第25話:農村の空と串焼きの煙
朝一番に、魔術師ギルドへの返信を書いた。
下書きは昨夜のうちに済ませていた。今朝は見直しだけだった。
要点は三つ。
一つ目、本配信における調理は魔導器具を使用した熱調理であり、魔術の行使には該当しない。魔導器具の使用は魔術師ギルドの認定対象外であることは、建国時の条例第十二条に明記されている。
二つ目、仮に魔術の使用に該当するとしても、本活動地はにゃん吉改め主夜神の聖域として登録されており、神獣の聖域内の活動は王法の管轄外である。これは前回の使者来訪時にも確認済みの事項である。
三つ目、以上の根拠を踏まえ、魔術師ギルドの認定は不要と判断する。今後同様の問い合わせがある場合は、ローゼンベルク公爵家法務担当ヴィランを窓口としてほしい。
ヴィランの連名で送れるよう、昨夜のうちに確認を取っていた。ヴィランからの返信は「完璧です。そのまま送ってください」だった。
送信した。
「終わったか」とにゃん吉が缶を持ちながら言った。
「終わりました。次は農村です」
「切り替えが早いな」
「向こうの手紙に時間を使いすぎると、こちらの仕事が止まります。必要な時間だけかけて、残りは本来の仕事に使います」
にゃん吉が缶を傾けた。
「まあ、そういうものか」
「そういうものです。行きますよ」
農村は公爵領の外縁部にあった。
ギルド前広場から荷車で一時間ほどの距離だった。クラウスが手配した荷車に、移動式屋台と調理道具を積んだ。にゃん吉は荷台の端に座った。
道が変わり、石畳から土の道になった。両側に背の高い草が生えている。空が広い。ダンジョンの中でも広場の空でも感じなかった種類の広さがあった。地平線まで続く草の色が、朝の光で緑と金色に変わっていた。
「綺麗ですね」
「この景色が普通だったんだがな」とにゃん吉が言った。
「普通だったんですか」
「俺が力を持っていた頃は、こういう場所を毎日見ていた」
リディアはにゃん吉を見た。荷台の端で風に吹かれている茶トラの猫だった。普段と変わらない顔をしていた。
「今も気に入っていますか、こういう景色」
「まあな」
それだけだった。
水晶板を取り出した。
「配信を始めます」
「もう始めるのか」
「移動中の景色も素材です。視聴者がスタジオ以外の映像を見るのは今日が初めてです」
コメント欄に「外だ」「草原が映ってる」「にゃん吉が外にいる」「荷台に乗ってる」「風で耳が動いてる」が流れた。
にゃん吉の耳が風を受けて動いた。
コメント欄に「それだ」「耳の動きが良い」「スパチャ投げます」が流れた。
農村に着いた。
出迎えたのは四十代ほどの農夫だった。ハンスといった。日焼けした顔で、手が大きかった。
「配信でお世話になっております」と言いながら頭を下げた。
「見ていましたか」
「妻と毎回見ています。ポテトの回は三回見ました」
「ありがとうございます」
「うちの魔草と魔豚が使われているのを見た時は、妻が泣いていました」
リディアは少し止まった。
「泣いていた」
「嬉しくて、ということです。長年育てているものを、あんなに美味そうに作ってもらったと」
水晶板を向けた。
「視聴者に紹介していいですか。生産者の方の顔を直接見せたことがないので」
「構いません。妻も呼んでいいですか」
「ぜひお願いします」
ハンスの妻が来た。五十代ほどで、夫と同じく日焼けした顔だった。水晶板を見て少し緊張した顔をした。
「大丈夫です、普通に話してください」とリディアは言った。
「あの、うちの魔豚を食べてくれた方たちへ、ありがとうございますと言いたくて」と妻が言った。
コメント欄に「生産者だ」「ありがとうはこちらです」「毎日見てます」「美味しい肉をありがとうございます」「スパチャ連打」が流れた。
リディアはコメント欄を読み上げた。
「視聴者からも、美味しかったという声がたくさんあります」
妻の目が赤くなった。
「配信で紹介してもらって、うちの魔豚の問い合わせが増えました。ギルドからの買い付けも増えて、今年は例年の倍以上の収入になりそうです」
「素材が良いからです。私はそれを調理しただけです」
「そう言ってもらえると」とハンスが言った。
「農家はどうしても料理する人間が目立って、素材を作る人間は見えにくくなります。配信で名前と顔を出してもらえるのは、本当に助かります」
畑を案内してもらった。
魔草の畑は広かった。緑の葉が整列して並んでいる。根元に水が引かれていて、管理が行き届いていることが分かった。
「この魔草を使うと何でも香りが立ちます」とハンスが言った。
「どこが良いんですかね」
「土の成分です。この土は鉄分と魔力成分のバランスが良い。植物がそれを吸収すると香りの素になる成分が増えます」
「そんな話は聞いたことがなかったです」
「前世で勉強しました」と言いかけて止めた。
