第24話:屋台と揚げ物
朝、ヴィランから二つの通信が同時に届いた。
一つ目は契約書の修正承諾だった。リディアが指摘した五箇所が全て反映されていた。末尾に一行あった。
【閣下より。「細かいところまで読んでいる。さすがだ」とのことです。——ヴィラン】
二つ目は別の内容だった。
【市場調査の結果をご報告します。公爵領内の複数の市場で、ポテトを模した揚げ物が出回っています。調査員が購入したところ、油が古く魔力調整も不十分で、胸やけを訴える購入者が複数出ています。早急な対応をご検討ください。——ヴィラン】
リディアは二つ目を三回読んだ。
「クラウスさんを呼んでください」とにゃん吉に言った。
「俺が使い走りをするのか」
「通信をください。私が呼びます」
クラウスが来たのは三十分後だった。
入ってきた顔が既に申し訳なさそうだった。
「ご報告が遅くなりました。市場の件は把握しています」
「いつから出回っていましたか」
「一週間ほど前から。ドール商会が配信のポテトに触発されて独自に仕入れと販売を始めました。熱意があったのは分かるのですが、揚げ方のノウハウがなく」
「胸やけが出ているのは確認していますか」
「三件、報告を受けています。重篤ではありませんが」
リディアは少し考えた。
「怒っているわけではありません」と先に言った。
「動いてくれた熱意は理解しています。ただ批判が広がる前に正しい情報を出さないと、ブランドごと信頼が落ちます」
「どうすれば」
「今日、市場に行きます。正しい揚げ方を直接見せます」
レオンに通信を入れた。
【移動式の調理屋台を今日中に用意できますか。——リディア】
返信が速かった。
【試作品があります。一時間で届けます。——レオン】
一時間後、レオンが来た。
荷車に積まれていたのは、折りたたみ式の台だった。展開すると作業台と油鍋の置き場が確保できる構造で、側面に多重中継器の取り付け場所もついていた。
「野外配信を想定して設計していました」とレオンが言った。
「いつか使うと思っていたので」
「先手を打っていましたね」
「リディア様が次に何をするかは、だいたい分かってきました」
「それは助かります」
屋台を組み立てた。試した。安定している。油鍋を乗せた。魔力を通すと均等に熱が広がった。
「問題ないです。行きます」
ギルド前の広場は、ダンジョンの浅層出口から歩いて五分の場所にあった。
初めて外に出た。
空があった。
当たり前のことだったが、追放されてから初めての空だった。曇り空だったが、それでも広かった。石の天井ではない広さが、視界に入ってきた。
「広いですね」
「当然だろう」とにゃん吉が言った。
にゃん吉は肩の上に乗っていた。
「ダンジョンに慣れすぎていました」
「ここが本来の世界だ」
広場には人がいた。冒険者、商人、荷物を持った家族連れ。皆がこちらを見た。リディアとにゃん吉を見て、それから荷車の屋台を見た。
クラウスが先に来ていて、設営を手伝った。
屋台を展開した。油鍋をセットした。多重中継器を取り付けた。水晶板を角度の良い場所に固定した。
コロッケの仕込みは来る前に済ませていた。
魔薯を茹でて潰したもの。魔豚の挽き肉を炒めたもの。合わせて成形して、小判形にしてある。粉、溶き卵、パン粉の順で衣をつけてある。後は揚げるだけの状態にしてきた。
配信を始めた。
「今日は公爵領の市場からお届けします」とリディアは水晶板に向かって言った。
「スタジオを出て初めての野外配信です」
コメント欄に「外だ」「初めての外配信」「空が映ってる」「にゃん吉が外にいる」が流れた。
「今日来た理由をお話しします。市場で揚げ物の粗悪品が出回っています。胸やけが出た方もいます。正しい揚げ方を直接見せるために来ました。マニュアルも公開します」
コメント欄に「問題があったのか」「対応が早い」「さすが令嬢」が流れた。
「まず油の温度から説明します」
魔力を通して油鍋を加熱した。
「適切な温度になったか確認する方法があります。乾いた木箸の先を油に入れてください。細かい泡がゆっくり出れば適温です。激しく泡が出れば高すぎる。泡が出なければ低すぎる」
実演した。
細かい泡がゆっくり出た。
「これが適温です。粗悪品を作った店は、油が古くて劣化していたか、温度が低すぎて素材から余分な水分が抜けていなかった可能性があります。古い油は胸やけの原因になります。定期的に交換してください」
コメント欄に「知らなかった」「油の確認方法が分かりやすい」「メモした」が流れた。
「次に衣の付け方です」
コロッケを手に取った。
「粉を全面に薄くまぶします。多すぎると衣が厚くなって中まで火が通りにくくなります。薄く、均一に。次に溶き卵をくぐらせます。粉がついている部分に均等に絡まればいい。最後にパン粉をつけます。押しつけるように全面にまぶして、剥がれないようにします」
実演しながら説明した。
「揚げます」
油に入れた。音が出た。ジュアアッという快音。細かい泡が立った。
