第28話:煙と別のルート
朝、レオンが来た。
昨夜リディアが送っておいた「移動式厨房車・設計要件」の羊皮紙を手に持っていた。読みながら歩いてきた様子で、入ってくる前から何かを考えている顔をしていた。
「読みました」と言いながら席についた。
「問題点を先に言ってください」とリディアは言った。
「二つあります」
「どうぞ」
レオンが羊皮紙を広げた。
「一つ目、魔導炉の小型化です。今ある魔導フライパンや油鍋は据え置きを前提に設計しています。荷車に積んで移動できるサイズにするには、魔法陣を圧縮しなければなりません。圧縮すると出力が落ちます。出力を保ったまま小型化するのは、今の技術では難しい」
「解決策の目処はありますか」
「魔法陣の刻み方を変える必要があります。今の職人ではできない可能性があります。魔導技師の協力が要ります」
「二つ目は」
「走行中の振動対策です。揚げ物や煮込みを移動中に作るなら、油や液体が揺れます。転倒すれば火災になります。車体の振動を吸収する仕組みと、魔法障壁による安定化が必要です」
「どちらが難しいですか」
「振動対策の方が複雑です。魔導炉の小型化は時間がかかりますが、方向性が見えています。振動対策は設計から考え直す必要があります」
リディアは羊皮紙に書いた。
「では振動対策を先に解決します。走行中に調理しない設計にする」
「どういうことですか」
「移動中は調理しない。目的地に着いたら停車して、その場で調理する。移動と調理を切り分ければ振動対策の難易度が下がります」
レオンが少し考えた。
「それなら振動の問題はほぼ解決します。停車状態であれば、今の据え置き型とほぼ同じ条件になります」
「あとは小型化だけの問題になります」
「そうなります」
「では小型化に集中してください。魔導技師の手配は商会でできますか」
「します。ただし時間がかかります。早くて一ヶ月です」
「一ヶ月待ちます。その間に保存食の開発を進めます」
打ち合わせが終わった後、にゃん吉が寝床から声をかけた。
「聞いていたが、保存食の話を先に進めるのか」
「移動厨房車が完成しても、持ち運べる食材がなければ意味がありません。先に素材を揃えておきます」
「燻製という方法を知っているか」
リディアは手を止めた。
「知っています。煙で食材を燻して保存性を上げる方法です。香りもつきます」
「昔、東の山の民が使っていた。持ち運びのための肉の処理だ。木の実の煙を当てていた」
「この周辺で使える木はありますか」
「ダンジョンの中層に香木マガラという樹木がある。枝を燃やすと良い香りの煙が出る。食材に使えるかは試したことがないが、成分は問題ないはずだ」
「取れますか」
「取ってくる」
にゃん吉が立ち上がった。
「今から行くんですか」
「早い方がいい。お前は仕込みをしていろ」
にゃん吉が出ていった。
一時間後、にゃん吉が戻ってきた。
口に細い枝の束をくわえていた。置いた。
「これがマガラの枝ですか」とリディアは手に取った。
乾いた枝だった。折るとパキッと音がした。香りが出た。甘みのある、落ち着いた香りだった。お香に近い。
「これで燻します」
実験の準備をした。
魔豚の塊肉を用意した。塩と香辛料を全面に塗り込んだ。一時間置いた。
その間にスモーカーを作った。深めの鍋の底にマガラの枝を並べた。網を置いて、肉を乗せる台にした。蓋をする。
「レオン、見ていてください」とリディアは言った。
「量産を前提にした時の問題点があれば指摘してください」
「分かりました」
水晶板をセットした。
「配信を始めます」
「急にですか」とレオンが言った。
「準備が整ったらすぐやります。温めてから始める意味がない」
「移動厨房車プロジェクト、第一弾です」とリディアは水晶板に向かって言った。
「今日は保存食の話をします。長距離移動に耐える、香りの良い保存食を作ります」
コメント欄に「プロジェクト始まった」「移動厨房車って何」「保存食か」が流れた。
「燻製という方法を使います。煙で食材を燻すと、水分が抜けて保存性が上がります。同時に香りがつきます」
鍋の底のマガラの枝に、魔石灯の熱を当てた。
煙が出た。白い煙が鍋の中に充満していく。
蓋をして、五分待ち、蓋を開けると香りが来た。
マガラの煙と肉の脂が混ざった香りだった。甘みのある煙の香りが肉に絡んでいる。スタジオ全体に広がった。
コメント欄に「匂いが画面から来る」「すごい香りがしそう」「これが燻製か」が流れた。
「追加で燻します。今日は時間短縮のため薄切りでやっています。本来は塊肉を数時間かけて燻します」
