第2話:にゃ〜ん
にゃん吉の配信スタジオは、祭壇の裏にあった。
正確には「祭壇の裏の物置」だった。
腰ほどの高さの石棚に魔石灯が並び、ところどころに小さな水晶板が立てかけてある。
床には枯れ草を固めた寝床らしきものと、木箱をひっくり返した即席テーブル。その上に自撮り棒が数本と、丸めた羊皮紙が散らばっていた。
整理されているとは言い難い。
だが、機材の配置だけは妙に計算されていた。どこに立っても背景に石の紋様が入るよう、魔石灯の位置が微妙に調整されている。
(……ちゃんと分かってる人のセッティングだ)
リディアは職業病的な視線で室内を舐めた。
「飯はそこの木箱の中だ。勝手に使っていい」
にゃん吉は自分の寝床に丸くなりながら、あごで箱を示した。中を開けると干したキノコ類と、硬そうなパンが数個。それから名前の知らない木の実が小袋に入っていた。
「これだけですか」
「神獣は少食だ。文句あるか」
「……いえ」
リディアはパンをひとかじりした。石みたいに固かった。歯が立たず、じわじわと口の端を攻めてくる硬さだった。
「ふかしたほうがいいですよこれ」
「ふかす道具がない」
「魔石灯の熱を使えば」
「……やってみろ」
にゃん吉の琥珀色の目が細くなった。試すような目だった。
リディアは魔石灯をひとつ外し、パンを金属の棒に刺して近づけた。表面が温まり始めたところで木の実を砕いて粉にし、染み込ませる。部屋にこうばしい匂いが広がった。
にゃん吉の鼻がひくりと動いた。
「……それだけで変わるのか」
「完全じゃないですけど。お腹が空いてる時は大抵なんでも美味しく感じますし」
一口食べてから、リディアはようやく落ち着いて部屋を見渡した。水晶板のひとつがまだ薄く光っている。配信は終了しているようだったが、画面に残った数字が気になった。
「さっきの配信、同時接続は何人でしたか」
「三百と少し。まあまあだ」
まあまあ、という顔をしていた。
が、リディアの目には「全然まあまあじゃない」と映った。
「ダメですね」
にゃん吉の耳が立った。
「あ?」
「タイトルが弱い。『ソロキャン風絶望配信』って何ですか。絶望してる猫を見せたいのか、キャンプをしたいのか、コンセプトがぼやけてる。サムネになる絵もない。視聴者層の想定が雑すぎます」
「……口だけなら何とでも言えるな」
「じゃあ具体的に言います。ターゲットは誰ですか。深夜に廃ダンジョンの配信を見るのはどんな人間か、考えたことありますか」
「見る奴が見ればいい」
「それが一番ダメな考えです」
にゃん吉の尻尾が床を叩いた。
苛立ちのサインだとリディアは判断したが、気にせず続けた。
「猫の神獣が一匹で廃ダンジョンを彷徨ってる、それ自体はコンテンツになる。問題は見せ方です。あなたが何者でどんな事情があって、視聴者に何を感じてほしいのか、それを最初の三十秒で伝えないと人は離れます」
「神獣の事情を人間に語る必要はない」
「あるんですよ、それが」
言い切ったとき、石壁の向こうから音がした。
湿った、ずるずると引きずるような音。
にゃん吉の毛が逆立った。
「スライムモドキだ」
「モドキ?」
「スライムの亜種。本物より粘度が高くて消化液も強い。本来ここにはいない、浅層の魔物じゃない」
石壁の継ぎ目から半透明の塊が滲み出てきた。大きさは犬程度。表面がぬめぬめと光り、中心に濁った赤い核が見えた。
リディアは一歩引いた。逃げ場を確認した。石棚、木箱、自撮り棒。使えるものを瞬時に選別する。
「にゃん吉さん」
「なんだ」
「水晶板、回してください」
「は?」
「カメラを回せと言ってます。今すぐ」
にゃん吉は一秒だけ固まってから、前足で自撮り棒を起動させた。水晶板が光り始める。
「画角を引いて。スライムモドキとあなたと私が全部入るように」
「引いたら顔が小さくなる」
「後で寄ればいい。今はサイズ感が必要です。視聴者に規模を伝えないと恐怖が伝わらない」
にゃん吉は渋々棒を傾けた。画角が広くなる。
「そのまま。可愛く怯えて」
「神獣に向かって何を言って——」
「カメラが向いてる間だけでいいです」
スライムモドキが体を膨らませた。消化液が壁に飛んで、石がじゅっと焼ける音がした。
にゃん吉はカメラのほうを向いた。
首を三十度傾けた。
目を細めて、潤ませた。前足をふわりと上げ、肉球を正面に向けた。
「にゃ〜ん?」
それだけだった。ただそれだけだったが、完璧だった。
水晶板のコメント欄が爆発した。文字が高速で流れる。リディアには読めなかったが、流れる量と速度だけで分かった。
(刺さった)
にゃん吉の体が淡く光り始めた。それと同時に、スライムモドキが空中で固まった。核の赤が薄れ、ぱきりと音を立てて弾けた。
残ったのは半透明のゼリー状の塊と、小さな赤い核の欠片だけだった。
静寂が戻った。
にゃん吉は自撮り棒を下ろし、素に戻った声で言った。
「……チッ。まあ悪くないビュー数だったな」
「同時接続、さっきの五倍は超えてましたよ」
「お前の指示か」
「あなたの実力です。私は画角とタイミングを言っただけ」
にゃん吉は返事をしなかった。代わりに床に落ちたゼリー塊をじっと見た。
「……スライムモドキの核は食えるぞ。下処理が要るが」
リディアの目が光った。
「食べられるんですか」
「食ったことはない。匂いからして食材だとは思う」
お腹が、正直に鳴った。
今度はにゃん吉も聞こえないふりをしなかった。尻尾をぱたりと床に落として、ため息をついた。
「……今夜の企画は飯テロ回に変更だ。さっきも言ったが」
「言いましたね」
「お前、料理はできるのか」
「それなりには」
「なら試してみろ。バズれば俺の神力に還元される。お前にも何か戻ってくるかもしれん」
リディアはスライムモドキのゼリー塊を拾い上げた。ぷるぷるしていた。思ったより弾力がある。核の欠片はほのかに甘い香りがした。
(やれる気がする)
前世でも、与えられた素材でなんとかするのが仕事だった。クライアントが「これで何とかしてくれ」と持ってきたものを形にするのが、マーケターというものだ。
スライムの核でも、廃ダンジョンでも、渋い声の神獣猫でも。
「カメラ、まだ回しておいてください」
「わかってる」
にゃん吉は自撮り棒を再び構えた。
今度は角度が、さっきより少しだけ良くなっていた。