「最初は触らないでください。形が崩れます。一分ほど待ってから動かします」
待った。
広場に匂いが広がった。
揚げ物の香りが外気に混ざって、周囲に届いた。人が増え始めた。立ち止まって屋台を見ている人間が増えた。子供が引っ張られてくる。冒険者が一人、二人と足を止めた。
「返す時間です」
菜箸でゆっくり動かした。反対面がまだ薄かった。しばらく待った。
色が揃った。引き上げた。
置いた。
コロッケが皿の上で湯気を立てた。全面が均一なキツネ色だった。端まで同じ色がついている。
「どうぞ」
クラウスが受け取った。
かじった。
音が出た。サクッ、という音が広場に響いた。続けてジュワッ。
中から湯気が出た。ポテトの白い断面が見えた。肉が混ざっている。
「熱い」とクラウスが言った。
「揚げたてです」
「外がサクサクで中が柔らかい」
「ポテトを潰しているので中の密度が均一です」
「粗悪品と全然違う」
「それが正しい揚げ方です」
コメント欄に「現地に行けた奴らズルすぎ」「配信でマニュアル公開してくれるの助かる」「令嬢のやり方がスマートだ」「スパチャ連打」が流れた。
行列ができていた。
配信が始まってから二十分で、広場に人が集まってきていた。リディアが揚げて出すより、人が並ぶ方が速かった。
「クラウスさん、手が足りません」
「ギルドの人間を呼びます」
三人来た。揚げる担当、受け取る担当、並び方を整える担当に分けた。
リディアは揚げながら説明を続けた。配信用の解説と、実際の調理を同時にやった。
「今日来ている方で、揚げ物を販売している方はいますか」とリディアは広場に向かって言った。
広場の中から手を挙げた人間が数名いた。
「後で話を聞かせてください。マニュアルを渡します。正しい手順で作れば同じものが作れます。ライセンスの費用は今日は取りません。まず正しい方法で作れることを確認してから、後で取り決めをします」
手を挙げた人間の顔が変わった。一人が前に出てきた。
「本当に教えてもらえるんですか」
「教えます。今日の配信の後で」
コロッケを七十個以上揚げた。
行列は二時間で解消した。
全員に渡せた。
最後の一個を揚げて、にゃん吉に差し出した。
「お疲れ様です」
にゃん吉がかじった。肩の上で食べた。
「外で食べると違いますか」とリディアは聞いた。
「……空気の匂いが混ざる」とにゃん吉が言った。
「良いですか」
「悪くない」
コメント欄に「ここで終わるのか」「外配信また来てほしい」「生産者の顔も見てみたい」「スパチャ連打」が流れた。
配信終了後、揚げ物の販売者が三人残っていた。
マニュアルを渡した。
A4サイズに相当する羊皮紙に、油の管理から衣のつけ方、揚げ時間まで、手順を全部書いたものだった。前日の夜に準備していた。
「これ通りにやれば同じものが作れます。もし問題が出たらギルドのクラウスさんに相談してください」
三人が頭を下げた。
「ありがとうございます。また来ますか」と一人が聞いた。
「次に来る時は別のものを作ります」
「何ですか」
「まだ決めていません。来てからのお楽しみです」
スタジオに戻ったのは夕方だった。
片付けをしていると、クラウスが封筒を持ってきた。
「さっき届きました。差出人を見て驚きました」
受け取った。封筒の差出人欄を見た。
「魔術師ギルドですね」
「王都の本部からです」とクラウスが言った。少し声が低かった。
「リディア様の配信に関して、問い合わせがあるようです」
封を開けた。
読んだ。
要点は一つだった。
「配信における魔術の使用が、魔術師ギルドの認定を受けていない可能性があります。確認のご連絡をお待ちしています」という内容だった。
にゃん吉が横から覗いた。
「王都からの次の手か」
「そうだと思います」と言ってから、少し考えた。
「ただし内容は前回と違います。軍事的な妨害でも直接の干渉でもない。手続き上の確認という形を取っています」
「どう違うんだ」
「前回は力で止めようとした。今回は法的な手続きで止めようとしています。向こうも学んでいます」
「厄介か」
「ヴィランに確認します。魔術師ギルドの認定については、公爵家経由の伝手があるかもしれない」
羊皮紙に返信の下書きを書き始めた。
「今夜中に返事をします。内容は丁寧に、ただし一切譲らない方向で書きます」
にゃん吉が缶を開けた。
「今日は外に出て疲れたんじゃないか」
「疲れました」
「なら休め」
「下書きを終えてから休みます」
にゃん吉が何か言いたそうな顔をしたが、言わなかった。
リディアは書き続けた。
「本配信における調理は魔術の行使にあたらず、魔導器具を用いた物理的な熱調理である」
——法的な根拠を並べ、一切の隙のない返書を書き上げた。
窓がない部屋に戻ってきた。でも今日は外の空気を吸ってきた。広場の匂いと、揚げ物の香りと、大勢の人間の声を聞いてきた。
明日は市場に食材を届けてくれている農村へ向かう。正しいマニュアルと、生産者の顔を配信で届けるために。
それが少し、体に残っていた。




