第20話:冷たい麺
朝、食堂の前に列ができていた。
開店前だった。それでも並んでいた。冒険者が七人、見慣れない服装の商人風の男が三人、荷物を抱えた家族連れが二組。
クラウスが困った顔でリディアの元に来た。
「昨日より多いです」
「何人ですか」
「今見えているだけで二十人以上。ギルド食堂の席数は三十です」
「回転させます。食べ終わった人から次の人を入れる。一席で一日に何人座れるかが問題になります」
「料理の提供が追いつかないかもしれません」
「メニューを絞ります。今日は昨日と一昨日の残りスープと、カツサンドだけにする。品数を減らせば回転が上がります」
クラウスが頷いて、食堂の方へ戻った。
リディアは列を見た。王都からの移住者や訪問者が増えている分、顔の知らない人間が増えていた。以前は冒険者がほとんどだったが、今は商人や職人、家族連れが混ざっている。
(客層が変わってきた)
変化はデータだった。感情を交えず、ただそう記録した。
問題は昼過ぎに来た。
食堂に入れなかった冒険者の一人がクラウスに声をかけた。
「暑くて食欲がない。何か冷たいものはないか」
クラウスがリディアに伝えた。
リディアは食堂の外に出た。確かに暑かった。ダンジョンの浅層は年間を通じて温度が安定しているが、最近は中層の活性化の影響で全体的に気温が上がっている。食堂の厨房は料理中さらに熱くなる。
「冷たい麺を作ります」
「麺ですか」とクラウスが言った。
「ツルッと喉を通る。暑い時でも食べやすい。氷で冷やして出します」
「氷があるかどうか」
「製氷の魔導具をレオンに発注します」
レオンへの通信は短くした。
【製氷と冷却ができる魔導具が欲しいです。急ぎでお願いします。今日中に返事をください。——リディア】
二時間後に返信が来た。
【試作品があります。今夜持参します。——レオン】
夜にレオンが来た。抱えてきた箱を開けると、金属の容器が入っていた。内部に冷却魔法陣が刻まれていて、魔力を通すと内側の温度が下がる仕組みだった。
「製氷用と冷却用を兼ねています。水を入れれば氷が作れます。食材を入れれば冷たい状態を保てます」
「どのくらいの速度で凍りますか」
「水なら一時間で氷になります」
「十分です。明日の配信で使います」
「麺を打つんですか」とレオンが聞いた。
「打ちます。今夜仕込みます」
「見ていてもいいですか」
「どうぞ。試食もしてください」
麺の生地を作った。
小麦に相当する魔草粉に、塩水を少しずつ加えて混ぜる。水分の加減が全てだった。多すぎれば柔らかすぎる麺になる。少なすぎれば硬くなる。
捏ねた。
力を入れて、体重をかけて押す。折り返して、また押す。繰り返す。生地が変化してくる。最初はぼそぼそしていたものが、徐々にまとまってくる。表面が滑らかになってくる。
レオンが「力仕事ですね」と言った。
「捏ねるほど食感が良くなります」
「魔力で代用できませんか」
「試したことはありますが、手で捏ねた方が均一になります。理由はまだ分かっていません」
二十分捏ねてから、布に包んで休ませた。
「今夜はここまでです。明日の配信前に伸ばして切ります」
「楽しみにしています」とレオンが言って帰った。
翌日の配信は昼に設定した。
暑い時間帯に合わせた。食欲が落ちる時間に、食欲を刺激するものを出す。
タレを二種類仕込んだ。
一つは甘酸っぱいタレだった。発酵調味料に魔果実の酢、蜂蜜を合わせる。醤油に相当する発酵液で色と塩気をつけた。冷やして置いておくと香りが落ち着く。
もう一つはごまダレだった。ごまに相当する油脂の高い魔草の実を磨り潰した。そこに発酵調味料と魔果実の酢、少量の辛味のある魔草汁を加えた。濃度が高い。水で少し延ばした。
両方を冷却魔導具で冷やした。
チャーシューに相当するものは、魔豚の塊肉を漬け込んで煮たものを薄く切った。卵は魔鳥の卵を使った。細く切ってそぼろ状にした。魔草はキュウリに近いものとレタスに近いものを用意した。全部を冷やした。
配信が始まった。
試食役はクラウス、ガルム、若手冒険者が四人、それから今日初めて来た移住者の商人が一人いた。クラウスが声をかけて引き込んだらしかった。
