第17話:初のドーナツ&パンケーキ
にゃん吉が戻ったのは昼前だった。
毛並みに花粉らしき黄色い粉がついていた。
「取れ」とにゃん吉が言った。
リディアはブラシ代わりの布で丁寧に払った。にゃん吉が大人しくしていた。珍しかった。
「報告をどうぞ」
「甘い香りの正体は二種類だった。一つは蜜滴草という魔草で、茎と葉に高濃度の糖分を蓄えている。もう一つはスウィート・ビーという蜂型の魔物が作った巣だ。蜂蜜に相当するものが大量に蓄積されている」
「眠気の原因は」
「蜜滴草の花粉だ。麻酔成分を含んでいる。吸い込むと二十分ほど眠くなる。ただし熱を通せば分解される」
「下処理で無害化できますね」
「できる。ただし採取に手間がかかる。スウィート・ビーは巣を守る。素手では近づけない」
リディアは考えた。
「ガルムに連絡します」
ガルムからの返信は速かった。
【面白そうだ。行く。——ガルム】
それだけだった。条件も報酬の話も何もない。リディアは少し笑ってから、詳細を送った。
翌日、ガルムがダンジョンの入口に現れた。今回は一人ではなく、二人の冒険者を連れていた。
「専門の採取屋だ」とガルムが言った。
「蜂系の魔物は戦い方より採取の技術が要る」
「ありがとうございます。助かります」
「礼はハンバーガーで払ってくれ。前回の配信を見た。あれが食いたい」
「作ります」
採取は二時間かかった。
採取屋の二人が特殊な煙幕でスウィート・ビーを遠ざけながら、巣から蜜を取り出した。蜜滴草は根元から刈り取った。リディアは少し離れた場所で待機しながら、素材が届くたびに状態を確認した。
蜂蜜に相当する液体は琥珀色だった。光を通すと金色になる。粘度が高く、引き上げると糸を引いた。
「良い色です」
「美味いか」とガルムが覗き込んだ。
「下処理が先です。今は舐めないでください」
「分かった」
蜜滴草の絞り汁は薄い緑色だった。香りが強い。花粉の成分が混じっているので、まず漉した。それから弱火で十分加熱した。色が変わって、透明度が上がった。
「これで麻酔成分は飛んでいるはずです」と言ってから、自分で一口舐めた。
甘かった。
純粋に甘かった。雑味がなく、後味がすっきりしている。前世で食べたメープルシロップに似ているが、もう少し軽い。
「使えます」
蜂蜜の方も同様に加熱して漉した。こちらは濃度が高く、加熱後も粘度が保たれている。スプーンで持ち上げるとゆっくりと落ちた。
「黄金のシロップですね」
「売れるか」とガルムが言った。
「売れます。それより先に配信で使います」
採取屋二人とガルムにはハンバーガーを作って出した。
ガルムは両手で持ってそのままかぶりついた。
二口目を食べながら「なんで肉とパンとポテトを一緒に食べると全部の味が変わるんだ」と言った。
「合わさることで補い合います。パンの甘みが肉の塩気を引き立てる。ポテトの油脂が全体をまとめる」
「理屈は分からんが美味い」
「理屈が分からなくても美味ければいいです」
採取屋の一人が「俺たちも配信に出られますか」と聞いた。
「今夜の試食役をお願いできますか」
「行きます」と即答した。
夜の配信は甘い香りから始まった。
レオンが来ていた。開発担当としての確認と、試食を兼ねている。ギルドの若手冒険者が三人、採取屋の二人、ガルムも残っていた。
「今夜はスイーツです」とリディアは水晶板に向かって言った。
コメント欄に「甘い回きたああ」「スイーツ待ってた」「にゃん吉の甘い顔が見たい」が流れた。
まずドーナツの生地を作った。
粉に魔導膨張剤を混ぜた。この世界の重曹に相当するものをレオンが商会から持参していた。卵と魔物脂の乳成分を加えて混ぜる。まとまった生地を休ませてから、リング状に成形した。
魔導油鍋を熱した。
「揚げます」
生地を油に入れた瞬間、ふわっと膨らんだ。生地が油の中で広がりながら形を作っていく。表面が色づき始めた。
コメント欄に「膨らんだ」「ドーナツだ」「揚げるの見たことなかった」が流れた。
両面を揚げて引き上げた。
精製した蜂蜜を温めて液状にした。引き上げたドーナツをそのまま蜜にくぐらせた。表面全体に薄く絡まった。余分な蜜が滴って、皿に落ちた。
「どうぞ」
ガルムが最初に手を出した。大きな手でつまんで、かじった。
動きが止まった。
「……甘い」
「蜂蜜です」
「揚げ立てだから外がサクッとして」
