第23話:揚げたてカレーパン
朝、羊皮紙が十二枚届いた。
公爵家からの契約書の修正版だった。前回リディアが追記した三点が反映されていて、新たに五項目が追加されている。ヴィランらしい仕事ぶりだった。抜けがない。ただし抜けがないがゆえに、条件が増えれば増えるほど細部に確認が要る。
リディアは一枚目から読んだ。
「朝から難しい顔をして何を読んでる」
にゃん吉が寝床から声をかけた。
「公爵領との契約書です。第四条の利益配分の比率が、食材の保冷魔法陣の維持費を加味していない計算になっています。このまま進むと輸送コストが利益を圧迫します」
「また条件を追加するのか」
「修正を求めます。父の厚意に甘えて丸呑みにする理由がないので」
にゃん吉が伸びをした。
「美味いものを届けるには、戦う場所をダンジョンの中だけにしてちゃダメなんですよ」
リディアは言ってから、少し自分の言葉を反芻した。前世で似たことを思ったことがあった。良いものを作るだけでは届かない。届ける仕組みまで設計して初めて仕事になる、と。
「好きにしろ」とにゃん吉が言った。
「だが朝飯が先だ」
缶が差し出された。
マタタビ酒だった。リディアは受け取らなかった。
「私の朝飯はこれじゃないです」
「俺のだ」
「先に食べていてください。私はパンを焼きます」
パンを焼きながら契約書を読んだ。
第四条の修正案を余白に書いた。保冷魔法陣の維持費を輸送コストとして別立てにして、利益配分の計算から切り分ける。こうすれば素材の品質に関係なく輸送コストが明確になる。
第七条に気になる記述があった。
「にゃん吉さん、公爵領の土地の管轄についてどこまで把握していますか」
「そこまで詳しくない。ヴィランに聞け」
「そうします」
パンが焼けた。切ってバターを塗った。にゃん吉の皿に小さく切ったものを置いた。自分の分は立ったまま食べた。
契約書の修正箇所に印をつけた。五箇所あった。
午前中、次の配信の仕込みを始めた。
前回のカレーの残りを確認した。冷却魔導具で保存していたものだった。一日置いたカレーは旨味が増している。スパイスが馴染んで、最初より深みが出た。
これをカレーパンの中身にする。
包丁を取った。
スパイスの塊をほぐすために、具材を細かく刻む作業があった。指先に薄く魔力を通して、包丁の刃に沿わせる。魔物食材の余分な魔力が刃に誘導されて、素材のクセだけが削ぎ落とされていく。
均一な動きだった。
止まらなかった。前に止まっていた場所で、今は止まらなかった。
「……手元、ブレなくなったな」
にゃん吉がカウンターの端から言った。見ていたとは思っていなかった。
「震えなくなりました」
「いつからだ」
「はっきりした日はないです。気づいたら変わっていました」
にゃん吉が缶を傾けた。それ以上は何も言わなかった。言わないことが、この相棒の褒め方だとリディアは分かっていた。
パン生地を作った。
発酵窯で膨らませた生地を、手のひら大に分けた。カレーの具を中央に包んで、成形する。丸く閉じて、継ぎ目をしっかり押さえた。
仕上げに細かいパン粉を全面にまぶした。
「二度揚げします」とリディアは後で確認用に羊皮紙にメモした。
一度目は低温で。生地に火を通す。引き上げて休ませる。二度目は高温で。表面を一気に固める。時間は短い。引き上げた瞬間に音が変わった。
皿に乗せた。
触ると、表面がカリッとしていた。
配信は夕方に始めた。
タイトルは「いつでもサクサクのカレーパン」にした。
試食役はガルム、クラウス、若手冒険者が二人。
「今夜はカレーパンです」
皿を持ち上げた。
コメント欄に「カレーパン?」「揚げパンか」「中にカレーが入ってるの?」が流れた。
「ガルムさん、持ってみてください」
ガルムが受け取った。大きな手のひらに、カレーパンが一個乗った。
「片手で持てますか」
「余裕だ」
「歩きながら食べられるサイズにしています。遠征中でも食べやすいように」
「気が利いてる」
「かじってください」
ガルムがかじった。
音が出た。
サクッという、乾いた音だった。続けてジュワ、という音。カレーが熱を持っていて、切り口から蒸気が出た。スパイスの香りが広がった。
