第14話:崩れていく王都
ヴィランからの契約書は朝に届いた。
分厚かった。羊皮紙が十二枚。公爵家の紋章印が押されていて、内容が几帳面な字で整理されている。執事長らしい仕事だった。
リディアは一枚目から読んだ。
内容の大枠は父のメッセージ通りだった。公爵領全体の食材流通プロデュース。ただし条件の細部がまだ固まっていない部分がある。リディアが埋める前提で送ってきた書類だと分かった。
「ヴィランに返信します」
「何を追加する」とにゃん吉が言った。
「三つ。解体マニュアルの普及、魔導保冷箱の各拠点への導入、公爵領主要都市へのギルド講習拠点の設置です」
「食材を送るだけでは駄目か」
「駄目です。素材を届けても使い方が分からなければ意味がない。調理法と保存法をセットで広めないと、倉庫で眠って終わります。スジ肉の話と同じです」
追記事項を羊皮紙に書いて、返信した。
三時間後にヴィランから返信が来た。
【追記の三点、承りました。公爵閣下も同意とのことです。特に講習拠点の案は閣下が「それは思いつかなかった」と申しておりました。契約書を修正して再送します。——ヴィラン】
末尾に一行あった。
【閣下より一言。「お前は昔から料理が好きだったな」とのことです。——ヴィラン】
リディアは少しの間その一行を見た。
「父が余計なことを言っています」
「余計か?」とにゃん吉が言った。
「……余計ではないですが、照れます」
「神獣の前で正直だな」
「見ていてください」とリディアは言って、返信を打った。
【父様へ。好きというより、データが多い方が面白い料理でした。——リディア】
送信してから、少し余計だったかとも思ったが、取り消さなかった。
午後、ユリウス商会から使者が来た。
商会の開発担当だという若い男で、試作品の魔導鍋を抱えていた。魔導フライパンの次の案件として依頼していたものだった。
「魔導保温器のプロトタイプです。内部に断熱魔法陣を組み込んで、熱を一定時間閉じ込める構造になっています。蓋を閉めた状態で半日は温かさを保てます」
受け取って重さを確認した。魔導フライパンより重い。持ち運ぶには少し嵩張る。
「冒険者が携帯するには重いですね」
「おっしゃる通りです。今回は輸送用として設計しました。荷車に積んで遠方の市場へ届ける想定です」
「それでいいです」とリディアは言った。
「携帯用は別で考えます。今日はこれで調理してみます」
開発担当の目が輝いた。
「見ていてもいいですか」
「試食もしてください」
素材はギルドから届いていた。
中層で獲れる魔鳥の丸ごとの胴体と、同じく中層に自生する根菜系の魔草が数種類。魔鳥はコカトリスより一回り小さいが、肉の繊維が硬い。生の状態で触ると、筋肉の密度が高いのが分かる。
長時間煮込む食材だとすぐに分かった。
「シチューにします。骨ごと煮て出汁を取ります」
鍋に水を張った。魔鳥を骨ごと沈めて、根菜の半分を加えた。蓋をして、魔力で弱火を維持する。
一時間経った。
香りが変わり始めた。骨から出汁が出てきた。液体が白濁してくる。表面に浮いた余分な脂をすくい取った。
二時間経った。
肉が骨からほぐれ始めた。菜箸で触ると抵抗がない。スープを一口味見した。深みが出ている。まだ足りない。
三時間。
スープを漉した。骨と最初の根菜は取り出した。液体だけを鍋に戻して、残りの根菜と調味料を加えた。前回のデミグラスソースの技術を応用して、赤ワイン系魔果実のエキスを少量加えた。酸味が丸みを持たせる。
肉をほぐして戻した。
魔導鍋の蓋を閉めた。
開発担当が「これを持ち運んで届けるわけですか」と言った。
「この状態で半日保温できるなら、朝に作って夕方に届けられます。冒険者の野営地や、公爵領の遠方市場に出せます」