「色々調べていました」
魔豚の小屋も見た。
大きかった。普通の豚より一回り以上大きい。毛が短くて、肌がきめ細かかった。触ると温かかった。
「何を食べさせていますか」
「魔草の絞り汁を混ぜた飼料です。肉の質が変わると気づいてから、ずっとこれでやっています」
「それが脂の甘みに繋がっています」
「分かりますか」
「料理すると分かります」
ハンスが照れた顔をした。
昼過ぎに調理を始めた。
食材はハンスが用意してくれた。今朝解体した魔豚の肩肉と、畑から採りたての魔草数種類。それから根菜系の魔草が一種類あった。
直火の場所を作った。
ハンスが農村で使っている石組みの竈があった。薪をくべて火を起こした。ダンジョンの魔石灯ではない、本物の薪の火だった。
「薪の火で料理するのは久しぶりです」
「難しいですか」
「慣れの問題です。温度が均一ではないので、魔導具より感覚が要ります」
肉を切った。厚めの切り身にした。隣国から仕入れたスパイスを振った。塩と合わせて全面にまぶした。
金属の串に刺した。
野菜も切って串に刺した。色が並んだ。緑、白、赤。
「焼きます」
火にかざした。
脂が垂れた。火に当たって、ジュウという音が出た。煙が上がった。スパイスの香りが煙に乗って広がった。農村の空気に混ざって、周囲に広がっていく。
ハンスの妻が「すごい匂い」と言った。
「採りたての肉は脂の質が違います。時間が経つと脂が劣化します。今日のはまだ劣化していない」
「そんなに違いますか」
「音を聞いてください」
串を少し動かした。ジュアアッという音が出た。
「脂が生きている音です」
コメント欄に「音が暴力」「農村の直火焼きズルい」「脂が垂れる描写で腹が鳴った」「スパチャ連打」が流れた。
ガルムがどこかで配信を見ていたらしく、コメントが来た。
「肉の焼ける音がこっちまで来てる気がする。次回の遠征でも頼む」
コメント欄に「ガルムも見てる」「遠征コラボまたやってほしい」が流れた。
五分焼いた。返した。反対面を焼いた。
脂が表面に出てきて、光った。スパイスが焼けて、色が深くなった。
「焼けました」
ハンスと妻に渡した。
二人が同時にかじった。
ハンスが「うちの豚がこんなになるのか」と言った。
「なります」
「何十年も育てていますが、こんな食べ方をしたことがなかった」
妻が「美味しい」と言った。それだけだった。でも顔が全部言っていた。
コメント欄に「生産者が自分の素材を初めてちゃんと食べた回」「泣きそう」「良い配信だ」「スパチャ連打」が流れた。
にゃん吉が串を一本受け取って食べた。
「採りたての肉は密度が違う」と渋い声で言った。
「分かりますか」
「細胞がまだ生きている気がする」
「詩みたいな表現ですね」
「事実だ」
夕方、荷車に道具を積んで帰った。
農村を出る時、ハンスと妻が出てきた。
「また来てください」とハンスが言った。
「来ます。次は別の調理法を試させてください」
「何でも使ってください」
荷車が動き出した。
来た時と同じ道を戻る。草の色が夕日で変わっていた。朝は金と緑だったものが、今は赤みを帯びた金になっていた。
コメント欄にまだ書き込みが来ていた。
「今日の配信が好きだった」「生産者の顔が見えるの大事だと思った」「公爵領に行ってみたくなった」「リディアの料理のルーツが分かった気がする」。
最後の書き込みを読んで、少し考えた。
ルーツ。前世の仕事も、今の仕事も、根本は同じかもしれなかった。良いものを見つけて、良い形で届ける。素材を作る人間と、食べる人間を繋ぐ。それだけだった。
ギルド食堂に戻ると、クラウスが待っていた。
「ヴィランさんから通信が来ています」
「内容は」
「公爵閣下が、明日ギルド食堂に来られるとのことです。視察という名目で」
リディアは荷物を降ろしながら止まった。
「明日、ですか」
「はい。ヴィランさんが申し訳なさそうに連絡してきました。閣下が急に決めたようで、止められなかったと」
にゃん吉が荷台から降りた。
「カレーパンを揚げる約束があったな」
「あります」
「材料はあるか」
「仕込みをすれば間に合います」
リディアは羊皮紙を取り出した。
カレーパンの材料リストを書いた。発酵パン生地の仕込み時間を確認した。今夜仕込めば明日の朝には間に合う。
ヴィランに返信を打った。
【承知しました。カレーパンを準備します。閣下には揚げたてを召し上がっていただけます。——リディア】
送信して、厨房に入った。
今夜の仕込みを始めた。農村の直火の余韻がまだ手に残っていた。薪の煙の匂いが服にわずかに残っていた。
明日、父が来る。
画面越しの「R_F_1」ではなく、本物の父が来る。
どんな顔で来るのか、想像して、やめた。来てから分かることは来てから考えればいい。
今夜は生地を捏ねる。それだけでいい。




