡するか」
「します。それと」
「それと?」
「エルダの鉱石で調理器具を作るという話がありました。現地生産が成立すれば、鉱石を外に出す必要がなくなります。検疫の影響が減ります」
にゃん吉が「先を読むのが早いな」と言った。
「いつも先に考えてから動いています。後手に回ると追いつくのが大変です」
羊皮紙に書いた。
「ガルムへの連絡」「マリウス商会への打診」「エルダ現地生産の可能性調査」。
手が動いた。
鉱山の夜が来ていた。厨房車の中に、昼の調理の余韻が残っていた。
岩角豚の香りがまだあった。
捨てられていた素材の香りが、今夜は美味い匂いになっていた。




