第18話:焼き立てパン
レオンが来たのは朝一番だった。
荷車に積んだ木箱を、商会の職人二人と一緒に運んできた。箱が大きかった。スタジオの入口をぎりぎり通れる幅だった。
「完成しました」とレオンが言った。
少し誇らしそうな顔をしていた。
「二週間半かかりましたが」
「見せてください」
箱を開けた。
窯が入っていた。石と金属を組み合わせた構造で、外側に魔法陣が複数刻まれている。
扉を開けると内部に棚が二段あった。上段と下段で温度を別々に設定できる構造だとレオンが説明した。
「発酵段階では低温を維持します。焼成段階では切り替えで高温にする。どちらも魔法陣が自動で調整するので、使用者は設定するだけでいいです」
「触ってみていいですか」
「どうぞ」
魔力を少し通した。魔法陣が応答した。温度の設定値が刻み目で選べる仕組みになっている。精度が細かい。
「良い仕事です」
「ありがとうございます」とレオンが言った。
「魔導フライパンの時より難しかったです。温度帯が二段階になる分、魔法陣の干渉を防ぐ設計が複雑で」
「苦労が見えます。伝わっています」
レオンが少し目を細めた。照れた顔だった。
ギルド食堂の改修も、前日に完了していた。
クラウスに案内されて確認しに行った。
変わっていた。
壁の煤が落ちて、石が本来の色を取り戻していた。厨房の道具が一新されて、作業台が広くなっている。接客エリアのテーブルが増えて、椅子の高さが揃えられた。魔石灯が増設されて、全体が明るい。
「業者に頼んだので費用がかかりましたが」とクラウスが言った。
「ギルドへの正式な投資です。食堂の収益から回収します」
「集客の見込みはありますか」
「配信の視聴者からギルドへの問い合わせが増えています。食堂を開けたらすぐに来ると思います」
「では今日開けましょう。オープン記念配信にします」
クラウスが目を丸くした。
「今日ですか」
「準備が整っているなら早い方がいいです。時機を逃すと熱が冷めます」
食パンの生地から仕込んだ。
粉に塩と魔導膨張剤の前段階に当たる酵母系の魔草粉を混ぜた。水分を加えて捏ねる。捏ねる感触が変わってきた。粘りが出て、伸びるようになる。
ここまでは今まで何度もやった工程だった。
違うのは次からだった。
生地を窯の下段に入れた。発酵設定で温度を固定した。魔法陣が光った。
待った。
三十分後に確認した。
生地が膨らんでいた。
今まで試作で作っていた時の倍以上の大きさになっている。表面が滑らかで、押すと弾力があった。
「膨らみました」
「当然だろう」とにゃん吉が覗き込んで言った。
「今まで十分に膨らんだことがなかったので」
「それは窯がなかったからだ」
「そうなんですが、見ると嬉しいです」
にゃん吉が何か言いたそうな顔をしたが、黙った。
型に移して、上段に移動した。焼成温度に切り替えた。
二十分後、食堂の厨房に香りが広がった。
小麦に近い魔草の粉が焼ける匂いだった。甘くて、温かくて、何かを思い出させる匂いだった。前世の記憶が反応した。パン屋の前を通った時の匂いだった。
取り出した。
山型に膨らんだパンが出てきた。表面がきれいな焼き色で、叩くと軽い音がした。
少し冷ましてから、手でちぎった。
伸びた。
ふわっと伸びて、ゆっくり切れた。断面が白くて、気泡が均一に入っている。
レオンが「……これが食パンですか」と言った。
「焼き立てです。食べてみてください」
レオンがちぎって食べた。
目が細くなった。
「柔らかい。パンがこんなに柔らかくなるのか」
「発酵がちゃんとできればこうなります」
「今まで食べてきたパンは何だったんですか」
「硬いパンはそれで美味い使い方があります。でも柔らかいパンにしか出来ないこともあります」
「たとえば」
「今から作ります」
カツサンドの準備を始めた。
魔豚の厚切り肉を用意した。塩と香辛料を振って、少し置く。衣をつける。粗挽きパン粉は食パンの端を削って作った。均一な粗さに揃えた。
魔導油鍋を熱した。
「二度揚げします」
一度目、低温でゆっくり火を通した。引き上げて休ませた。その間に特製ソースを仕上げた。魔果実の煮詰めたものに発酵調味料を合わせて、甘酸っぱくする。複数の果実を使ったので、層になった味が出る。