「今日は冷たい麺です」とリディアは言った。
「暑い時でも食べられます」
コメント欄に「冷たい麺?」「見たことない」「どんなものだ」が流れた。
休ませていた生地を伸ばした。
麺棒で薄く伸ばしていく。均一な厚さに。折りたたんで、包丁で切る。細さを揃える。広げると麺が並んだ。
「茹でます」
沸騰した鍋に入れた。二分待った。引き上げて、すぐに氷水に落とした。
ジュッという音がした。
麺が冷えていく。手で触ると冷たい。引き上げて水気を切った。麺がつるつるとして、表面が締まっている。
「盛り付けます」
器に麺を盛った。チャーシューを並べた。卵のそぼろを散らした。魔草を細切りにして添えた。色が並んだ。赤、黄、緑、白。
「タレをかけます。今日は二種類あります」
甘酸っぱいタレを片方にかけた。ごまダレをもう片方にかけた。
冷やしておいたタレが麺の上で光った。
コメント欄が「綺麗」「見た目が美しい」「色が並んでる」「食欲がないのに食欲が出てきた」に変わった。
「どうぞ」
ガルムが箸を取った。この世界で箸の文化は一般的ではないが、ガルムは前回の配信で覚えていた。
麺をすくった。口に入れた。
「冷たい」
「そうですね」
「ツルッと入った」
「氷で締めているので食感が変わっています」
「すっぱい。でも甘い」
「タレです」
「手が止まらない」
コメント欄に「ガルムがまた止まらなくなってる」「辛いのに止まらないと冷たいのに止まらないを同じ人物が言うのが面白い」「スパチャ投げます」が流れた。
クラウスがごまダレの方を食べた。
「こっちはコクがある」
「ごま相当の素材です。油脂が多いので濃度が高い」
「甘酸っぱい方と全然違う味だ。同じ麺なのに」
「タレで変わります」
「一杯で両方楽しめますか」
「器の半分ずつで試してみてください」
クラウスが半分で区切って両方のタレをつけながら食べた。
「……これが正解だった」
移住してきた商人が恐る恐る食べた。初めての味に戸惑っている顔だった。それが一口、二口と食べるうちに変わった。
「王都にはこういうものがないですね」
「そうですか」
「ないです。こういう料理を出す店が公爵領にあると聞いて来ましたが、本当でした」
コメント欄に「移住者が来てる」「王都には本当にないのか」「公爵領への移住者がリアルに増えてる」「セドリック王子の失策が続きすぎる」が流れた。
にゃん吉が麺を前足で押さえて食べた。ツルッと半分滑った。追いかけて食べた。
「……冷たくて良い」
「暑い時には合います」
「もう一口」
「どうぞ」
コメント欄に「にゃん吉が麺を追いかけた」「可愛すぎる」「スパチャ連打」が流れた。
配信が終わった後、ヴィランから通信が来た。
今日は短かった。
【王都の状況が変わりつつあります。人口流出が統計に出始め、一部の下級貴族からセドリック殿下への批判が出始めています。殿下側が何らかの手を打とうとしているとの情報があります。詳細は追って。——ヴィラン】
リディアは読んで、にゃん吉に見せた。
「何らかの手、か」とにゃん吉が言った。
「具体的な話が来たら対応します」
「今夜は何もしないか」
「仕込みがあります。明日の食堂の麺の分を今夜打っておきます」
にゃん吉が缶を置いた。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「お前は焦らないのか。王子側が動こうとしているのに」
リディアは麺の生地の準備を始めながら答えた。
「焦っても向こうの動きは変わりません。こちらにできることをしておく方が有益です」
「それだけか」
「それだけです。それと」
「それと?」
「麺を打っている間は他のことを考えなくて済みます。捏ねる作業は頭が空になります」
にゃん吉がしばらく沈黙した。
「……人間は変なところで休む」
「そうかもしれません」
捏ね始めた。
生地が体重を受けて、少しずつ変化していく。最初の硬さが和らいで、弾力が出てくる。魔石灯の光の下で、手の影が動いた。
スパイスの香りがまだ少し残っている厨房で、生地を押す音だけが続いた。
次に王子が何を仕掛けてきても、明日の食堂は開く。麺は用意されている。客は来る。
それだけは確かだった。