コメント欄に「音がすごい」「中から匂いが来てる気がする」「断面を見せてくれ」が流れた。
「ガルムさん、断面を見せてください」
ガルムが噛んだまま、カレーパンをカメラに向けた。切り口からカレーが覗いている。具が詰まっていた。
「……中まで熱い」とガルムが飲み込んでから言った。
「揚げてから時間が経っても温かさが保たれます。真空保温容器に入れれば三時間は持ちます」
「遠征先で食えるのか」
「食べれます」
「歩きながら食えるカレーかよ」とガルムが言った。もう一口かじった。
「遠征の最高の相棒だな」
コメント欄に「遠征の相棒草」「でも本当にそれだ」「これなら野営地でも食える」「スパチャ連打」が流れた。
クラウスが食べた。
「外がサクサクで中が熱い。時間差がある食べ物ですね」
「外と中の温度差です。揚げた後も表面は温度が下がりやすいですが、中は保温性が高い」
「このバランスが気持ちいいです」
若手冒険者の一人が「前回のカレーも好きでしたが、これは持ち歩けるのが強い」と言った。
「遠征に特化した形です。座って食べるカレーとは別の料理です」
にゃん吉がカレーパンに前足を当てた。音を確かめるように叩いた。カリッと音がした。
「表面の硬さが均一だ」
「二度揚げの効果です」
「一度目と二度目の間の休ませ方が重要か」
「そうです。一度目で十分に火を通してから、二度目で一気に表面を固める。順番を間違えると中が生になります」
にゃん吉が食べた。
しばらく噛んだ。
「……中のカレーが熱い」
「揚げることで中の温度が上がります」
「スパイスが口の中で広がる」
「一日置いたカレーなので馴染んでいます」
「熟成した分か」とにゃん吉が言った。
「昨日より深みがある」
コメント欄に「神獣の食レポが毎回的確」「熟成した分という表現が詩」「スパチャ投げます」が流れた。
配信が終わった後、コメント欄の履歴を確認した。
今夜の数字を確認した。それから過去二週間のデータを並べた。
数字が変わっていた。
同時接続の最高値が上がっていることより、平均値が上がっていることに目が行った。毎回来る人間が増えている。初見のコメントより「また来た」「前回も見た」「次も来ます」の割合が増えている。
(固定層が定着してきた)
コメント欄の掲示板機能を確認した。視聴者同士が書き込めるスペースがある。
「次の配信いつ?」という書き込みが複数あった。
「あの揚げ物真似してみたけど魔力が暴発したw」という書き込みがあった。
「公爵領の市場に謎のポテトが出回ってるらしい」という書き込みがあった。
リディアは最後の一件を読み返した。
「にゃん吉さん、公爵領の市場でポテトが流通し始めているようです」
「ギルドが動いたのか」
「クラウスが配信後に動いたんだと思います。こちらに相談なしに」
「良いことか悪いことか」
「良いことです。こちらが全部管理しようとするより、各拠点が自律的に動く方が規模が出ます。ただし品質管理のマニュアルが必要です。明日ヴィランに連絡します」
にゃん吉が缶を開けた。
その時、水晶板に通知が来た。
差出人は「R_F_1」だった。
開いた。
【今夜のカレーパンというやつ、遠征に持っていけるのか。食べてみたい。——父より】
リディアは少し止まった。
「父が遠征食を欲しがっています」
「送るか」
「保温容器で送ります。ただし揚げてすぐでないと表面の食感が変わります。そこが難しいですね」
返信を打った。
【揚げてすぐが一番美味いです。公爵領に来た時にお作りします。——リディア】
送信した。
羊皮紙を広げた。
契約書の修正案の最後の確認をした。五箇所の修正点に全部印がついていた。明日ヴィランに送れる状態になった。
ペンを置いた。
魔力はランタン一個分から中級魔術まで来た。道具は何もない状態から魔導フライパン、油鍋、発酵窯、保温容器まで揃った。取引先はにゃん吉一匹から、ユリウス商会、冒険者ギルド、公爵家、隣国商会まで広がった。
技術がついた。ファンがついた。流通が整いつつある。
魔石灯の光が今夜も変わらず、石の部屋を照らしていた。