「二度目、高温です」
戻した瞬間に音が変わった。表面の水分が飛んで、衣が固まる音。ジュアアアッという音は短くて、すぐに落ち着く。
引き上げた。
黄金色だった。端まで均一な色がついている。叩くとカリッと音がした。
ソースにくぐらせた。
食パンを切った。一枚ずつ、均一な厚さに。
内側にバター相当の魔物脂を薄く塗った。ソースを絡めたカツを乗せた。魔草の葉を一枚。上の食パンを被せた。
軽く押さえた。
切った。断面が出た。
ソースが染みた食パンの白い断面と、カツの黄金色の断面が並んでいる。しっとりと柔らかく火の通った厚切り肉から、ツヤツヤとした肉汁が光っている。
コメント欄が止まった。
一拍置いてから流れ始めた。
「断面が完璧だ」「これがサンドというやつか」「パンがふわふわなのが分かる」「カツとパンとソースが一緒になってる」。
「どうぞ」
ガルムが手を伸ばした。
かぶりついた。
音が出た。サクッ、という衣の音と、パンのふわりとした抵抗が同時に来る音。
ガルムが噛み続けた。三噛みして止まった。
「……」
「感想をどうぞ」
「パンがフワフワだ」
「そうですね」
「カツがサクサクだ」
「そうですね」
「ソースが甘酸っぱい」
「そうですね」
「全部が一緒に来てる」
「それがカツサンドです」
ガルムがもう一口食べた。
コメント欄に「ガルムの語彙が消えた」「感動してる顔だ」「投げ銭連打」が流れた。
クラウスが食べた。
「冒険者が毎日食べる飯がこれで良いのか」と言った。
「良いです。毎日食べるものが美味ければそれが一番いいです」
「王都の貴族より良いものを食べることになりますが」
「問題ありませんか」と聞いた。
「問題ありません」とクラウスは言って、もう一口食べた。
コメント欄に「これがギルド食堂で毎日食えるのか」「即移住決定」「王都の貴族より良いもの食べてる冒険者たち」「羨ましすぎる」「公爵領はどこですか」が流れた。
にゃん吉がカツサンドを前足で押さえて食べた。ソースが肉球についた。舐めた。
「……ソースが良い」と渋い声で言った。
「果実を三種類合わせました」
「甘さと酸っぱさが交互に来る」
「それが狙いです」
コメント欄に「にゃん吉の食レポが毎回的確」「神獣は味覚が鋭いのか」「スパチャ投げます」が流れた。
配信が終わった夜、クラウスが残っていた。
「一つ報告があります」と言った。
声のトーンが少し変わっていた。
「どうぞ」
「今日、食材の仕入れルートを通じて妙な話を聞きました。王都の方から、公爵領やギルドへの食材取引について干渉しようとする動きがあるようです。具体的には仕入れルートの一部に圧力をかけて、素材が届きにくくする話が出ているらしいと」
「どこからの情報ですか」
「取引先の商人から非公式に。確認は取れていませんが、信頼できる相手からです」
リディアは少し考えた。
「素材の仕入れルートは何本ありますか」
「ユリウス商会経由が主です。他にギルド経由が一本、公爵領農村からが一本」
「三本あれば一本潰れても止まりません。ただし全部を同時に潰しにかかる可能性があるなら、今のうちに四本目を作ります」
「四本目というのは」
「ガルムの隣国のルートです。あちらにも食材の調達先があるはずです。次のコラボの時に相談します」
クラウスが頷いた。
「他にできることはありますか」
「取引の書面を全部正式なものにしてください。口頭の約束が残っているものがあれば今週中に文書化します。書面があれば圧力をかけられても法的に守れます」
「分かりました」
「それからヴィランに連絡して公爵家経由でも確認を取ります。王都の動きは公爵家の方が情報が早い」
クラウスが帰った。
にゃん吉が缶を開けながら言った。
「潰しに来るか」
「来るかもしれません」とリディアは言った。
「でも食堂は今日開きました。料理は今日も美味かった。それは変わりません」
「楽観的だな」
「楽観ではないです。対策を先に打つから、今夜は落ち着いていられます」
羊皮紙を取り出した。
仕入れルートの一覧を書いた。リスクの評価をした。対策の優先順位をつけた。
手が揺れていなかった。
焼き立てのパンの香りがまだ食堂に残っていた。
リディアはその匂いを嗅ぎながら、書き続けた。