「中は」
「ふわっとしてる」とガルムが言った。Sランク冒険者が「ふわっ」という言葉を使った。
コメント欄がそこに食いついた。
「ガルムがふわっと言った」「ギャップがすごい」「スパチャ投げます」。
冒険者たちが次々に手を伸ばした。
採取屋の一人が「これ採取した甲斐があった」と言った。
次はパンケーキだった。
同じ膨張剤を使った生地を、今度は油鍋ではなくフライパンで焼く。弱火で蓋をして、時間をかけた。
「急ぎません。中まで火を通すには時間がかかります」
五分待った。表面に気泡が出てきた。縁が固まり始めた。返した。
厚みが出ていた。指の第二関節ほどの厚さがある。
「もう三分」
火を止めた。余熱で仕上げた。
皿に出した。魔物脂から作ったバター相当のものと、蜜滴草のシロップを別添えにした。
レオンが受け取り、バターを乗せた。シロップをかけた。バターが溶けてシロップと混ざった。フォークを入れた。
「スッと入ります」
「膨張剤が中に気泡を作っているので、密度が低い。だからスッと切れます」
「食べると」
「シュワッとします」
レオンが食べた。
「……シュワッとした」
「そうですね」
「こんなパンは食べたことがない。王都のパン屋でも売ってない」
「発酵窯が来ればもっと良いものが作れます」
「今でも十分すごいと思うのですが」
「上を目指します」
コメント欄に「令嬢の向上心が怖い」「今でも美味いのにまだ上があるのか」「王都の高級菓子店が終わる」「公爵領の流通に乗ったらこれも食べられるの?」「即移住します」が流れた。
にゃん吉がパンケーキを一口食べた。
ゆっくり咀嚼した。シロップが口の端に少し付いた。舌で舐め取った。
「……甘さが疲れに染みる」
「そういう食べ物です」
「ドーナツより好きだ」
「どちらも今後の定番にします」
配信が終わった後、クラウスが残っていた。
「素晴らしい配信でした」と言ってから、少し声を落とした。
「一つ、お伝えしたいことがあります」
「どうぞ」
「本日、公爵家を介さない経路で、リディア様宛の手紙が届きました。差出人がハートマン子爵家とのことで」
リディアは手を止めた。
「イザベラの実家ですか」
「そうです。ギルドの郵便経路を使っていました。内容は開けていませんが、お渡しするよう言われました」
封筒を受け取った。
開けた。
読んだ。
内容は丁寧な文体で書かれていた。丁寧すぎる文体だった。要点を抜き出すと三つになった。イザベラが王子との関係に苦労していること。子爵家としてリディアの活動を以前から応援していたこと。今後の食材流通や配信事業への協力を申し出たいこと。
リディアは手紙を折り直した。
「にゃん吉さん、少し聞いてもらえますか」
にゃん吉がカウンターから降りて、手紙を読んだ。三十秒で読み終えた。
「意図は見えているな」
「全部見えています。王子側が崩れてきたので、次の利権として私たちの事業に近づこうとしている。以前から応援していたというのは後付けです。子爵家がうちの配信を注目し始めたのはここ最近のはずです」
「返事をするか」
「しません。少なくとも今は」
クラウスが「正解だと思います」と言った。
「ハートマン家は王都でも動きが速い家として知られています。乗り換えが早い」
「乗り換えが早い相手を信用する理由がないですね」とリディアは言った。
「今後も同じことをします」
「今後も?」
「利益になると思えばまた接触してきます。その時も同じ判断をします」
クラウスが「では手紙の処分は」と聞いた。
「保管します」とリディアは言った。
「燃やすのは王子の手紙だけで十分です。証拠になるものは残しておきます」
にゃん吉が「今回は賢明だな」と言った。
「前回も賢明でした。形が違っただけです」
手紙を羊皮紙の束の間に挟んだ。
蜜滴草のシロップがまだ残っていた。明日、保存瓶に移して公爵領への流通に乗せる分を確保する必要がある。発酵窯の設計書にもレオンから追加の確認事項が来ていた。ギルド食堂の改装も途中だった。
やることを羊皮紙に書いた。
手が揺れていなかった。シロップを瓶に移す細かい作業でも、魔力が安定している。
(少しずつ、広がっている)
焦らなかった。前世でも、一番大事なものは急いで作れなかった。時間をかけたものが、一番長く続いた。
魔石灯の光が今夜も変わらず、石の部屋を照らしていた。