「温め直した時に味が落ちないか心配でしたが」
「煮込み料理は温め直すと旨味が増します。一日置いた方が美味いくらいです」
開発担当が熱心に羊皮紙に書き付けた。
配信は夜にした。
試食役はギルドから来た若手冒険者が二人と、開発担当の商会の男が一人。
「今夜は煮込みです」とリディアは水晶板に向かって言った。
「三時間かけました」
コメント欄に「三時間」「令嬢が三時間煮た」「それは美味いに決まってる」が流れた。
鍋の蓋を開けた。
湯気が上がった。スープの香りが画面越しでも伝わりそうな濃度だった。深い褐色のスープの中に、ほぐれた魔鳥肉と柔らかくなった根菜が沈んでいる。
盛り付けた。スープを張った器に、肉と根菜を並べた。
「崩れそうです」と開発担当が覗き込んで言った。
「それが正しい状態です」
スプーンを渡した。
冒険者の一人が肉にスプーンを当てた。力を入れる前に、肉が崩れた。スッと、抵抗なく。
「うわ」と呟いた。
「食べてください」
口に入れた。
コメント欄が「顔を見ろ」「どんな顔してる」「画角こっちに向けて」に変わった。
冒険者が顔を上げた。
「……何時間煮たって言いましたっけ」
「三時間です」
「この肉、中層のやつですよね。普通に調理したら硬くて食えないやつ」
「そうです」
「なんでこんな柔らかいんですか」
「時間と温度です。筋繊維を壊すには圧力よりも時間の方が効く素材があります」
もう一口食べた。今度はスープも一緒にすくった。
「スープが……」
「骨から出汁が出ています。三時間分です」
「……王都じゃこんなもん食えないですよ」
コメント欄に「王都ディスが来た」「でも正直そう」「公爵領の流通に乗ったら即買います」「遠方からでも取り寄せる」「令嬢の飯を全国に届けてくれ」が流れた。
にゃん吉がスープを一口飲んだ。
しばらく何も言わなかった。
「にゃん吉さん、感想を」
「……出汁の密度が違う」
「三時間の差です」
「気が長いやり方だな」
「美味いものには時間がかかります」
にゃん吉がもう一口飲んだ。返事はしなかった。それが答えだと分かった。
配信が終わった頃、ヴィランから短い通信が来た。
【本日の王都の件をご報告します。セドリック殿下とイザベラ・ハートマン嬢が、王宮の社交の場で正式に距離を置いたとの情報が入りました。子爵家から王家への抗議書が提出されたとの噂もあります。王都の社交界では両名への批判が公然と出始めています。——ヴィラン】
リディアは読んで、置いた。
「王都が動いたようですよ」とにゃん吉に言った。
「セドリックとイザベラか」
「完全に関係が崩れたようです。子爵家が動いたなら、もう後戻りできない」
「お前はどうする」
「明日の仕込みをします」とリディアは言った。
「他人の自滅を見ていても何も生まれません」
にゃん吉が缶を二本取り出した。一本をリディアの前に置いた。
「何ですかこれは」
「マタタビ酒だ。お前の分」
「飲めません」
「匂いだけ嗅げ。悪いもんじゃない」
リディアは缶を手に取った。開けると、甘い発酵の匂いがした。確かに悪くはない。
「乾杯でもしますか」
「そういう気分だ」
缶を当てた。かちん、と小さい音がした。
「何に対してですか」
「さあな」とにゃん吉は言った。
「一週間、悪くなかったな、というくらいだ」
「そうですね」
リディアは匂いだけ嗅いで、缶を置いた。
スープの鍋がまだ温かかった。明日の分の煮込みを仕込んでおくには、今夜のうちに骨を下処理しておく必要がある。
羊皮紙を取り出した。
手が揺れていなかった。魔力が安定している。指先の光も、今夜は最初から揺れなかった。
窓のない石の部屋で、魔石灯が静かに燃えていた。