薄切りの肉は十五分で完成した。
取り出した。
色が変わっていた。表面が赤みがかった褐色になっている。触ると表面が少し硬くなっている。香りが強い。
「切ります」
包丁を入れた。断面が出た。赤みが残っている中身と、外側の色の差がはっきりしている。
「どうぞ」とレオンに渡した。
レオンが口に入れた。
「……これが保存食ですか」
「そうです」
「保存食という言葉が合わない気がします」
「なぜですか」
「美味すぎます。保存食はもっと質が落ちるものだと思っていました」
「燻製は質を落とさずに保存性を上げる方法です。むしろ香りが加わる分、素材より良くなる場合があります」
クラウスが食べた。
「酒が欲しくなる」と言った。
「合います。パンとも合います」
「移動中にこれが食べられるのか」
「これを基礎にして、さらに工夫します」
コメント欄に「なんだその煙は」「移動厨房車と燻製を組み合わせるのか」「うちの街にも来てくれ」「スパチャ連打」が流れた。
にゃん吉が燻製肉を一口食べた。
長く噛んだ。
「香木の成分が肉に入っている」
「そうです。枝の香り成分が煙に乗って素材に染み込みます」
「昔の山の民が使っていた方法と、基本は同じだな」
「同じです。ただ使う木と素材で香りが変わります。マガラは今日初めて使いましたが、肉には良い組み合わせでした」
「魚には使えるか」
「試していませんが、使えると思います。次に試します」
にゃん吉がもう一口食べた。
「……風味が残る。飲み込んだ後も香りがある」
「後味が長いのが燻製の特徴です」
「これは売れる」とにゃん吉が言った。
「そう思います」
配信が終わった後、レオンが立ち上がった。
「工房に戻ります」
「試作の件、よろしくお願いします」
「一ヶ月で上げます」とレオンが言った。普段より声に力があった。
「工房の魔導技師を総動員します。燻製器の量産設計も並行して進めます」
「無理をしないでください」
「無理ではないです。やりたいと思っています」とレオンが言った。
「リディア様と仕事をするようになってから、工房の雰囲気が変わっています。新しいものを作る仕事は、職人にとって張り合いになります」
レオンが帰った。
夜、ヴィランから通信が来た。
今夜は長かった。
【王都の状況についてご報告します。セドリック殿下側が公爵領への主要街道における関税の引き上げと、魔導具の流通制限を検討しているとの情報が入りました。具体的な動きはまだありませんが、複数の情報源から同じ話が出ています。信頼度は高いと判断しています。対応をご検討ください。——ヴィラン】
リディアは読んだ。
「王都が関税と流通制限を考えているようです」とにゃん吉に言った。
「街道を塞ぐつもりか」
「主要街道です。全部ではない」
「全部でなければ」
「別のルートがあります」とリディアは言った。
「それに」
「それに?」
「道が塞がれるなら、新しい市場を開拓する理由になります」
羊皮紙を開いた。地図を広げた。クラウスから借りた公爵領を中心にした周辺の地形図だった。
東の方向に指を走らせた。
「鉱山都市があります」
「知っている。エルダの鉱山だ」
「行ったことがありますか」
「遠い昔に通ったことがある。岩と金属の匂いがする場所だ」
「鉱夫が多い都市です。重労働の人間は食欲があります。スタミナ飯が売れます。鉱山から出る素材は調理器具の材料にもなる可能性があります」
「移動厨房車が完成したら最初に行くつもりか」
「候補の一つです」
羊皮紙に「エルダ鉱山都市・調査課題」と書いた。
その下にいくつかの項目を書いた。鉱夫の食習慣、現地の食材状況、調理器具の需要調査、街道ルートの代替案。
「準備することが増えたな」
「増えた方がいいです。やることがなくなったら困ります」
「そうか」とにゃん吉が言った。
「まあ、退屈よりはいい」
「退屈したことはありますか、今まで」
「最近はない」
「それは良かったです」
リディアはペンを動かし続けた。
燻製の香りがまだスタジオに残っていた。マガラの枝の甘い香りと、魔豚の脂の香りが混ざったままだった。
良い香りだった。
次の仕込みのことを考えた。魚の燻製、野菜の燻製、組み合わせの可能性。香木の種類が増えれば香りのバリエーションも出る。
書くことが、まだあった。
いつもそうだった。
一つが形になると、次が見えてくる。見えてくるから、また書く。書いたものが形になる。
その繰り返しだった。
魔石灯の光の下で、羊皮紙が埋まっていった。




